2-7
「神は何かの使命を持って生まれるわけではないわ。確かに私は戦の神として生まれたけれど、少し例外。大抵の神は、使命を得ることによって必要な力を得る。求められてこそ、神は神となるの」
パルテノン神殿を離れた僕らは、歩きながら神による神の講義を受けているところだった。
ソフィが神であるとはいえ、僕らはその全容をいまだ把握できていない。分かっていることと言えば、父はゼウスであること。小麦をすくすくと育たせ、泥水を清涼な水にできるということくらいだ。
神の名を聞けば疑心を抱くようになってしまった僕らは、神というものに対する知識があまりにも乏しい。具体的なことを勉強する前に興味を失ってしまったから。
もっとも、オトナが教えてくれる〝神〟という存在が、どれほど実際の神と等しいのかは分からないが。
「ソフィが持っている力は〝豊穣〟でしょうね。あなたはきっと村で必要とされていたから、農耕を司る豊穣の神となったのよ。清らかな水と肥沃な土地。あなたが与えることのできる奇跡はそんなところかしら」
説明をくれるアテナ様は、先ほどのザ・ワールd‥‥もとい時間停止の空間を抜けて、普通に街道を歩いていた。
もちろん武装を身につけたまま「見ての通り神ですけどとりあえず平伏してみたらどうかしら?」みたいな感じで練り歩いているワケではなく、今は武装を解除しているため、歩く小林幸子は回避されている。
ちなみに武装は着脱したわけでなく、どっちかと言うと変形だった。
兜は頭巾となって頭を覆い、不思議な色の髪の毛はゆったりとしたローブの下に隠れてしまっている。荘厳な装飾が施されていた鎧も、なんてことない町娘の服とスカートになっており、槍と盾は小さなアクセサリとなって腰元にぶら下がっている。
そうして素性を隠してはいるが、それで人目を避けられているかというと、残念ながら全くと言っていいほど避けられていなかった。
理由は、あまりにも単純。神の威光を隠したところで、アテナ様が美人すぎるからである。
「まあ奇跡とは言っても、ソフィの場合はあくまで大地や作物にお願いを聞いてもらわなくちゃいけない。具体的に言うのなら、あなたは〝大地と実りに自分の声を届けることが出来る〟というだけね。ソフィの村の作物が豊穣なのは、あなたと大地の仲が良いから、もしくは認められているからでしょうね」
アテナ様は神々の中でも屈指の美貌の持ち主だと言われている。人間離れした美人が道を歩いていれば注目が集まるのは必然だ。しかも話しながら歩いているせいで、その透き通る清流のような声が耳に届けば誰もが思わず振り返る。
「なるほど、そうだったんですね。でもでも、道中の飲み水が確保できたのは幸運でした。わたしは生涯食べ物には苦労しないってことですね。便利!」
「ふふ、やはり考え方は人間ね」
しかも超絶美人の隣には、最強に愛らしいソフィまで随伴しているのだ。これで目を奪われない者などいるはずがない。ソフィを見て可愛い以外の感想を抱くような腐った目の持ち主はオイディプスの刑だ。
そして絶世の美女2人と共に歩く、超凡人の僕。こういう時は周囲から妬みの視線を向けられるというのがテンプレだと思うが、実際のところ僕なんて意識すらされないので完全に空気である。
いやもう空気にすら至らない。道の端っこに転がっていて数秒後に崖下に転落する運命にある小石レベルだ。ふふっ、我ながら自虐が冴えわたっているよ。あはは。
「つまりわたしがいれば、たとえ住む家も何も無くなったとしても、お兄ちゃんと2人で生きていけるってことですね‥‥えへへ」
ああっ、ソフィ可愛いよソフィ。例え僕が道端の小石だとしても崖の下でソフィが受け止めてくれるのだとしたら僕はそれで構わない。誰に蹴落とされようとソフィの手の平に収まることが出来るというのならば僕は幸せだと断言できるよ!
「‥‥あなたたち、仲が良いのは結構だけど、もう少しくらい私を崇めてみたらどう? 私が十二神の一柱であること、理解している?」
呆れたように肩をすくめるアテナ様。けど、アテナ様の言うことはもっともだと思う。普通なら、神の同行を得られてなお呑気に振る舞うことなんてできないだろう。
これがもし、さっき神殿でプルプルしてた婆ちゃんだったとしたら、今頃感動に打ち震えてそのまま神の国に旅立っていてもおかしくはないレベルだ。
だけど、ね。まあ、ね。だってソフィがあまりにも可愛すぎるもん、ね。
プライドの高そうな神にソフィのほうが可愛いだなんて事実を伝えるわけにもいかず、僕は半笑いでヘコヘコと頭を下げる。
「えへへ、すいません、ソフィのことがあまりにも好きすぎるので、つい」
「でへへ、わたしも視野の9割がお兄ちゃんに占領されてるもので、つい」
「なんとなく感じてはいたけれど、あなたたちはアホなのね」
容赦なかった。そして僕らのどこにアホ要素が含まれているのかよく分からない。
「えっとぉ~、でもぉ~、アテナ様への信仰心は忘れてませんしぃ~」
慌てて取り繕う僕に、アテナ様はどこか悪戯っぽい笑みを向けた。
「ニコ、あなた本当は信仰心なんて無いんでしょう?」
「えっ、な、何で分かったんですか‥‥?」
唐突に言い当てられ、思わず正直に答えてしまう。しまった、神様の前でそれを認めるのはマズいだろうか。
しかしアテナ様は気にした風もなく、爽やかな笑みを浮かべてひらりと手を振った。
「見れば分かるわ。私の下に尋ねてくる子はね、大抵は敵か味方かのどちらかなのよ。分かりやすく言うならば、信者かアンチの両極端ってことね」
なるほど、神殿を訪れるのは大体は信者だろうが、中には別の神を信仰するがゆえに「脳筋乙www」とかわざわざ言いに来る暇な輩もいるのだろう。
「だからほとんどの子は、何かしら強い感情を抱いて私の前に現れるの。けれどあなたは苦労して私の神殿にやって来たにもかかわらず、あまりにも無関心。あなたほど気の抜けた子は滅多に見ないわ。というより、ソフィのこと気にしすぎというか」
うーむ、なるほど。つまり僕のソフィへの愛が大きすぎたということか。いやはや、どうしようもないよね。
少しくらい説教を受けるのかと思ったが、アテナ様は敬虔でない僕らのことをさほど苦く感じてはいないようだった。「こうして私に出会ったことで、私に対する信仰が芽生えたというのならそれで十分よ」というのがアテナ様の言である。ヤダ、カッコイイ‥‥。
「あの、ところで僕たちはどこへ向かってるんですか?」
何となくアテナ様に付いて歩いてきたが、実を言うと彼女は目的地も何も語っていない。話を聞きながらだったこともあり尋ねるタイミングを失っていたが、いい加減聞いておかなければ流石に少し不安だ。
アテナ様は「ああ、言ってなかったわね」と特に気兼ねした様子もなく呟いた。
「父は誰もが認めるクソ野郎だけど、同様に誰もが認める力の持ち主よ。どれだけ頭が腐っていようと、主神であることに違いないわ」
見かけによらず口が悪い。まあ、そう言わせるだけゼウスがクソなのかもしれないが。
「いかに私といえど、あの人をどうにかするには1人じゃ厳しいのよ。だから、協力者に会いに行くの」
僕とソフィは思わず、おお、と感嘆の声を漏らす。
アテナ様1人の助力を得られただけでももの凄く心強いというのに、まさかそれ以上神様の助けを得られるなんて。
「普段は海の向こうに居るんだけど、今はちょうど近くまで来ているみたいだからね」
アテナ様は小さな四角い板のような物を取り出すと、その表面を指で撫でて何かの情報を得ているようだった。どうやらそれで協力者の所在地を確認しているようだ。なんだろう、神様同士の連絡手段だろうか。その場にいなくても意志の疎通が図れるなんて便利だな。
「テバイの街でスタ〇なうしてるらしいわ」
「すいません田舎者なんでよく分からないです」
「5分ほど前の投稿だから間に合いそうね。きっと無料のウィーフィー使ってゲームしてるでしょうから」
「すいません田舎者なんで何言ってるか分かんないです」
アテナ様は板を服の中に仕舞うと、僕らを振り返る。
「街まで少し距離があるわ。馬車でも使って向かいましょう」
急に時代が戻るからついて行くのが難しい。僕は曖昧に頷いて、「あっ、いえ」とすぐ首を横に振る。
「すいません、僕らお金あんまり持ってないんです。馬車なんて乗ってたら、帰りの旅費が無くなっちゃうので‥‥」
「そんなもの私が出すわよ。必要ないのに信者たちが毎日のように落としていくから、金はたんまりあるの」
微妙に聞きたくない理由だった。まあ、勝手に置いていくなら仕方ないんだろうけど。
「あの、クソゼウス様が去り際に消えてたんですけど、アテナ様もそういうのできないんですか? 瞬間移動みたいな」
不意に思い出して提案してみると、アテナ様はひどく難しそうな顔を浮かべてゆるゆると首を振った。
「それは当然出来るけれど‥‥あなたも一緒にとなると、ひどく危険な賭けよ?」
予想外に不穏当な言葉に、僕はえっと言葉に詰まる。
「運が悪ければ私も巻き込まれかねないから、あまり気乗りはしないわ」
「そんなに危ない手段なんですか?」
「だって、ワープよ。そんなの間違いなく、パンツだけ飛んでいくか、服以外が飛んでいくかの二択じゃない」
「いったいどこのトラ〇ルですか!?」
びっくりするほど下らない理由だった。そして僕にとってはただのラッキースケベである。いや、僕だけ裸という可能性も捨てきれないからやはり危険だな。
「最近の日常モノでは大抵そんな結果になるわ」
「でも、わたしとお兄ちゃんが2人だけで人気のないところにワープすれば、万事解決じゃないですか?」
「無理ね。その場合は手違いで商店街の路地裏とかに飛んで、いかに人目を避けながら衣服を調達するかというイベントが発生するわ」
「そんな‥‥お兄ちゃん以外に裸を見られるのはイヤです‥‥!」
「当然よ。裸なんてむやみに他人に見せるものではないわ。その気持ちを忘れないでソフィも純潔な神を目指しなさい」
「はい、いつか純潔を捧げる日が来ても、お兄ちゃんが相手であれば汚されることなんてなくてむしろ清められるので大丈夫です」
「今の僕はただの人間だけど、ソフィの全てを知った時、僕も神に近づけるんじゃないかって、そんな気がしてるんだ」
「あなたたちはやっぱりアホなのね」
そうこうしている内に、馬車が停留している場所に辿り着く。しかし馬車はもうすぐ出発しようとしているようで、馬のいななきが聞こえてきた。
「あっ、アテナ様急がなくちゃ。次いつ来るか分かんないですよ」
「でも出発するってことは、もう満員なんじゃないかな‥‥」
僕らの心配を余所に、アテナ様は心配など感じさせない悠々とした足取りで馬車へと近づくと、御者台に顔を覗かせた。
「乗せて欲しいんだけど、構わないかしら」
「あ? 荷台見てから言えよ。大人しく次の馬車が来るまでそこで突っ立って――」
御者の男は不機嫌を露わにして振り返り――アテナ様を見て動きが固まる。
やがてぐるりと首を回転させて荷台の方へ顔を向けると、見事に手の平クルーで激しく唾を飛ばした。
「おい、あんたら! このお方の為にとっとと席を譲りやがれ!」
「‥‥はあ?」
しかし当然、荷台の客たちの反応は芳しくない。彼らだって目的があるから乗っているワケだし、降りろと言われて素直に分かりましたなんて言う人がいるワケがない。
アテナ様は今度は荷台に顔を覗かせ、一番近くに座っていた数人の男性客に柔らかな笑顔を向けた。
「私たち、急いでいるの。悪いんだけど貴方たち、降りてもらっても良いかしら」
「分かりました!」
いるワケがなくなかった。男性は嬉々として立ち上がって席を譲る。他の客も不思議そうな顔をすることもなく、当たり前の光景を見るような顔をしていた。
「ありがとう、助かるわ。神の加護があるといいわね」
「今すでに加護りまくってる気がしてます!」
恍惚とした男性らに軽く頭を下げながら、僕らは空いた席に着座させていただいた。ありがたいけど、申し訳なさで若干落ち着かない。
馬車の中は広々としているわけではないが狭苦しくもない、無難な造りの馬車だった。縦長のハコに幌がかけられ、簡素な椅子が設けられているだけ。左右には小さな窓が開けられていて採光がなされているため、それなりの明るさを保っている。僕らが乗った片側に入口があり、正面には御者のオヤジの背中が見える。
簡素な馬車であれば幌を張ったハコに藁が敷かれているだけだったり、場合によっては小さな荷馬車の空き場所でワラの間に詰められたりすることもあるくらいだ。僕らだけだったらこんな馬車は選んでいないだろう。
ほどなくして御者の命令で馬がいななき、ゴトリと荷台を揺らして車輪が回転を始める。窓から見える外の景色が流れ、吹き込む風が僕の頬を撫でた。
僕らの住む地とは違う香りが荷台の中を漂い、遠くまで来ているんだなという事実を改めて実感する。
流れゆく地平から視線を後方へとずらすと、先程降りた男性たちはすでに景色の中に溶けて見えなくなってしまっていた。
馬車の中に視線を移すと、笑顔で彼らを追い出した当事者は心苦しさの欠片も見せることなく、先ほどの四角い板を取り出して再び表面を撫でていた。いったいどんな魔法か神通力かは知らないが、その表面には次々と文字列のようなものが浮かび上がっている。
「心配しなくても、一応フォローはしておくわ。運が良ければ誰かが拾ってくれるでしょ」
僕とソフィがぴったり寄り添って座っているので1.5人分くらいの席に悠々と腰かけたアテナ様は、視線を板上に落としたままぴくりと眉を跳ねさせて、今度はぺちぺちと板の表面を叩き始める。
「ちょうど良かった。さっきの人の子たち、ランニング中のニンフが拾ってくれるらしいわ」
ニンフって確か精霊のことだったっけ。健康志向なのかスポーツ好きなのか。
でも便宜を図ってくれているというなら、この状況でも少しは落ち着くこともできそう‥‥と思っていたけど、乗客の視線がアテナ様に集中していて、これはこれで落ち着かない。
「どうですかお嬢さん! 乗り心地はいかがでしょう?」
ついでに御者のオヤジも見ていた。
「問題ないわ。けど前を見ていてもらえるかしら。いちいち振り向かれたら鬱陶しいわ」
「分かりました!」
めっちゃ辛辣だけど、オヤジは笑顔だった。ドMなのかもしれない。
何とも言えない気分に陥っていると、隣に寄り添うソフィがじっと僕を見上げていることに気付いた。可愛い。
「どうしたのソフィ。超絶可愛いからそのまま見つめてて欲しいし、人目さえなければ今すぐ僕とソフィの唇がこんにちわしてるけど、どうしたの?」
尋ねるとソフィは、にぱーっと死ぬほど可愛い笑顔を浮かべた。可愛い。
「みんながアテナ様のこと見てるから、わたしはお兄ちゃんのこと見てよーって思ったの」
「なるほど、とても納得のいく理由だったよ。じゃあ僕もずっとソフィのこと見てるね」
「でへへ、馬車って幸せを運ぶ乗り物だったんだね‥‥」
そうして、幸せすぎる2人だけの時間を過ごしながら、僕らは外の景色になど目もくれず一心に互いの瞳を見つめ、馬車に揺られて目的地を目指す。




