恩人
皇都リールガーデン。
ここはかつて、ワーレンハインという都市名だったけど、名前の響きが硬いし怖いという理由で、先帝リミアがその名前を変えたそうだ。
彼女は弟が成人するまでの数年間だけ帝位に就き、成人後はその座を弟へ譲ったという、少し変わった皇帝だった。
そして、先々代、先代、現皇帝と、三代にわたって皇帝を補佐しているのが、皇太后アメリア陛下だ。
ロイタール遺跡から帰還して、十日目の今日。
その陛下から、呼び出しを受けて応接室に入った。
背が高く、目つきがするどい……。
この女性を前にして緊張しまくっている。
「どうぞ、そこに掛けて」
ふかふかのソファに腰掛けると、小柄な女性が緑茶を運んでくれた。
「イエッタ、ありがとう。さがっていいわ」
「失礼いたします」
イエッタと呼ばれた女性は、皇太后陛下の侍女なのだろう。
彼女が退室するより早く、皇太后陛下が話を始めた。
「遺跡の件、オズワルドから聞きました。率直な意見を聞かせてほしい」
「はい」
「軍を派遣して調査をおこなうことを前提に、だけれど、被害は大きくなるかしら?」
「……戦闘ありきの場合、被害は大きくなるものと思います」
「どうして、そう思うの?」
「まず、氷魔人の反応が読めません。戦う意思がないことを示したとしても、軍隊が大人数で通過することを、許可してくれるかどうか……もし、エルフの協力を得られるなら、エルフに案内してもらったほうがいいでしょう」
「エルフの?」
「はい、俺たちには偶然にも、エルフのシスが一緒にいてくれています。彼女のおかげで、戦わないで通過することが可能だとわかった次第です」
「なるほど……イシュクロン王国に相談してみるわ。ありがとう。では、そうした場合、危険はなくなる?」
「いえ、それは最低条件です。遺跡の深部へと進んだ後、帰路の途中に書庫がありました。そこから地上へ、エルフの案内で迷わずに進んだとしても、ゴブリンなどの下級魔族は大きな群れを成していますし、新種の魔人とも会いましたので、まだかなりいるものと予想します」
皇太后陛下は、緑茶の杯を口に運びながら視線を窓へと転じた。
俺も、そちらを眺める。
手入れが行き届いた庭に、茶、黒、白の毛並みが可愛い犬が数匹、地面を嗅ぎながらうろうろとしていた。たれ耳を揺らして可愛らしい。
「可愛い犬ですね?」
言うと、陛下が微笑む。
「でしょう? 夫が、可愛がっていた犬の孫にあたるのが、この子たちなのよ」
俺は、ギュレンシュタイン皇国の近代史を知っているので、彼女の言葉の重さに目を伏せた。
普通なら、お悔やみや長年の苦労を労う言葉を伝えるところだろうが、俺にはできない。
それほどまでに、庭を眺める皇太后陛下の横顔は、複雑なものだったのだ。
微笑んでいるのに、悲しんでいる。
忘れたはずなのに、思い出している。
もしかしたら、陛下の夫……先々代とはこの庭で、よく散歩を一緒になさっていたのではないだろうか。
犬たちを連れて。
一匹の犬が、庭から応接室へと上がり込んで来た。そして、皇太后陛下の足にまとわりつく。彼女はその子を抱きかかえると、膝の上に置いて撫でながら俺を見た。
「夫とわたしを繋げてくれたのが、この子たちのお爺ちゃんにあたるジャンという子だったのよ。そこの庭でね」
「そうだったのですね」
「ごめんなさいね。話がそれて」
「いえ、俺も犬は大好きなんです。俺と母が困っていた時、助けてくれた恩人たちは、犬の魔族、コボルトだったので」
「まぁ!」
驚いた顔の陛下に、俺は当時のことを思い出しながら話した。
「俺は、特殊な事情で……母に連れられてコボルトの村に。そこで俺と母を助けて、癒してくれたのはコボルトたちで……とても恩があります」
「魔族に恩を感じるなんて、わたしでなければ捕らえられるわよ?」
陛下が笑いながら言い、俺は頭をかいた。
この人は、他人の警戒を解くことを自然にできると思う。俺も、彼女でなければ、うっかりこんなことを話さなかったに違いない。
「アル、いくつなの?」
「十六です」
「十六年……アルス・マリーナ・ファウス……マリーナ・ファウスの名を使うのは、やめたほうがいいわね」
陛下は微笑みながら、怖いことをさらっと言った。
この人は、俺の名前と昔話で、俺の正体に勘づいたのだ。それでも、それを追求しようとしないまま、緑茶を飲み、膝の上で丸くなった犬を撫でている。
「陛下、俺は――」
「言わなくていい。誰しも、話したくないことはあるもの。でも、そのアルが遺跡に入って、経験したおかげでわたしは判断ができる」
陛下はそう言うと、室の外に声をかける。
「オズワルド」
「は!」
応接室に入ってきた彼は、一礼した。
「ロイタール遺跡の調査は中止。一般の冒険者や傭兵も、中に入ることは禁止にします。入口の封鎖と、巡回をおこなうように」
「承知しました。しかし、よろしいのですか? 書庫はあったのですよ?」
「いいえ、書庫は結局、なかったのです。そう公にします」
俺とオズワルドさんは、自然と見合っていた。
いや……書庫はあったと報告をしたんだけど……。
「書庫はなかったのです。価値のある宝物は、あの遺跡にはもう残っていなかった。調査する価値もないけれど、危険だから入ることは禁止。これで、名声や富を目的に入る人はかなり減るでしょう」
陛下の言で、彼女の意図を理解できた。
この人は、嘘で他人の命を守ろうというのだ。
シス、こういう人もいるんだと、聞かせてあげたかった。
「かしこまりました。そのようにいたします」
オズワルドさんが、深く頭を垂れる。
皇太后陛下が、俺を見た。
「アル、ご苦労様。報酬は予定通り、支払います。それと……」
彼女は、庭へとまた視線を転じる。
「……帝国が、アルの恩人たちが暮らす村がある地域へ軍を派遣します。我が国も同盟国として、ニールセンの連隊を傭兵に偽装し派遣しました」
「……」
ケイルズの言葉は、やはり本当だったのだ。
「アルは、恩人たちを助けたい?」
「はい」
皇太后陛下は微笑むと、オズワルドさんに言う。
「友人たちが、北方大陸に行きます。船の手配を」
「かしこまりました」
オズワルドさんが、一瞬だけ俺に笑みを見せると退室する。
俺は感謝のあまり、床に膝をついて頭を垂れた。
「ありがとうございます」
「いいの。アルのおかげで、夫と庭を散歩していたこと、鮮明に思い出せたから。ありがとう」
陛下は言い、犬を抱っこしたまま立ち上がると、庭へと歩いて行った。
皇太后陛下に、犬たちがまとわりつく。
明るい笑い声と、嬉しそうな吠え声。
俺は、応接室を辞そうと立ち上がる。
庭で、陛下がこちらを見ていた。
強くて、優しい人だ。
俺は敬意を抱いて、深く一礼する。
「アル、気を付けて。マリーナと主神の加護がありますように」
- Il était appelé le Grand Mage. -
迎賓館の部屋に戻ると、食卓でダリルがスープを啜っていて、その隣でシスがパンをダリルのために切り分けていた。
こいつが食べ物を、他人に分けるなんて嵐が来るかもしれない。
でも、それくらいシスは変わった。
「リューネは?」
俺の問いに、ダリルが庭のほうを見て答える。
「魔法の練習、外でやってる」
「リューネ、頑張っている。呪文の詠唱もかなり滑らかで、発動も自然になってきた」
シスが褒めるくらい、実際、リューネの上達はすごい。
母さんから教わった方法で、魔力の総量をあげるために光球を発動し続けることを、リューネにはやってもらっているけど、ここ数日は明らかに持続時間が伸びている。
食卓につき、水差しから杯に水を注ぎながら二人に言う。
「五日後、北方大陸に船を出してもらえる」
「すごいな。どうしてまた……」
ダリルが驚いていたので、陛下との会話の内容を二人に話した。
聞き終えた時、彼は大きく頷いた。
「虚報か……でも実際、これで随分と減るだろう。それでも無茶した奴は、後悔することになる」
「そこまでは、責任をとらないということだろう。線引きもはっきりしている」
俺が言い、水を飲む。
シスが、俺を見た。
「ダリルはまだ完治していない。荷物、少なくしよう」
「……そうだな」
「すまん――」
謝るダリルは、続ける。
「――だが、本当にいいのか? 俺は実際、いきなり引退するよりは稼げるから助かる。蓄えは少しでも増やしたい」
「本当にいいんだ、ダリル」
俺は苦笑しながら、口を開く。
「ダリルの経験が欲しい。極論、荷物を運ばなくてもついて来てほしいんだから」
ダリルが照れた顔で、頷くとスープを啜った。
シスが、パンを切り分けて俺にもくれた。
食卓の上に、イチゴのジャムとバターがある。
パンにジャムを塗っていると、彼女が尋ねてきた。
「アル、大きな戦争になっていたら大変だぞ?」
「そうだ……だからまず状況を確かめて……コボルトたちを避難させたり、シスにも手伝ってほしい」
「七つの罪が封印されている場所、帝国にもある。終わったら、そちらに行ってもいいか?」
「ああ、そうしよう」
頷き、ジャムを塗ったパンを食べる。
俺たちが食事を始めてから、シスも自分のパンにジャムとバターをぬり、頬張った。
最後に食べ始めるなんて……すごい変わったよな……。
「ああ、戻ってたの?」
リューネが戻って来た。
腰には短剣、弩ではなく弓矢を持っている。
ポーターをしないとなると、弩よりも連射がきく弓のほうがいいだろう。それに、彼女はもともとポーターで鍛えた筋力があり、弓を扱うに十分な力がある。
「魔法、どう?」
尋ねると、ニッコリとされた。
「呪文の詠唱はまだ必要だけど、風刃波の命中精度はばっちり。あと、短時間だけど風守護もアルのおかげで使えるようになったよ」
「すごい! リューネ、きっとすごい魔導士になるよ」
「お腹減ったぁ!」
食卓についた彼女に、シスがパンを切り分ける。
……嵐が、船を襲わないことを祈る!




