第5話: ゴブリンの魔石1000円っすか!?
俺たちは、ゴブリンの死体を前にして立ち尽くしていた。
足元には、まだ温もりの残る死骸。ナイフを握ったまま固まっているゴブリンの手。血と獣臭が入り混じった生々しい匂いが鼻を突く。
正直、吐きそうだった。
「……おまえ、行けよ」
沈黙を破ったのは、ブタオだ。
「はぁ!? おまえがやれよ!」
「いやいやいや、ここはおまえの番だろ!」
「は? 意味わかんねぇ!」
にらみ合う俺たち。どちらも一歩も譲る気配はない。
「……じゃんけん、しかねぇか」
「……ああ」
ゴブリンの死体を挟み、真正面から向かい合う。
バチバチに視線をぶつけ合いながら、両手を握りしめた。
(負けたくねぇ……絶対、負けたくねぇ……!)
「最初はグー、じゃんけん──ポン!」
俺はチョキ。ブタオはグー。
負けた……。
「っ、マジかよ」
拳を見下ろして、絶望する。
おれの右手ぇぇぇぇぇぇ!!
「よっしゃああああ!!」
対照的に、ブタオはガッツポーズを決めていた。
「ボン、おまえに任せたわ! がんばれ!」
「……帰りたい」
真顔で呟いたが、今さら無駄だった。
しぶしぶ、俺はゴブリンの死体へと、そろそろと近づいていった。
ゴブリンの死体に近づくたび、鼻をつく血と腐臭がどんどん強くなっていく。
(うぇ……マジでムリかも……)
ナイフを震える手に握りながら、俺はそっとゴブリンの胸元を見た。
ナイフを刺すべき場所は、心臓。
──頭では分かってる。でも実際にやるのは、まったく別の話だった。
「……ボン、早くしろよ。早くしないと腐るぞ」
後ろからブタオの無責任な声が飛んでくる。
「うっせぇ! ちょっと待て! 気合入れてんだよ!」
叫び返しながら、俺は意を決してナイフを振りかぶった。
ズブッ。
生温かい感触が、手首まで伝わる。
「うわあああああ!!」
思わず叫び声が漏れた。ぐにゃりとした肉の手応え。ぬるぬるとした血の感触。
(うわぁぁぁぁ最悪だぁぁぁ!!)
半泣きになりながら、心臓をめがけてナイフをぐりぐり押し込んでいく。
カチッ。
手応えが変わった。
硬いものに当たった感触。
「……これか?」
俺はナイフを離し、手を突っ込んで、硬い塊を指先で掴んだ。
ぐいっと引き抜く。
──赤黒い、小さな石。
掌に収まるくらいのサイズで、ぼんやりと鈍い光を放っていた。
「取れたぁぁぁ……!」
座り込んで、俺はその場でぐったりと力尽きた。
後ろから、ブタオが顔をしかめながら覗き込む。
「……それ、魔石?」
「たぶん……魔石」
「ちっさ!」
「マジでちっさ!」
二人して、しげしげと魔石を見つめた。
命懸けで得た最初の戦利品は、思った以上にしょぼかった。
魔石を回収し終えた俺たちは、
もうこれ以上、このダンジョンに居たくなかった。
「──今日はこれで帰ろう」
俺がそう言うと、
ブタオもすぐにうなずいた。
「異議なし。命あっての物種ってな」
バットを手に、俺たちは足早に来た道を戻る。
暗く湿った岩の回廊。
時折、ポタリと水滴が落ちる音だけが響く。
(……静かすぎる)
ちょっとした物音にも、神経が逆立った。
もう一度ゴブリンが飛び出してきたらと思うと、正直ビビりまくっていた。
小型ランタンの光に縋るように、俺たちはゲートを目指した。
そして──
見覚えのある黒い石枠が、ぼんやりと視界に浮かび上がった。
「──帰還、だな」
「よし……とっとと出るぞ」
息を合わせて、
俺たちはゲートに飛び込んだ。
ふわりと体が浮くような感覚。
次に目を開けたとき、
そこは、あのプレハブの中だった。
古ぼけた受付カウンター。
スマホをいじる受付嬢。
現実に引き戻されたことに、心底ホッとした。
(生きて帰ってこれた……)
たった一匹倒しただけ。
たった一回戦っただけ。
──なのに、全身が汗だくだった。
プレハブの薄暗い室内に戻った俺たちは、
そのまま受付カウンターへ向かった。
カウンターの向こうでは、
例によって、スマホをいじっている受付嬢がひとり。
俺たちが近づいても、
彼女は顔も上げずに、スマホをいじり続けている。
(……この扱い、慣れねぇな)
咳払いひとつして、俺は声をかけた。
「……魔石、売りたいんですけど」
受付嬢はスマホから目を離さないまま、
手だけを伸ばしてきた。
(え、雑……!)
仕方なく、俺は小さな赤黒い魔石を手渡す。
彼女はちらりと魔石を見ただけで──
「……え、一個? 笑」
鼻で笑った。
顔は真顔のまま。
だけど、確実にバカにしている。
「……っ!」
言い返したい気持ちをぐっと堪えた。
受付嬢はダルそうに、
カチャカチャとレジのような端末を叩き始める。
(やる気なさすぎる……)
無表情で処理を終えた彼女は、
レシートみたいな紙と、くしゃくしゃの千円札を俺たちに押し付けた。
「──1000円ね」
「やっす!!」
俺とブタオが、同時に叫んだ。
「え!? 命かけて1000円!? やっす!!」
「1人500円!? 時給以下かよ!!」
わーわー騒ぐ俺たちを横目に、
受付嬢はスマホに視線を戻しながら、ぼそっと言い放った。
「……死ぬ前に、ダンジョン行くのやめたら?」
ぐさり、と胸に突き刺さる言葉。
俺たちは、
ぐぬぬ……と顔を引きつらせたまま、
無言でプレハブを後にした。
「飲み行こうぜ……」
プレハブを出た瞬間、
ブタオがしみったれた声で言った。
「賛成……」
俺も力なくうなずいた。
千円ぽっちの収入。
ズタボロにされたプライド。
このまま真っ直ぐ帰るには、精神的ダメージがでかすぎる。
適当に見つけた居酒屋に入ると、
俺たちは無言でビールを頼み、
無言で乾杯した。
──ゴクゴク。
冷えたビールが、乾いた喉を流れ落ちていく。
「ああ~~~っ……」
「生き返る……」
ふたりして、ぐったりとテーブルに突っ伏した。
しばらく黙り込んだあと、
ブタオがぼそりと呟く。
「……なぁ。
マジでこれで食っていくつもりか?」
「……いや、無理だろ」
俺も正直に答えた。
1000円を二人で山分けして、500円。
交通費にもならない。
現実は甘くない。
甘くなさすぎる。
ブタオはテーブルに頬を押し付けたまま、ふにゃっと笑った。
「就職すっか?」
「……やだ」
「いい消費者金融を紹介するぜ?」
「すでに3000万の借金があるので結構です」
「タクシー会社なら紹介するぜ?」
「痔になるって聞いてるので結構です」
スーツ着て、面接して、また上司に怒鳴られて、
給料日に溜息つくような人生は、もうたくさんだ。
俺はグラスを持ち上げ、
ビールを一口飲んでから、
ブタオを見た。
「……試してみたい案があるんだ」
ブタオが目を細める。
「案?」
「うん。
ちょっと、面白いこと思いついた」
俺は、にやりと笑った。
ここから先、
俺たちの本当の勝負が始まる。




