第76話: 渋谷ダンジョンを探索する
渋谷ダンジョン7階層に足を踏み入れた瞬間、俺たちは思わず言葉を失った。
目の前に広がっていたのは、無数の鍾乳石が天井から垂れ下がり、足元には岩の湖のような広がりがある巨大な鍾乳洞だった。
冷たい空気が肌を刺し、ぽつぽつと水滴が落ちる音が、やけに耳に残る。
「……なんか、思ってたより広いっスねー」
コハルがぽつりと呟いた。
わかる。わかりみしかない。
1階層の探索者で溢れかえっていたあのテーマパーク感はなんだったのかと思えるほど、この階層は静かだった。
広すぎる空間のせいか、俺たちの足音すらどこか遠くに響いているように感じる。
「探索者1人もいないな」
ブタオもきょろきょろと辺りを見回しながら、眉をひそめた。
たしかに、ここまで人気がない階層も珍しいのでは?
青梅ダンジョンに来たのかと思ったぞ?
チアキからチャットが飛んでくる。
<渋谷ダンジョンの7階層は「アイアンタートル」しか出てこないらしいです。防御が恐ろしく硬い割に、魔石の価値が5万と割に合わない魔物として知られていて、みんなスルーする階層のようですね>
「なるほど……ありがとう、チアキぺディア。さすが俺たちの知識タンク」
俺が親指を立てると、すぐにチアキから追撃のチャットが来る。
<チアキぺディア……どうして皆さんは事前に調べないのですか?>
その文面には、明らかに呆れと困惑が滲んでいた。
「え? だって、チアキがいるし?」
俺が答えると、すかさずブタオとチアキが続く。
「なんとかなるっしょ。現地調査こそ真のリアリズムだぜ?」
「私、文字読んでると眠たくなってくるっスー」
コハルが肩をすくめながら、スマホをクルクルと回す。
その直後、チアキのチャットがピコッと鳴った。
<ダメだこいつら……なんとかしないと……>
……わざわざそんなことをチャットするんじゃない。
「まあまあ、役割分担だってことで」
チアキはぷりぷりしたままだ。
すまん、なんも怖くないや。
静寂に包まれた鍾乳洞の中を、俺たちはそろりそろりと歩いていた。
どこまでも広がる岩の空間。
足元の岩肌は滑りやすく、ところどころに水たまりができている。
「……魔物の気配、ないな」
ブタオがぼそっと呟く。
たしかに、気配どころか、生き物の気配すら感じられない。
「本当にアイアンタートルさんはいるのかいな?」
誰にともなく呟くと、チアキが小さく頷いた。
口元は閉じたままだが、チャットがピコッと表示される。
<ちゃんといます。この階層、湧きは少ないって話なのでこんなものなのかと>
「じゃあ、まぁ……とりあえず、あっちに向かってみるか」
俺は進行方向の、やや開けた通路を指差した。
地図も何もないので、正直、どっちに向かってるかなんて分からない。
でも、何か起きるなら、広い通路の方がいい……たぶん。
「了解っスー」
コハルが元気よく返事をするが、足取りはやや鈍い。
やっぱり、空気が重いんだよな。
「いくぞ、いくぞー。最悪、岩陰に隠れて様子見すりゃいい」
ブタオの楽観的な声が鍾乳洞に反響する。
……と。
「……ん?」
俺が立ち止まった瞬間、地面がかすかに震えた。
ゴ……ドン……
低く、重く、腹に響くような音。
「え? 今の……足音か?」
一歩、また一歩。
ドスン。ドスン。ドスン。
明らかに近づいてきてる。
「……ちょっと待て、え? これが、アイアンタートル?」
思わず声が裏返る。
「音の重さが尋常じゃないんスけど……これ、ゴジラじゃないっスか?」
コハルが顔を青くして呟いた。
「帰っていいかな?」
ブタオが真顔で言った。
いや、その気持ちはわかるけど。
「諦めたら試合終了っスよ!」
コハルさんや、その情熱はどこから来るのかね?
ニートである現状の焦りからかい?
それならあとは任せた。
足音はどんどん近づいてくる。
向こうの大きな通路の奥、影の中から、何か――でかい何か――がこちらに向かって来ている。
とりあえず、姿が見える前に身を隠すか、それとも突撃するか――
俺たちは反射的に、後ろへ一歩引く。
奥の通路の闇が、ぐわっと揺れた。
次の瞬間、ずん、と空気が震えるような足音が響く。
振動とともに、岩肌をかき分けて現れたその姿は──
「……カメ?」
俺が思わず呟く。
通路の向こうから顔を出したのは、名前の通り、どう見ても亀だった。
だがもちろん、ただの亀ではない。
「デカ……」
その甲羅は岩のように硬質で、色は鈍い金属のような光沢を放っている。
頭はワニみたいにゴツくて、目つきも鋭い。
体高だけで俺の背丈くらい、全長は……5メートル、いやそれ以上あるかもしれない。
まさしく、鉄の亀だった。
「……アイアンタートルって、あいつか」
ブタオが低く唸るように言ったそのとき──
カメが、こちらを見た。
その小さな目がギラリと光る。
「うわ、気づいた!」
そして──次の瞬間。
「走ってきたァァァーーーッ!?」
ドスンッ! ドスンッ! ドスンッ!
見た目からは想像できないスピードで、アイアンタートルが突進してきた。
重戦車のような勢いで、壁を削りながら、地面を揺らしてこっちへ向かってくる。
「え!? ちょ、早くない!? 亀って遅いんじゃないの!? 童話でそう言ってたじゃん!?」
「完全に詐欺っスよこれ! 亀のフリした戦車っス!」
俺たちは即座に踵を返し、走り出す。
後ろからはガンガンと追いかけてくる足音。
振り返る余裕もないが、気配だけで分かる。
あれはガチでヤバい。
「ちょ、全員逃げてるじゃん! コハル! お前が逃げてどうすんだよ! 念力使え、念力!」
「こ、怖いっスー!! でかすぎるっスー!! ブタオさん足止めしてくださいっス! 念力使うのにも集中力がいるっスよぉお!」
「今足止めたら追いつかれる気がするから無理!! 俺死ぬの嫌!!」
「俺も嫌ーー!!」
誰かの叫び声が反響して、自分の声か他人の声かもわからなくなる。
「チアキ!? チアキ大丈夫か!?」
チャットを見る暇もない。
ちらっと振り向くと、チアキは肩で息をしながら必死に走っていた。
ローブの裾をひらひらと揺らしながら、まさに全力疾走だ。
チャットは……飛んでこない。
「……マジで余裕ないんだな……!」
後ろから迫るドスン! ドスン! という足音。
それに負けじと、俺たちは必死に、ただひたすらに、来た道をダッシュで戻っていった。
──それから約5分。
俺たちは、鍾乳洞の中をひたすら走り回った。
命からがら、岩陰を縫って逃げ回り、時には急斜面を滑り降りたり、ブタオが段差でつまずいて顔から転んだり、コハルが「無理っスー!」と泣きそうになったりと、てんやわんやの大逃走劇だった。
結果──
「……ふう……ま、撒いたか……?」
俺が息も絶え絶えにつぶやく。
「……た、多分……」
「亀……なのに……速すぎる……ッス!」
<ブタオさん、よく生きてましたね……転倒してたのに……>
「俺は動けるデブなん……だよ!」
周囲に気配はない。
あのドスドスという重低音も、もう聞こえてこない。
さすがに諦めたらしい。
全員、鍾乳洞の壁にもたれかかるように、ドサッと座り込む。
水の滴る音と、俺たちの荒い息遣いだけが響く静寂。
──生きてるって、素晴らしい。
「……なあ」
「んー?」
「……帰る?」
誰ともなく、ぽつりと呟いた。
「……そうだな。帰って撮り溜めたアニメ見るわ」
ブタオが遠くを見ながら、どこか悟った表情で言う。
コハルがぴょこんと顔を上げて、声を張った。
「いや、もうちょっと頑張りましょうっスよ! なんもしてないじゃないっスか! ここまで来て逃げ帰るとか、マジでただの観光じゃないっスか!」
「いや観光の方が命の危険性がないから最高だわ」
「むぅ」
コハルが言葉に詰まった隙をついて、俺はチクリと刺すように言ってやった。
「……そうだよな。このままだと、コハルがニートのままだもんな」
「に、ニートじゃないっスよ!? 念力使えるっスし!」
「でも働いてないよな?」
「ぐぬぬぬぬ……!」
図星だったらしい。
俺たちは互いの顔を見合わせて──そして苦笑した。
「……まあ、せっかく装備も揃えたんだしな」
「高かったっス……このローブ……」
「コハルのローブなんて500万だからな」
「日本人の平均年収超えっス……」
そんな感じで、少しだけ心に余裕が戻ってきた俺たちは、腰を上げて、円になる。
──作戦会議、開始だ。
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現在のゴブリン牧場の状況(996匹)
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・ゴブタロウ檻(ゴブタロウ + メス214匹)
ハイメス182匹
ハイメス赤ちゃん32匹
・スカー檻(スカー + ハイメス20匹)
ハイメス19匹
ハイメス赤ちゃん1匹
・チビ檻(チビ + ハイメス20匹)
ハイメス19匹
ハイメス赤ちゃん1匹
・檻B(198匹)
ハイゴブリンオス赤ちゃん137匹
マジシャン赤ちゃん31匹
ファイター赤ちゃん30匹
・ヤリ檻(55匹)
マジシャン13匹
ファイター12匹
ハイメス30匹
・探索部隊(486匹)
ハイオス335匹
マジシャン66匹
ファイター65匹
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