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それからどれくらい歩いただろう。
寒さは凌げども、体力はもはや限界に近い。僕の歩みは遅々としていて、アテナ様が歩調を緩めてくれているとはいえ追いつくのも一苦労だ。
風景は相変わらず荒涼とした岩肌が広がるばかりで何か面白味があるものがあるわけではなく、上を見上げても白い靄に阻まれて頂上を見ることは出来ない。視界が白く霞んでいるのは雲の中にいるせいか、神様のお迎えが近いせいか。
顔を上げるのも苦しく地面と睨めっこしながら歩いていると、もふっと脳天がアテナ様に衝突した。
「もう着くわ。私に触れていなさい。離れていたら迷って死ぬわよ」
言われて、人間だけでは決して辿り着けないという説明を受けたことを思い出し、この寒さの中でさらに背筋を寒くさせた。
しかし触れると言っても一体どこに触れていればいいというのか。抱き着いたり密着するのは論外だし、やっぱり手だよね。浮気するつもりなど毛頭ないとはいえ、アテナ様が絶世の美女であることは確かだ。やや緊張気味にアテナ様の手を握r――首根っこを引っ掴まれた。
「あっちょっと待ってください。今ココってちょっとドキドキなほっこりシーンになるはずじゃないんですか」
「よく分からないけど、つまり脚を持って引きずって欲しいということかしら?」
「やめてください死んでしまいます」
そのままずるずると引きずられ‥‥あっ、これはもしかしてかなり楽かもしれない。傍目ビックリするほど惨めに見えるだけで、疲れた体には最適な移動方法だ、わーい。って思えるくらいには、今の僕の脳ミソは死んでいます。
そこからは本当にすぐだった。数分ほど引きずられたかと思うと、アテナ様は何もない場所で立ち止まり、おもむろに槍を取り出す。その槍の柄で、地面に転がっていた何の変哲もない石を砕き割った。
――瞬間、街が現れた。
何を言ってるか分からないと思うが以下略。
呆然とする僕をよそに、アテナ様は僕を引きずったまま少し離れた場所に停まっていた馬車らしきもののほうへと近づいていく。
こちらに背を向けて御者台でスマゴをいじっているのは、白い衣を纏った金髪の男性。その背からは一対の純白の翼が生えており、ただの人間ではないことがひと目で分かった。
「へいタクシー」
「へい‥‥あれ、アテナさんじゃないスか。てか、それって人の子ですか? どうしたんスか、生贄?」
「いいえ、少々ワケありでね。それより父をボコしに行きたいんだけど、2丁目のゴドいちまで運んでもらえないかしら」
「ぶふぉw ゼウス様またなんかやらかしたんスかwww」
「ええ、色々と。あとヘルメスの息の根も止めたいんだけど、見かけなかった?」
「は? またアイツなんかしたんスか? いや、オレは知らんスけど、ゴドいちの辺りにいたって聞いたような気がしますね。知ってそうなヤツに聞いてみましょうか?」
「いえ、確認したかっただけだから構わないわ。とりあえずゴドいちに向かってもらえるかしら」
「了解ッス!」
馬車内に放り込まれ、天使のニーチャンが威勢よく答えると馬車は緩やかに前進を開始した。
ごとごと、人の子を乗せて、荷馬車は揺れる‥‥。いや、ドナってる場合じゃなくて。
「あ、あの、アテナ様‥‥?」
「ここはオリュンポスの街だよ」
僕の声に応えて、ニーチャンが第一村人の台詞を返してくれる。いや、まあそうなんだろうけどさ。
「ちょっと展開についていけてないんですが」
「ここはオリュンポスの街だよ」
「そういう定番ネタ今はいらないです」
天使さんを制して改めてアテナ様に視線を送ると、これ以上何の説明がいるの?みたいな視線を返される。
放り込まれて転がったままの状態からようやく身を起こす。頬に触れていた床は柔らかく、今まで乗ってきた荷馬車に毛が生えたようなそれとは一線を画していた。
内装は広いとは言えないものの、そもそも大人数を乗せて運ぶことを想定していないのだろう。ハコと幌で構成されていた馬車と違いこの馬車はとても頑丈そうで、見るからに高級そうなソファが向かい合わせに設えられており、アテナ様はそのうちの片方のど真ん中を占拠して優雅に座している。ここに着くと同時に町娘スタイルを解除し、今は鎧兜の戦闘スタイルだ。アテナ様的にはこっちが私服なんだろうか。
窓から外を眺めてみれば、そこに広がるのはアテナイを優に凌ぐほどの大都市。綺麗な白い石で築かれた道は滑らかに舗装されており、左右に建つ家々もどれもが一流貴族のように立派なものばかり。個の家が個性を主張することなく、家同士が色や形を同調させながら立ち並ぶ様はまるで街全体を使ったアートであるかのよう。
歩く人々は美男美女揃いで、御者と同様羽を生やしている者も珍しくない。誰もが高級そうな衣服に身を包んでおり、着られるものがあれば十分という僕らとは違って自由なファッションを楽しんでいる。アニメTシャツもメタルTシャツも思いのままだ。
ファッションを楽しんでいるのは人だけでなく、車を牽く馬も同様、なんか素敵なコスプレを‥‥。
「‥‥アテナ様、馬に羽が生えてるんですけど」
「当たり前じゃない。ペガサスだもの」
「えっ、そんな平然と言わないでください。コレ馬車じゃなかったんですか」
「違うわ、ペガ車よ」
うわーっ、なんて適当な名前なんだ。しかもペガサスなんだったらもうちょっと華のある運搬は出来ないものか。空飛んだりとかさ。
僕はとりあえずアテナ様と向かい合ってソファに腰かける。尻が包み込まれて全ての重力を吸収してくれているかのような、僕史上ぶっちぎりで1位の座り心地だった。
もう一度窓から外を眺めると、相変わらず美麗な街並みが広がっている。住宅だけでなく飲食に服飾、雑貨、アニメショップと何不自由なく暮らせそうなだけのものが揃っている。神の住まう険しい山の、雲の下がまさかこんなことになっていようとは誰も思うまい。
「アテナさん、今日はカレーの気分なんスか? 今やってる期間限定のササミカツカレー、けっこう美味かったッスよ」
「近所に用があるだけで、ゴドいちに寄る予定はないわ」
「えっ、そうなんスか? 暴れる前に腹ごしらえするつもりと思ってたんスけど」
「‥‥‥‥」
ちらりと、アテナ様がこちらに視線を寄越す。いやいや、寄ってもいいかな?みたいな目で見ないで欲しい。
「‥‥いえ、今日は止めておくわ。今はカレーよりも、パンが食べたい気分なの」
うわ、僕の気持ちを汲んだうえでの断り文句がイケメン過ぎる。マズいな、気を抜くとお姉ちゃんとか呼んでしまいそうだ。
呆気に取られっぱなしの僕を乗せ、先ほどまでの登山からは考えられないほど優雅に、ペガ車はオリュンポスの街を駆けてゆく。




