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そうだ、オリュンポス行こう  作者: くらうでぃーれん
5.純潔と略奪と伝令の神
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5-3


 食事を終えると、こちらも選ぶほど数のない宿屋で宿泊の手続きをする。

 いつも通り、アテナ様が借りるのは1部屋のみ。出費をケチることはないが無駄に贅沢することもないアテナ様は、宿に休息以外を求めていないようだ。


 小さな村といえど中継地なだけあって、村の規模に比べて宿屋はそれほど小さくはない。ボロ部屋というわけではなく、家具や調度品はわりと立派なものが使われている。

 そして僕らが借りた部屋にあるベッドは2つ。なぜなら僕とソフィは一緒に寝るから!


 アテナ様が手続きを済ませて、僕ら3人を一瞥した店主は瞳に爆殺の魔法陣を展開させながら、僕を睨みつけた。


「今夜は‥‥お楽しみでしょうなァ!」


 なんだコイツ。おもてなしの精神が著しく欠如してやがる。

 しかし僕もオトナである。こんな安い挑発に乗るほど馬鹿ではない。


 僕は店主に向けて口端を持ち上げ、くいっと軽くアゴを上げ、目元を緩ませ、鼻の穴をおっぴろげて、静かにお答えして差し上げた。


「今夜に限らず‥‥毎晩ですけどなァ!」

「先に行ってるわね」


 アテナ様は僕らのやり取りなど意に介さず、とっとと2階の部屋へと行ってしまった。

 なんとも言えない空気が流れるが、背中でソフィが「お兄ちゃんと毎晩お楽しみたい‥‥」と呟いていたので僕の心は救われた。


 僕らもアテナ様に続いて2階の部屋へと向かい――壁が弾けた。


 同時に、アテナ様が部屋から飛び出してくる。町娘姿のまま、その手には戦の神の象徴たる槍が握られていて、その切っ先が僕の真横の空間を切り裂いた。


 木造の廊下の一部に天災のような裂傷が刻まれる。呆気に取られて動けない僕の手の平からは――温かみが失われていた。


 ――――。


 一瞬の思考停止。

 事態を把握するより前に、ソフィの顔が見えた。


 ずっと僕の隣にいたはずのソフィが、僕の目の前にいる。


 それがどういう意味なのかは。


 頭で考える前に、身体が気づいていた。


「下手に動くな人の子ッ!」


 鋭く響くアテナ様の叱咤も耳に入ることなく、僕は目の前のソフィに手を伸ばす。ソフィも僕を見つめて、同じように手を伸ばす。


 僕らの指先が――触れることはなく。


 強引に2人の距離が引き離されて、ようやく僕は、今、ソフィがどういう状況に陥っているのかを認識することが出来た。


「やはり来たわね――ヘルメス」


 アテナ様が槍を構えて対峙する相手。羽飾りのついた帽子を被った、長身の優男。帽子の端からは赤茶色の髪の毛が覗き、細く吊り上がった眼の奥から月のように輝く瞳が浮かび上がる。いやらしくにやけた男の腕の中には――僕の最愛の妹。


「あ、やっぱバレてた? どうせアポロンの神託っしょ。相変わらず、厄介な力持ってるよな。けど、結果的に出し抜けたなら問題なしだぜ」

「今は一瞬でも気を抜いた自分の迂闊さを呪いたいわ。今日にでもあなたが来るのは、分かっていたはずなのだけれど」

「キニスンナヨー。どうせどっかで隙見つけてたから、早いか遅いかだけの話じゃん?」


 軽薄な口調の男。アテナ様が呼んだ名はヘルメス。彼も十二神の一柱を担う神だ。

 主として伝令を担うことが多く、自在に空を駆け泳ぐように世界を渡り、その速さにつむじ風と同一視されることすらあるという。悪知恵が働き次から次へと嘘を吐き出し、彼を苦手としている神も少なくない――というのは後にアテナ様から聞いた話。だが、今の僕はそんなこと知らないし、神だろうがなんだろうが、関係ない。


「お兄ちゃん!」


 ソフィの声が、僕を突き動かす。どうやってとか、そんなことを考えるよりも早く、足を踏み出す。腕を伸ばす。


「動くなと言っているでしょう!」


 再びアテナ様の叱責が飛ぶが、やはり僕の耳には届かない。今の僕にはソフィ以外は見えておらず、そのソフィを捕えているヘルメスすらもマトモに意識に捉えてはいなかった。

 だが、相手は神。僕が手を伸ばしたところで、その指先はソフィに触れることすら叶わない。


「お兄ちゃん! 助けて、お兄ちゃんっ!」

「あー、ホントにウルっセェな。悪いけど、少し眠っててよ」


 ヘルメスがソフィの眼前でパチリと指を弾くと、突如としてソフィの瞼が閉ざされ、首ががくりと垂れて僕を呼ぶ声は途切れてしまう。


 それを見て、初めから緒が千切れ飛んでいた僕の堪忍袋が、袋ごと弾け飛ぶように僕の意識は怒り一色に染められた。


「――っ! ――っ! っ――!―!―っ!」


 自分でも、いったい何を叫んでいるのかは分からなかった。ただただ怒りに任せて、ヘルメスに飛びかかる。


 視界のどこかに白刃が煌く。いつの間にかヘルメスは武器を手にしている。気にしない。ソフィを取り返す。それだけでいい。ヘルメスに肉薄する。いける。ソフィに手が――


 ――意識が飛んだ。


 眼を開けると僕は廊下に倒れていて、頭を踏みつけられている。

 ヘルメスか、と思って歯を食いしばりながら顔を上げ――。


「何度言わせるの! 手間をかけさせるな!」


 頭上から、聴き慣れた凛とした声が痛烈に降りかかる。


「アテナ様! 離してください! 僕は、ソフィを‥‥!」


 なおも暴れようとすると、ガツンと槍の柄で手首と足首をぶっ叩かれる。痛みに身をよじろうとして――いつの間にか手足を硬質な何かで拘束されていることに気付いた。


「少しは頭を使いなさい、人が神に真っ向から挑んで勝てるはずがないでしょう。私はあなたたちの命は守ると言ったのよ。恥をかかせないで」

「でも‥‥でも‥‥っ!」

「はは、さすがアテナ。無駄口叩いてるくせに、全く隙を見せちゃくれないねえ」

「当たり前でしょう。戦の神をナメないでもらえるかしら」


 アテナ様はそれ以上僕の言葉は聞かず、ヘルメスと向き合ったまま動けない僕を廊下の端へ蹴り飛ばした。

 その瞬間に隙を見出したヘルメスがわずかに身じろぐ。同時に、彼の左右の壁に大穴が穿たれた。


「動くな。殺すわよ」

「‥‥いやー、コワイコワイ」


 羽付き帽子がふわりと廊下を舞って、にやけ顔に一筋の冷や汗が伝う。少なくとも戦闘においてはアテナ様のほうが格上のようだ。



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