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12杯目 酒を飲んだ時にイイ話をしたくなるアレ

 ……なんか、本当に疲れたわね。


 先を歩く二人の、揺れる白とピンクの後頭部をぼーっと見つめながら、私──ミルティはがっくりと肩を落とし、ダンジョンの出口に向かってとぼとぼと歩いていた。


 いつもなら《ゴツゴウゴブリン》なんてさして苦戦するような相手じゃない。

 この後に待ち構えるモンスターたちの肩慣らし程度の存在でしかない。


 それが、今日に限ってあの体たらく。


 叫びすぎて喉はカラカラだし、髪なんてボサボサ。

 コメントで何を言われているかなんていっさい見たくない。

 何よりも……頬の筋肉が痛んでいることを、絶対にこのバカどもに悟られたくはなかった。


 そう、笑いすぎたのだ。久しぶりに。


 前方のバカ二人を見ると、相も変わらずぎゃーぎゃーと何かを言い合っている。


「なっ……コイツ! しんゆーの悪口書いてますよ! 罰を受けさせましょう! 広大なネットの海に全てを晒してやる!」

「ああ、それか。我も見たが……まぁ、よくある暴言というか、匿名特有の無責任さというか……そこまで気にせんでも……そいつの100倍は応援してくれる人がいる訳だし」


 ああ、うるさい。

 今どき小学生でももうちょっと静かにするわよ。

 そんなことを言ってやりたいのに、言葉が心臓のところで止まってしまって出てこない。


 だって彼らが、どうしようもなく楽しそうだったから。


 こんなの──忘れていた。

 ダンジョンの中で、笑うということを。誰かと笑い合うということを。


 思えば、子供の頃。

 世界が広いということも、壁があることも知らず、自分を無敵だと信じ切れていたあの頃。

 シモンと組んでいた頃の、あの感じ。


 感情を表に出すのが苦手で。

 いっつも何かの隅で縮こまって。

 威嚇するように仏頂面を晒していた私を、あの子は外の世界に引っ張り出してくれた。

 色んなものを見せてくれた。


 彼女とダンジョン配信をしなくなってから、ずっとそんなものとは無縁で。


 ──なのに、私は今、またそれを思い出してしまっている。


 いけない。

 自戒するように呟く。そうでなくては絆されてしまうから。

 目の前を楽しそうに歩く二人、その輪の中に、自分は決して入ってはいけない。

 だって私は──あの二人を、騙しているのだから。


 このパーティーに加わったのは、仲間になるためなんかじゃない。

 キンミヤとウメワリィに、現実を突きつけるため。


 人類最強に挑もうなんて、どれだけ滑稽な夢なのか。

 どれだけ痛くて、苦しくて、報われないことなのか。

 それを、分からせるため。


 兄だからって、挑まなきゃいけない義務なんてない。

 誰かのために、自分を削り続ける必要なんてない。

 そんなことをするのは、私だけでいい。


 傷つくのは私だけでいい。

 無茶をするのは私だけでいい。

 誰にも必要とされておらず、いなくなっても誰も悲しまない、私のような奴だけでいい。


 そう、思っていたのに。


 殺人アザラシのタマちゃんと戦ったときのことを思い出す。

 彼らは思っていたよりもずっと本気で、真摯で、真剣で、ひたむきだった。


 ゴツゴウゴブリンとの戦いもそうだ。

 くだらない敵で、ふざけた展開だったのに。

 それでも、彼らと一緒にダンジョンを歩いているのは──楽しかった。


 ……もう少しだけ。

 もう少しだけ、彼らと一緒にいたいと……そう思ってしまった。


 私は──どうしたいんだろう。本当は、何がしたかったんだろう。

 分からなくなっていた。


「おいミルティ! こっちにきてコイツを止めてくれ!」

 キンミヤが手を振ってくる。

 笑っている。少し困ったような、それでいて楽しそうな顔で。


「ウメワリィが……コメント欄で口論していた相手の個人情報を特定して晒したうえに、そいつの顔写真で音MADを作ろうとしている! 止めてくれ!」

「画質ガビガビになるまでネットでおもちゃにされればいいんですよ!」

「……まったく、なにをやってるのよ」


 呆れながら、私は口元を緩めた。

 それを見て、バカ二人がさらに騒ぎ出す。

 我ながら、バカみたいなやりとり。

 けれどその空気が、妙に眩しくて。


 つい、目を逸らしてしまった。


 もう少しだけ。

 もう少しだけ、子供のままでも、いいのかもしれない。

 そんな思考に、そっと、蓋をしながら。



 その夜。

 シモン・バーのカウンターに座りながら、私はシモンに愚痴をこぼしていた。


「……それで、アイツら本当に滅茶苦茶なのよ。人のことを性欲が強いって決めつけて、本当に失礼な連中よ」


 ぐいっとグラスを仰ぐ。

 叫んでカスカスの喉を焼きながら落ちていくアルコールは、悪名高き『焼酎梅割り』。

 いつもなら決して飲まないような強いお酒が、疲れた体にちょうど良かった。


「ふふ、ミルティってば、珍しく強いのを飲んでくれてるのね」

「今日は……そういう気分なのよ……」


 そう言いながら、もう一度グラスを傾ける。

 アルコールと梅の甘みがじんわりと身体に広まっていき、熱を帯びていく。視界がほんのり滲んで、気持ちがふわふわして、いい具合にすべてがどうでもよくなってきた。


「今日のミルティは楽しそうだったわね~。配信もみんなすっごく喜んでくれてたし、そのままあの子たちの仲間になっちゃったりして」

「勘弁して頂戴、あんなのといたら胃がいくつあっても足りないわ」


 想像する。


 あのバカたちと肩並べて、ダンジョンを駆ける日々。

 思いきり笑って、全力で怒って、どうでもいいことでつまずいて、それでもまた立ち上がって。


 そんな未来が──いや。


 頭の片隅にこびりついて離れないその想像を追い出すように、言葉を放つ。

「……私の仲間は、シモン、貴女だけよ」


 グラスの中の氷が解けて、小さく音を立てた。


「クラスの片隅で浮いていた、どうしようもない私の手を、貴女が引いてくれた。あの放課後から一生、ずっとそうだって決めたの」

「ふふ、そう言ってくれるのは嬉しいけど」


 シモンはグラスを磨きながら言う。

 その言葉には否定のニュアンスが詰まっている。


「私はもう、この酒場の店長だから」

「……」

「私ね、モンスターと戦ってるより、ここで帰ってくる人を迎えてあげる方が、なんだか性に合ってる気がするの」

「でも……」


 声が、制御を喪い喉から零れて。


「私たちなら、いける……またやれるわ……二人でなら、あの子──きんぎょにだって……いろいろあったけど……でも、あのままつづけていれば、ぜったいに」


 全身にアルコールが回って力が入らない。言葉がどこかふわふわと浮いている。

 理屈じゃない。願望だ。

 ずっと右手の中に握りしめていた執着が、酔いと一緒に口からこぼれていた。


「ミルティ、才能があったのは、あなたなのよ」

 そんな私に、現実を告げる鐘の様な声が響き。

「私は……あなたの走る後ろをついていくだけで精一杯だった」


「そんなこと、ないのに……」

 才能とか。

 できるできないとか。

 そんなつまらないもの全部どうだってよかった。

「わたしは……あなただけいれば、それでよかったのに……」


 かすれた声で、声にならない声をしぼりだす。

 もうひとくち。

 もうひとくちだけ飲めば、きっとノドがうるおって、しゃんとしゃべれる。


 けれど、シモンの手が、そっとグラスをおしとどめた。


「あなたは、もっと高く飛べる。何処へだって飛んでいける……私はそれを応援しているわ」


 そう言って、シモンは笑って。それはとても静かで、あたたかな笑みで。

 その笑顔を見て、馬鹿な私はようやく気が付いた。


 この人はもう、自分の戦いを終えているのだと。


 だからこそ、誰かの背中を押す側に回ろうとしているのだと、そう思った。


 ……嫌だな、と。

 私は、シモンがいれば、他に何もいらないはずだったのに。

 私も、シモンも、あの放課後の教室から変わりたくなんてなかったのに。

 どこかで、そう思ってしまった自分がいた。




 からん、と。

 グラスの中で氷が崩れた音がした。


 カウンターの端、すぅすぅと寝息を立てるミルティを見ながら私──シモンはそっと、彼女の美しく、そして、いつもよりちょっと傷みが目立つ、黒い髪を撫でる。


 この子がお酒で潰れるなんていつぶりだろう。

 というか、人前でこんなふうに力を抜く姿なんて、彼女と同じクラスになった中学の頃から、見たことがなかった。


 カウンターの上に落ちる照明が、彼女の髪に柔らかく反射する。

 その光は、どこか曖昧で、あたたかくて。

 いつも完璧で、誰にも隙を見せない彼女を、ほんの少しだけ、優しく照らしていた。


「……ほんと、バカな子」


 本当のことを言うのなら、今すぐ彼女を抱きしめて、私の部屋に閉じ込めて、骨の髄まで甘やかしてあげたい。


 でも、それはできない。

 だって、私が。

 私なんかが。


 大した覚悟も持ち合わせておらず、彼女と同じ速度で歩むこともできない私がなんかが。

 彼女をダンジョン配信なんかに誘ってしまったから。


 彼女の時間をたくさん無駄にしてしまった。

 その罪の重さを、今になって感じている。


 ──彼女を初めて見たのは、まだ中学生の頃。

 クラスのすみっこで、他人を寄せ付けないほど綺麗な表情をして、よくわからないけどむずかしい本のページをめくる貴女を見て。


(ほんとうに、おひめさまっているんだ──!)


 彼女の抱える孤独も苦悩も、何も知らなかったバカで世間知らずな私は、そう考えてしまった。


「あなたも、一人の人間なのにね」


 そして、愚かな私は、貴女の気をどうしても引きたくて。

 つい見栄を張ってしまったんだ。


『私、ダンジョン配信者になるの。しかも一番になるって決めてるっ!』


 それが、呪いの言葉だとも知らずに。


 根拠なんて一つもなくて、ただ格好をつけたかっただけ。

 おひめさまの気を引きたかっただけの、バカでどうしようもない子供の言葉。


 それでもミルティは、そんな私の言葉をまっすぐに信じた。


『じゃあ、私が貴女を一番にしてあげる』


 私なんかと違って、ミルティは本気だった。

 バカみたいに真面目で、ひたむきで、私の代わりに努力して、私の代わりに戦って。

 私のために、誰よりも強くなった。


 気づいた時には、もう追いつけないところにいた。


 能力も、立ち回りも──なにより、ダンジョン配信にかける覚悟も情熱も。

 あの子はすべてにおいて私を超えていた。

 私が息を切らして走っている間に、彼女はとっくに、ずっと先にいた。


 ──私はもう、貴女の背中しか見えないよ。


 そう気づいた瞬間、心が折れたんだ。


 普通さ、夢なんて本気で追いかけられないんだよ。


 どこかでなんとなく自分の限界を悟って。

 つまんないとこで妥協して。

 そうして現実と折り合いをつけたフリをしながら、自分は頑張ったと納得させるんだよ。


 だから、私たちふたりできんぎょちゃんの強さを目の当たりにした時に。


(ちょうどいい、辞めるかっこいい言い訳ができた)


 ほんものを思い知ったから。追いつけないと思ったから。

 だから辞める。

 ──ああ、なんて綺麗なストーリー。大して努力なんかしてなかった癖に。


 それでも彼女は、ずっと信じてくれていた。

 今でも私がその気になれば、なんでも出来るんだって、そんな顔をしてくれる。

 貴女はもう、私なんかよりずっと高くまで飛べて、ずっと遠くまで行ける人なのに。


「まったく、どこまでお人好しなのよ、貴女は……」


 優しいからこそ、貴女は、手を取れないでいるんだろう。

 キンミヤくんたちのこと、きっと本当は好きになりかけてるのに。


 仲間になりたいって、心のどこかで思ってるくせに。


 私に遠慮して、笑ってみせるだけで、その輪に踏み込めないでいるんだ。

 ──わかってるよ。

 ほんとうに、どうしようもなく、優しい子なんだから。


 でも、それじゃ駄目なんだ。


 この子には、ちゃんとした仲間が必要だ。

 前を向いて、一緒に走ってくれる誰かが。

 その役目は、もう私じゃない。

 きっとその相手は──キンミヤくんたちだ。


 ミルティに似ている。

 真面目過ぎるくらい真面目で、不器用で、だけどまっすぐで、傷つきながら、それでも誰かのために動ける、馬鹿正直な彼ら。


 今日の配信を見て確信した、あの二人なら大丈夫だ。

 私がついていけなかったこの子の全力に、ちゃんと応えてくれる。


 ……だから。


「ねえミルティ。次の休みの日、キンミヤくんとデートしてみたら?」


 ぽつりと落としたその言葉に、返事はない。

 眠っているから当然だけど、きっと仮に起きていたって、この子は素直に聞かないだろう。


 でも、それでいい。

 私が、彼女の背中を押してあげなきゃ。


 そうじゃなきゃ、彼女と対等な友人とは言えない。

 だから私は今日、ひとつだけ覚悟を決めた。

 彼女の背中を見送る準備を、ちゃんと始めようって。

 言葉にしてしまえば、ほんのそれだけのことなのに。


 ──なんか、胸が寒いなぁ。


 そう思いながら、カレンダーに週末の予定をひとつ、書き足した。


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