人が暮らす世界へ
「アルは、本名をルシアーノ・アレクサンドル・ヴァスラ・グイエンと申します」
マリーナが、リーゼキュラに俺の素性を話す。
赤ん坊の頃から他とは変わった子で、言葉を理解するのがとても早かったこと。魔法に興味をもち、誰からも教わっていないのに魔法を成功させたこと。
「新しいことを教えると、とってもかわいい笑顔でわたしを見てくれて……大切で可愛くて……わたしがいけないのです。わたしがあの時、少しでも慎重になり、よくない未来を予見……いえ、言い訳です、リーゼキュラ様。わたしはもしかしたら、ルシアン様の未来を歪めているかもと思いながらも、その才能に惚れこみ……どんな魔導士になるのかという期待と興味で……わたしが、悪いのです」
マリーナは、そこで涙を流した。
俺は指で、彼女の頬をぬぐう。
マリーナが、続ける。
皇帝暗殺を俺が魔法で邪魔をしたが、それを摂政に見られたことが急変を齎した。
それで彼女は、俺を連れて、人間社会とは違うコボルトとの縁を頼って、この村に来たまでのことを、話し終える。
そして、魔王にこう言った。
「わたしはもう……アルと一緒にいられません。ゼグス殿を訪ねたのは、わたしがいなくなっても、アルと共に……この森がアルと共にいてもらえるように、お伝えして……承知いただきたかった。ゼグス殿は、信義がおありとわたしは思っていますから……きっと、アルが人間だとしても、これまでと同じように接してくださると思っていますから……それを、ちゃんとお願いしたくて訪ねた次第です」
リーゼキュラは黙って聞き終えると、俺の肩に手を置いた。
「役に立つかわからないけど、領内の薬草などを集めてマリーナに与えてみよう」
「薬を……ここを出ることには反対ですか?」
「反対よ」
魔王まで、反対?
リーゼキュラは、魔族の長とは思えない優しい笑みでマリーナを見つめる。
「マリーナ、よくアルを守ったね? あなたは立派よ……さすがアラギウスの名を継ぐ者」
「守れて……いません。こうして、心配をかけて……」
マリーナの言に、俺は涙をぬぐって口を開く。
「だったら、薬を……せめて薬を買いに行かせて……お願い……マリーナ、お願いだから」
魔王はそこで、ゼグスを呼ぶ。
現れた魔人は、外で俺たちの会話を盗み聞きしていたらしく、強張った表情だった。
「ゼグス、帝国の貨幣、残っている?」
「それが……換金せねばならないものだけ……竜が支配した時代や、古代ラーグ時代の金貨なら山ほどありますが……」
現代で使えるお金……がない?
マリーナが、俺に言う。
「アル、古い金貨は金の純度が高いから、換金業者に持ち込めばすぐに噂になる。出所がはっきりしない値打ちものの宝物も同じ……諦めましょう?」
……諦めない。
俺は、決めた。
- Il était appelé le Grand Mage. -
早朝、寝静まった村を一人で出る。
旅支度なんてするとバレるから、着の身着のままだ。だけど、森の中には水もあるし、果物も今の季節はあるから、それで人里までもたせるしかない。
東の空が、赤くなる。
森の木々は巨大で、俺が歩いている地面は暗いけど、樹木の枝葉から零れ落ちる陽光は、キラキラと地面を輝かせていた。
「アル」
……リーゼキュラの声。
俺は、樹木の影から姿をさらした魔王を前に、怒りよりも、悲しみが強かった。
邪魔を……される。
俺は、地面から少し浮いて留まる彼女の前に膝をつこうとしたが、彼女に手で遮られた。
「アル、気をつけて」
「え? ……行かせてくれるんですか?」
「うん……これを」
リーゼキュラは、俺の手に何かを握らせてくれる。
指輪……黒い指輪に金色に輝く宝石がはめられていて、その模様は猫の目に似ていた。
「困った時は、この指輪にキスをしてわたしの名を言いなさい」
「リーゼキュラ様のお名前?」
「わたしの本名は、リーゼロッテ・キュアノラよ。覚えた?」
「……はい」
「アル、わたしは魔族だけど、君みたいな子、嫌いじゃないよ?」
「ありがとう……ございます」
俺は、一礼をして歩き出した。
背に、彼女の声がぶつかる。
「竜王バルボーザに選ばれた魂の持ち主よ! 必ず無事に戻りなさい!」
俺は、背を押されたような感覚で速度をあげた。




