マリーナと子供の俺
コボルトの村で暮らす毎日は、そうそう事件があるわけじゃない。
マリーナに勉強をみてもらい、コボルトたちと狩りをし、畑を耕し、水路をひいて、井戸を掘り……日常が穏やかに、過ぎていく。
だけど俺は、特殊な事情であることを忘れていない。
もちろん、マリーナも忘れたわけじゃない。
二人で、夜、話すことがある時は、自然と、これからのことについてだった。
「アルも、十歳になるわね」
マリーナの言葉で、俺はペンを止めた。鶏の羽根にインクをつける簡易的なペンだけど、この村では贅沢はいえない。
今は、古代魔法に関するマリーナの教えを、書き起こしている作業中だ。
「マリーナは、いくつになった?」
「二十歳よ、早いわよねぇ」
「嘘つけ」
二人で笑う。
灯りは、俺が作り出した光球で、目くらましやこうして照明にもなるが、発動し続けていると体力と精神力が失われていくので、わかりやすく言うと疲れる。だけど最近は、長時間の発動でも疲れないようになってきた。
マリーナが、自分の前に広げた羊皮紙に、召喚魔法の術式を書きながら口を開く。
「いつか、ロイタール遺跡にアルと行きたい……古代言語で書かれた書物が、地下書庫に保管されているらしいの……そう記録には残されているのだけど、まだ誰も到達できていないのよ」
「へぇ、行ってみたい。遠い?」
「遠い……中央大陸の、ギュレンシュタイン皇国とイシュクロン王国の国境付近……それと、失われた都市と呼ばれる島の遺跡にも入りたい」
「それはどこに?」
「五か国半島の北の洋上……金竜の神殿があるのだけれど、その神殿の地下は大迷宮で、誰も中には入ったことがない。それに、世界各地の……古代ラーグ時代に造られた遺跡に入って調査をしたいなぁ。遠い昔に作られた魔法で、今はもう伝えられていない魔法……お父様でもまだ発見できていない魔導書が、まだあるはずだから……それを見つけて、解読して……忘れられた魔法を使ってあげたい」
「……あと五年、いや四年でいいよ。もうちょっとデカくなってから、村を出て旅をしようよ。マリーナがしたいっていう、誰にも見つけられていない魔導書を探す旅を」
この世界を、満喫してみたいという気持ちは小さくない。
それと、俺の魔法はどこまですごいのかを、試してみたいという欲望がある。
マリーナは、遠慮なく俺に知識を授けてくれ、訓練の相手になってくれた。まるで、俺を最高の魔導士に育てることが目的といわんばかりに、熱心に指導をしてくれる。
そして、体術も教えてくれた。
「魔導士は、魔法発動できない環境ではただの人……身を守る戦い方を学ばなければ足手まといになる。例えば、集団同士の戦闘になった時、お互いに魔導士の魔法を封じる動き、防ぐ動きをしながら戦うのだけれど、力量不足の魔導士だとばれたら、一気に不利になる」
彼女は格闘も強かった。
とくに、接近戦となった際の敵の武器を奪う術や、近くのものを武器にして応戦する術などは、日本人だった頃に見ていた映画を思い出す。
ナイフさばき、剣の扱いなどを教えてもらい、また今のように、こうして魔法を勉強する。
俺は今、多くの魔法を呪文詠唱なく、一瞬で発動できるまでになっていた。
あとは、魔法を連発できる魔力の総量を増やすことだというマリーナの教えに従い、地味だけど、こうして光球を発動し続けて訓練しながら、勉強である。
……話を戻す。
俺は、自分の力を試してみたいんだ。
だけど、肉体はまだまだ貧弱で……ガキんちょなので、仕方ない。
タボやケイは成長が早く、俺より先に大人になり、今ではそれぞれに相手を得て、子供もいる。二人には「お前はまだ子供だな」とからかわれていたけど、お前らは先に爺さん婆さんになるんだと言って反撃するまでが、いつもの光景だ。
炎魔人の呪文を書き終えた時、マリーナの手が止まっていると気づいた。
彼女は何か考えているように、一点を見つめている。
「どうかした?」
声をかけると、彼女は微笑んだ。
「この村で……いつまでもってことは難しいなんて、今更思う自分は情けないなって」
「そんなことない」
「でも、エブールも死んで、今はカブールの代だけど、その彼も、アルが大人になる頃は……コボルトよりも、わたしたちは長寿……」
「……どうしたの? 突然」
「アル、わたしはあなたよりも先に死ぬってこと」
「は?」
なにを言っているんだと思っていたけど、マリーナは真面目な顔だった。
「そう難しいことを言ってないわ。わたしのほうが、年齢的に先にってこと。そうなると、あなたは一人」
「……二十歳なんでしょ? 十歳の違いしかない」
俺はそう言って、自分で笑ってしまう。
マリーナも、つられて笑う。
笑いながら、俺は遠い未来で、いつかその時がくるのかなって思った。
親孝行、したい。
前世だと、できないままだった。そもそも、恋人もいなくて、やりたいこともたくさんあったのに、あの事件で死んでしまって? 仕事に追われていた記憶が鮮明で……親父と母さん、元気かな?
ん?
……。
……そうか。
俺は、ここで初めてマリーナの笑顔を見るのを、つらく感じてしまった。
マリーナは……俺のために、全てを捨てた。
それでも、彼女は俺を……。
「ど! どうしたの?」
マリーナが慌てて立ち上がり、俺を抱きしめる。
俺は、泣いていた。
気づくと、涙があふれていた。
「どうしたの? アル? わたしが死ぬなんてこと言ったから?」
「ごめん……ごめんなさい」
「何? どうして謝るの?」
「俺……マリーナの人生を……」
「わたしの人生を?」
俺は心情を言葉にできず、ただ泣くことばかりだ。
マリーナが、昔のように俺を抱きしめ、髪を撫で始める。
マリーナ……恋人、たぶん俺の父親と……それに友達もいるはずなんだ。それに、いろんな遺跡に行きたかった……魔導書を探す旅をしたいって……魔導士としても、女性としても、彼女には、彼女の人生があるはずなのに、俺は……俺はそれを犠牲にしたくせに、自分だけ、世界に出て力を試してみたいだなんて。
魔法に詳しくなって、どんどんと上達して、それでいい気なって、くそガキみたいなことを。
ごめん。
マリーナ、ごめん。
ごめんなさい。
「アル? どうして泣いているのかわからないけど、泣かないで。アルの泣き顔、見たくないのよ」
「うん」
「アル、笑って? わたしはアルの笑顔、赤ん坊の頃から大好き。アル、大好きよ」
抱きしめられて、泣き続ける。
俺は頭の中まで、子供になっていたんだと反省した。




