17杯目 もう一度、今度は3人で
ひさびさのアレナダンジョンは、なんとも言えない空気を纏っていた。
埃臭さも、湿気も、地鳴りみたいなモンスターの唸り声も、全部昔のままなのに。
「随分と狭く感じるな……」
ウメワリィと再会してから、まだそんなに時が経ったわけではない。
それなのに、ひどく懐かしい感じがする。
あれだけ嫌気がさしていたアレナダンジョンが、今はそんなに嫌いじゃない。
隣でぽよぽよと跳ねるピンク髪を見ながら、そう思う。
きっと、なにかが変わったのだろう。
言葉にすれば陳腐になってしまうような、些細で、けれど決定的な何かが。
「懐かしいですねぇ……なんだか色々あった気がします」
「……なんだろうな、色々あった筈なのに全て酒臭い思い出しかないのは」
「それ以外の記憶がお酒でぶっ飛んだからですかねぇ」
ウメワリィは端末を操作しながら答える。
小さなタップ音。
通信先の名は見えなかった。
しかしこの土壇場でウメワリィがやる事なのだ、きっと意味があるのだろう。
彼女から言わない限りは聞かない。詮索はしない。恐らくそれが一番正しい。
「ねえ、しんゆー。あの時のこと、覚えてます? ほら、あそこですよ」
ウメワリィが何もない地面を指差す。
そこは、忘れたくても忘れられない場所。
「……いきなりゲロを吐きかけられた場所を忘れるわけがないだろう」
「えへへ……照れますねぇ」
「……たまに貴様の情緒がわからなくなるな。普通、好いた男にゲロをかけたら嫌われると怯えるものだと思うのだが」
「……? しんゆーはそんなことで私のことを嫌いになったりしませんよ。愛、伝わってますから」
「何を言っているのだコイツは」
「それにほら、そんな程度のことで嫌いになるならもうとっくに絶縁されてますから」
「ははっ、それは確かにそうだ。学生の頃なんておしっこを──」
「わーっ! わーっ! それナシ! ナシ! 今すぐ忘れてください!」
いつもの軽口。
いつものやり取り。
けれど、ウメワリィの笑顔は、ほんの少しだけ無理をしているように見えた。
さっき、シモン店長へぶつけた言葉。
その熱が、まだ彼女の中に残っているのだろう。
だから、我もそれ以上は踏み込まない。
ただ隣を歩く。
それでいい。
それから2人で思い出を振り返りながらゆっくりとダンジョンを降りていく。
焦ってはいけない。
もちろん、急がなくていいわけではない。
だが、無策で飛び込んで勝てる相手ではないのだ。
ミルティは逃げているわけではない。
我々に「止めてみなさいよ」と言い残して、ここへ向かった。
なら、彼女はきっと待っている。
止めてほしくて。
止められたくなくて。
どちらも本当のまま、最奥で。
短い付き合いだがそれくらいは分かる。
彼女ははじめて友達と喧嘩をして、どうしようもなくて、どうしていいか分からなくて、ただ力任せに暴れているだけなのだ。だったら、やることは簡単だ。
ゆっくりとダンジョンを降りていく。
どこかのバカが暴れながら降りて行ったおかげでモンスターとはほとんど遭遇しなかったが、それでも階層を降りていくごとに段々と濃くなっていく闇は不安を掻き立てる。
ウメワリィが居なければ多少の心細さはあっただろう。悔しいが事実だ。
「世話が焼ける人ですねぇ」
「ああ、まったくだ」
「だいたい、いきなり痴話喧嘩というか別れ話に巻き込んでおいて勝手にミルティさんを押し付けてくるなんてシモン店長も相当いい性格してますよ! なんなんですかあの2人は!」
「違いない、全てが終わったら一杯奢って貰わなくては割に合わんな」
「ですです! 焼き鳥も付けてもらいますからね!」
「ただなぁ、困ったことになあ」
そう言って前置いて。
「これだけ迷惑をかけられても、彼女らのことが嫌いになれんのだ」
「奇遇ですねぇ、わたしもです」
どうしてだろうな、と冷静な我の頭は言う。理屈で考えれば無茶苦茶を言われていると思う。巻き込まれて、振り回されて、いつの間にか戦わなくちゃいけなくなって。はっきり言ってここで逃げ出したって誰も咎めはしないのに、なぜか身体は前へと進みたがっている。
「なんとなく、ミルティに自分と似たものを感じるから。そんな彼女が折れている姿は見たくないから──」
「それと、仲間にした時のメリットが大きいから! だってあのミルティさんですよ! ランキング10位の近接最強! こんなの最初のダンジョンで最強武器が手に入るようなものですよ!」
「ああ、そういえば最初はそういう話だったな……ともかく、それっぽい理由はいくらでも挙げられるのに、どれもしっくり来ないのだよなぁ」
「ですねえ」
それはきっと、とても単純な理由だから。
笑ってしまうくらい子供らしくて、純粋な理由だから。
「結局のところ、アイツといると──この3人でいると、楽しいから、だから失いたくない。その為だったら多少の面倒は……まあ許してやるか、友人だしな」
口に出して、あまりの単純さに自分でも「なんだそれ」と笑ってしまう。いつから自分はこんな風になってしまったのだ。どう考えても元凶のウメワリィは自分と同じようにころころと笑っていて──まあ、いいか。
最初は、単なる憧れで。
共に過ごしていくうちに、少しずつ彼女の色んな所を知って。
ストイックすぎる生活に共感を覚え、ダンジョン配信者としての心構えに尊敬を覚え、《ゴツゴウゴブリン》と戦った時は彼女の意外な一面に振り回され、デートをしたときは心が温まって、ウメワリィときんぎょが乱入してきた時は大変で──楽しかったから。
そんな簡単な理由で、案外、人は頑張れてしまうものなのだ。
「相手はダンジョン配信者ランキング10位。近接最強の打撃者にして最強の身体強化我執顕現《星を掴め》を持つ女──『黄金の右腕』ミルティ。謳い文句を並べるととんでもないな」
「まったく、あんなの性欲異常者で十分ですよ」
「はは、違いない」
そう、彼女はそんな大仰なものではなく。
友達ができなくて休み時間に読書をして時間を潰してみたり、自分を変えるためにメイクの動画を見始めてみたり、友達と初めて喧嘩をしたら、感情の行き場がなくなって逃げ出してしまったり。
嬉しいことがあったら笑って、悲しいことがあったら泣いてしまうような、そんな、どこにでもいる女性に過ぎない。
たまたま才能に恵まれてしまったせいで、色んな事が上手くいきすぎてしまって、そのせいで他の人よりも色んな経験を取りこぼしてしまっているだけにすぎないのだ。
ミルティには分からないのだ、うまい転び方というヤツが。
「さて……ウメワリィ。同じパーティーの仲間として言っておかなくてはならんことがある」
「ん、なんでしょう」
「我は、ミルティを仲間にする」
「ま、そうなりますよね」
「我は、あいつを迎えに行く。逃げられても、断られても。ぶん殴ってふん縛ってでも止める……我がそうしたいから、そうする」
「ええ」
「だから、倒そう。ダンジョン配信者ランキング10位を。近接最強の打撃者打撃者にして最強の身体強化我執顕現《星を掴め》を持つ女を。
そして。
「単なる寂しがり屋で上手い転び方もロクに知らんバカを、止めに行こう」
「いいですよ。行きましょう。あの人、めんどくさいけど……友達ですし、今回だけですよ。それに、身近な人と同じ景色が見れない寂しさは、多少は分かりますから」
ウメワリィはやれやれと行ったように肩をすくめながら、ため息と共に恩着せがましく言う。
「しんゆーが久しぶりに無茶を言うんですもん、どこまでも付き合ってあげますよ。まったく感謝してくださいよね? こんな事に付き合ってくれるのなんて、しんゆーのことが好きで好きでたまらない、わたしみたいな恋愛脳だけなんですから!」
「ん、何を今更?」
「へ?」
「今も昔も我の無茶な夢に付き合えるのはいつだって貴様だけであろう! ウメワリィと一緒なら、どんなことだって出来る、どこまでも行ける。だって我々はあのきんぎょに勝つのだからな!」
ほんの少しだけ、ウメワリィの目が丸くなる。ほんの、わずか。
それから少しの間をおいてから、ウメワリィは「……ほんと、バカですね」とため息交じりに呆れながらも、「ま、そもそもミルティさんを倒すってのは当初の作戦通りですからね、さすがはインターネット孔明・ウメワリィちゃんといったところでしょうか」と、肩をすくめて笑った。
そうして、我らはまた歩き出す。
ただ止めに行くのではなく、共に戦うために。
もう一度、仲間になるために。
──脳裏に浮かぶのは、かつて思い描いた必勝の形。
《星を掴め》の、コピー。
小手先のテクニックや力の大小なんて些細な問題。
圧倒的な力同士の衝突。
そして、疲弊したところをウメワリィが仕留める未来。
当初より考えていた必勝のパターン。
たとえどれだけ細くとも、確かに存在している勝ち筋。
「勝ってシモン・バーで打ち上げだな」
「ええ、あの二人には酔い潰れるまで飲んでもらいましょう」
そうして二人で階段を降りる。
最下層のひときわ広い部屋。
かつて《金黒曜の騎士》が姿を現したという、最奥の部屋のひとつ手前。
そこには、微かに黄金が揺らめいている。




