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空間魔導書と少年魔法使い  作者: atu78963254
帝国冒険編
70/93

第十章 灰心喪志(クラッシング・ディスペア)

この二日間、ウェルズは各紙を集めて目を通したが、著名人が失踪したという記事は見当たらなかった。


「拉致された者がさほど有名じゃないのか?それとも……」ウェルズは新聞を置くと、椅子に座ったまま考えを巡らせた。


だが、計画の実行時刻はもう間近に迫っている。彼は腰を上げ、部屋を出ることにした。


扉を開けた途端、仏頂面のラロリアが目の前に立っていた。全身のあちこちに包帯が覗いている。数日休んだ程度では、すぐに完治とはいかなかったのだ。


「考えはまとまったか?」ウェルズは尋ねた。「このまま俺と一緒に動くのか、それとも解散して家に帰るのか」


箱入りのお嬢様に、冷ややかな顔の魔導構体。自分の協力相手はどうにも話の通じない厄介者ばかりだ、と彼は思った。指示に従わないか、意見が食い違って喧嘩になるか、そのどちらかだ。


「私……」彼女はしばし黙り、うつむいた。「分からない……」


「俺に決めてもらって、責任まで肩代わりさせるつもりか?」ウェルズは皮肉を返した。「分からないなら、もっと考えろ」


言い終えると、彼はそのまま出かけようとした。


「待って……どこへ行くの?」危機感を覚えた彼女は立ち上がり、張り詰めた声で尋ねた。


「終末救贖者の拠点を潰しに行く」ウェルズは答えた。


「なら……私も行く……!」唐突にそう口にした彼女は、つらそうな顔をしていた。


「決心はついたのか?」


「もう傍観していたくない……!」その顔にはまだ迷いが残っていたが、それでも彼女はもがくようにして、自らに選択を迫っていた。


「なら付いてこい。道すがら、俺が最近手に入れた情報を話してやる」


頼りになるとは言いがたいが、手の足りない今、役に立つのならウェルズもこれ以上贅沢は言えなかった。


二人は再び手を組み、秘密結社の陰謀を暴くべく、中層区にある目標の倉庫へと向かった。


嘉徳市はとにかく広い。帝国の蜂の巣とも言うべきこの街には、建物がびっしりとひしめいている。一時間ほど歩いて、二人はようやく目的地に着いた。日はすでに西に傾き、二人は残照を浴びていた。


「また罠なんじゃないでしょうね……?」情報を聞き終えたラロリアは、まだ怯えが抜けきらない様子だった。


このところの調査はほぼすべて相手の罠にはまっていたのだから、今回も疑ってかかるのは無理もなかった。


「奴らも、俺が四階の巻物を持っていることまでは読めるはずがない。今回は必ず収穫がある。断言してもいい」


ほどなく、目標の建物が見えてきた。広々とした建材倉庫で、周囲を人の背丈の一・五倍ほどの塀が囲んでいる。


「意識通路を付与しろ。ここに潜入する」


ラロリアが法術を行使し、二人に魔法を付与した。


ウェルズも同じく「陰影隠形」を行使した。


準備を整えた二人は、倉庫の出入り口の門へ向かった。


高い塀が四方を囲み、出入りできるのはここ一か所だけだった。三階魔法「窺秘の眼」を使うと、建物へ向かう際に必ず通る道筋に、探知の罠がいくつか潜んでいるのがすぐに見えた。一度でも作動すれば、建物内の人間に侵入を知らせる仕組みだ。


なぜか警備の詰所は無人で、不可視化した二人は難なく倉庫の敷地に入り、罠を避けながら奥へと進んだ。


広場はがらんとして、集積場所にわずかな荷がまばらに積まれているだけだった。


「倉庫はただの隠れ蓑だ。終末救贖者の拠点は、その下の地下室にある。俺が手に入れた記憶の欠片によれば、少なくとも三階魔法使いが二人詰めていて、ほかに低階魔法使いが五、六人、そいつらの下で働いている」


「地下室に潜り込んだら、奇襲の利を活かして一人ずつ片付けていくのがいい」ウェルズは言った。


「分かった」


ラロリアが応じると、二人は倉庫の主屋の前へやって来た。


扉には錠が掛かっていた。それも魔法錠だ。魔法の防護がない錠ならウェルズは念動力で簡単に開けられるが、魔法錠となるとひと手間かかる。もっとも、ここには錠開けに通じた者がいる。


「開けられるか?」


「朝飯前よ」ラロリアの双眸に青い光が宿る。「窺秘の眼」で魔法の構成を見極めた彼女は、詠唱して逆の術式を編み上げ、錠の魔法を崩した。


二人は倉庫の中へ足を踏み入れた。


まず現れたのは、二人並んでやっと通れるほどの作業通路だった。窓越しに、作業着姿の二人組が中に座っているのが見えた。


「魔法使いが二人……人類自浄会の連中の見張りだろう」


魔法使いに作業員の真似事をさせるなどあり得ない。となれば、この二人は終末救贖者の構成員だと考えるほかない。


「二手に分かれて、それぞれ片付ける」


ラロリアは了解の印に頷き、腰の短剣を抜いた。


二人は扉のない入口から中へ入り、それぞれの標的へ忍び寄った。


じりじりと距離を詰めながら、ウェルズはラロリアの動きにも目を配っていた。訓練を受けているらしく、潜行の心得があるようで、移動の際も無意識のうちに物陰を使って身を隠している。


「三、二、一と数える。同時にやるぞ」ウェルズは意識通路を通じて言った。


標的に迫ると、二人は示し合わせたとおり素早く動いた。背後から音もなく現れて片手で口をきつく塞ぎ、すかさず刃を走らせて、邪教徒たちの喉を正確に掻き切る。


力の抜けた死体をそっと暗がりに横たえると、首尾よく標的を片付けた二人は合流した。


「終わったわ。次はどうするの?」


「この階にほかに敵がいないか調べる。いなければ地下室へ入る」


ウェルズを先頭に、二人は残りの区域を見て回った。誰もいないことを確かめてから、地下室の入口へ向かう。


「地下室の階段には、すべて反響探知が仕掛けてある。間隔は四秒。記憶の欠片には破る方法もあったが、暗号化された魔法陣で、解くには研究する時間が要る。そんな時間はない。探知されずに済む唯一の方法は、転移魔法で突き当たりまで一気に飛ぶことだ。あそこには反響探知がない。手順はこうだ。まず二秒詠唱してから下り、突き当たりが見えた瞬間に転移する。分かったか?」


「……」矢継ぎ早の情報に、ラロリアは一瞬ぽかんとしたが、すぐにどう動けばいいかを呑み込んだ。


「ええ、問題ないわ」


反響探知の隙を見計らい、二人は同時に詠唱を始めて、足早に階段を下りていった。


階段を下り、突き当たりが目の前に現れるまでのわずか数秒。二人はその機を正確に捉え、探知の網を飛び越えて突き当たりへ降り立った。


「魔法の波動が……どういうことだ?」


だがここで、予想外の事態が起きた。構成員の一人がたまたま隣の部屋にいて、魔力の波動を感じ取って出てきたのだ。


こいつを生かしておくわけには絶対にいかない。ウェルズは不可視化が残っているうちに、即座に手の武器を突き出した。


相手の喉から鮮やかな紅が弾け散る。ウェルズは崩れる体をそっと支え、ゆっくりと床に横たえた。


「危なかった……」ラロリアは息をついた。


「行くぞ。さらに奥へ進む」


死体を下ろすと、ウェルズは記憶の欠片を頼りに地下室の間取りを確かめた。目の前は逆凸字形の曲がり角で、左手は小さな倉庫、背後は通ってきた通路だ。二人は右手へ進んだ。


静まり返った小部屋をいくつも足早にやり過ごし、ウェルズはまっすぐ最奥の部屋の扉の前まで来た。そのすぐ後ろにラロリアが続く。


「ここは休憩室だ。残りの敵はみんなここに集まっているはずだ。扉を開けたら、すぐに火球を二発叩き込んで、中の連中を一掃する」


「問題ないわ」


やり取りを終えると、二人は扉の左右に分かれて立った。中の話し声がかすかに聞こえてくる。


「地下鉄は我々の計画の重要な一部だ」


「工事が滞りなく進むよう、優先して確保する」


続いて、二人は揃って低く詠唱を始めた。魔力の波動を抑えようとはしたものの、少しずつ集まっていく淡い青の光は、形を成しつつある魔力の気配をはっきりと放っていた。


だが中の者たちが気づいた時には、もう手遅れだった。


詠唱が終わる寸前、二人は揃って扉を力任せに押し開け、印を結んだ手を休憩室の中へ突きつけた。呆気に取られた者たちの目の前で、二発の火球が室内へ叩き込まれた。


直後、轟音が二度響き渡った。


炎が休憩室全体を呑み込み、ぱちぱちと何かが爆ぜる音が一面に広がる。灼けつく熱気が顔に吹きつけた。


手のつけられない火勢を見て、ラロリアが呟いた。「こんなに燃えてるけど、火を消す方法、考えたほうがいいかな……」


彼女に答えたのは、思いもよらない女の声だった。


「あら、あなたたち、どこから来た敵かしら?」


瞬く間に、部屋の中から無数の氷雪が噴き出した。氷雪はつい先ほどまで猛り狂っていた炎をことごとく呑み込み、後には骨まで凍みる寒気が押し寄せるばかりだった。


氷の上に立っていたのは、ワイシャツを着た艶やかな女だった。幽藍の魔力の光が周囲に渦を巻き、足元の氷雪もじわじわと外へ広がり始めている。


「四階魔法使い……」ラロリアは驚愕の声を上げた。「氷の象徴を融合しているの?」


今が唯一の勝機と悟ったウェルズは、法術を行使しながら叫んだ。「さっきの奇襲で奴も傷を負ってる。早く押さえ込め、魔法を使わせるな!」


我に返ったラロリアは短剣を抜いて突っ込んだ。


「もう遅いわ」女がそう言うと同時に、深黒の蛛網が彼女を中心に広がり、瞬く間に休憩室を埋め尽くした。飛び込んだラロリアは、粘つく蛛網に動きを絡め取られた。


「くっ……!これのせいで動きにくい!」駆け出したラロリアは、網にかかった蝶のようにもがいた。本物の網ではない。幻覚の網だ。


「魅影蛛網……!向こうも幻術を使うのか?」


ウェルズは相手の法術を見抜いた。もっとも、相手がどんな魔法を使ってくるかは、彼もあらかじめ予想していた。瞬く間に、先ほどから詠唱していた「増速致勝」が完成し、二筋の白光が二人それぞれに降り注いだ。


「最初に足止めの魔法を使ってくることくらい、とっくに読めていた」


ラロリアの速度が再び跳ね上がる。短剣に魔力を集めて強烈な衝撃波を斬り放ち、行く手の蛛網をことごとく切り裂いた。


「なかなか賢いのね」女は舌打ちし、身をひねって自分に向かってきた衝撃波をかわした。


「逃げ回るしか能がないの?このオバサン!」再び蛛網の中へ身を隠す女を見て、ラロリアは怒りに任せて追いすがった。


「お嬢ちゃん、口の利き方には気をつけたほうがいいわよ」女邪教徒が手を振ると、寒風が巻き起こった。動きを封じられたラロリアは、これをまともに受けるしかない。冷気に包まれて歯の根も合わないほど震え、古傷は低温に刺激されていっそう疼いた。


「痛っ……!」


後方のウェルズも、ただ見ていたわけではない。指先に三筋の「灼熱光線」を凝らせ、邪教徒へ放とうとしていた。


「その程度の攻撃で私に当てようなんて、まだまだ甘いわね」


この手の攻撃への対処には、相手も慣れていた。女の姿がかすかに揺らぎ、三つの残影が閃く。


「鏡像残影(ミラー・イメージ)……くそっ……!」


法術が破られると見るや、ウェルズは凝らせたばかりの三筋の灼熱光線のうち一筋をラロリアへ向け、届く手前で炸裂させた。熱風が一瞬で、彼女の周りにまとわりつく寒気を吹き散らす。


「危ないじゃない……!」寒風から抜け出した彼女は大声で抗議した。


残る光線は幻像を撃ち抜いただけで、相手には傷ひとつ与えられなかった。


「これでも食らいなさい……!」


自由を取り戻したラロリアは、すかさず相手の懐へ飛び込み、短剣で鋭く攻め立てた。女邪教徒も氷の刃を凝らせて応戦する。


二人の姿が目まぐるしく入れ替わり、数合が瞬く間に交わされる。位階では劣るラロリアだが、熟練の武技で、なんと優位に立っていた。一瞬の隙を突き、彼女は敵の膝に容赦なく一筋の傷を刻んだ。


「なかなか手強いのね……」


近接戦では分が悪いと見て、邪教徒は後退して間合いを取った。追いすがる数発の飛弾も、彼女が新たに張った護盾術(シールド)に呑み込まれる。それを見て、ウェルズは「ちっ」と舌を鳴らした。


「あんたが年寄りだからでしょ……」ラロリアは臆せず深追いし、短剣を構えて相手の背後にぴたりと食らいついた。


「魔法の奥深さを見せてあげるわ」女は冷ややかに笑い、手を差し伸べて深黒の魔力を呼び出した。


黒い旋風が巻き起こり、女の姿がゆっくりと闇に溶けていく。不吉な予感が二人の胸をよぎった。ふいに、二人とも心の奥底から恐怖が湧き上がるのを感じる。ラロリアの場合、それはいっそう深かった。目の前の幻影の蛛網に逆棘が生えたように見え、一歩踏み出すたびに、体に細かな傷が刻まれていく。


「苦しい……」


様々な負の感情に呑まれ、彼女は思わず足を止めた。


ラロリアの視界が、ぼやけ始めた。


「可愛いものが苦しみ悲しむ顔を見るのが、一番好きなのよ……」朦朧とした意識の中、耳元で誰かが囁くのが聞こえた。


抗うすべはなかった。黒風に包まれた女はただ冷酷に詠唱し、ラロリアへと指を向けた。


漆黒の光が天から垂れ落ち、毒針が致死の薬をラロリアの心へじかに注ぎ込むかのようだった。すべての望みが断たれたような悲痛が胸の底から噴き上がり、一瞬で彼女の意識を呑み込んだ。


恐怖、悲しみ、困惑、自暴自棄——心の奥底に必死で押し込めてきた感情が、もう抑えようもなく溢れ出した。


ほんの一瞬で、涙がとめどなく溢れ出した。


「苦しい……嫌……もうこんなのは嫌……うぅぅ……」


もう抑えきれない。心に築いた防衛線は、内側から押し寄せる崩壊の荒波を前に、一秒と持たずに崩れ去った。


「もう嫌……!うわぁぁぁ……!」


様々な苦しみが胸に込み上げ、とめどなく流れる涙は、自分の身に降りかかった理不尽への恨み言だった。彼女は床にへたり込み、人目もはばからず声を上げて泣いた。生まれたばかりの赤子のように、駄々をこねて泣きじゃくった。


「どうして……どうして私がこんなに不幸なの、どうして私なの……ああ!うぅぅぅ……」


胸の内には、数えきれないほどの口惜しさが渦巻いているようだった。安らぎを求めるように、彼女は身を縮めてすすり泣いた。


ずっと昔から心に引っかかり、今も振り払えずにいる過去の出来事とわだかまり。大切なすべてのために故郷を離れ、肉親を捨てて異郷へ赴くことを選んだ口惜しさ。そしてこの数日に負った傷の痛みと、死への恐怖。誰にも打ち明けたことのない思いは長く溜め込まれ、今、魔法に引き出されて堰を切り、彼女の意志の防衛線を跡形もなく押し流した。


「私……家を出るべきじゃなかった……」


「どうしてこんなことに……どうしてよりによって、私があれを全部見ちゃったの……!」


「もう嫌……こんな忌々しい世界、大嫌い!……うぅぅ……私を追い詰めるくせに、進む道も示してくれない世界なんて嫌い……!家に帰りたい……もう二度と外に出たくない……」


「そうよ、そうよ……何ひとつ、あなたのせいじゃないわ。思う存分泣きなさい、思う存分憎みなさい……」


惑わす言葉が、耳元で絶え間なく囁かれる。天ほどの口惜しさを抱えながら訴える先もない――そんな思いがますます募っていく。涙は白くか弱い頬を伝い、なすすべもなく大地に滴り落ちた。心は凍った湖に沈められたように冷たく強張り、哀しみが鼓動とともに全身を巡り、寒気は指先へと流れ、骨の髄から細胞の一つひとつまでが、絶対の虚無と深い凍てつきに染まっていった。


「『陰影遁形』……それに『灰心喪志』……」


傍らのウェルズは、この一瞬に起きたことをすべて見届けていた。


敵が陰影を呼び出して視界を遮り、ラロリアを指さして、心霊に作用する魔法で彼女を支配するまでを。


陰影魔法は彼の目をごまかせないが、魔力の差があまりにも大きい。「電撃光線」を詠唱して妨害を試みても、相手の魔力に打ち消されてしまう。


「一人で四階を相手取るのは厳しい……三階と四階の壁は、冗談で済む代物じゃない」


「なぜここに四階がいる……くそっ、記憶の欠片にはこの情報が抜けていた」


「四階魔法『灰心喪志』……ちょうどラロリアの急所を突かれたか。まったく、この脆い女め!覚悟も決めずに戦いに飛び込むとは!」いくつもの考えがウェルズの脳裏を駆け巡ったが、打開策は何ひとつ浮かばなかった。


状況は絶体絶命と言ってよかった。ラロリアが再び戦えるようにならない限り、呼びかけて彼女を悲痛の淵から引き戻すしか手はない。


「目を覚ませ……ラロリア!お前は奴の魔法にかかってるんだ……!」彼は声を張り上げた。


「そんなの知らない……うぅぅ……」


「このクソ野郎、気取ったごろつき、さっさと死になさいよ!うわぁぁぁ……!」


だが呼びかけは海に投げた小石のように、何の波紋も起こさなかった。彼女はただ怯えたように両手で顔を覆い、泣き続けている。


「無駄よ……その子はもう抗う意志をなくしているわ」それを見た女は手のひらを撫でながら、艶めかしく冷笑を漏らした。


「あなたを片付けたら、その子もひと思いに処刑してあげるわ!」


「家に帰りたい……もうここにいたくない……うぅぅ……」


「なら魔法には魔法で対抗するしかない……」


ウェルズは三階魔法「解除魔法」で心霊への影響を弱めようとしたが、相手がそんな隙を与えるはずもない。氷の錐が数本、女の傍らに浮かび上がり、彼めがけて猛然と放たれた。


迫る氷の錐を身を躍らせてかわし、ウェルズは「電撃光線」を詠唱して、相手が新たに凝らせた「極凍の心」を撃ち砕いた。


「あら?陰影遁形が見えるの。それも、陰影を見破る法術を何ひとつ使わずに」


「その程度の小細工は引っ込めろ。この陰影遁形など、俺には丸裸も同然だ」ウェルズは冷ややかに言い放ち、詠唱を続けた。


「あら、怖いわねえ?」女は得意げな笑い声を上げた。「その小細工とやらで、あなたの命を奪ってあげるわ」


女は両手を広げ、二つの氷雪の嵐を呼び集めた。一つは氷の弧となって地面すれすれを高速で走り、もう一つは蛛網と連動して地中から氷の棘を突き上げ、ウェルズの両脚を貫こうとする。


彼は身をひねった。かわしきれなかった高速の氷の弧が腕に一筋の血の跡を刻んだが、痛みで動きが鈍ることはない。その強靭さのおかげで、地面から突き出た氷の棘を間一髪で避けられた。


「ふふ、これでもう逃げ場はないわ」


だがこの攻撃は、ウェルズの退路を断つためのものだった。氷の弧は部屋の入口に着弾し、弾けて氷柱と化した。


「解除魔法」を練り上げていたウェルズは、ひとまず氷の棘の陰へ身を隠すしかない。無数の氷の錐が氷の棘に当たり、硬い音を響かせた。


「このバカ!魔法にかかってるのも分からないのか。死にたくなかったら動け……!」


指先に魔力を凝らせ、相手の作った氷雪で自分の傷を塞ぎながら、ウェルズは広間の半分以上も離れた場所から怒鳴った。


「バカはあんたよ……!独りよがりで、一日中しかめっ面のクソ野郎!うぅぅぅ……」


「何様のつもりよ!?下劣な奴、偉そうに私に指図しないで!死になさいよ!賤民……!!」


声を嗄らして泣きじゃくりながらも、彼女は呂律の回らない口調で、憤然とウェルズを罵ることを忘れなかった。


「逃げ隠れするだけ?さっきまでの威勢はどうしたのかしら?」ウェルズを劣勢に追い込み、女はすっかり悦に入っていた。片手で彼を牽制しつつ、もう一方の手で再び虚空に純白の核を凝らせていく。


「『極凍の心』……三十秒凝集すれば爆発する四階の氷魔法。威力は俺を動けなくするには十分だ……護盾を目一杯張っても防げない」核を目にして、ウェルズは相手の魔法を見抜いた。


「仕方ない……」彼は練り上げていた解除魔法を手の内に抑え、砕けかけた氷の棘の陰から飛び出すと、左手を広げて灼熱光線を数筋放ち、凝集を崩そうとした。


だがその攻撃も、相手の氷に阻まれた。


「あらあら、この極凍の心を解除できなければ、あなたは確実に死ぬわよ。手を上げて降参なさい。楽に死なせてあげるから」女は勝ち誇ったように笑った。


「打つ手なしか……?」


空間にまで禁制を敷かれている今、ウェルズは次元門でここを離れることすらできない。


幾度かの魔法の応酬で、彼は完全に劣勢に追い込まれていた。極凍の心を壊せないどころか、体の傷もいくつか増えている。


「父上……母上……アメリア……」彼は呟いた。


だがその時、ある記憶が脳裏に蘇った。


家族四人で、郊外の山荘へ遊びに行った時のことだ。


「兄さん……!~早く来て!」


あの時、丘を駆け回っていた妹がうっかり転び、顔をぐしゃぐしゃにして泣き出したのだ。


母が慌てて駆け寄り、妹をなだめた。


「もう、そそっかしいんだから……傷にふーってして、痛いの痛いの飛んでいけ。次からは気をつけるのよ?」


母の慈愛に満ちた笑顔と柔らかな声に、妹は泣きやんだ。


記憶は一瞬でかき消えた。戦いのさなか、彼の足が止まったのはほんの一瞬で、すぐにまた回避に移った。


「どうしたの……もう疲れて動けないのかしら?」ウェルズの異変に気づいた女が、得意げに笑う。


「ラロリア、正直に言うと、俺はお前のことをよく知らない。ラロリアという偽名と、いい家の生まれだということくらいしか」


「まだそんな無駄なあがきを続けるの……?」女は冷笑し、氷の錐を数本、ウェルズめがけて放った。


ウェルズは慌てて攻撃をかわし、魔法で応戦する。


もう死ぬと思ったのかもしれない。ウェルズは、ずっと胸にしまい込み、一度も口にしたことのない言葉を吐き出した。


「だが俺は……本当は、お前に敬服している」


「……?」泣いていたラロリアが顔を上げた。


「俺にはできないからだ。俺なら、温かい家を捨てて先の見えない旅に出るなんて、絶対に選ばない」


すべてを奪った者への復讐――それが、彼がここまで戦い続けてきた意味だった。だが選べるのなら、きっと家に帰ることを選び、復讐の道など歩まなかっただろう。


「俺が捨てられないものを、お前は捨てることができた。だから敬服しているんだ。それほどの決断を下したのは、ほかでもないお前自身だろう?ラロリア……!」


「立て……!お前がここにいる意味を思い出せ……なぜその道を選んだのかを……!」ウェルズは声を張り上げ、彼女へ叫んだ。


「無駄よ……その子にはもう何を言っても届かない。あなたの努力はただの徒労よ……!」女はなおも冷ややかに嘲った。


泣きじゃくるラロリアは、まるで涙でできているかのようだった。尽きることのない涙が、果てしない無念を訴えている。


「苦しい、悲しい、つらい……私は本当に駄目……もう諦めた……こんなに苦しい世界、もううんざり……死なせて……」


途方に暮れた意識の中で、ウェルズの言葉は金色の朝日のように闇を裂き、かすかな光をもたらした。


「あいつが……私を褒めたの……」


「でも私はもう諦めた……怖い……もう戦いたくない……」


彼女は弱々しく顔を覆って泣いた。その光さえも、瞬く間に暗い感情に呑まれようとしていた。


だがその時、穏やかな声がふいに記憶の中から浮かび上がった。


「我らの決定は幾千万の命を左右する。自らの決定に誤りがなかったか、常に省みねばならぬ」


それは父が彼女に授けた教えだった。


その言葉は、彼女の心にかすかな波紋を広げた。そのかすかな波紋が、彼女に自分を思い出させたのだ。


「……私は間違ったの?」


「昔の父上なら、きっと私が間違ったとお思いになるでしょうね」


父の穏やかな顔を思い出すと、ラロリアの涙は少しずつ収まっていった。おぼろげな意識の中で、彼女は自分の醜態をはっきりと悟った。


「父上は私のたった一人の肉親……」


「だからこそ、どうしてこうなったのか突き止めたい……父上に……もう一度あの頃の姿に戻ってほしい……」


あの優しく、開明的な父を取り戻したい。だからこそ彼女は何不自由ない暮らしを捨て、偽りの愛情に背を向けて、この地へやって来たのだ。すべてを失い、死に直面してでも明らかにしたい真実――それがこれだった。一度は見失いかけたが、今、彼女はそれを再び取り戻した。


ラロリアはゆっくりと顔を上げた。今の状況は、もう分かっている。


ウェルズは相手の魔法に押さえ込まれていた。それでも右手に蓄えた「解除魔法」だけは決して手放さず、左手一本で相手の荒れ狂う猛攻をなりふり構わずしのいでいる。その体には、すでに無数の傷が刻まれていた。


「あいつ……本当に私を信じてるのね……」


ラロリアは短剣を握りしめた。


示し合わせたかのように、ウェルズは降り注ぐ氷の棘の雨の中、それでも右手を掲げて敵へ向けた。


解除魔法が放たれ、女の身にまとわりついていた陰影遁形がかき消えた。


「愚かね……!『氷雨』も『極凍の心』も解除せずに、自分で見破れる陰影法術を解除するなんて」


「それは間違いだな……」ウェルズは淡々と笑った。両脚はすでに氷に貫かれ、太腿には深さ数センチの傷が口を開けていたが、その笑みは崩れなかった。


勝負は「解除魔法」を行使した時点で、すでに決していた。


女の護盾は、極凍の心を凝らせた時点でとうに解かれ、四階の魔力はすべてあの核に注ぎ込まれていたのだ。


床に座り込んだままのラロリアが、右手を上げる。細い腕をしならせて力いっぱい投げ放つと、短剣は矢のように正確に、鋭く飛んだ。


かすかに光る涙が、その拍子に散った。


邪教徒にとって、まったく予想外の奇襲だった。


短剣は一瞬で狙いを捉え、側面から相手のこめかみに突き刺さった。


刃は深々と埋まり、柄だけが覗いていた。


制御を失った魔法は崩れて四散し、たちまち消え失せた。凝集を終えて炸裂寸前だった極凍の心も、例外ではなかった。


重い物が床に倒れる音がして、休憩室には死んだような静寂だけが残った。


ウェルズと、立ち上がったラロリアは黙って見つめ合った。


彼女は、彼の波一つ立たない表情を見ていた。


彼は、彼女のまだ泣き顔の残る顔を見ていた。


「上出来だ」先に沈黙を破ったのはウェルズで、彼はそのまま顔を背けた。


「『みっともない泣き方だな』って言われるかと思った」彼女は赤くなった目元を拭い、同じように顔を背けた。


「ガキみたいな泣き方だった。みっともない」ウェルズは舌を鳴らした。


「全部魔法のせいよ!」ラロリアは言い訳した。


いつもの騒がしい空気が戻ってきて、二人は思わず声を上げて笑った。


その笑い声の中で、憤りも恨みも、すべて跡形もなく消えていった。


「もう決めたようだな」


ラロリアは頷いた。


「生きることより……大事なことがあるの」


彼女は決意を込めて拳を握った。


ウェルズには分かっていた。彼女がこの覚悟を忘れることは、もう二度とないだろうと。


その後、ラロリアは身なりを整え、泣き腫らした顔をいつもの溌剌とした表情に戻した。目元にはまだ赤みが残っていたが、その口元には、自信に満ちた笑みがかすかに浮かんでいた。


そこで、ラロリアはふと思い出して声を上げた。「『ラロリア』が偽名だって、知ってたの?」


「初めて会った時、お前は旅館に別の名前で記帳していた。それで分かった。帝国に来てからは、追手を撒くためにもなおさら本名は使えないはずだ」ウェルズは答えた。協力相手を調べるのは、手を組む上での第一歩だ。ハンクに印記を残したのと同じように。


「やっぱり、あんたには隠し通せないか……」ラロリアはため息をついた。


「これからどうするの?」


「これが最後の敵だろう。ほかにいるなら、とっくに加勢に来ているはずだ」ウェルズは少し考えてから続けた。「さっき通った部屋には何かいい物があるはずだ。手分けして漁って、それから合流して奥の地下牢へ行き、あの拉致された者を助け出す」


「問題ないわ」


二人は手分けして動き、ほどなく金目の物をすべて調べ終えた。


「こっちは金貨二十八枚と、稀有級の眩暈の杖が一本。ほかに行動記録の日誌が一冊と、魔法の研究書が何冊か。『悪魔学召喚』『空間簡化術』『アラリック悪魔召喚心得』だ。暇があれば目を通しておくといい」


「私は金貨十五枚と、稀有級の長剣を一振り。壊れた長槍の代わりに、ちょうど新しい武器にできるわ。あとは玉符が一つ」


二人は互いに情報を交換した。稀有級の杖と長剣なら、どちらも最低でも金貨二十枚にはなる。今回の行動は、間違いなくかなりの黒字だった。


「日誌には最近の動向が書かれている。一番驚いたのは、終末救贖者が襲撃を一度仕掛けて、万能銀行から資金を奪うつもりだということだ」ウェルズが先に口を開いた。


続いてラロリアが言った。「この玉符……『超距感応』の付与された宝石がついていて、握り潰すと一度だけ、超長距離の意識通路を三分間つなげるの。指定されている相手は……逆使徒・折命密使(せつめいみっし)」


「なら売るか?」


「終末救贖者の聖者と関わりたがる人なんて、まずいないと思うけど」ラロリアは玉符を手に肩をすくめた。


「少なくとも、俺たちの敵が誰なのかは分かった」


合流した二人は、さらに奥へ進んだ。


地下牢へ続く道には幾重にも罠が仕掛けられていたが、倉庫内にはもう敵がいない。二人は難なく罠を解除した。


二十数段の階段を下りきると、小さな物置に出た。その最奥に、鉄格子で仕切られた地下牢がある。


地下牢の中には、誰かが座っていた。


黒髪の少女だった。切れ長の目に整った顔立ち。黒い瞳には何もなく、生まれたばかりの子羊のようだった。白いシャツに黒いコルセット、前の開いた黒いスカート。その装いは、地下牢にいるべき人間とは思えないほど凝っていた。


冷たい床に膝を崩して横座りしたその姿は、机に置かれたまま水をやり忘れられた一輪のアイリスのように静かだった。


相手が女性だと分かると、ウェルズは足を止めた。代わりにラロリアが進み出て剣を振るい、鉄格子を断ち切る。


牢の中の黒髪の少女は、じっとウェルズを見ていた。格子が断ち切られても、身じろぎひとつせず、口も開かない。


「大丈夫?」ラロリアは気遣うように声をかけ、歩み寄って彼女を助け起こした。


ウェルズは彼女の立ち姿を観察した。衰弱している様子はない。


ラロリアに手を引かれ、彼女は牢を出た。


「私たち、あなたを助けに来たの……こんなに長く閉じ込められて、怖かったでしょう……もう大丈夫よ」


「閉じ込める?怖くない……」彼女はぼんやりと答えた。


様子がおかしいと見て、ウェルズが尋ねた。


「お前は誰だ?なぜここに捕まっていた?」


彼女はウェルズに向かって瞬きをした。細く長い睫毛がかすかに震え、ぼんやりと言う。「私……分からない……」


「この子、もしかして、頭が……?」その奇妙な様子に、ラロリアは二本の指で頭の横を指してみせた。


「地下牢で何をしていたの?」ラロリアが先に尋ねた。


「眠って、時々食べる」


「どれくらい閉じ込められていた?」ウェルズが続けて尋ねた。


「ずっと、ずっと」


「誰がお前をここへ連れてきた?」


「分からない」


二人は代わる代わる尋ねたが、これといった情報は何も得られなかった。捕虜から何か重要な手がかりを聞き出せると踏んでいたが、その目論見は見事に外れた。


「様子がおかしい」ウェルズは呟いた。「地下牢に来た時のことは覚えているか?」


「分からない」彼女は首を傾げ、きょとんとした顔で答えた。


「記憶喪失?魔法の影響を受けてるの?なんだか様子が変……」ラロリアは驚いて尋ねた。


「分からん」ウェルズは言った。


「この子、うつったりするの?」ラロリアは驚愕の声を上げた。


「お前に低能がうつったのか?」ウェルズは皮肉を返した。


「低能……って、何?」記憶を失った少女が、あどけなく尋ねた。


「こいつが低能だ」ウェルズはラロリアを指さした。


「何をでたらめ言ってるのよ?」


「低能……」彼女はラロリアを見て呟いた。


「何をでたらめ教えてるのよ!」


ラロリアの抗議を聞き流し、ウェルズは言った。「ともかく、魔法の影響かどうかは、もっと詳しく調べてみないと分からない」


「まずこの女を連れて帰る。ここは安全じゃない」


「それからここを焼き払う。占卜魔法で俺たちの足取りを辿られないようにな」


彼はそう決めた。

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