19杯目 星を掴め
我はぜえ、ぜえ、と荒い息を繰り返しながら、辛うじて立ち上がる。
身体は震え、視界の端がチカチカと明滅し、わずかでも気を抜けば崩れてしまいそうだったが……それでも立っている、立っているのだ。
ミルティもまた、浅く肩で息をしながら、紫の瞳で我を射貫くように見つめていた。
その表情には、我が最後まで立っていたことへの純粋な驚愕と……そして、ほんのわずかに、安堵にも似た色が浮かんでいるように、我は見えた。
薄暗いダンジョンの奥底で、2人の荒い息遣いだけが響き渡る。視線が交わる。
そして、同時に深呼吸を行った。
ミルティの《星を掴め》をコピーするため、体力を回復したい我。
3分後、再度《星を掴め》を発動させるため、時間を稼ぎたいミルティ。
ここに来て、両者の思惑が奇妙に一致する。
全身に呼吸を回し、クリアになった頭で思考を加速していると、目の前のミルティが不意に笑い始めた。
「……っふ……ふふ……これだけやって立ってるなんて、貴方ほんとうに呆れるわね」
ミルティは、どこか眩しいものでも見るように目を細める。
「初めてよ、貴方みたいな人」
「……惚れたか?」
「まあ、ちょっとは……ね」
ミルティはそう言って、わずかに口元をほころばせた。やれやれとでも言いたげに。だが次の瞬間、瞳の奥が静かに、そして確かに冷たくなった。
「でもこれ以上続けるなら──もう、容赦ができない」
──警告。
それは、ほとんど懇願に近い悲鳴だった。
「お願いだから諦めてちょうだい……私の次の『奥の手』は……本当に取り返しがつかないことになる。これ以上、貴方を傷つけたくはないの」
「ふん……降参、だと?」
血の気の失せた唇の端を歪め、不敵に言い放つ。精いっぱいの強がりを込めて。
声は掠れ、みっともないことこの上ないが……わずかな気力、それさえあれば見栄を張るのには十分だった。
「我が、このキンミヤが、この程度の傷で膝を折るとでも思ったか、ミルティ。貴様、まだ我を甘く見ているのではないか?」
折れた左腕の激痛が、意識を奪わんとばかりに全身を苛む。
関係がなかった。
「我は……貴様とおなじく、本気で人類最強を倒そうとしている男だぞ?」
我が言葉に、ミルティは、まるで何か耐えがたいものに顔を歪めるかのように、悲痛な面持ちを浮かべ。
「……そう。そこまで言うのであれば……仕方ないわね」
覚悟を決めた声と共に、ミルティの左腕が、ゆらりと動いた。
彼女がインベントリから取り出したのは──古ぼけた、1本の剣。
装飾らしい装飾はない。
刃は黒ずんで刃こぼれし、柄には無数の傷が刻まれている。
けれど、その剣に彼女の指がかかった、その瞬間。
周囲の魔力が、そして空気が、その剣に呼応するように禍々しく揺らぎ始める。
空気が変わった。
先ほどまでの《星を掴め》の圧倒的な力とはまた質の異なる、冷たく、そして底なしの絶望を予感させるプレッシャー。それが容赦なく肌を刺す。
ポイントオブノーリターン。
この剣が抜かれれば、本当に後戻りはできない。
全身の細胞が、その尋常ならざる気配を敏感に感じ取っていた。
そしてまさに。
ミルティがその剣を鞘から引き抜こうとした、その刹那。
バァン、と。
あの時のように。
「お楽しみ中の所失礼しますゥー! 全世界注目の一戦、配信するためにやってきましたァ!」
「ゴマレバ、貴様なぜ⁉」
甲高い、場違いなほどに陽気な声が、背後。ダンジョンの通路の奥から響き渡る。
それと同時に、静かな駆動音を響かせながら一体のドローンがこちらへ飛来し、それを追うように、ゴマレバが息を切らせながら姿を現した。
(そうか、ダンジョンに入った時ウメワリィが連絡していたのはコイツか……!)
我は瞬時に全てを理解した。
同様に、ミルティの動きがピタリと止まる。
彼女もまた自分が置かれている状況を理解したのだ。
その鋭い視線が、ゴマレバのドローンカメラへと突き刺さっている。
あからさまな敵意と……そして、隠しきれない焦りの色と共に。
そう、ウメワリィはミルティが奥の手を流出させないよう、カメラを破壊する可能性を考慮していた。
だから、ゴマレバを呼んだ。
最悪の場合、新たなカメラを追加し、彼女の行動を縛るために。
ゴマレバが、こちらを見る。
「ここまでお膳立てしてやったんだ──勝ちやがれ、馬鹿野郎」
それを見た我は、口元に血染めの、しかし確信に満ちた笑みを浮かべる。
強がるならば思いっきりやる、それが人を煽る時のコツだ。
「フーハッハァッ! 聞こえたかミルティ! 人気者はつらいなぁ!」
「……ッ。やってくれたわね」
「フン、貴様に勝つためだ。どれだけ策を巡らせてもやりすぎということはなかろうよ」
目線はカメラ。
口角は挙げて。
ダンジョンの中でも響き渡りやすい元気な声で。
さあ。
「諸君、待たせたな! 我のダンジョン配信の時間であるっ!」
『うおおおおおおおおお!』
『やったれええええええ!』
『勝てええええええええ! キンミヤああああああああ!』
この声援の前では、左腕から滴る血の熱も、全身を覆う激痛も、すべてが些事。
「さあ、ミルティ!」
一歩、前へと踏み出す。
それと同時に、ミルティの踵がわずかに後退する。
それが、合図だった。
「全世界の視聴者が、この一戦を観ている」
「……っ」
「そして、貴様が倒したいと望んでいた相手も、きっとこの一戦を観ている」
きんぎょも、きっと他の別格配信者たちだってこの戦いを見ている。
「この意味が分からぬ貴様ではあるまい」
「……っ、そんなの」
「もう、関係がないか?」
わざとらしく首を傾げてみせ、煽りを続ける。
「その奥の手とやらをここで白日の下に晒して、きんぎょを始めとした強敵たちに勝つ確率が落ちたとしても問題ないと思うなら、そうすればいい」
ミルティの指が、剣の柄に食い込む。
「そうだな。もう、ダンジョン配信などどうでもいいのだろう?」
「……ッ!」
ミルティの剣を持つ腕に力がこもり、わずかにそれが前に出て──そこで、ぴたりと止まる。
迷い。
ようやくミルティに産まれたわずかな綻び。
当然、見逃すはずがない。
敢えて大きな足音を鳴らし、威嚇するように前進し、思いっきり振りかぶった日本刀をミルティが辛うじてガードする。
「~~~ッッッ!」
ここに来て、ようやく攻守が入れ替わった。
剣戟を重ねる。
右手一本、疲労困憊の頼りない太刀筋だが──充分。
動揺したミルティは、それを防ぐことしかできない。
「どうしたッ! 全部終わらせるんだろうッ!」
「……黙り、なさい」
「カメラを壊し、剣を抜くことも出来ず、それでいてもう夢も未来も要らないと言う! 言ってることとやっていることがチグハグだなぁ!」
「黙りなさい……ッ!」
「気付いているんだろう! 理解しているんだろう! こんな事をしても何もならないと! 守りたかったものに泥を塗るような真似をしているんだと!」
「黙りなさいッッッ!」
苛立ちをあらわに、ミルティが拳をふるう。
精彩を欠いた、直線的で稚拙な、彼女らしさの欠片もない拳を。
我は、それを敢えて避けない。
額で受け止め、その上で笑い、反撃すらしない。
「この程度か? 近接最強とやらの拳は」
「なん……で……っ!」
受け止められた拳を、ミルティは呆然と見つめる。
近接最強。
ダンジョン配信ランキング10位。
彼女の中に芽生えていた、彼女すら気付いていなかったプライドの萌芽。
「……あ、あぁ」
大切だったはずなのに。
大事だったはずなのに。
挑戦を積み重ね、ストイックに先だけを見つめ、昨日より少しだけ強くなった自分のことが、少しだけ好きになっていたはずなのに。
それなのに。
感情にまかせ、今まで積み重ねてきたものを裏切るような、弱々しくて雑な拳を振るったことを。
それが如何に自分の心を裏切ったのかを。
彼女が本当は何を願っていたのかを。
それを自覚させるため。
「本当は、ダンジョン配信者を続けていたいのだろう。たとえ最初はシモン店長の夢だったとしても、今は誰よりも貴様自身がきんぎょを倒したいと……頂点に立ちたいと考えているのだろう! だからカメラを壊したし剣を抜くこともできなかった!」
「ちがっ──」
「違わないッッッ! なぜなら、貴様の魂がそれを証明しているからだッ!」
不安げに揺れる紫色の瞳をしっかりと見据えながら、決定的な証拠を突きつける。
「我執顕現は、強い願いを元に発現するッ!」
「……ッ!」
「はじめて《星を掴め》を見たとき思ったよ──『数秒という刹那の間であれば──きんぎょよりも強い』と! それが何を意味しているのか、何を願ったのか、貴様自身が一番わかっているはずだ!」
「それ、は……」
「《星を掴め》は、10秒間のあいだ身体能力を強化するスキルなんかじゃない!」
ミルティの目が、見開かれる。
「『人類最強より強くなる』」
その無茶で。
子供じみていて。
けれど、どこまでも真っ直ぐな願い。
「その願いを叶える代償として、十秒しか効果時間を発揮できず身体強化しかできない。それこそが《星を掴め》という我執顕現の正体だ!」
ミルティの肩が、驚愕に跳ねる。
困惑、納得……様々な逡巡を乗り越え、やがてその瞳に理解の色が差し、一瞬大きく見開かれ──その千載一遇の好機を逃す我ではない!
目の前に立つミルティを強引に抱き寄せ。
──ちゅっ。
唇が、重なる。
時がほんの一瞬止まったように、お互いの身体が硬直し。
「あ、貴方こんな時に何をして……」
戸惑いの声をあげたミルティの、羞恥に濡れる美しい紫の瞳が、先ほどとは比較にならないほど大きく見開かれ……やがて。
「《陽性残像》のコピー条件……!」
何が起きたのか、理解に至る。
「まったく、ここまでしないと隙を晒さんとはな。こんなのをあと8人も倒さねばならんとは……道のりは険しいな」
この世に存在する9人の別格配信者たち。
彼らを全員倒してレベルアップし──きんぎょを倒す、ウメワリィとの誓い。
最初からずっと、そのために動いていた。
「我は本気だぞ。きんぎょを倒す、それだけを考えている──貴様と同じようにな」
「バカじゃないの。そんなこと、できるわけ、」
「ああ、我とウメワリィだけでは厳しいだろうな」
だから。
「あともう一人くらい、本気で同じ夢を見ながら一緒にバカをやれる奴がいれば話は変わるだろが」
「……」
「我らが貴様のお眼鏡に叶うかは分からん。だが、転んだ時に、もう一度立ち上がる気力が湧くまで、一緒にいてやることくらいはできるさ」
「ほんっとうに、バカね……」
ミルティは呆れたように笑い、少しの沈黙のあと口を開く。
「だったら私程度、超えてみせなさい、その想いが本物だって証明してみなさい」
そして。
「一緒に歩んでくれるって───!」
彼女の孤独が。
奥底に抱えた最後のやわらかい本音が露呈し。
二人の身体から、星の光を凝縮したような、まばゆい魔力の奔流が立ち昇り。
昏いダンジョンの底を照らし。
そして、我々は、お互いの全てを懸け、同時に宣言する!
「《陽性残像》──!」
「私を、信じさせてみなさい!」
「「《星を掴め》ッッッ!」」
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