魔族の母
ゴブリンたちが、コボルトの縄張りを犯していた一件は、ゼグスの裁定で終わった……とはならなかった。
あの事件から、一か月が経つくらい。
なんとゴブリンたちは、あれからもちょくちょくとコボルトたち側へとやって来ては、勝手に狩りをしたり、キノコを採ったり、樹木を伐採したり……でもそれを、ゴブリンたちの仕業だと訴えても、彼らは「俺たちはしていない。いいがかりはよせ」と言うばかりだ。
ここは、ゼグスに訴え出ようと村長と戦士たちが相談している今日、俺とタボは川遊びをしていた。ケイの怪我は大事なく、もう治ったとばかりに花摘みに行ったそうだ。
大人たちと子供たちで、集団行動が徹底されている。
俺のほうも、川で遊ぶ子供たちの周囲で、大人たちが釣りをしていた。
春から夏へと、季節は移ろうかという頃。
鮮やかな草花が生み出す光景は、現代社会ではお金を払わないと眺められないだろうと思う。
それにしても……この世界はどういう世界だ?
生態系は、地球に近い。
食事……地球とほぼ一緒。
太陽、月、同じ。
パラレルワールド?
魔族とか、魔法とか、地球とは決定的に違うところはあるものの、こんなに環境が似ているなんて、とんでもない低確率ではなかろうか。
ん?
大人たちが、釣り竿を急いで地面に置いた。
なんだろうと思うと、草花の上を優雅に歩く少女がいる。
白い肌、銀色の髪……赤い目が、こちらを見た。
白子症かと疑うほどの彼女は、対照的な黒い衣服に身を包み、背の羽根を広げる。
蝶のようだと、思った。
大人たちの一人が、小声で俺に言う。
「アル、膝をついて……魔族の母様……魔王リーゼキュラ様だ」
リリス?
……彼女が、魔族の母と言われるほどの?
魔王……リーゼキュラ。
マリーナから、聞いた。
世界に存在する四大魔王の一人で、魔族の中でもその格は最も高い。
邪悪な姿を想像していたけど、恐ろしく美しい……いや、あの美しさが、恐ろしいんだと思えた。
彼女は優雅に、地面を滑るかのように移動すると、コボルトたちを無視して俺の前で止まる。
俺は、頭を垂れた。
「アルス? 君がアルス?」
耳心地がよい声……これが、魔王?
「アルス、君が子供なのに魔法を発動した子?」
「はい」
「じゃ、してみせて」
彼女は言うと、いきなり至近距離で、火炎弾を発動した。
正確には、発動する直前でそれを察知した俺が、次元遮断という高度防御魔法を発動することで、封じた。
それくらいの防御魔法でないと、防げないほどの威力だと直感でわかったから。
何もおきない空間で、驚くのは彼女ひとり。
コボルトたちは、何が起きるのかと心配する表情で俺と魔王をうかがっている。
リーゼキュラは、微笑んだ。
ゾっとするほど、美しい……。
「アル! あなたすごい! じゃ、これは?」
魔王は、いきなり俺とタボに向かって、同時に雷撃を発動していた。
俺は一瞬で魔封盾を発動し、彼を守る。そして自分も魔封盾で、雷撃を弾き返した。
ガツンという衝撃で、たまらず俺は吹っ飛び、周囲のコボルトたちも地面を転がる。
ふわふわと浮かんだままのリーゼキュラだったが、その頬に少し傷がついた。しかし、それはすぐに癒える。
彼女は、地面に倒れたままの俺に近づいてきて、助け起こしてくれた。
「試してごめんね? でも大丈夫、もうわかったから」
「何が……ですか?」
「人間のあなたがこれほどの力を持っているのに、コボルトたちを傷つけないどころか、守る」
「……当然です。家族なので」
「口だけの人間を、わたしはたくさんたくさんたーくさん、見てきたの。人間は、口では言うのよ……彼は魔族だけど仲間だから、友達だから……でも、すぐに、あっさりとそれを裏切るの。でも、君は違うね? 好きよ、君」
「ありがとうございます」
「いいの、いいの。ゼグスが、コボルト側をやけに庇うから、ちょっと疑って来てみたけど、アラギウスの娘と、その子である君が、コボルトたちを仲間だというなら、きっとゼグスの言うとおり、君たちはうまくやっているのよね?」
「……あの、俺は本当に助けてもらっていると思うし、感謝しているんです」
俺の説明に、彼女は俺の横に立つ。そして、コボルトたちをぐるりと見て、「離れていて」と言うと、顔を近づけてきた。
膝をおり、俺と視線を同じくした彼女は、俺の首に指で触れる。
「ドキドキしているのは、嘘をつくからじゃないね? ……血、美味しそう」
「……俺は、赤ん坊の頃から、皆に守ってもらっているんです。だから、俺が皆を守れるなら、守ります」
「うんうん……わかっているよ、嘘じゃないって。君、いい子ね」
「……あの、本来なら、大人たちがゼグス様のところに訴えに行くのでしょうけ――」
「うん、言わないでいいよ。わたしはわかっているから」
リーゼキュラはそう言うと、俺の頭をポンポンとした。
彼女は羽根を動かして、フワリと浮くと口を開く。
「アル、ゴブリンは基本、嘘つきなの。でも、彼らはそうしないと生きていけない弱者なの……人間と一緒。だから許してあげて……二度と、コボルトたちを困らせないように、わたしのほうでちゃんとしておくからね」
「ありがとう……ございます」
「またね」
そう言って、魔王は去っていった。
- Il était appelé le Grand Mage. -
それから、五日後のことだ。
ゼグスの使者であるオーク戦士が、コボルトの村にやって来て、こう伝えた。
「これからは、西のゴブリン側だった土地もそなたらのものとする。奴らは消えてしまった……誰も手をつけねば荒れるゆえ頼むと、ゼグス様の仰せである」
……消えてしまった?
ちがう。
消されたんだな。
魔王……こえぇよ。




