第四十一話 《パンドラボックス》
それは――箱だった。
巨大な、黒い箱。人の背丈の三倍はある。表面に、無数の文字が刻まれている。ゲームのコードにも似た、数式にも似た、何か。その文字が、かすかに脈打っている。
「……なんだこれ」
カイが呟く。
箱は動かない。しかし――存在が重い。近づくほど、空気が圧縮される感覚。呼吸が少しだけ重くなる。
「《マスターリスト》で確認したが――識別子が空白だ。これは、存在してはいけないものだ」
「存在してはいけない?」
「設計の外にある。設定にない。でも、在る。それは――」
「バグの化身みたいなもの、か」
リリィが静かに言った。
「……近い。いや、もっと正確には――全ての誤りを集めたもの、だな」
そのとき――箱が、鳴った。
低い、共鳴するような音。部屋全体が振動する。
表面の文字が――赤く光り始めた。
「動くか!」
カイが後退する。リリィが魔法陣を構える。
箱が――開いた。
中から出てきたのは、見えない何かだった。形がない。だが――部屋の温度が下がった。全員のHPが、わずかに削れ始めた。
「……何もいないのにダメージが入ってる!」
「「誤り」は、形を持たない。だから――通常の攻撃は通らない」
「じゃあどうするの!」
ネオは素早く考えた。
形がないものを――どう倒すか。
《マスターキー》は、閉じているものを開ける。《ピグマリオン》は、動くものを止める。《マスターリスト》は、存在を確認する。
確認する……識別する……定義する。
ネオの思考が、止まった。
名前がなければ――名前をつければいい。
「《クリエイト》!」
ネオは《クリエイト》を、目の前の「空白」に向けた。
「名前を――やる。「誤り」でいい」
光が散った。
空白が――形を持ち始めた。輪郭が定まる。色がつく。
黒い霧のような、人型のような、何か。
「……いた」
形を持った瞬間――《ピグマリオン》が使えた。
「止まれ」
「誤り」が――固まった。
「カイ!リリィ!今だ!」
三人が同時に動いた。カイが核の部分を貫く。リリィが解除魔法を叩き込む。ネオが《マスターキー》でその内側を開く。
「開け」
カチリ。
「誤り」が――溶けた。黒い霧が散り、光になり、消えた。
箱も――崩れた。文字が消え、表面が砕け、ただの石の塊になって落ちた。
静寂。
「……終わった?」
「終わった」
ネオはゆっくりと息を吐いた。
視界にログが走る。
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【Master Authority Fragment Detected】
【マスター魔法:《パンドラボックス》取得】
対象をゲームから除外する(BAN)
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「……これか」
ネオは、その魔法の重さを感じた。
BANする。存在を、この世界から消す。
「……使うときは、慎重にしないとな」
リリィが珍しく、厳しい顔をした。「当然だよ。それ、使い方間違えたら――」
「分かってる」
ネオは静かに言った。「GMの権限の中で――一番、重い力だ」
カイが、ぽつりと言う。「……俺にも、使えるのか?」
沈黙。
「……お前を使う気はない」
「でも――できる?」
「……多分に載ってる存在なら、全員に使える」
カイは少しだけ笑った。「そっか。まあ――使わないでくれよ」
「当然だ」
ログが一行。
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「……ネオ、それを持ったら、使いたくなることがあるかもしれない」
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「ああ」
```
「そのとき――考えてくれると、嬉しい」
```
ネオは、その言葉の重さを、しばらく感じていた。
「……分かった」




