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空間魔導書と少年魔法使い  作者: atu78963254
帝国冒険編
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第八章 伝書鳩

シルクハットをかぶった青年が、うつむき加減に背を丸め、打ち捨てられた工場区へやって来た。ある依頼のためである。道中、絶えず左右に目を配り、誰かにつけられていないかと気を揉んでいた。目的地にたどり着いて、ようやく人心地がついた。


「ここか?」着いてもなお疑心暗鬼の彼は、歩いてきた方向をもう一度振り返り、尾行者がいないか確かめた。


「情報にあったのはこの場所だ。となると……」彼は腰の鞄を開け、中を探った。だがその手が止まった一瞬、背後から人影が飛び出して襲いかかり、あっという間に地面へ押さえつけられた。


「捕まえた……!」ラロリアにがっちりと押さえ込まれ、青年は身動きが取れなくなった。


不意を突かれた青年はそのまま地面にしたたかに叩きつけられ、痛みに呻いた。


前方からゆっくりと姿を現したウェルズは、青年の身なりに目を走らせた。服装はきちんとしていて、靴も汚れひとつない新品だ。暮らし向きは悪くないらしい。


「あなたたちは何者だ……?なぜ私を捕まえる!」彼は必死にもがきながら、うろたえていた。


「大人しくしなさい!この秘密結社の手先め!」ラロリアは膝で彼の両手を押さえつけた。三階の魔力で鍛え上げられた身体には強大な力が宿り、常人の限界の三、四倍の重さでも軽々と持ち上げられる。この青年を押さえ込むくらい造作もなかった。


「何の話だか、さっぱり分からない!」


「言い逃れはやめなさい!」


「こいつは秘密結社の一員ではないだろう。放してやれ」青年をじっくりと見定めてから、ウェルズが言った。


「えっ!?」ラロリアは目を丸くした。


「清潔な革靴を履き、腕時計をしている。暮らし向きはかなり良いはずだ。秘密結社の手先になるとは考えにくい。それに、この身なりは下層区ではひどく目立つ。隠密に動くつもりなら、こんな格好はまずしない。周囲をうかがっていた様子からして、何か調べに来たんだろう。話を聞いてみればいい」


それを聞いて、ラロリアはばつが悪そうに手を放した。


「なかなかの観察力ですね……いやはや、痛かった」ようやく解放された青年は、腰をさすりながらのろのろと起き上がった。手首にはまだ、ラロリアに掴まれた痕が残っている。


「この娘さん、力が強すぎますよ。とても女の子とは思えない。あなたたち、魔法使いでしょう?」


「で、お前は何者だ?」


彼は服の埃を払ってから口を開いた。「私はただ依頼を受けて来た探偵ですよ。ミルバッハといいます。近所で聞いてみてください。これでもそこそこ名の知れた探偵でして、怪しい者じゃありません」


「私もひとつ、あなたたちの素性を当ててみましょうか?」彼は二人に目を向けた。「あなたの言葉には命令の響きがある。兄妹ではなさそうだ。娘さんが説明を聞いてようやく手を放したところを見ると、同じ目的のために手を組んでいる仲間、といったところでしょう」


「そしてあなたは帝国の人だ」ラロリアを見てから、彼はウェルズに視線を戻した。「あなたは西大陸の方ですね」


「なぜ分かる?」ウェルズは興味をそそられた。


「簡単なことです。まず、首のネックレスが西大陸風だ。それに、立っている時に手がわずかに曲がっている。あれは西大陸の魔法の起動の構えでしょう。あなたはずっと私を警戒している」と彼は言った。「彼女のほうは、その逆と考えればいい」


「とはいえ、あなたたちの口ぶりと素性からすると、どうやら私はとんでもないことに巻き込まれたようだ」彼は帽子を軽く持ち上げて会釈した。


「よろしく。ウェルズだ」ウェルズは頷いた。「ここへ何をしに来た?」


「先ほども申し上げた通り、依頼を受けたんです。依頼人は医師でして、新型伝染病の症例をいくつか突き合わせたところ、共通の接点がこの近辺にあると突き止めた。それで、この辺りに何か変わったことがないか調べてほしいと」


「依頼で調べに来たんなら、なんであんなにびくびくきょろきょろしてたのよ?」ラロリアは口を尖らせた。


「こんな人気のない薄暗い場所なら、息が浅くなったり緊張したりするのは当然だ」ウェルズが代わりに答えた。


「それで、調査の結果は?」ウェルズが尋ねた。


「この辺りは乾燥していて蚊や虫が少ないので、少なくとも病因を二つは除外できます。それ以上はまだ調査中ですよ」彼は肩をすくめた。


「ひとまず、この辺りの土を少し採取して持ち帰ろうかと」彼はようやく腰の鞄から密封袋を取り出すと、足元の土を掘って袋に詰めた。


「病気って、そんなにひどいの?」傍らで見ていたラロリアが尋ねた。


「今のところ罹ったのは百人あまりでしょうが、大半は軽症です。やれやれ、今どきの都市はすぐに人口百万を超えるうえに過密で、下層区は衛生状態も悪い。いつ大規模な疫病が起きてもおかしくありません。以前もコレラが流行して、十万人以上が命を落としました」


「そんなに危ないの?じゃあ、ここに立ってる私たちも病気になっちゃうんじゃない?」ラロリアは慌てて口と鼻を覆った。


「ご心配なく。あなたたちのように食べるものに困らず、魔法で身体を鍛えた若い魔法使いは、そう簡単には病気になりませんよ」


「ほかにご用がなければ、まだ仕事がありますので、これで失礼します」


そう言うと、探偵はそそくさと去っていった。


「本当に秘密結社の一員じゃなかったみたいね。それに、今はメモに書いてあった時刻でもないし」ラロリアは言った。


「どう見ても、俺たちの件に関わる気はなさそうだったな。ろくに質問もしてこなかった」


結局、ウェルズとラロリアは元の廃墟に戻り、身を潜めて待ち伏せを続けた。


だが、メモに記された時刻になっても、誰一人姿を見せなかった。


「どういうこと……まさか、メモが偽物だったの?」ラロリアは頭を半分だけ覗かせ、怪訝そうに下を見下ろした。


「お前に、ものを見抜く目が足りないだけかもしれないぞ」ウェルズの視線がふと止まった。


その先には、家屋の屋根にとまる一羽の鳩がいた。


雀や燕とは違い、その鳩は微かな魔力の霊光をまとっていた。「窺秘の眼」を付与すると、身体を包む銀の光がよりはっきりと見える。


ウェルズは三階から身を躍らせ、地面に降り立った。


着地した地面には数センチのくぼみが刻まれた。ウェルズは大股に踏み出しながら、小声で呪文を唱える。灰色の魔力の光が身体の周りを巡った。一方、標的の鳩は相変わらずその場で、きょろきょろと辺りを見回している。


次の瞬間、彼は強化した念動力を放った。四方八方から押し寄せた念動力が鳥を捕らえ、ウェルズの眼前まで引き寄せる。彼はそれをそっと掌に包み込んだ。


続いて、ラロリアも彼のそばにやって来た。


「秘密結社は、動物に手紙を運ばせてたの?」彼女ははっとした。


「当てにならない人間より、魔法で動物を操って伝言を運ばせるほうが確実だ」ウェルズは掌の鳥を見つめながら言った。「ハンクが受け取った手紙も、似たような動物が届けたんだろう。あいつも当然それを知っていたはずだ。だから遺言で『動物』と言ったんだ」


次にすべきことははっきりしていた。鳩に「陰影標記」を施すのだ。


「これで一件落着?」ラロリアが期待を込めて尋ねた。


「もちろん、それだけじゃない。考えてみろ。ここが手紙の出発点だとして、相手はどうやって動物を操っている?」そう問い返すと、ウェルズは廃墟の中に入り、「窺秘の眼」で隅々まで探った。


ほどなくして、土に埋もれた魔法陣が見つかった。


念動力で上に積もった土を取り除くと、魔法陣に刻まれた文字がはっきりと見えた。


「遠隔の動物制御魔法陣……!」ラロリアは文字を読み取った。「この魔法陣で動物を直接操って、簡単な命令をこなさせられるの。しかも『力量増幅(ブルズ・ストレングス)』が一層組み込まれてる」


「力量増幅は、重い荷物をうまく運ばせるためだろう。遠隔操作だけなら三階の魔法使いでもできるが、この陣を敷くには五階の魔法使いが必要だ……」


「ついてないわね。魔法陣のすり減り具合からすると、今回が最後だったみたい」ラロリアは残念そうに言った。「ここから秘密結社の連中を全員捕まえてやりたかったのに」


「それは無理だ。秘密結社は一網打尽にされないよう、縦の連絡だけを残して横のつながりを断っている。この大都市には、こういう上から下への伝言用の法陣がほかにもいくつもあるだろう」


「だが、おかげで気づいたことがある。あの負の感情を込めた巻物……あれも五階の魔法使いが描いたものだろう」ウェルズは考え込んだ。


「五階……」ラロリアは今さらながらぞっとした。あの巻物が自分を狙ったものだったら、ただでは済まなかっただろう。


ウェルズが手を開くと、鳩は自由に飛び去っていった。


陰影標記が、二人を新たな手がかりへ導いてくれるはずだ。


二人は鳩のあとを追った。鳩はまず一軒の家屋の屋上に降り、そこで仕掛けが作動して、小さな通信筒がひとりでに脚に取りつけられた。それから中層区の方角へとまっすぐ飛んでいく。飛んでは止まり、止まっては飛ぶ鳩を追ううちに、刻一刻と時間が過ぎていった。


「いつまであそこで突っついてるつもりなのよ?」


飛び疲れた鳩は広場に降り、仲間たちに紛れて、平民たちが撒くパン屑をついばんでいた。


「腹がふくれれば飛び立つさ。この魔法は、動物が飢えや渇きで死なないよう、配達中に餌を探すことまでは禁じていない」ウェルズが説明した。


二人は広場のベンチに腰掛けて雑談しながら、鳩が夕食を終えるのを待った。そうしなければ先へ進めないのだ。


日はすでに傾きかけ、何人かの子供たちが親に見守られながら広場を駆け回っていた。地面は淡い金色に染まり、ラロリアの頬もまた同じ色を帯びている。金色の長い髪と相まって、その姿はまるで黄金の少女像のようだった。


「お二人とも、少しよろしいですか?」そこへ、旅装の少女が近づいてきて声を掛けた。流行りの装いからして、かなり裕福な暮らしをしているらしい。


「お二人は恋人同士ですか?」


「違うわよ!」ラロリアは間髪入れずに言い返した。


そのうえ、歯を食いしばって念を押すのも忘れない。「ぜっ、たい、に、違う!」


「違うんですか……それは失礼しました」旅人は驚いた様子で、申し訳なさそうに頭を下げた。「お二人の会話が聞こえて、すごく親しそうだなって思ったんです!ただのお友達だったんですね」


「実のところ、友人とも言えない。同じ目的でたまたま行き会った道連れに過ぎない。関係があるとすれば……」ウェルズはラロリアを指し、次いで自分を指した。「債務者と債権者の関係だ」


「お二人のご関係、本当に面白いですね……あはは……」旅人は気まずそうに笑った。「実は私、国中を旅して回っている旅行者なんです!旅の記念にお二人のサインをいただけませんか?」


「もちろん構わない」ウェルズは差し出されたサイン帳とペンを受け取ると、手際よく偽名を書きつけ、前の人に倣って「嘉徳市広場」と地名まで添えた。


それを見て、ラロリアもサイン帳を受け取って名前を書いた。


「お二人とも、ありがとうございました。良い一日を!」


サインをもらった旅人は、嬉しそうに去っていった。


「遊びに来てるのね。いいなあ」


「こうやって追い続けて、いつになったら結果が出るのかしら」


疲れが出たのか、ラロリアはふと倦怠感に襲われた。


「疲れたのか?」


「分からない。これだけ長く家を離れていれば、確かに疲れもするのかもね」


「家出をしていなかったら、お前は今、何をしていた?」ウェルズは尋ねた。


彼女は一瞬、言葉に詰まった。


「たぶん、食べては寝て、寝ては食べて、のんきに暮らしてたでしょうね」


「もう気づいてたの?私が勝手に家を飛び出してきたってこと」


彼女は小さな声で言った。


「お前は寝言で宮廷の小舞曲を口ずさむし、茶を運ぶ所作も食事の所作も、しつけを受けたものだ。貴族なのは間違いない。帝国貴族が名を伏せて渡り歩いているということは、もとの身分はかなり高いはずだ。でなければ、よその省でまで素性を隠す必要はない。お前の一族は、今も大金をかけて行方を捜しているんじゃないか」


彼女はしばし呆然とした。こうもあっさり見抜かれるとは思わず、黙ってうつむく。


「家を出たことを後悔しているのか?」その打ちひしがれた様子から、ウェルズは彼女の胸の内を察した。


「かもね」彼女はためらいがちに言った。


今と昔の暮らしの違いが脳裏に浮かぶ。かつては豪華絢爛な城に住み、出かける時には贅を凝らした馬車と腕利きの護衛がついていた。学業のほかは、贅を尽くした宴に顔を出すばかりの日々。何不自由ない贅沢な暮らしだった。


それが今では、家を離れてそのすべてを失い、命さえ危うい流浪の日々を送っている。


彼女の思いを、ウェルズは手に取るように分かっていた。


彼自身も、すべてを失う味を知っていたからだ。それこそが、彼を復讐へ駆り立てる原動力だった。


「行くぞ。あの鳩が動いた」


彼はそれ以上、口を開かなかった。

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