6-11
なんと、あんな曖昧な指示で分かってしまうとは、この2人って実はすごく仲良しなのかもしれない。
撃ち抜かれたその場所を見て、さすがにゼウスも驚愕の色を浮かべていた。
「なん‥‥だと‥‥。なぜ分かった」
「ヘルメスが教えてくれたわ」
「もう疲れたって洗いざらい吐いてくれましたよ」
慈悲は無い。
ゼウスがこめかみに青筋が浮かべているのを横目に、僕は奥の空間に視線を向ける。
神殿の石造りの空間が唐突に途切れ、一直線の境界線から向こうには――青々とした草原が広がっていた。
ただの壁だったはずのその場所の向こうに、まるで奥行きを持った絵画のような景色が広がっていた。あまりにも非現実的な光景に、あたかもそれは壁全面を使った巨大なアートのようにすら見える。
地平線まで見渡せる大地には色とりどりの花畑が敷かれ、色鮮やかな鳥や蝶が舞う。穏やかに雲の浮かぶ空からは温かな陽光が降り注ぎ、静かに吹く風に草花が緩やかに身を揺らす。
草原の一角には天蓋付きのベッドと、その上にはたくさんのぬいぐるみ。状況さえ違えばもっと別の感想を抱けただろうけど、今だけはそれらに感動を覚えるようなことは無かった。
「なんかメルヘンねー。牢獄にでもぶち込んでるのかと思ってたけど」
確かに劣悪な環境を強いられていなかったのは僕としても安心だが、だからといって許されることではない。
「ソフィーーっ!」
僕の呼びかけに応えて、花畑の一部が蠢く。遠くて正確な場所は捉えられないが、間違いなくソフィがそこにいるのは分かった。半径1キロ程度であれば、空気の動きで妹の位置を把握できるのは兄として当然である。
しかし、動きは感じられるものの、そこからソフィが駆け寄ってくる気配は感じられない。どういうことかと戸惑う僕の横で、アルテミス様の舌打ちの音が聞こえた。
「丁寧に閉じ込めてんなら少しはヘルメスの評価上げてやろうかと思ったけど、やっぱアイツは最低ね。あの子――手足縛られてるよ」
アルテミス様は鋭い視線を向けたまま、吐き捨てるように呟いた。
それを聞いた瞬間――僕は駆けだしていた。
「あーもうバカ! ‥‥っ、アテナ! 悪いけど援護ヨロ!」
アルテミス様の悪態を背に受けながら、僕は交戦中の2人を大きく迂回して奥へと向かった。
アテナ様が刃を交えつつも横目でこちらを確認し、ゼウスの進路を妨害する位置取りをする。ゼウスもこちらの動きに気付くが、アテナ様の猛攻にこちらにまで注意を払っている余裕はないようだ。
これなら簡単に――目の前に、雷撃の残滓のような力の塊が降り注いだ。思わず足を止めて振り向くと、戦闘を続行しながらもゼウスがこちらを睨んでいる。狙いは定まらないものの、盾に阻まれて弾け散った雷撃があちこちに飛散して下手に動くことが出来ない。
――と、そんな雷撃の破片が、運悪くというべきなのか、正確に僕の位置を捉えて飛んでくるのが見えた。
小さな飛沫といえど、それは神々の戦闘の欠片。生身の人間が受けて無事でいられるとは思えない。
まるで他人事のように、もしかして僕は死ぬんだろうか、なんて考えて――
「――伏せろニコっ!」
鋭い声が響き、反射的に僕はその言葉に従っていた。瞬間、頭上で光が弾ける。床と至近距離で向き合う僕の視界に映るのは、降り注ぐ光の欠片と、弓を引き終わったまま残身を保つアルテミス様の姿。
助かったことを悟り、すぐさま起き上がろうと「そのまま動くなッ!」
普段のアルテミス様からは想像もつかない気迫に満ちた叫びにビクリと動きを硬直させると、さらに僕の頭上を二筋の光の矢が駆け抜ける。それは真っすぐに草原の空間を目指し、ソフィがいるであろう花畑の中に直撃した。
一瞬、思考が止まる。アルテミス様はいったい何をしでかしたというのか。
が、すぐにそんな疑念は消し飛んでしまった。矢が降り注いだその場所から、ぴょこりとソフィの愛らしい顔が飛び出してきたから。
視界に映ったソフィの両手首から、枷の破片が零れ落ちる。
事態を飲み込み切れていないのか、どこか呆然としてやや曖昧だったソフィの瞳が――僕を捉えた。途端、ソフィの瞳からボロリと涙が溢れだした。
「‥‥お兄ちゃん!」
「ソフィ!」
ソフィが駆け出し、僕もよたよたと起き上がりながら腕を広げてソフィを迎え入れる。
何日ぶりの再会になるのか、正確には覚えていない。そんなものを数えている暇があったら、ソフィとの想い出を辿っていたかったから。
体感ではもう何年もあっていないかのような、そんな待ち焦がれた再会。勢いそのままにソフィがぶつかってきて、僕はソフィの小さな体をぎゅっと抱きしめる。もう、二度と離さないというように、強く、強く。
「お兄ちゃん‥‥。会いたかった‥‥会いたかったよぉ‥‥」
「僕もだよ、ソフィ。会いたくて会いたくて、毎日ソフィのことばっかり考えてた」
僕の背中に、温かな手の平がぎゅっと押し付けられた。ソフィから伝わって来る、温もり、柔らかさ、匂い。ソフィが与えてくれるもの、全てが僕は大好きだった。
僕はソフィの顔を胸に押し付け、その視界を塞いでから静かに涙を零す。下らない意地だけど、兄として、ソフィには弱い部分を見せたくはなかったから。
「わたし、やっぱりお兄ちゃんが大好き。お兄ちゃんがいてくれないとダメなの」
「うん、僕も同じだよ。今日まで言えなかったぶん、いっぱいいっぱい、ソフィのこと大好きって言うから」
「うん、言って欲しい。お兄ちゃんが好きって言ってくれたら、わたしそれだけですっごく幸せなんだよ?」
「僕もソフィに好きって言うのが生き甲斐みたいなものだから、いくらでも言うよ。ソフィ好き。大好き。超好き。愛してやまない」
「ぬへぇ、たまりませんぞ‥‥」
「貴様、このワシを差し置いて娘とイチャつくとはいい度胸だな。神がいかに偉大な存在であるか、その身に刻み付けて――」
――――ッ!
けたたましい衝突音。その音と共に、ゼウスの身体は地面に横たわっていた。
地を這うゼウスの前には、弓を手にしたアルテミス様の姿。矢を射ることなく弓を鈍器として叩きつけたアルテミス様は、今まで見たことがないくらい本気の表情で怒りを露わにゼウスを睨み下ろしていた。
「なあ、兄妹の久々の再会よ? 感動のシーンをテメェのワガママでぶっ壊してんじゃねーよ。こんなもん、兄ちゃんじゃなくてもブチ切れるっしょ」
ゼウスは床に手をついてゆっくりと身を起こす。怒りの籠った瞳で、アルテミス様を睨み上げる。
「アルテミス‥‥貴様よくも‥‥! 美少女とはいえ‥‥う、ぐっ、めちゃカワ‥‥でも、許さん、うん、そこそこ許さん! 何でもしますと言えば許してy――」
ズゴがン、と鈍い音を連続で響かせながら、ゼウスの額が床とコンニチワした。
アテナ様は養豚所の豚を見るような冷めきった瞳でゼウスを見下ろし、後頭部に乗せた槍の柄でグリグリと主神の額を地面に押し込む。
「見下げ果てたクズね。知っていたけど、想像以上だったわ」
「くっ、アテナ‥‥娘のくせに生意気な‥‥! にしても我が娘ながら美人に育ったもんだ。どれ、ちょっとお父さんに味m――」
ゼウスの額が床とコンニチワした(2回目)。そのまま何度も何度も叩きつけられ、アテナ様の表情が濃厚な怒りと嫌悪に彩られる。
「私がそういう冗談が大嫌いなの、知ってるわよね? 本気だったら、なおさらよ。純潔を守る私の身体の清らかさと神聖さを軽視しないでもらえるかしら」
アルテミス様もヤンキー座りでゼウスの顔を覗き込み、顔の真横に矢を突き立てて威嚇する。
「ほんそれ、ナメんなよクソジジイ。あたしが全てを許して何でもしてあげるのは、二次元の美少女だけなんだよォ!」
力強いアルテミス様の言葉に、アテナ様はゼウスの後頭部を砕くだけの簡単なお仕事の手を止め、呆れ顔を浮かべた。それを受けたアルテミス様は額に指を添えて「やれやれだぜ」と呆れ顔をお返しする。
「をいをいアテナ、二次元美少女の魅力を馬鹿にしちゃあイケナイよ。確かに、処女は神聖で不可侵なことは確かだよ。でも、逆に考えるんだ。美少女とイチャイチャすることでは、決して処女も神聖さも失うことはないの。つまり――百合は最強」
「‥‥‥‥」
アテナ様は無言でアルテミス様をじっと見つめる。アルテミス様は「ヤベェ、名言飛び出しちゃったわ‥‥」と悦に浸っている。
やがてアテナ様は瞳を細めて、小さく頷いた。
「――一理あるわ」
納得していた。
しかし、これに関しては僕もあながち否定はできない。ソフィには僕のことを一番大好きでいて欲しいし、浮気なんてしたら発狂して世界を滅ぼすくらいの衝動に駆られることは確かだが、もし、ソフィがアテナ様やアルテミス様とくんずほぐれつしている様を想像すると‥‥。
「‥‥お兄ちゃん? 何で赤くなってるの?」
「あっ、ご、ゴメンね! 久しぶりにソフィの匂い嗅いでたら興奮してきちゃって!」
「あっ、わたしも! お兄ちゃんに抱きしめられてると、ドキドキが止まらなくて‥‥」
「僕も止まんねえから、止まるんじゃねえぞ‥‥」
こんなバカみたいなやり取りにすら、思わず感動を覚えてしまう。ずっと、こんな何気ないことすら出来なかったのだから。
緩やかな空気が充満して――いたかと思われたその瞬間、アテナ様の鋭い声が響いた。
「――気を抜くなアルテミスッ!」




