第二話 勝てない敵と、ズルい手
「助けてくれぇぇぇ!!」
森に、裂けるような声が響いた。
ネオは足を止めた。
視線の先、初心者装備のプレイヤーが全力で逃げている。ぼろぼろの革鎧、頼りない短剣。それでも必死に走っていた。その後ろから迫るのは――
「ワイバーン、だな」
小さく呟く。翼を広げた体長が、木々の梢をかすめている。あり得ない配置だった。ここは低レベル帯の森だ。本来ならスライムか、せいぜい小型のウルフが出るはずの場所。それが今、空から降りてきたのはレイド級モンスター。しかも――
「挙動がおかしい」
ワイバーンは低空を滑るように飛び、一直線にプレイヤーを追っている。通常ならヘイトの分散や警戒範囲の制限があるはずだ。だが今は違う。まるで最初から、そのプレイヤーだけを殺すと決めているかのような、ぶれない追尾だった。
「絶対に殺すって決めてる動きだな」
プレイヤーが転ぶ。石に足を取られたのだろう、地面に倒れ込む。その瞬間、ワイバーンが口を開いた。ブレスが来る。当たれば即死。
ネオは一瞬だけ自分の身体を見下ろした。黒い前足。巨大な体。
「見た目だけボスで、中身は一般プレイヤーか」
苦笑する。今の自分のステータスでは――正面から戦えば絶対に勝てない。
だが。
「普通にやれば、の話だけどな」
ネオは動いた。プレイヤーに向かってではなく――横へ。大きく、回り込むように。
「え?」
プレイヤーが戸惑いの声を上げる。
ネオは地面を蹴り、太い幹に飛び乗る。さらにそのまま枝へ枝へと跳び移り、ワイバーンの進路より高い位置を確保した。
「この辺り……確か」
記憶を辿る。GMとして何度も確認したデータの一片が浮かんでくる。ここは、開発初期に当たり判定が甘かったエリアだ。
「まだ残ってるか?」
ワイバーンがブレスを吐く。プレイヤーを焼き尽くす軌道で、炎が迫る。その瞬間、ネオは叫んだ。
「そこから一歩も動くな!!」
プレイヤーが本能的に硬直する。ブレスが直撃――したはずだった。
だが。
ダメージが、入らない。
「……は?」
プレイヤーが呆然とする。炎に包まれているのに、HPバーが微動だにしない。ネオは静かに息を吐いた。
「やっぱりな。当たり判定、ズレてる」
ブレスは視覚上は直撃している。しかし内部の当たり判定システムでは――わずかに外れている。開発段階で修正し忘れたバグが、今も生きていた。
「昔のバグが残ってるとか、笑えないな」
ワイバーンが怒りをあらわにし、ネオへとターゲットを変更する。
「さて、と」
ネオは枝の上で構えた。
「ここからが問題だ」
攻撃力が足りない。HPを削れない。つまり――正規の手段では倒せない。
だが。GMだった頃の記憶が、ゆっくりとよみがえってくる。この世界の初期マップには、いくつかの「仕様漏れ」が存在する。開発途中で放置された座標のズレ、当たり判定の同期ミス。そして――
「……当たる場所と、当たらない場所がある」
ネオの目が細くなった。
そのとき、ログが割り込んだ。
```
【System Notice】
再調整を行います
```
「来たな」
ワイバーンの身体が歪む。ポリゴンが崩れ、再構築される。そして――さらに巨大化した。見上げるほどの体躯が、さらに一回り膨れ上がる。
「は?」
プレイヤーが絶句する。
「強化入れるか、普通」
ネオは苦笑する。「ほんと性格悪いな」
続いて、ログが一行追加された。
```
「もっと足掻いて」
```
ネオの動きが、一瞬だけ止まる。
「……その言い方」
小さく呟く。どこか、引っかかる。聞いたことがある気がする。この声の質が。
だが――
「ま、いいか」
すぐに思考を切り替えた。「いいね、そういうの。じゃあ見せてやるよ」
ネオはあえて動かない。ワイバーンが翼を振る。ネオの位置が強制移動させられそうになる。だが――同じ座標に引き戻される。移動先のパターンが、繰り返されている。
「思ったより単純だな」
ネオは地面を転がった。ワイバーンの巨大な足がネオの身体を踏み抜く。しかし――すり抜けた。
「なっ――」
ネオは笑う。「地形だけじゃない。当たり判定、全部ズレてる」
開発初期の仕様漏れ。判定が一部同期していない。つまり、見た目上の命中と、実際のダメージ処理の間に、微妙なずれがある。
ネオはワイバーンの懐に潜り込む。一点を狙う。バグの狭間、当たり判定がきちんと機能している場所を。
「ここだ」
前足を叩き込む。今度は――確実に当たった。
ワイバーンが苦鳴を上げる。HPがわずかに削れる。
「よし」
微量だ。だがゼロじゃない。
「削れるなら、勝てる。時間かかるけどな」
ネオは笑った。その目に、諦めの色はない。
戦いは続く。泥臭く、地味で、だが確実に。
その様子を眺めながら。どこからともなく、ログが一つ流れた。
```
「……そう来るんだ」
```
ほんの少しだけ。楽しそうな気配が、文字の向こうに混じっていた。




