15杯目 悪酔い
「ねぇ、どういうことなの、シモン?」
ミルティがシモン店長に詰め寄って──我々は、その光景を黙って見る事しか出来なかった。
いつもはあたたかいシモン・バーの照明が、この時ばかりはひどく薄暗く、頼りなく見える。
「何かの間違いよね、シモンがそんなことするはずないもの」
ミルティは胸の前で両手を弱々しく結び、不安げに目線を揺らしながら問う。
その姿はいつもの凛々とした彼女とは程遠く──ただの少女のように揺らいでいた。
「そ、そっか! もしかして誰かに脅されて無理矢理……そうなんでしょう? 言ってちょうだい。私、貴女のためならなんでも、」
「違うわよ」
きっぱりとした声だった。
その場にいた誰もが、うっすらと思っていたこと。
けれど、思いたくなかったこと。
それがシモン店長の否定によって、確かな事実として形を持ってしまう。
「私が、私の意思で罪を告白したの」
「どうして……」
沈黙が落ちる。
空調の音がうるさく聞こえるほどの沈黙を破ったのは、悲壮な決意をその目に宿したミルティだった。
「《金黒曜の騎士》がとんでもない強敵だったって、それを言いふらしていたのは……」
彼女は、震える声で続ける。
「私、でしょう。シモンじゃない。私が……自分で」
二人の会話に口を挟むまい……そう思っていた筈なのに、思わず疑問が口をつく。
「何故、そんなことを」
「昔……私とシモンは。『青春ロケット』は本当に最強だって思ってた。ふたりで、どんな敵だって乗り越えられるって──」
そこから語られるのは、かつて『青春ロケット』と呼ばれ、飛び立つことのできなかったふたりの物語の軌跡。
「ダンジョン配信者の頂点。それを目指していた、あの頃の私たち。新米のくせに生意気だって笑われながらも、挑戦して、失敗して、死にかけて、泣きながら支え合って」
ミルティは、わずかに目を細める。
「それでもやっと勝ち取った大金星が、《金黒曜の騎士》だった」
「……懐かしいわね」
「ええ」
ミルティは小さく頷いた。
「本当に強かった。死ぬかと思った。二度と戦いたくないっていうのは本当よ。実際に、この右手は呪われて黄金になってしまったわけだし」
黄金の右手が、鈍く光る。
「でも……《金黒曜の騎士》は、所詮、新米パーティーにとっての強敵でしかなかった」
ミルティの声が、そこで震えた。
「お祭りが、あったのよ」
「………………」
「その目玉に有名なダンジョン配信者が観客の目の前でモンスターを倒すって見世物があってね」
彼女の視線が自然と床へと吸い寄せられる。
「そこに、《金黒曜の騎士》が何体も出てきた」
彼女の声色で空気が、少し冷えた気がした。
「──マズいと思ったわ、アレの恐ろしさを知らないどっかのバカが手違いで連れてきたんだって、だから……怖くて怖くて仕方がなかったけれど、これは自分たちにしか出来ないことだからって自分を奮い立たせて、勇気を出して、観客を守ろうと前に出て」
ミルティの視線がゆっくりと上がって。
「その時、初めて《金黒曜の騎士》の対戦相手を見たの」
きんぎょを、見た。
「《金黒曜の騎士》の対戦相手は、『人類最強』と名高いきんぎょだった」
……そんなことも、あった気がする。
それくらいの些細な出来事。
別に誰が悪いわけではない。
ミルティとシモン店長にとって運命の相手だった敵が、きんぎょにとってはそうではなかった。
これは、ただそれだけの。
単純で、残酷なお話。
「一撃だった」
ミルティの声が、乾いていた。
「何もかも、一撃だった。観客が笑って、きんぎょが笑顔で手を振って……私たちは、ただ立っていることしかできなかった」
彼女は小さく息を吐く。
「シモンが引退を決意したのは、その日の夜だった」
「結局、私は天才なんかじゃなかったのよ」
シモン店長が、悲しそうに目を伏せる。
「どこにでもいる、普通のダンジョン配信者だった。才能があったのは、ミルティだけ」
「シモン……」
「きんぎょちゃんが悪いわけじゃないわ。いい加減、限界を感じていたのよ。才能あふれるミルティとは違って、私はダンジョン配信に向いていなかったから」
シモン店長は、静かに笑った。
「ごめんね。言い訳に使って」
「そんなことは……っ!」
「ないって、本当に言える?」
「…………言える、わよ」
ミルティは一瞬押し黙り。
自分に言い聞かせるように、口を動かす。
「言える、言えるわよ……! あの頃のわたしたちは2人で最強で無敵だった、たしかにあの時はちょっと上手くいかなかったけど、きっともっと頑張れば……!」
言葉が、空転する。
質量を伴わない空虚な文字の羅列が、どこへたどり着くこともなく淡く宙へ解けていく。
分かっているのだ、ミルティも。
どれだけ言葉を紡いでも、どれだけ想いを重ねても、真実を伴わない言葉に意味はないのだと。
やがて彼女は、言葉を諦めたかのように弱々しく吐息を吐き出し、黄金になってしまった右手を優しく抱きしめながら、自らの罪を語る。
「……だから私は、金黒曜の騎士を伝説にしたの。この右手の呪いも解かず」
「……」
「あの頃の私たちは、本当に強かったんだって……金黒曜の騎士の強さを過剰に伝えて、伝説にしたの……そうすればきっとみんなそれを倒した『青春ロケット』のことを忘れない、忘れられない」
己の中に押し殺していた罪悪感、それを解き放った彼女は、ぽつりと嗤う。
「……バカみたいでしょう」
静かな声だった。
誰かに届いてほしいような。
でも誰にも聞かれたくないような。
過去にすがることしか出来なかった不器用な少女の、最後の手段。
「伝説にして……綺麗に、記憶の中に閉じ込めて……そうすれば、あの頃の私たちは今も最強で、今もどこかで戦ってるって……そう思える気がして」
そこまで言って、ミルティの声が詰まった。
誰よりも理性的で、努力家で、弱さを見せない彼女が──言葉を、止めた。
それは、シモンが彼女の涙をそっと拭ったから。
「ごめんなさいね」
シモン店長は、泣きそうな声で言う。
「私みたいなバカの夢に付き合わせて……一緒に走ってあげられなくって」
「ちがう」
ミルティが、首を横に振る。
「ちがうの、シモン。そんな言葉が聞きたいんじゃないの」
「あなたがこのまま私の夢に縛られてたら、きっと一生、自分の人生を生きられないと思ったのよ」
「……っ」
「私と一緒に戦っていた日々を、美しいまま閉じ込めるためじゃなくて、前に進むために」
シモン店長は、やさしく、けれど決定的に言った。
「あなたを、解き放たなきゃいけなかった」
誰のための嘘だったのか。
「だから私が《金黒曜の騎士》の強さを誇張していたことにする」
誰のための伝説だったのか。
もう、今のミルティには分からなくなっている。
「貴女の罪は全部私が引き受ける。それが貴女を振り回した私への罰だから」
「そんなの、勝手よ……」
「ええ。勝手よ」
シモン店長のその声音には、いつもの甘さはなく。
「大体もう手遅れよ、ちゃんと取り返しがつかないタイミングを狙ったんだもの。ここから貴女が何をしようともう私は地獄行き確定なの」
それは、友達を傷つけてしまって後悔する、少女の悲痛な叫びだった。
「大丈夫。もう貴女は一緒に戦ってくれる仲間が……同じ高さまで飛べる仲間が出来たじゃない」
シモン店長がこちらを見て。
「この子を、お願いします」と、頭を下げた。
下げて、しまった。
その瞬間。
ミルティの何か大事なものが。
超えてはいけない、最後の一線が、超えられてしまった。
「いや」
少女はもう思考というものをしていない。
「いやよ……」
ただ反射的に拒絶の言葉を呟き続ける。
「お願い、考え直して、いや、わたし、貴女が手を引いてくれたからひとりぼっちじゃなくなったの……貴女がいないと、わたし…………だいじょうぶ、手遅れなことなんてひとつもないわ。そうだっ! わたしが、わたしが全部なんとかするから、何とかなるまでがんばるからっ! 何でもするわっ!」
あのミルティの。
我々を導いてくれた彼女が浮かべる、媚びへつらうような表情。
その顔を見ていることが出来ず、目を逸らしてしまう。
ミルティの叫びは、誰にも届かなかった。
いや──届かせまいと、シモンが目を逸らしていた。
視線が交わらないまま、ふたりの距離だけがじわじわと開いていく。
「……無理だよ」
呟いたのは、シモンだった。
それは、自分自身に言い聞かせるような声色で。
「あなたが何をしても、もう私は戻れない。あなたの手を引いてあげる資格なんて、とっくの昔に……」
「やめてよ」
ミルティの声が震える。
どこか、壊れたレコードのようだった。
「やめてよ……そんなこと言わないでよ……!」
嗚咽と一緒に、言葉がこぼれる。
「私ね……私、シモンがいなかったら、ダンジョン配信をやろうだなんて思いもしなかった……! 誰かに手を引かれるなんて、生まれてはじめてだったの……! 嬉しかったの、楽しかったの、貴女さえいればいいって本気で思ってたの! 運命だって、奇跡だって、そう信じてたの……っ!」
懇願の声。すがるような視線。その全てが、過去にしがみついてしまった証だった。
「資格とか、そんなのぜんぜんいらないわよっ! あの頃に戻ればいいじゃない……またふたりでやり直せば、きっと──!」
「それは、できない」
シモンの返答は、短くて。
だからこそ、決定的だった。
「大好きだから、貴女のことが大好きだから。だから……私のせいで、貴女の羽根を折ってしまったことが、どうしても許せないの──だから、私なんかよりキンミヤくんたちと行きなよ」
その場に静寂が落ちた。
誰も言葉を継げなかった。
言葉なんてもう、何の役にも立たなかった。
代わりに、ミルティが立ち上がる。
「勝手なことばかり……いいわ、分かったわ」
低く、感情を押し殺した声。
余りにも静かで、それがかえって、怒りと絶望の深さを物語っていた。
「だったら──全部終わらせてやるわ」
冷たい目で、シモンを見据える。そこにはもう、少女の弱さすら残っておらず。
代わりにあったのは、もっと純粋で、もっと幼い気持ち。
「《金黒曜の騎士》が眠る部屋を破壊する。アレナダンジョンを再生できないくらい破壊して、し尽くして、全部無かったことにする。過去も、罪も、伝説も──全部よ」
きんぎょが、思わず声を出す。
「そんなこと……出来るはずが……」
「はっ」
ミルティが、薄く笑う。
「貴女がそれを言うの……出来るんでしょう、貴女なら? だったら私もやってやるわよ」
「……」
「全部有耶無耶にして、どこかへ逃げて、ほとぼりが冷めたら、二人でまたやり直せばいい。大丈夫、人の噂なんて七十五日もあれば収まるのだから」
「やめろ……っ」
思わず発した声は、自分でも驚くほど震えていた。
「そんなこと言わないでくれ……自分を傷つけないでくれ……」
「だったら……」
ミルティが、静かに我を見つめる。
「あなたたちが、私を止めてみなさいよ」
静かにそう告げられたその瞬間。
全員の視線が、一つの場所へと向かう。
「キンミヤ、ウメワリィ。貴方たちが勝ったら、なんでも言う事を聞いてあげる。好きにするといいわ」
視線が向かう先は、アレナダンジョンのある方角。
「でも、私が勝ったら……誰にも知られずに、思い出のまま終わらせて頂戴」
そして彼女は、バーの扉を開け──静かに去っていった。
言いたいこと、言ってやりたいことは山ほどある。
それでも。
誰も、その背中を追うことはできなかった。
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