第五十五話 《パーフェクト・コード》
その時、空間の一部が歪んだ。
黒い意志とでも言うような邪悪な質感を持つ何かが、コア領域に侵入してくる。黒い塊が集積し、人の形を取り始める。
ネオはそれを見た。そして、息を吐いた。
「……やはり来たか。しかし、趣味が悪い。俺の姿を真似るとは」
黒い塊が取った形は――倉城音央の姿だった。
「音央、マスター魔法を渡せ」
光がネオの身体にしがみつく。「音央、渡しては駄目」
「……お前の目的はなんだ」
敵は静かにそう言った。
「……《パーフェクト・コード》。全てのネット空間を統べる究極のプログラム」
「そんなものがあるのか」
ネオは光の方を向いて尋ねた。
「偶然産み出された危険な力よ」
光が答える。「それをこのゲームに隠した」
「どうやっても消去できないコードだった。だから封印したの。音央はその番人ってことね」
「そのコードを知っているのは、誰だ」
「私と、ヒカルだけ」
「姉さん」
倉城音央の形をした存在が呟くと同時に、姿が変化する。
そこには倉城光と同じ顔をした、短髪の青年がいた。
「なぜ、音央に力を渡した」
彼は倉城光、クラシロヒカル。倉城光、クラシロヒカリの弟。同性同名、全く同じ漢字の名前を持つ珍しい姉弟。そしてこのゲームの共同設計師だ。
「ヒカルが相応しくないからよ」
ヒカリはヒカルの方を向いて言い放った。
「姉さんも解っているだろ。あのコードがあれば巨万の富を得られる」
「その金さえあれば、姉さんの病気は治せた。いや、今からでも治せるんだ」
現実のヒカリは今、眠り続けている。死んではいないが、永遠に目覚めることはない。
この時代の奇病、ピグマリオン病。ヒカリはそれを患い、もう数年目覚めていない。治すには特殊な薬が必要だ。今は一握りの富裕層が独占し、法外な価格で取引されている。
ヒカルの言葉は、怒りではなく、どこか痛みに似た声だった。
「人間、いつかは死ぬの」
ヒカリはゆっくりと言った。
「ヒカル、あのコードが悪意ある人間に渡ったら、世界が大混乱に陥るわ」
そして、ヒカリはネオに告げる。
「さあ、音央。《パーフェクト・コード》を消し去って。今の貴方ならできる」
ヒカルが叫ぶ。
「駄目だ。音央、姉さんを永遠に失ってもいいのか」
ネオはヒカリを見つめた。その目が、ネオに答えを伝えていた。
「ヒカリが望むなら、俺はその意志を壊さない」
ネオは《マスターキー》を取り出した。空に掲げると、頭上に鍵穴が出現する。
そして、空間にできた鍵穴に差し込むと同時に、
「《パンドラボックス》を《クリエイト》で《マスターキー》と合成」
「待ってくれ――」
ネオは宣言する。
「《パーフェクト・コード》をBANだ――」
空がシャットダウンするように、光を失っていく。
「ああ――」
ヒカルの声を掻き消すかのように轟音を立てて空は光を失い、ヒカルのアバターと共に《パーフェクト・コード》はこの世界から消滅した。
ヒカリはネオに軽く微笑み、
「ありがとう――」
と呟いた。




