6-1
そこから先の道中、僕は明らかに言葉少なになっていた。
ソフィが隣に居ないことが寂しくて仕方ないし、毎晩のようにソフィがさらわれたあの瞬間のことを夢に見る。
そんな僕に、アテナ様は特に何も言わなかった。責めもしないし、当然慰めもしない。
気を遣って、ではないだろう。
多分、アテナ様は興味がないのだ。僕の置かれた状況になんて。今のアテナ様は、ヘルメスにリベンジすること以外考えてはいないのだろう。
冷たい、と思わないと言えば嘘になる。けれど、自分の心の乱れを自覚しているから、それくらい冷静でいてくれる方がある意味安心できる。
目的地もおおよそ見当がついているし、神の助力というこれ以上ない手段を得てもいる。それでも考えれば考えるほど、僕の頭の中はソフィでいっぱいになっていた。
もちろん、以前から僕の頭の中はソフィでいっぱいだったのだが、いっぱいの質が今は全然違っていて、今までがピンク色の幸せな物質が頭の中をソフィと一緒に漂っていたとしたら、今は灰色のモヤがソフィを覆い隠しながら蔓延しているような気分だ。
――メシッ、と強烈に爪先を踏みつけられ、強制的に現実に引き戻された。
お察しの通りアテナ様に踏みつけられたわけだけど、その威力たるやあまりにも容赦が感じられず、わりとマジで指の骨が心配だった。
さすがは伝説の超戦の神というべきか、手加減ってなんだぁ?とでも言わんばかりに足の骨を踏み砕き、暴虐を尽くしてなお不機嫌そうに僕を睨んでいる。
「さっきから呼んでいるでしょう、ニコ」
え、なんだろうアテナ様ってば突然スクフェス(スクールゴッドフェスティバルの略)の女神の名前なんか呼んじゃったりして。僕はどっちかというと麟ちゃんのほうが好きかな。あれ、でもなんだか、身近に同じような名前のヤツがいたような気がするな。誰だっけ、たまにそんな名前を耳にするような気がするんだけど。にっこにっこ‥‥ああ、なーんだ僕じゃーん。
「ああ、そうですね。そういえば僕はそんな名前でした‥‥。毎日ソフィがお兄ちゃんって呼んでくれるから、なんだかもう僕ってオニーチャンって名前なんだとすら思っていましたよ。それほどまでにソフィの呼びかけは僕の耳に心地よく鼓膜から脳髄に甘く染み渡る声は脳内麻薬というべき高い中毒性を持っていて今の僕はまさに禁断症状をはっsy」
ゴ、とやや危険な音を響かせながら、アテナ様の拳が僕の頬を粉砕した。
「落ち込むのは勝手だけど、話が通じないのは鬱陶しいわ」
責めも慰めもしないが、怒りはするようである。ぶん殴られた頬を外から流れ込む風が撫で、ずくずくと鈍い痛みに苛まれる。
僕らは先日の小さな町を出て、馬車に揺られて北へ北へと進んでいる道中であった。
数日前は細くて地味な街道を進んでいるはずだったが、ふと外を見ると街道は綺麗に整備されており、いつの間にやら大きな街が近づいていることが見て取れるようになっていた。
僕はしばらく風景を眺め――馬車の床に視線を戻した。
「どこ行くんですか、くらい聞きなさい」
ゴン、と一瞬だけ取り出した槍の柄で頭を叩かれる。けどそう言われたって、目的地以外の道中になんて興味ないんだから仕方ない。
「私だってね、こんな空気の中黙り込んでるのは退屈なのよ」
そう言われても、僕だって雑談なんてする気分じゃないし、出来るとも思えない。
アテナ様はため息をついてから、道の先を視線で指して勝手に話を始めてしまった。
「この道をもう少し進めば、ファルサロスに着くわ。畜産の盛んな大きな街だから、名前くらいは聞いたことがあるんじゃないかしら。そして今もすでに入っていると思うけど、この辺りはオリュンポスも含まれているテッサリア地方よ」
アテナ様の言葉に、僕は自然と居住まいを正す。ソフィに近づいていると思うと、冷静でいるのは難しかった。
「とはいえ、今は南の端でオリュンポスは北の端。今日や明日に辿り着けるような距離ではないわ」
そわそわし始めた僕を諫めるように補足してくれるが、ゴールが見えてきたことへの期待はやはり大きい。近い再会に胸を焦がす僕に、しかしアテナ様は無慈悲な提案、いや命令を下した。
「しばらく、ファルサロスに留まるわよ。オリュンポスへ向かうのは一時保留ね」
「待ってくださいどうしてですか!」
思わず食ってかかる僕に、アテナ様はそれを予期していたように薄い反応で答えた。
「アルテミスからの続報がないからよ。ヘルメスはね、カスな方面で頭が良いの。だから無策でどうこうできるほど、易い相手ではないわ」
「でも、そんなことしてる間にソフィがどうなってるか‥‥!」
「下手に急いて事を仕損じたら目も当てられないでしょう。二度目の失敗なんて絶対に許されないわよ」
僕は言葉に詰まる。それは間違いなく正論だ。だけど簡単に頷くことも出来なくて、握りしめる拳に力がこもる。
「どうしても行きたいというなら勝手にしなさい。これ以上は止めないし、必要ならば路銀もあげる。だけど、私は行かないわよ。敢えて負け戦を挑むような馬鹿な真似はしたくないから」
悔しさに、歯を食いしばる。僕はあまりにも無力だった。今すぐソフィを助けに行きたいのに、僕一人じゃ何もできない。
「いい加減少し落ち着きなさい。焦ることに意味など無いわ」
言われなくたって、分かってる。
けれど僕は、ソフィが側に居てくれなければ生きる指針を見失ってしまいそうなんだ。ソフィが居てくれなければ、僕は僕で居られない。
信仰を失ったあの時から、僕にとってのソフィは暗闇を照らすたったひとつの光だから。
いつだって僕は、ソフィを求めずにはいられないんだ。




