4-1
僕らは馬車に揺られて山道をゆく。
道の先はまだ見えず、どこまでも山と森が続いている。空は高く、空気は澄み、天から見下ろす太陽は僕らの旅路を祝福してくれているようだった。
ここから先に何が待ち受けているのか、僕はまだ知りえない。神のみぞ知ると言ったとて、本物の神たるアテナ様とて全てを見通しているわけではないだろう。
不安も恐怖も尽きないが、神の助力を得た僕らはきっと目的を果たすことが出来る。僕は信じてるんだ。ソフィとの愛の力があれば、奇跡は起こるんだって。
そう、僕たちの冒険は始まったばかりだ――!
などと出だしから締めくくってみたわけだが、言葉通り僕らは旅に出発したばかりである。
馬車代は再びアテナ様が出してくれていて、神様に助けを乞うわ金は出させるわで、後から天誅とか受けないだろうかとちょっと心配になってみたりもする。
馬車の窓から入り込む風を受けて悠々と佇むアテナ様は、すっぽりと頭もローブで覆っているため神秘的な色合いの髪の毛が風になびくことはない。それを残念だと思うべきか、注目が集まりづらくて良かったと思うべきかは悩ましいところだ。
とはいえ飽くまで集まり〝づらい〟だけで、集まらないワケではない。先ほどから御者もちらちらと振り返って、アテナ様のことを視界に収めようとしているのが伝わってくる。先日の御者のオヤジほどでないにしろ、ちゃんと前見ろやと思わざるを得ない。
だが実際、こうして絵画のように景色と同化しているアテナ様はいつも以上に美しく神秘的だ。夕焼け空がアテナ様の肌を茜色に染め、陰影を与えられた表情はどこか憂いを帯びているようにも見え、普通の人ならばひと目で心奪われてしまうのも無理はない。
またしばらく時間はかかりそうだが、僕らはアルテミス様の兄たるアポロン様を訪ねるべく、デルポイという街を目指しているところだった。アルテミス様は助力を断っていたが、アテナ様としては彼の力も借りておきたいのだそうだ。
僕らには、ゼウスが再度尋ねて来ると言った90日というタイムリミットがある。アテナ様がいてくれる以上時間が来ると同時にタイムアウトということはないだろうが、それでも焦りがあることは否めない。
隣に座るソフィは僕に身を寄せて安らいだ表情を浮かべている。直接身の危険が降りかかっているのは、ソフィのはずなのに。
ソフィが安らいでいられるのはきっと、僕への信頼ゆえ。そんなソフィの期待に応えるために僕に出来ることは、アテナ様を信頼することくらいだ。
遠い昔に捨ててしまったはずの〝信仰〟しか頼るものがないなんて、いったいどんな皮肉だろう。いや、信者として言うならばこれが罰であり試練なのかもしれない。
再びアテナ様に視線を向けると、スマゴを取り出してツウィッタを眺めているところだった。何となく僕もスマゴを取り出して見ると、「【急募】あたしと張り合えるヤツ」と言う言葉と共に何やら数字の並んだ画像が張られている。ランキング1位という場所に〝テミつん〟と書かれているが、コレがいったい何を表しているのか僕には分からない。
返信の部分を見ると、「ちょw桁おかしいwww」とか「明日1日かけて追っかけるわ」とか「重課金氏ね」とか様々なコメントが寄せられている。うーん、重課金氏というのはいったい誰のことなんだろう。ツウィッタって難しいな。
ラウィンも見てみると、3人でやり取りできるように作られた場所で早速アルテミス様とアテナ様がやり取りしている。
「兄ちゃん会えた?」「着いてすらないわ」「おっそw はよいけwww」「馬車なう」「いや飛べしww」「人の子♂、私♀、ワープ、導き出される結論は」「草」
僕も会話に入ることが出来るらしいが、会話内容が不明すぎて参入の余地がない。
ラウィンでの会話を諦める代わり、僕は直接アテナ様に声を掛けた。
「あの、アテナ様‥‥」
先日乗ったのと同じタイプの、荷台に幌を被せて椅子を取り付けただけの小さな馬車。乗っているのは当然僕らだけではなく、一般ピーポーだって乗り合わせているのである。
だから僕としてはアテナ様の名を呼ぶのは非常に気後れするというか、バレちゃっていいものかと心配になる。しかし当のアテナ様は「私は恥ずべき名を持っているつもりはないわ。神が隠れ潜む必要などどこにあるというのかしら」と、相変わらず男前すぎだった。
呼びかけに応え、蒼い瞳がこちらを向く。そこには美しさとは別の、人間との次元の違いが不可視の力として押し寄せるような圧力があった。少しばかり親しくなったところで、そう簡単には慣れられるものではなさそうだ。
「どうしたの?」
アテナ様の声に、他の乗客が色めくのを感じた。容姿と同様、人間とは一線を画したその澄んだ声は人を惹き寄せるものがある。
「僕たちは、これからどこへ行くんですか?」
「ん? デルポイって言わなかったかしら」
「いえ、今からじゃなくて、準備が整った後、です」
少し硬い表情の僕に対し、アテナ様はどうということないように、ああ、と呟いた。
「どこも何も、父に直接会いに行くわ」
何となくそんな気はしていたが、改めてその事実を聞かされると緊張を禁じ得ない。
「それで、ゼウス‥‥様は、どこにいるんですか」
「オリュンポスよ」
あっさりと答えたアテナ様だが、そこがあっさりと到達できるような場所でないことを、僕は知っている。
――霊峰、オリュンポス。
言わずと知れた、僕の知る限り最高峰の山の名だ。
山の半分以上が常に雲で覆われ、山頂へと至る道のりはあまりにも険しく、その全容を知る者はこの世に存在しないと言われている。
頑なにヒトを寄せ付けまいとするかの如きその険しさから、いつしかオリュンポスは神の住む山と謂われるようになった。スゴイという単純な評価だけは知っているが、実際に目にしたこともないその偉大さは僕の理解の外にある。
目的が定まり、目的地も知った。それゆえ、あの日ゼウスに与えられた恐怖と絶望が心の内に蘇る。
手も足も、口出しすらも許されなかった完全なる敗北。一方的に打ちのめされ、もはや蹂躙とでも言うべき僕の人生への侵略。幸せの略奪。自然、僕は全身を強張らせてしまう。
「安心なさい、今は私が付いているのよ。少なくとも、あなたたちの命を奪わせることは防いでみせるわ」
不安を隠し切れない僕を見かねたように、アテナ様が心強い言葉をかけてくれる。
けれどアテナ様の言葉は心強いようで、場合によっては命以外守れないというゼウスの強大さを物語ってもいた。
もし、仮に、ソフィを失ってしまったとしたら。僕の毎日から、ソフィが居なくなってしまったとしたら――。
想像しようとして、けれど僕の脳はソフィの喪失を拒絶する。
想像もできない。それが僕の出せる、結論とも呼べない結論。僕にとってのソフィはあって当たり前の生活の一部で、無くてはならない人生の大半。
それを失うことが僕にとって何を意味するのか。それすらも、僕には想像できない。
――手に、温かいものが触れた。
驚いて顔を上げると、緊張に固く握りしめられていた手に、ソフィの小さな手が重ねられていた。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。一緒に頑張ろ?」
どうして、僕が励まされているんだろう。ホントは僕がソフィを励まさなきゃいけないはずなのに。
けれど僕が不安に押しつぶされそうだったのは事実で、ソフィのたったひと言で不安の多くが解消されたこともまた事実だった。
アテナ様は、心強い。実際、彼女がいなければ僕らがゼウスに対抗する手段などあり得なかったのだから。
――だけど。
僕の一番の心の支えはやっぱりソフィなんだと、僕が心から〝信仰〟することが出来る神はソフィだけなんだと、手に触れる小さな温もりを感じながら改めて実感するのだった。




