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空間魔導書と少年魔法使い  作者: atu78963254
帝国冒険編
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第九章 餌

二人は静かな通りを進み、人気のない区画へと入っていった。


辺りから次第に人の気配が消え、代わりに目に入ってきたのは、住む者もない打ち捨てられた空き家だった。


嘉徳市ほどの大都市ともなれば、こうした誰にも顧みられない荒れた一角もどこかにあるものだ。


「こういう場所って……確かに秘密結社の集会場所らしいわね」ラロリアの眉間には、拭いきれない陰りが漂っていた。


「もう一つ角を曲がった先だ。鳩はそこに止まっている」


角を曲がるとすぐ、闇に包まれた家屋が目の前に現れた。見たところ、古びた木造の家だ。


「ここなの?」とラロリアが尋ねた。


二人は自らに暗視を付与し、光ひとつ届かない家の奥へと駆け込んだ。


その家は誰ひとり足を踏み入れたことがないかのように古び、床板を踏むたびに今にも割れそうな軋みを上げた。


ウェルズは警戒を強めた。


「ここ……なんだか変じゃない……?」ラロリアの胸に、小さな疑念がよぎった。


その時、仕掛けに触れでもしたかのように、足元から魔力が立ち昇った。


「また罠……!?」ラロリアが悲鳴を上げた。


二人が反応する間もなく、四方八方から烈火が噴き上がって木造の家をまるごと呑み込み、天を衝く黒煙と炎が空を照らした。


「早くここを出るぞ……!」ウェルズは魔力を集め、身の周りに灰暗の護盾を張った。


火の中に閉じ込められた二人に逃げ場はなく、すぐさま護盾を張って身を守るほかなかった。


烈火を前に、二人がまず考えたのは「次元門(ディメンジョン・ドア)」での脱出だった。炎に完全に包囲される前に魔法を放ち、家の外へ転移しようとしたのだ。


だが、その対応すらも敵には読まれていた。


転送法術で無事に脱出したはずのウェルズとラロリアは、自分たちが第二の罠に落ちたことにまだ気づいていなかった。


次元門から出た途端、抑えようのない目眩と吐き気が込み上げてきた。


「これは……空間阻害か?これも相手の計算のうちか……」


ウェルズは吐き気を堪えて辺りを見回した。地面からは蔓が伸びて彼を絡め取ろうとし、周囲には蜘蛛の巣に似た幽藍の糸が張り巡らされている。何が起きたのか、彼は悟った。


次元門自体は成功していた。だが、転移先が強制的に引き離されていたのだ。


彼が飛ばされたこの場所は、敵があらかじめ用意していた罠だった。幾重もの三階拘束魔法が張り巡らされ、彼の動きを封じにかかっている。


「これは……捕蝶蛛網(ウェブ)と束縛蔓か……?」


「奴ら、わざと俺たちを引き離したのか……?まずいな……ラロリアが危ない」


ウェルズはそれに気づいた。


もう避けはしなかった。蔓が脛に絡みついた瞬間、練り上げておいた火球を足元に叩きつける。蛛網と蔓は炎の中で縮れて黒ずみ、彼は焦土を踏みしめて裂け目から飛び出した。着地から脱出まで、一分とかからなかった。


一方のラロリアは、転移を終えたばかりのところで激しい目眩に襲われ、よろめいて危うく倒れ込みそうになった。


「うっ……ここはどこ……」


辺りを見回す暇すらなく、視界を埋め尽くす雷霆光線が真正面から襲いかかってきた。


「あっ……!」逃げ場のない彼女は、生死の境で教本どおりの反応を見せた。長槍を身の前に構えて受け止め、全力で魔力の護盾を張ったのだ。


雷霆は護盾を貫き、盾代わりにかざした長槍を激しく打ち据えた。耐えきれない衝撃を受け、値の付けようもない魔動武装は粉々に砕け、飛び散った破片が彼女の右腕に深々と突き刺さった。


「うっ……!痛い……」


惜しんでいる余裕などない。目眩に揺れながら、ラロリアは慌てて後ろへ跳び退いた。叫び出したいほどの痛みだったが、今足を止めれば待っているのは死だけだと、彼女にははっきり分かっていた。


狙いを外した雷霆が次々と地面を打ち、爆発が立て続けに巻き起こった。


そこでようやく、ラロリアは霞む目で周囲の状況を捉えることができた。


「三階の魔法使い……?二人?高所に……左右に一人ずつ……下の通りにいる私は挟み撃ち……最悪……!」


普段の彼女なら、魔動武装に頼らずとも二人を同時に相手取れたはずだ。


だが今は、炎と雷霆で二重に魔力を削られたうえ右腕まで負傷しており、打たれるがまま逃げ惑うばかりの身に成り下がっていた。


後ろへ跳び続けながら印を組もうにも、痛みで右手が言うことを聞かず、左手だけで印を結ぶしかなかった。


「私の左手……なんでこんなに術がもたつくのよ……!」


ずいぶん手間取って、ようやく「増速致勝(ヘイスト)」の詠唱に成功した。


狙いははっきりしていた。とにかく自分を強化し、ウェルズが現れるまで持ちこたえること。


だが、彼女を襲う二人の魔法使いに、そこまで持たせてやるつもりはなかった。猛烈な火球が雨のように降り注ぐ。慌てて身をかわしたものの、爆炎は後ろ髪を半分焼き払い、腕にもひどい火傷を負わせた。


「うあっ……!」


痛みに思わず声が漏れた。


絶体絶命の窮地で、恐怖に呑まれそうになりながらも、ここで理性を失ってはならないことだけは分かっていた。魔動武装を失った今、激痛を堪えて再び魔法を唱えるしかない。


敵の次の攻撃が降り注ぐ前に、彼女は水色の魔力を雲霧へと変え、身の周りに立ち込めさせて視界を遮った。


次の瞬間、敵の雷霆が雲霧を切り裂き、衝撃波で霧がわずかに散った。だが、霧の奥に身を潜めたラロリアには届かなかった。


とはいえ、それでラロリアが危機を脱したわけではない。


「俺が位置を割り出す。お前は援護に回れ、あの女を片付けるぞ」


意識通路で短くやり取りを交わすと、秘密結社の魔法使いが高所から一気に雲霧の中へ飛び込んできた。


着地の音は、ラロリアの耳にも届いた。


「飛び降りてきた……追ってくる気……?この『緩雲滞霧』には動きをじわじわ鈍らせる負の効果があるけど、短時間じゃ三階の魔法使いには効かない……」ラロリアは必死に身を守る手立てを探った。


「敵は聴覚や嗅覚、魔力感知で、すぐにでも私の正確な位置を突き止めてくる」


ふと、遠くの薄霧の向こうにかすかな光が灯った。魔力のうねりからして、相手は「雷獄沸騰」で自分の逃げ場を完全に封じるつもりだ——彼女はそう気づいた。


「ウェルズ……あんた、いったいどこに行ったのよ……!?」


焦燥に駆られて「灼熱光線」を詠唱すると、三条の炎の光線が、同じく雲霧に潜む魔法使いへと走った。最初の二条は軽やかな足さばきでかわされたが、最後の一条が標的を捉えた。


「術を中断させられる……?」かすかな望みが胸に芽生えたが、それはすぐに絶望へと変わった。


相手は一筋縄ではいかなかった。炎は彼がわざと身を守るようにかざしたマントに当たったが、彼が手を一振りすると、水滴のように少しも染みることなく地面へ払い落とされた。そして魔法使いは手を上げ、結び終えた印をラロリアへと向けた。


沸き立つ雷霆が天から落ち、牢獄の格子のような八本の雷柱が轟音とともに突き立った。いくつもの爆発が起こると同時に、彼女の周囲には雷電の檻がそびえ立った。


爆発を防ぎ、雷獄から抜け出そうと足掻くうちに、護盾の魔力は最後の一滴まで尽きていた。そこへ、遠くにいたもう一人の魔法使いが狙撃の雷電束を放ち、ラロリアの左肩を正確に撃ち抜いた。


「あっ!!」


直撃を受けた肩は爆ぜて骨が覗くほどの傷が口を開け、鮮血が地面に飛び散った。凄まじい衝撃に、ラロリアの体は地面へ叩きつけられた。


「嫌……死にたくない……まだ死にたくない……!」死の恐怖が全身を覆う。痛む右手で必死に印を結ぼうとしたが、その動きはひどく歪み、魔力はろくに集まらなかった。


術者がゆっくりと近づいてくる。高く掲げた手が結んでいるのは、致命の火球の印だった。


最後の望みはすべて、この一度の術にかかっている——ラロリアはそれを分かっていた。護盾を一枚張り直すだけでも、数秒は命をつなげる。だが腕を貫く生々しい激痛が、そのささやかな願いさえ叶わぬ贅沢にしていた。


「私……死ぬの……ここで……」


その刹那、相手の結ぶ印がはっきりと見えた。集まった魔力が徐々に灼熱へと変わっていく。術が完成したその時が、彼女の最期だ。


過去の記憶が脳裏をよぎり、こらえきれない涙がひと粒、目尻から零れ落ちた。わずか数秒が、何時間にも感じられるほど長かった。


やがて相手の詠唱が終わる。だが、彼女の震える指はまだ半分にも届いていなかった。


長い睫毛がそっと伏せられる。朦朧とした意識の中で、彼女は自らの終わりを受け入れようとしていた。


魔法使いが魔力を最高点まで集めた、その時。


すべてが唐突に断ち切られた。


側面から放たれた数条の雷霆光線が、魔法使いを正確に貫いた。体内の魔力が誘発されたかのように溢れ出し、轟音とともに炸裂する!練り上げられていた火球もその乱れで誘爆し、連鎖する爆発が術者を護盾ごと木っ端微塵に吹き飛ばした。


天を衝く閃光が立ち込める雲霧を吹き払い、激しい気流がラロリアの輝く金髪を四方に舞い上げた——もっとも、後ろ髪は半分しか残っていなかったが。


側面から姿を現したのは、ほかでもないウェルズだった。


それを見たもう一人の術者は、ためらうことなく素早く退いた。今から追ったところで、追いつけはしないだろう。


もっとも、ウェルズに追う気はなかった。巻物を一枚取り出して破り、何事かを口の中で唱える。ラロリアにはまったく理解できない法術の詠唱だった。


ほどなく、灰暗の霧が彼の周りに浮かび上がり、いくつもの手の形に凝って爆心を掘り返しはじめた。どうやら、そこから細かく漂う欠片のようなものを掴み取っているらしい。


「あんた……」負傷したラロリアは、左肩の傷口を手で強く押さえた。


聡い彼女は、ウェルズの立っていた位置と、わざわざ術を隠して放ったその振る舞いから、あることに思い至った。


ウェルズはとっくに来ていたのだ。わざと身を潜め、彼女がやられるのを黙って見届け、最後の最後になってようやく手を出した。


「あんた……なんでもっと早く出てこなかったのよ!?」全身の痛みに苛まれながらも、彼女は声を振り絞って怒鳴った。


「確実に仕留められる機会を待つためだ」


「あんた……この、クソ野郎……!死ん……じゃ……え……!」これほど憎しみを込めて誰かを罵ったのは、生まれて初めてだった。


ようやく分かった。自分は囮にされたのだ——秘密結社の構成員に警戒を解かせ、無謀な強攻へと誘い込むための、絶好の囮に。


心の底からの呪詛を吐き出したところで、魔力枯渇の疲労と失血の目眩が彼女の意識を完全に呑み込んだ。ラロリアは抗うすべもなく頭を垂れ、地面にへたり込んだまま気を失った。


それを見届けると、ウェルズもまた地面に片膝をついた。


魔法を使い終えた後も、死体の腐臭がまだ鼻の奥にこびりつき、そのあまりの濃さに危うく吐きそうになった。


「くそっ……!」


死んだ両親と妹の姿がまた目の前に浮かび、幻覚が大声で彼の名を呼ぶ。


「このクソ魔法……いい加減に失せろ……!!」


彼の怒号とともに、幻影はようやく砕け散った。


「俺には、まだ果たすべき復讐があるんだ……!」


口元の唾を拭う彼の瞳には、激しい怒りの炎が燃え上がっていた。


「復讐を果たすまでは、地獄で大人しくしていてくれ」


長く息を吐き出すと、魔法の残滓もようやく跡形もなく消え去った。


「熱い……苦しい……」


灼熱の砂漠を、裸足で歩いているような気がした。身には重い枷がはめられ、足を止めれば容赦なく鞭が飛んでくる。


「どうして……どうして、私がこんな目に遭わなきゃいけないの……」彼女は顔を上げ、照りつける太陽をなすすべもなく見上げた。


行く手に、黒い影が心の底からひっそりと浮かび上がった。影は彼女自身の声で、絶え間なく嘲り、嗤い続ける。


「何の憂いもない贅沢な暮らしができたのに」


「どうしてこの道を選んだの?」


「問題なんて見えないふりをすればよかったのに」


「どうしてあんたは分からないの?」


「こんな結果になったのは、全部あんたの自業自得よ」


「あんたが今味わっている苦しみは、愚かな行いの償いにすぎない」


「まだ諦めないなら、これよりずっと苦しい目に遭うだけ。死ぬことだってあるわ。あんただって死にたくないでしょう?」


黒い影はみるみる膨れ上がり、視界のすべてを覆い尽くした。幾重にも反響する声が、一言一言、彼女の胸を打ちつける。動揺した彼女は両耳を固く塞ぎ、そのすべてを必死に拒もうとした。


「違う……家出を選んだ私が、正しいのよ……!」「嫌……!」「もう言わないで!」


だが抵抗は何の役にも立たず、声は容赦なく心の奥底まで突き刺さってきた。


「今なら、今ならまだ間に合う。全部諦めなさい!そうすれば、あの心地よい暮らしに戻れるのよ」


「こんな扱いを受けていいはずがない。あんたは尊い……」


「黙って!!!」彼女は声を限りに叫んだ。


「あっ……!!」


恐怖に目を見開き、ラロリアはベッドから勢いよく跳ね起きた。


真っ先に襲ってきたのは全身の痛みと耐えがたい喉の渇き、そして布団に長くくるまれていたせいの蒸し暑さだった。まだ動悸の収まらない彼女は、大きく息をついて懸命に気持ちを落ち着かせようとした。


「あれは……悪夢だったの?」


頭を振って、気を失う前に何があったのかを懸命に思い出す。


「あのクソ野郎、私を囮にするなんて……」


見回すと、そこは宿の自分の寝室だった。枕元の小卓には水の入った杯が置いてある。腹立ちまぎれにそれをひっつかみ、一気に飲み干そうとした。


「痛っ……!」杯が八重歯に当たったのか、勢い余って傷に響いたのか、また痛みに声を上げてしまう。


水を飲み干すと、傷の具合を確かめた。手当ては済んでいたものの、このひどい火傷と裂傷が完全に治るには数週間はかかりそうだ。


さらに鏡を手に取り、背中を映してみる。


髪は爆発でめちゃくちゃだった。何よりも胸が痛んだのはそこだった。


「魔法で促したって、私の髪が元に戻るまで一週間はかかるじゃない!」


「ほんっとに頭にくる……!あのクソ野郎、人をこんな姿にして、絶対きっちり決着をつけさせてやるんだから!」


怒りの宣言を口にした途端、部屋の扉がいきなり開いた。


「接着剤が欲しいのか?その鳥の巣頭でもくっつけるつもりか?」


淡々とした顔で、ウェルズが部屋に入ってきた。


「どうして最後の最後まで手を出さなかったのよ……私がどれだけひどい怪我をしたか分かってるの?」


ウェルズの顔を見るなり、ラロリアは怒りもあらわに詰め寄った。


「もう言っただろう。機会のためだ」


激昂する彼女とは対照的に、壁にもたれたウェルズの声はどこまでも冷ややかだった。


「秘密結社の連中は、俺が早くに姿を見せれば、迷わず退いていたはずだ。奴らを引き留めるには、希望を与えてやる必要がある。『お前を仕留められる機会』は、どう見ても悪くない餌だった」ウェルズは声を低めて言った。


「私、死にかけたのよ!しかも装備まで壊れたし!」


心も体も同じくらい痛かった。相当な値打ち物だった魔動武装が、今や移動補助の部品しか残らないほど壊されてしまったのだ。


「犠牲も払わずに何かを得られるとでも思ったか?秘密結社との戦いは遊びじゃない。貴族の狩猟大会でもなければ、一方的な虐殺でもない。相手は俺たちと同等の戦力……いや、俺たちを遥かに上回る戦力だ」


「少し怪我をしたくらいで、ずいぶんな騒ぎようだな。俺たちはいつ死んでもおかしくない。そのことは肝に銘じておいてもらおう」


「あんた……!」怒りが喉につかえたものの、とっさに言い返す言葉が見つからない。「私がこんなひどい目に遭ったのを見て、何か言うことはないわけ?」


「俺が丁重に謝るのを聞きたいなら、夢でも見ていろ」ウェルズは答えた。


「恨むなら、敵を直接捕らえられなかった自分の弱さを恨め。だから餌になるしかなかったんだ。あの場の状況で、俺に下せた最善の判断がそれだった」


「この血も涙もない狂人!」返ってきたのは、ラロリアの罵声だった。


それを聞いても、ウェルズは黙って弁当を一つ置くと、踵を返して出ていこうとした。


「言うべきことは言った。覚悟ができていないなら、早めに手を切ったほうがいい」


「バカ!アホ!死んじゃえ……!」


ウェルズの背中に向かって、ラロリアは怒りに任せて罵声を浴びせた。


扉を閉めたあとも、ウェルズはしばらくその場に佇んでいた。


「そんな元気があるなら、大人しく傷を治すのに使えばいいものを」


ラロリアの罵倒など、彼は少しも気にしていなかった。


かつて自ら言ったとおり、彼は悪人だ。悪人である以上、こうした悪評を受けるのは当然のことだった。


「終末救贖者」を狂信者だの人殺しの集団だのと罵ったところで、あの連中はそうした「賛辞」をむしろ喜ぶかもしれない。ウェルズは彼らとは違い、そうした罵りに心を揺さぶられるとは限らず、ただ聞き流すだけだった。


彼は再び自らの思索に沈んだ。


「これが罠だったなら、ハンクの今わの際の言葉は何のためだったんだ?」


死にゆくハンクが、わざわざ自分たちを陥れるために罠を残したとは思えない。ただ、ハンクが本当に伝えたかったことが何なのかは、いまだに分からないままだった。


「だが、ようやく構成員を一人仕留めた。あらかじめ書いておいた四階の巻物『砕魂影訳』も、あの瞬間に破ってある。そろそろ奴の記憶を読み取るとしよう」


彼は雑多な思いを振り払い、自分の部屋に戻った。


三階の魔法使いに四階魔法は放てない。それが鉄則だ。鉄則を迂回できるのは、書や巻物といった他者の力を宿した物だけである。四階の巻物は安くない。ウェルズにそれが書けるのは、脳内の陰影媒質によって陰影系と親和しており、二十金貨分の陰影素材で一枚書き写せるからだ。他の者なら百金貨あまりはかかるうえ、失敗する確率も決して小さくなかった。


ここ数日の出費を差し引くと、ウェルズの手持ちはもう百二十金貨しか残っていなかった。


部屋に戻ると、彼は心を静めて落ち着きを取り戻した。


それから手を差し出してゆっくりと詠唱し、くすんだ灰色の霧を掌の上に集めた。


霧が集まりきったところで前方を指さすと、窓ほどの大きさの陰影の門が客室の中に現れた。


三階の陰影の門だが、魔力の消費をあえて抑えたため、普通の扉よりずっと小さい。


この門を開いたのは陰影生物を召喚するためではない。「砕魂影訳」で掴み取った魂の欠片を、中から取り出すためだ。


魂に関わる法術はたいてい謎めいていて晦渋かつ難解で、その多くが高い階級に属する。「砕魂影訳」もそうした術の一つだった。


もっとも、秘匿性が極めて高く解読されにくいという点を除けば、この魔法は実のところ割に合わない。


秘密結社が手下を操る際には、たいてい「記憶改変」魔法が使われる。ある任務を遂行せねばならないという記憶を強制的に植え付け、他の物事を考える力を抑え込むのだ。記憶改変は高階の魔法使いには効きにくいが、操られた低階の魔法使いや平民が相手なら十分すぎる。


秘密結社の三階魔法使いを生け捕りにし、制圧して記憶を読み取ることができない以上、ウェルズには「砕魂影訳」で魂の欠片を手に入れ、そこから丹念に記憶を解きほぐしていくしか手がなかった。


術が終わると、陰影の門からばらばらの欠片がいくつか漂い出てきた。あの魔法使いの魂の残滓だ。


ウェルズが最初の欠片に触れると、脳裏にひとつ目の思考が流れ込んできた。


「今夜は焼き鯉が食いたい……」


触れる欠片が増えるにつれ、流れ込む思考もますます雑多に膨れ上がっていった。


その大半は役にも立たない取り留めのない日常の考え事ばかりで、ウェルズは眉をひそめた。


だが、骨を折った甲斐はあった。ほどなく、鍵となる記憶の欠片を読み取ったのだ。あの一団が、とある部屋で計画を話し合っている光景だった。ほんの一瞬のことで、一言すら聞き取れなかったが。


とはいえ、すべての思考の情報を突き合わせれば、真相を組み上げるには十分だった。


ほどなく、送り出された魂の欠片すべてを感応し終えた。意外にも、そこに秘められていた情報は決して少なくなかった。


「こいつらは……終末救贖者か」


「少し意外だな。ハンクは『秩序編織者』の配下だと踏んでいたんだが。終末救贖者は動くたびに甚大な被害を出す事件を起こしている。こんな小競り合い程度のことは、奴らのやり口らしくない」ウェルズは思案げに呟いた。


「奴らは誘拐を企んでいて、どうやらすでに成功しているらしい……」


「幸い、記憶の欠片から奴らの巣窟の場所が分かった——中層区の外れにある廃倉庫だ」


「さらわれた者は、奴らの今後の大がかりな計画に深く関わっているようだ。できれば救い出しておきたい」


「二日後に動く」


彼は密かにそう決めた。

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