第五話 そこにいるはずのない場所
遺跡の奥。足を踏み入れるたびに、空気が変わっていく。
「……静かすぎるな」
ネオは足を止めた。ゴーレム戦以降、妙に敵が出ない。敵がいないのではなく、意図的に引かせているような気配がある。こういうときが一番ろくでもない。
背後のプレイヤーが小声で言う。「帰らないか……?」
「もう遅い」
ネオは即答した。
その瞬間――景色が、切り替わった。
静かに。音もなく。まばたきの間に。
「……は?」
遺跡が消えた。代わりに広がるのは、白でも黒でもない空間だった。色がない。質感がない。上下の感覚は辛うじてあるが、遠近がつかめない。「空白」という言葉以外に表現できない場所。
「なんだここ……」
プレイヤーが呟く。声が奇妙な反響をした。
ネオは周囲を見回す。そしてすぐに気づいた。「……座標、ズレてるな」
本来存在しない領域。マップの外側。完全にデバッグ空間だ。開発者がアクセスする以外、誰も来ないはずの場所。
そのとき。足元に、魔法陣が浮かび上がる。光が模様を描き、広がる。
「来たか」
空間が歪む。歪みの中から現れたのは――人型の影。だが顔がない。輪郭だけが揺れている。まるで消えかけたデータが形を保とうとしているような、不安定な存在。
「……NPCじゃないな」
影はゆっくりと手を上げる。次の瞬間――ネオの視界が跳ねた。
「――っ!?」
気づいたときには、数メートル後ろに立っていた。自分の意思で動いていない。
「……は?」
「強制移動……?」
影がまた手を振る。今度は真上にいた。
「おい待て」
重力が追いつく。ネオは落下する。
「そういうタイプかよ!」
地面に叩きつけられる。HPが削れる。
「くそ、厄介だな」
敵は動いていない。しかし「位置」だけが操作される。当たりに来るのではなく、こちらを動かして状況を作る。
「座標いじってきてるな」
ネオは立ち上がる。土をはたく。「……面白いじゃん」
影がまた動く。その瞬間――ネオは気づいた。
「いや待て。座標……固定されてる?」
飛ばされる先が、毎回同じ場所だ。一定のポイントにしか飛ばされていない。
「だったら――」
ネオは笑った。「使えるな」
あえて動かない。影が手を振る。ネオの位置が変わる。だが――同じ場所だ。同じ、毎回同じ。パターン化されている。
ネオは周囲を観察する。そして見つける。空間の一部。わずかに「歪んでいる座標」が、ある。揺らいでいる。不安定な場所。
「そこか」
ネオは走る。影が反応する。座標移動が発動する。だが――ネオは、その移動先を計算した上で、「歪み」の中に飛び込んだ。
瞬間――世界が止まる。
「……これ」
目の前に、何かが浮かんでいる。光の断片。こぼれ落ちた何かの欠片。
```
【Master Authority Fragment】
```
「ビンゴ」
ネオは手を伸ばす。触れた瞬間――空間が弾けた。
```
【権限:座標操作 一部解放】
```
「来たな」
その瞬間――ネオの身体が、消えた。影の攻撃が空を切る。
「こっちだ」
ネオは背後に立っていた。「なるほど。こういう感じか」
影が振り向く。しかし遅い。ネオは一歩踏み込む。そして「そこ、ずらすぞ」。
影の「位置」を掴む。座標を把握する。引き剥がすのではなく、ずらす。その場から切り離す。
一瞬。影の身体がブレる。そして――空間の裂け目へ、叩き込まれた。沈むように、消えていく。消滅。
静寂。ネオは息を吐く。
「……強いな、これ」
視界に表示される。
```
【マスター魔法:《シフト》取得】
座標を移動する
```
ネオは笑う。「ようやく戦える感じになってきたな」
そのとき――ログが現れる。
```
「それは、危ないね」
```
ネオの目が細くなる。「だろ?」
```
「でも、好きだよ」
```
またその言い方だ。どこかで聞いたことがある気がする。声に耳を澄ますように、記憶の奥を探る。
一瞬だけ、思考が止まる。
だがネオはすぐに笑った。「じゃあ、もっと見せてやるよ」
黒猫の姿が、ふっと消える。次の瞬間には、数メートル先にいる。
「こういうのはな――」
また消える。
「使いこなしてこそだ」
空間を跳びながら、ネオは進む。壊れた世界の、さらに奥へ。




