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2/13

2杯目 つまらない飲み会の酒は本当にマズい

 今から20年ほど前、突如として世界各地にダンジョンが出現。

 それと同時に、人類は魔力という新たな力に目覚めた。


 魔力による身体強化。

 遠距離から放たれる魔力弾。

 さらには一部の者にのみ発現する、我執顕現(エゴ)と呼ばれる特殊能力。


 最初こそ危険視されていたそれら。

 しかし、ダンジョン内に出現するモンスターの素材や、彼らが死亡したあとに残される魔石の資源的な価値が高いことが明らかになると、評価が一変。

 一攫千金を夢見る者たちが、こぞってダンジョン探索を始めたのだ。


 無数の──それこそ、各市町村に最低一箇所は存在するダンジョンの登場によって、世界は大きく変貌を遂げる。

 魔石を用いた技術革新は農畜産業に革命を起こし、食料自給率は50,000飛んで713%を超えた。

 医学の進歩も著しく、ついに平均寿命は百歳の大台に到達。


 飢えも、病も、おおよそあらゆる不幸を克服した人類は、ついに豊かな未来を手に入れたのだ。

 ──めでたし、めでたし。


 ……とは、当然行かない。

 結局のところ、人間とは飽くなき好奇心の怪物で。


 満たされたら、次に欲しいものを探す。

 それが手に入れば、また次を。さらに次を。もっと、もっと。

 無限ループ。


 可能性に満ちたはずのダンジョンが、後ろ暗いことをするのに適した場所へ堕していくのに、そう時間はかからなかったという。

 違法取引、闇ギルド、非合法実験。


 探索者の倫理は次第に崩れ、ダンジョンは法の及ばぬ領域となりつつあった。

 そこで日本は、ダンジョンの悪用を防ぐための強硬策として「ダンジョン探索法」を制定。


『すべての探索者は、プライベートな時間を除き、ダンジョン探索の様子を常時配信するよう努めなくてはいけない』


という、厳しい規定が設けられたのだ。


 当然のことではあるが、最初の頃の反発と言えばそれはもう凄いものだったと言う。

 我執顕現などの能力を秘匿したい探索者、違法行為を働く者たち、単純にプライベートを覗かれたくない者──彼らにとって監視の義務化はあまりに痛手だった。

 しかし、法施行と同時に発表された新技術が、その評価を一変させる。


 ──「インプレッション」

 視聴者が配信を見ることで、配信者へ微量の魔力を送るシステム。

 ──「スーパーチャット」

 視聴者が任意の探索者に魔力を『投げ銭』として送る仕組み。


 この二つの導入により、人気のある探索者ほど視聴者の魔力支援を受けて強くなり、高額報酬を手に入れやすくなったのだ。

 それ以降、「好きなことして生きていこう」「ダンジョン配信でモテモテ爆儲け生活!」などという怪しすぎるお題目と共に、ダンジョン配信は『スポーツ選手・医者・アイドル』に並ぶ、子どもたちの憧れの職業となったのである。



「今日は朝から色々ありましたし、お疲れでしょうから、少しだけ濃い目の味付けにしたのですが……兄さんのお口に合うとよいのですが……」

 白い湯気が優しく立ち昇る。

 炊きたての白米、納豆、それから生姜焼きと味噌汁。


 ボロ雑巾のような身体を引きずってなんとか食卓へ辿り着くと、そこで待っていたのはかわいい妹と美味しそうな朝食だった。

 つまるところ、ここは自宅の居間だった。


 もちろん、天使が作ってくれた天上の料理に文句などあるはずがなく。


「「いただきます」」

 全体的に茶色く、塩っけが強い。

 まるでわんぱくな小学五年生のお弁当のような朝食は、彼女の狙い通り、疲れた体に染み渡り、五臓六腑を癒していく。


「うまい、美味すぎる! 毎日料理を作ってくれるだけでも凄すぎるというのに、こんなに美味い上に気遣いも出来るなど、かわいさ・偉さ・素晴らしさ部門でノーベルかわいい賞が取れてしまう……」

「も、もうっ、兄さんは大袈裟なんですから……でも、えへへ。ありがとうございます、兄さんにそう言っていただけるだけで頑張った甲斐があるというものです」

「しかし……いつも済まないな。忙しいだろうに、家事を任せてしまって」

「いいんですよ、好きでやってることですから。それに、兄のために甲斐甲斐しく料理を作る健気な妹……これってなかなか人間ポイントが高いと思いませんか?」


 かわいい。

 その知識には少々の偏りがあるとは思うが。


 両親が有名なダンジョン探索者をやっているせいで、我が家は無駄に広い。

 テレビに映るスポーツ選手の豪邸を想像していただければ、おおむねイメージ通りだろう。

 本来ならお手伝いさんでも雇うべきサイズなのだが、この家には我ときんぎょの二人きり。

 そうなったのには色々理由があるのだが──結局のところ、きんぎょのこともあって、あまり見知らぬ人を家に入れるのは抵抗があるから。

 ちなみに両親はというと、数年前に「ダンジョンの奥でティラノサウルスが経営する中華料理屋を見つけた」と言い残して、海外へ行ったきり。

 日本と違い、あちらにはダンジョン配信を強制する法律もないので、今彼らが何をしているか具体的には分からないのだが……あの二人のことだから心配はないだろう。

 とにかく、きんぎょはダンジョン配信者ランキングの頂点に立つ存在として、ダンジョン配信や雑誌のモデル、CMの出演などをこなしながら、家事まで万能にこなしてしまうスーパーガールなのである。


 テレビに視線を移すと、この前二十歳になったばかりの彼女が美味しそうにビールを飲んでいるCMが流れていた。

 きんぎょはそれを見て恥ずかしそうに頬をかき、朝食の最後の一口をぱくりと口の中へ放り込んでから両手を合わせてごちそうさまをすると、我の後ろに回り込む。


「あ、あのー……お疲れではないですか、兄さん? その、お揉みしましょうか? 肩とか」

「うむ、気持ちはありがたいのだが……かわいい妹に朝食を作ってもらった挙句、肩まで揉ませる兄は……その、犯罪ではないか?」


 というか。


「あー……、ゴマレバのことであれば気にしなくていいぞ、そもそも、きんぎょが悪いわけではないしな。気に病むことはない。それに、妹のために頑張るなぞ兄として当然のことだからな」

「むぅ……そうは言いましても……私のせいで兄さんに迷惑をかけてしまったのは事実と言いますか、何といいますか……行き場のない申し訳なさが……」

「それに、我ときんぎょが兄妹だという秘密はキチンと守り通したからな。そちらも心配はない」

「それは別に言いふらしても良いと言いますかー……むしろ妹的には立派な兄を自慢したい気持ちもあるのですがー……」

「そうもいかないであろう、不出来な兄がいると知れてはイメージに関わるからな」

「むぅ……そんなことないのに……」


 制止の言葉も聞かず、彼女は少し強めに肩を揉む。仕方ないので、身を任せることにした。

 そんなことで彼女の罪悪感が少しでも晴れるというのであれば、それでいいと思うから。

 罪悪感というよりは、恐怖……だろうか。

 それが、彼女の胸の奥に強く根を張っている事を、我は知っていた。


「それに、きんぎょの秘密が世間にバレる可能性は、僅かでも無くしたほうがいいからな」

「兄さんは心配しすぎですよ、大丈夫です。約束はキチンと守っていますから」

「……」


「人には優しくしなくてはいけない、ご飯を食べる時にはいただきますとご馳走さまをしなくてはならない、むやみに命を奪ってはならない。大丈夫、わかっていますよ」



 きんぎょが抱える、本当の『秘密』。

 それは、ゴマレバが暴こうとしていた程度の物ではない。

 きんぎょは、人間ではない。


 きんぎょは──ダンジョンだ。



 十数年ほど前、ダンジョンの奥底で我が両親が発見した、人の形をしながらも人でないもの。

 それが彼女、きんぎょの正体。

 彼女が正式に我が家の養子となってから、様々な検査が行われた。

 その結果、全ての数値は彼女を人間だと示した。

 しかし、その結果に納得するものは誰一人としていなかった。

 物理法則では説明のつかない異常な膂力。人間のものとは思えない無尽蔵の魔力。


 それだけであれば、まだよかった。


 ダンジョンのように、モンスターを産み出し。

 ダンジョンのように、あらゆる傷を一瞬で修復し。

 さらにはモンスターの能力を借り受けることまで可能というふざけた生態。

 ある時はドラゴンの翼で空を飛び、ある時は潰れた頭を瞬時に治し、あるときは産み出したマーメイドを目覚まし時計代わりにする。

 それは、人間が魔力によって不思議な力を得たこの時代においても異常な事態であった。


 彼女は、人間とはかけ離れた強さを持っている。

 誰も彼女と同じ景色を見ることが出来ない。

 彼女はダンジョン配信者として、モデルとして、CMの顔として、国内外問わず、世界中から愛されてきた存在だ。


 ──それでも、彼女は深い孤独を抱えている。

 その強さ故に。

 その特異さ故に。


「きんぎょよ、もう少しだけ待っていて欲しい」

「……いつまでも、待ちますよ」


 だから、兄として、家族として、彼女の力になってやりたい。

 たとえ血が繋がっていなくとも。

 たとえ同じ生き物じゃなくても。

 それでも我は、きんぎょを妹として、家族として愛している。

 それだけは、何があっても変わらない。


「我は必ず強くなる。お前を、独りにはさせない」


 人類最強、きんぎょに勝つ。


 お前の強さなんて、ちょっと努力した人間と同じようなものだ。

 だからお前は人間とそう変わらないんだ、独りじゃないんだ。

 そう言ってやるために。

 それがダンジョン配信者──キンミヤの目標だ。



 とは言ったものの。

「こんなことを繰り返していて、きんぎょに追いつく日など本当に来るのだろうか……」

 マイクに乗らないようボヤきながら、目の前の《グレートインテリジェントメチャスゴイスライム》を愛用の日本刀で切り伏せる。


 ここは実家からそう遠くない位置に存在する『アレナダンジョン』の深層16階。

 朝食を終え、いつものように始めたダンジョン配信。

 コメントの流れは……そこそこ。


「ふぅ……」


 ため息ひとつ。

 朝からダンジョンへこもり続け──おそらく今は夕方ごろだろうか。

 戦果としては……まぁ、いつも通りといった所。


 グレートインテリジェントメチャスゴイスライムは、その名の通り高い知性を持ち、罠を張ったり別の生物に擬態したりと一般的には厄介な相手とされている。

 だが、きんぎょの強さと比べれば塵芥のようなもの。


「こんなもの、何回倒したところで……」

 そうぼやく間にも次の敵が現れ、反射的に息をひそめて戦闘態勢。


 ──《ギャラクシーギガントギラギラゴブリン》。


 その名の通りギラギラしたものが大好きなモンスターだ。

 特に魔石に目がなく、浴槽いっぱいに敷き詰めた魔石に浸かりながら「勝ちまくり! モテまくり!」とでも言いたげなドヤ顔を晒す、ふざけた見た目のやつである。


 だが。


「チィッッ!」

 その実力はまったくふざけていない。


 手榴弾のように投げつけられた魔石。

 それを媒介にした高出力の爆撃。


 ちょっとした民家なら一発で消し飛ばせそうなそれらが、通り雨のように降り注ぎ──。


「《陽性残像(スターゲイザー)──叡智に乗りて歩むもの(スプートニク)──ッッ!》」


 叫んで、床に矢印が浮かび上がる。


 我執顕現(エゴ)


 この世界に住む、一部の人間のみが持つとされる特殊な能力。

 人間の持つ強い執着・欲望・コンプレックスを媒介とし、この世界を変革する力。

 我が持つ我執顕現(エゴ)のひとつ──《叡智に乗りて歩むもの(スプートニク)》。


 踏めば加速する床。

 要するに、レースゲームに出てきそうなアレを、地面や物に設置する能力。


 それに飛び乗り、爆発の雨を回避。

 慣性の法則に身を任せ、背中に爆発の余熱を感じながらギャラクシーギガントギラギラゴブリンの懐へと潜り込み。


 ──狙うのは隙の少ない本体ではない。

 ヤツが浸かっている、魔石まみれの浴槽。


 手にしていた日本刀の柄の先端を、浴槽に叩きつけ。

 その瞬間。


「《陽性残像(スターゲイザー)──叡智に乗りて歩むもの(スプートニク)ッッ!》」


 加速。

 加速。

 さらに加速。


 突撃の威力を増すように加速し──衝撃で浴槽からはじき出されたギャラクシーギガントギラギラゴブリンが、哀れな放物線を描いて放り出される。


『ギィ、ギラャアアアアア!』


 ギャラクシーギガントギラギラゴブリンは本来、周囲にある魔石を駆使しながら戦う手ごわいモンスターだ。

 今だってあと僅かに隙を与えていれば、とんでもない量のデバフをかけられた上で爆撃の雨に晒され、一瞬で追い詰められていただろう。


 だが、こうなっては丸裸も同然。


 一閃。

 剣閃が煌めき、その身体を両断。

 断末魔と共に、その命が尽きるのを見届け、刀を鞘に納めてから一息ついた。


「2度、使ってしまったか」


 基本的に我執顕現(エゴ)は一人につき一つ。しかし、何事にも例外が存在する。

 我の我執顕現(エゴ)──《陽性残像(スターゲイザー)》は他人の能力をコピーするという、非常に強力なもの。


 だが当然、強力な能力にはそれ相応のデメリットがある。

 この《陽性残像(スターゲイザー)》は、燃費がとにかく悪いのだ。


 魔力消費量は、コピー元となった能力のなんと十倍。

 無闇に使える代物ではない。

 さらに付け加えるのであれば、能力をコピーする条件もかなりハードルが高いし積極的にやりたいものではない。

 結果として、今のところ両親の能力しかコピーできていない。


 それを、こんなところで二度も。


 残りの魔力量的に、使えるのはあと1回といったところだろうか。


「こんなことを繰り返していて、きんぎょに追いつく日など本当に来るのだろうか……」


 ダンジョン配信者ランキング146位。

 堅実に成果を挙げる中堅上位。

 それが、ダンジョン配信者キンミヤの現在地──いや、停滞地。


 決して低いわけではないと誰もが言う。

 そりゃそうだろと自分でも思う。

 配信者の人口は約三十万人ほど。

 それの146位というのは、それなりに凄い方、なのだろう。


 しかし、それがなんだというのだ。


 高名なダンジョン探索者を両親に持ち、幼い頃から十分すぎる教育を受け、最強の妹に訓練をつけて貰っておいて、このザマ。


 決して才能が無いわけではないと思う。

 もちろん努力だって欠かしたことはない。


 恵まれている、間違いなく。

 自分にはすべての最良な環境が揃い──その結果が146位。

 何不自由なく、すべてが揃っている。

 だから一切の言い訳の余地なく、ハッキリと分かってしまう。



 きっともう、ここが自分の限界なのだろう。



 きんぎょに追い付く。

 彼女を孤独にさせない。

 兄だから。


 何が。


 心の奥底では諦めている癖に。

 叶わぬ夢だと分かっている癖に。


 走っている間は辛い現実に気が付かないフリが出来るからと、惰性で続けているだけ。

 そもそもダンジョン配信向きの性格なんかじゃない。

 痛いのは嫌だし、怖いのは苦手だし、目立つのだって得意じゃない。

 今日だってダンジョンに潜るまでやらない言い訳を頭の中で探し、考えない様に心を殺すことでなんとかここまでやってきた。

 配信のコメントでなにを言われているのか、怖くて随分見ていない。


 本当は分かっているのだ。

 もうとっくに気が付いているのだ。

 ……我は、もう。


 ──少し早いが、今日はもう、帰ろう。

 このままダンジョンを降りて行ったところで、どうせ中ボスである竜種──《レッサーバハムート》には勝てっこない。

 鱗は固く、ブレスは強く、高速で空を飛ぶ。

 シンプルな強さのオンパレード。


 言ってしまえばそれだけの敵ではある。

 だが結局のところ、そういうのを相手にするのが一番つらい。


 何よりも、魔力が底を尽きかけ、モチベーションが低い今の我には荷が勝ちすぎている。

 ましてや運よく倒せたとしても──アレナダンジョンの最奥に待ち受けているボスは《金黒曜の騎士》である。

 傷を負わせた者を、呪いによって黄金へと変える凶悪なモンスター。

 その危険性ゆえに戦闘報告がほぼ存在しない所も厄介なところ。

 同じ街にいるダンジョン配信者ランキング十位の別格配信者──ミルティ氏は数少ない金黒曜の騎士との戦闘経験の持ち主だが、絶対的強者の彼女ですら、「何が何でも戦うべきじゃない」と明言するほどの難敵なのだ。


 情報も不足しているし、準備も足りない。何よりも覚悟がない。

 相手にすらならないだろう。


 帰ろう。

 帰った方がいい。

 帰るべきだ。

 理性に従い、地上へ向かう。

 どこまでも闇が続いているのかと錯覚するほど、薄暗い道を。


 歩きながら、ぼんやりと考える。

 こんな時、物語であれば、秘められた才能を開花させて、きんぎょと肩を並べられるような強者になるのだろう。

 もしくは友情の力で強敵に勝ったりするのかもしれない。

 あるいはアイドル配信者を助けてそれをきっかけにバズったり。

 だが、現実はそうではない。


「ふぅ……」


 ため息と共に、張りつめていた緊張の糸がぐずぐずになっていく。

 ……こんな姿、妹にはもちろん、アイツにすら見せられたもんじゃない。

 というか見せたら三日三晩大爆笑され、その上で100尾ほど尾ひれを付けられた状態で世界中で晒し物にされるに違いない。


 ──かつての友、ウメワリィ。

 彼女と出会ったのは9年前、『黒澤塾』という場所。


 将来有望な子供たちを全国から集め、各分野で活躍するプロフェッショナルとして育て上げるための教育機関。

 選挙権どころか被選挙権すら持たない若干17歳という年齢で内閣総理大臣に就任した黒澤・ワールドエンド・凛氏が心血を注いで創り上げた学び舎。


 そこで出会ったトラブルメーカーがウメワリィだった。


 いつだってピンク髪のツインテールを元気に振り回していて、粗暴で、やることなすこと滅茶苦茶で、おおよそ良心の呵責というものが存在してなくて……。


 そして、我の夢を聞いても笑わなかった数少ない人。


 彼女が起こすトラブルに、きんぎょと一緒に巻き込まれてはよく大目玉を喰らうのが、あの頃の日常だった。

 もう一度会いたいような、アイツにやられた古傷が痛むからもう二度と会いたくないような、そんな感じ。

 卒業以来、数年間は連絡を取っていない。


 ……元気に、していればいいのだが。


 そんなことをぼんやり考えていると、鼻先にふっと地上の空気が混じった。

 出口が近いらしい。

 思わずひと息、ほうっと漏れる。

 深層とは違い、浅い階層には地上の新鮮な空気が届くし、ほんのりと光だって差し込む。

 それがどうしようもなく自分を安心させた。


 ……さて、と。

 

 今日はきんぎょが仕事で遅くなるらしい。

 どこかで食事でもして帰ろうか、いつもの通りシモンさんの酒場へお邪魔しようか。

 そう考えた、まさにその瞬間。


『オロオオオオオォォォォォォッッッッ!』


 唸り声とも叫び声とも判別がつかない、聞いたこともないような轟音が響き。

 思考よりも早く、身体が反射する。


「《陽性残像(スターゲイザー)──叡智に乗りて歩むもの(スプートニク)ッッ!》」

 残り魔力量的には最後の一回、そのジョーカーを切る価値は十分にあるだろう。


 ダンジョンでは稀にイレギュラーが発生する。

 モンスターの大量発生。

 異常に強い個体の発生。

 浅い階層では出ないはずのヤバい奴との遭遇。


 そして、何より厄介なのが『未知の新種』。


 このダンジョンに通い慣れた我が耳にしたことがない声。

 ならば、おそらく新種。


 探索に慣れたベテランであれば、多少のトラブルにも対応できる。

 見たことのないモンスターだって、余程の事がなければ情報を集めたうえで逃げおおせるだろう。


 しかし。

 こんな浅い階層で、まだ経験の浅い探索者が襲われでもしたら。


 最悪の想像が、ノイズのように脳裏をかすめる。

「間に合ってくれ──!」


 ギリギリ残った魔力をすべて脚力強化に注ぎ込む。

 徐々に底をつく魔力。

 落ちていく速度。

 それに喝を入れるように根性だけで加速を続け──。

 ようやく辿り着いた、その場所。

 そこには、未知のモンスターも、異常な個体もおらず。


 ただ一人。

 うずくまっている少女がいるだけで。


 ──状況はまったく分からんが、とにかく助けねば!

 そう思って駆け寄り、彼女の顔を覗き込んだ、その瞬間。


『オロオオオオオォォォォォォッッッッ!』


 さっき聞いた轟音が、今度は至近距離で炸裂した。

 地獄の咆哮とともに少女の口からぶちまけられたのは、酸っぱい芳香の液体。

 つまりそれは、専門用語でいうところのゲロというやつで。

 それが。

 我の。

 顔面に。


「…………………………………………は?」

 顔にかかったゲロ越しに、少女と目が合う。

 ピンク髪のツインテール。

 記憶の底に沈めた、厄介な過去の残り香。

 かつて付けられた古傷が、警報のようにチクチクと疼き始める。


「……もしかして、ウメワリィなのか?」

「……もしかして、しんゆーですかぁ?」


 斯くして物語は動き出す。

 ──ダンジョンの中で出会った二人の男女。


 最強の妹を孤独にさせないため、身の丈に合わぬ夢を見る男。

 ダンジョン配信者・キンミヤ。


 そんな彼にうっかり惚れてしまったため、愛のために奔走する女。

 暴走乙女(ゲロイン)・ウメワリィ。


 やがて人類最強となる二人は、考えられる限りもっとも最悪な状態で再会をしたのだった。


 読んでいただきありがとうございました。

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