21杯目 『黄金の右腕』ミルティ
もう指の一本だって動かせない。
ダンジョンの床に伏せながら、全身の激痛と安堵にも似た脱力感の中で、かろうじて意識を保っていた。
隣で倒れているウメワリィも似たようなもの。
「『黄金の右腕』ミルティ……本当に強敵だった」
ため息とともに感想を吐き出す。
もう一度戦えと言われても勝てる気はまるでしない。
偶然に偶然が重なってようやく手に入れることができた勝利。
今はただその味を噛みしめることで精いっぱいだった。
とはいえ、このまま全員倒れていては、仮にモンスターが現われた場合に目も当てられない。なんとか帰還せねば。
──そういえば、こんな時に便利な奴がいたな。
どうせ後で恩着せがましいことを言ってくるのだろうが、他に頼るヤツもいないし仕方がないだろう。
「なあ、ゴマレバ。回復薬とか持って──」
そう、彼に声を掛けようとして──。
「オイ……どうなッてンだよコイツは……」
呟きと共にその顔が驚愕に歪んでいくのを見てしまう。
彼の視線の先。
ぴくり、と。
倒れていたはずのミルティの指先が、かすかに動き。
そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、身を起こし始めたのだ。
「冗談……だろう……!」
喉から、掠れた絶望の呻きが漏れる。
あれほどのダメージを受けて、まだ立ち上がるというのか……!
ダンジョン配信者ランキング10位。
近接最強。
その看板は決して伊達や酔狂ではない。
もはや我々に抗う術はなく、絶望が心を支配する。
ウメワリィも、信じられないものを見たという様に目を見開き、息を吞んでいる。
「嘘、ですよね……もう魔力も気力もすっからかんですよこっちは……!」
だが。
ふらつきながらも完全に立ち上がったミルティは、戦闘の意思を見せることはなかった。
「ふ、ふふ……キンミヤ……ウメワリィ……すごいわね、アンタたち」
その表情は驚くほど穏やかで、どこか吹っ切れたような清々しささえ漂っている。
「本気だった。ちゃんと本気で戦った。その上でこうまで見事にやられるなんてね」
彼女は、そこで一度言葉を切り、そしてはっきりと告げた。
「……負けよ、私の」
少しだけ恥ずかしそうに、目を伏せながら。
「だって田舎で隠居するより、アンタたちの隣で戦う方が、ずっと楽しそうって、そう思っちゃったんだもの」
その言葉に、我もウメワリィも、ただ呆然とするしかなかった。
「アンタたちのせいよ」
勝った……のか? 本当に……?
ミルティは、そんな我々の様子を気にするでもなく、ふっと息を吐き、ダンジョンのさらに奥へと視線を向ける。
「でも……その前に。ひとつ、やり残したことが、あるの」
その声には、先ほどの穏やかさとは異なる、何か重い決意のようなものが宿っていた。
「私の青春に、決着をつけてくるわ」
彼女の視線の先にあるのは──アレナダンジョン最奥。《金黒曜の騎士》の部屋。
ミルティは、その扉の方を向きながら。
「ゴマレバ……だったかしら。まだ配信を続けているわよね?
「あ、ああ……続いてンぜ……」
「それなら、この先も、最後までしっかり記録なさい。これが、最後のケジメなのだから」
その声は静かで、有無を言わせぬ迫力に満ちている。
ゴマレバは、そのただならぬ気迫に押されたかのように、こくりと頷いた。
ドローンカメラが、ゆっくりと彼女の背を追う。
我とウメワリィは、ただ息を呑んで、彼女の行動を見守るしかなかった。
ミルティは、我々に背を向け、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、《金黒曜の騎士》がいるであろう部屋の、あの重々しい扉へと向かっていく。
そして、ためらうことなく、その扉を押し開いた。
ギィィ……と、ダンジョンの奥底に似つかわしくない、古びた蝶番が軋むような音が響き、重々しい石の扉がゆっくりと開いていく。
扉の向こうに待ち構えていたのは、広大な黄金の間だった。
天井も、壁も、床も。
そして、そこに置かれた装飾品の全てまでもが、鈍い黄金に染まっている。
その中央に、一体の騎士が佇んでいた。
《金黒曜の騎士》。
かつて、若き日のミルティとシモン店長を苦しめ、そしてミルティの右腕に癒えぬ呪いを刻んだ、因縁の相手。
しかし、ミルティは、臆することなく広間へと一歩足を踏み入れた。
その背中はどこか吹っ切れたような自信に満ち溢れていて。
《金黒曜の騎士》は侵入に気付き、ゆっくりと剣を構える。
その剣筋には、一切の感情を伴わない冷たい意思がある。
彼女は、ただ静かにその騎士を見つめている。
やがて、ふっと、本当に小さな、自嘲にも似た笑みが彼女の唇の端に浮かび。
「こんなのに苦戦するレベルだったのね、『青春ロケット』は……」
ミルティは、そっと瞳の端に浮かんだ涙を拭う。
無理もない。
彼女が《金黒曜の騎士》と戦ったのは6年前のこと。
色んな事が変わるには、十分な時間が流れてしまった。
ミルティは、ゆっくりと歩みを進めながら、ぽつり、ぽつりと誰に言うでもない言葉を漏らす。
「シモン……ごめんなさい。私がもっと早く気付いていれば、認めていれば、もっと違った道もあったかもしれないのに」
その声には、深い後悔が滲んでいる。
「ねえ、私行くわ。新しい仲間と一緒に……見ていて、くれるかしら」
その言葉と共に、ミルティは拳を静かに騎士へと向けた。
彼女の身体から、淡い、星のきらめきのような魔力が立ち昇り。
「《星を掴め》」
次の瞬間、彼女は一条の流星となり、《金黒曜の騎士》の胸部を正確に貫いた。
騎士は何も抵抗出来ぬままその場に崩れ落ちていく。
かつての死闘が嘘のような、あっけない幕引きであった。
ミルティは、その場に立ち尽くし、ゆっくりと、自分の右腕を見下ろした。
右腕を覆っていた黄金の呪い。
金色に輝いていた青春の残滓。
それはすぐには消えない。
六年間、彼女自身が手放せなかったものだから。
けれど。
ミルティは、静かに目を閉じた。
そして、初めてその右腕を責めるのではなく、労わるように撫でる。
「……もう、いいわ」
その瞬間。
右腕を覆っていた黄金が、まるで陽光に溶けていく朝露のように、ゆっくりと光の粒子となって宙へ解けていった。
その光景は、どこか幻想的で……あまりにも美しかった。
終わったのだ。
彼女の青春は。
「キンミヤ、ひとつだけ訂正しなさい」
ミルティは、光の粒子が舞う中、静かに自分の右腕を見つめ。
そして、虚空へと手を伸ばした。
「人類最強を倒すのは、夢じゃない」
その手はもう、過去を掴むためのものではない。
「私たちの、目標よ」
過去を貫いて。
未来に向かって手を伸ばした、彼女の名は。
『黄金の右腕』ミルティ。
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