第五章 探索
翌日、二人はまず下層区へ赴き、連続殺人事件の手がかりを探すことに決めた。
「下層区までは歩いて行くんだろう?」
ウェルズは、ラロリアが乗合馬車に乗りたがらない性分だと知っていた。
「ここはライカベサじゃないのよ。もっと優れた発明があるんだから」
「ほう?」ウェルズはやや好奇心を覗かせた。
「それはね、大発明家が設計した地下鉄道よ!」ラロリアは得意げに言った。「路線は二本しかないけど、一日に運べる貨物と人の量は馬車をはるかに上回るの!今から乗りに行きましょう!」
地下鉄道と聞いてウェルズも興味を引かれ、ラロリアに続いて地下鉄の駅へ入った。
真っ先に鼻を突いたのは石炭の匂いだったが、まだ我慢できる程度だった。黒煙の大半は、地上へ通じる排気孔から排出されているからだ。
地下鉄に乗り込むと、今日が休日のせいか、車内にさほど人はいなかった。ただ長距離列車に比べると座り心地はよくない。鋼鉄製の長椅子が両側に伸びており、長く座っていると少し体が痛んだ。
「地下にまで鉄道を敷けるとはな」初めて地下鉄に乗るウェルズは、少し物珍しそうだった。
「優れた技術の結晶よ!」
地下鉄を出たとたん、目の前に広がる光景にラロリアは言葉を失った。
下層区の住環境が、あまりにも劣悪だったからだ。
下層区は粗末な建物ばかりで、目を楽しませるものは何一つなかった。手入れされずに黒い煤にまみれた家屋もあれば、水道すら通っておらず、井戸から水を汲んで三階、四階まで自分で運び上げねばならない家屋もある。ここでは数人で一部屋を借りるのも珍しくなく、路傍で食べ物を売る屋台の衛生状態も似たり寄ったりだった。
「これ……本当に人が住めるの?」
「お前が高貴なのは分かったから、大袈裟に騒ぐな」
気のない返事をして、ウェルズは辺りを見回した。住人があまりに多いせいで、一帯はひどく窮屈で劣悪な有様だった。
「誰か……!泥棒よ!」
その時、悲痛な叫び声が遠くから響いてきた。
その声を聞くや、通りの人々は慌てて道を空け、屋台の物売りたちも巻き添えを恐れて、急いで自分の屋台を引きずっていった。
程近い所から現れたのは革帽子をかぶった青年で、籠を抱えて猛然と走っていた。その後ろを、婦人が必死に追いかけている。
青年が向かってくるのは、ちょうどウェルズの立っている場所だった。それを見て取ると、ウェルズは素早く身をかわし、すれ違いざまに何気なく片足を出して、駆けてきた青年をつまずかせた。
青年は無様に転がり、抱えていた籠が宙を舞って中身がこぼれ出た。
中身は、真っ黒に焦げた黒パンが数個。だが、それらが宙に飛び出した瞬間、ウェルズはポケットから手を抜いて何気なく空を指さし、念動力でパンと籠を空中に静止させた。
厄介な魔法の使い手が現れたと見るや、盗人はなりふり構わず、起き上がるなり死に物狂いで逃げ出した。
ラロリアが捕まえに行こうとすると、ウェルズが手を伸ばしてそれを制した。
「どうして行かせてくれないのよ?」彼女は振り返って食ってかかった。
「ここの警察も、俺と同じで調書なんて面倒だと思ってるだろうさ」ウェルズは言った。
「この悪党!」彼女はかっとなって言った。
「盗人がこの辺りの地形を知らないはずがない。細い路地を何本か抜けられたら、もうお前には見つけられない。無駄骨はやめておけ。常習の盗人としての俺からの忠告だ」
「屁理屈!」彼女は怒鳴ると、そのまま一人で追いかけていった。
「お前の服従性テストの成績は零点だ」
ウェルズはその背中に向かって声を投げた。
二人の言い合いが途切れたところへ、ちょうど婦人の声がかかった。
「ありがとうございます、義侠心あふれる魔法使い様。あなた様が助けてくださらなければ、私と子供たちは何日も飢えるところでした」
婦人は慌てて手を伸ばし、空中のパンを籠に収めた。今度は籠をしっかりと胸に抱きしめ、二度と奪われまいとしている。
「礼として、いくつか答えてもらおう」ウェルズは言った。
「私の知っていることなら、必ずお話しします」婦人は感激のあまり涙を流し、今にも跪かんばかりだった。
「光臨区の連続殺人事件について知っているか?どんな情報でもいい」
「連続殺人事件ですか?知っています。殺し方がとても恐ろしくて、殺された人のお腹を切り裂くんです。そのせいで、最近は警察から日が沈んだら家を出るなと言われています。でも人から聞いた話では、この殺人犯は命だけでなく金も奪うそうで、被害者が身につけていた金目の物はみんな持ち去られたとか。被害者の中にはお金持ちもいて、工場を営んでいる家が多いようです」
「それだけか?」
婦人は懸命に記憶をたどった。
「これ以上は分かりません。でも、私の知り合いなら、もっと詳しく知っているはずです」
「ハンクさんという方です。もとは田舎で肉屋をしていましたが、心根が優しくて頼りになる人で、今は食品加工労働組合の代表をしています。私と子供たちのことを何かと気にかけてくれて、事情通でもあるんです。組合の住所を訪ねて、パンを奪われた婦人の紹介だと言ってください」婦人は手短に伝えた。
「分かった」ウェルズは頷いた。
婦人と別れた後、ウェルズはその場でしばらく待った。
ほどなくして、埃まみれになったラロリアがようやく元の場所に戻ってきた。
「だから無駄骨だと言っただろう」
「あんたがすぐに追わせてくれなかったせいでしょ!」
不毛な言い合いを何度か繰り返してから、ウェルズはようやく自分の収穫を話した。
「それで、今からその労働組合の代表を訪ねるの?労働組合の代表って何?」
「労働組合の代表は労働者をまとめて、雇い主に権利を求める役目だ。顔も広いはずだから、いろいろと情報を持っているかもしれない」
「なかなか正義っぽいじゃない。じゃあ行きましょう」
二人は連れ立って、あまり清潔とは言えない街区をいくつか通り抜けた。やがて目の前に、嘉徳市食品加工労働組合の看板が見えてきた。
扉を押して建物に入ると、中では質素な服装の男が二人、話をしていた。
「組合から金貨一枚分の援助が出せる。コレラにかかったんだ、ゆっくり休むといい」心からの熱意を込めてそう言うと、男は引き出しから紙幣を一枚取り出した。
「ありがとう、本当にありがとうございます、ハンクさん!あなたがいなかったら、俺たちは本当にどうしていいか分からなかった!」男は感激しきった顔で金を受け取り、帰っていった。
そのやり取りを見る限り、この組合の指導者は確かに私心なく人のために尽くし、できる限りの手助けをしているようだった。
相談者を送り出してから、ハンクはようやく二人のほうを向いた。
「失礼ですが、お二人は?」
「俺はウェルズ。こちらはラロリアだ」
「お二人が我々食品加工労働者の組合へ来られたのは、どういったご用件で?」
ウェルズはかすかな敵意を感じ取った。見せている顔ほど温和な男ではないらしい。もっとも、ラロリアが上流社会の出だとは誰の目にも一目で分かる。底辺の者から敵視されるのは避けようがなかった。
「パンを奪われた婦人の紹介で来た」ウェルズは、自分がその婦人を助けたこと、そして彼女にハンクを訪ねるよう勧められたことを手短に説明した。
「ああ、彼女ですか。あの不運な女性ですね」聞き終えたハンクはため息をついた。
「彼女の夫は機械に腕を巻き込まれて切断するしかなくなったのに、受け取れたのはわずかばかりの補償金だけでした。最後には足手まといにならぬようにと、夫は川に身を投げる道を選び、彼女と二人の子供を残していったのです」
彼のため息は長く尾を引いた。この街の川のように、その悲しみは嘉徳川の濁流の下に埋もれ、日の目を見ることがない。
ひとしきり嘆いてから、彼は尋ねた。「それで、私に何かお手伝いできることが?」
その口調にはまだ警戒が残っていたが、ずいぶんと和らいでいた。
「ここへ来たのは、あなたの人脈を頼って『掘臓人』の事件の手がかりを集めたいからだ。犯行の時刻、場所、被害者の遺族などを含むが、それに限らない」
「失礼ながら、『掘臓人』を調べる理由を伺ってもよろしいですか?」
「義侠心だ」
「驚きました。その言葉が高貴なお二人の口から出るとは」彼は首を振って嘆息した。「大袈裟だと責めないでください。身なりのいい獣を、私は嫌というほど見てきましたので」
「お二人のために情報を集めることはできますし、警察の捜査情報を買い取ることもできます。ただし費用として金貨八枚をいただきます。いかがでしょう?」
少し高いが、まずまず妥当な値段だった。求めている情報は時間をかければ済むもので、組合の指導者のような人脈のある者にとっては難しくない。ウェルズは頷いて承諾した。
「問題ない」
「では、あなた様のご住所をお教えください。調査の結果はそちらへお送りします」
取引が成立すると、二人は組合を後にした。
「下層区って本当に汚いわね。一秒だっていたくない」
帰り道、ラロリアはつま先立ちで一歩一歩またぎながら、地面の汚物を避けていた。
壊れた石畳、水溜まりと混じり合った泥砂、そして通りに捨てられたまま誰にも顧みられない大量のごみ。ここの環境は確かに劣悪だったが、この狭い空間には、農村から都市へ働きに来た無数の人々がひしめいていた。
ラロリアの愚痴に取り合わず、ウェルズは彼女を連れて中層区へ向かった。組合は中層区からさほど遠くなく、歩いてそこの地下鉄の駅まで行けるからだ。
ほどなく、下層区と中層区の境界をなす嘉徳川が二人の前に現れた。
幅十メートル余りの濁った川で、上流からごみが流れてくるのが時折見えた。川面には客を乗せた渡し船が何艘か上流と下流を行き来し、道の突き当たりに架かる、石煉瓦とコンクリートで造られた巨大なアーチ橋の下をくぐっていく。
この橋こそが、白と灰色の二つの世界を分けていた。中層区にはよく修繕された家屋と整った石畳があるが、こちら側の家屋は黒い煤をまとい、石炭に燻された跡だらけだった。燻煙は近隣の工場と地下鉄の排煙によるもので、汚く不衛生だが、誰も洗い落とそうとはしない。
「うわ……この川、すごく汚い……毒の川じゃないの?」彼女は口を覆い、嫌そうに言った。
「この川は昔はこんなじゃなかったんだ。俺がもっと小さかった頃は、川底も中の魚も見えるほど澄んでいた。今じゃ工場が廃水を流し込むだけじゃなく、大勢の人間の生活排水まで飲み込んでる。魚もほとんど残っていないし、捕まえたって俺は食う気になれないよ」
口を開いたのは、橋のたもとに立ち、胸に木の掛け板を吊るした新聞売りの少年だった。掛け板の上には、さまざまな新聞や刊行物が並んでいる。
「お二方は環境を大事になさっているようですね。この『永続報』はいかがですか?緑の党が支持している新聞で、汚水処理施設の建設と都市への移民の削減を訴えています」
「ああ、一部もらおう」
少年に熱心に勧められ、ウェルズは銅貨を数枚出して新聞を一部買った。
新聞を手にした二人は橋を渡り、対岸の駅から地下鉄で宿へ戻った。
宿に戻ると、中では何かの催しが開かれていた。小さな舞台に男が立ち、何事かを声高に訴えている。よく聞けば、その内容はまさに『永続報』に載っていた政見で、緑の党への支持を呼びかけていた。どうやら緑の党を支持する重要人物らしい。
政治演説と分かると、興味のない二人はそれぞれの部屋へ引き上げた。
静かな一夜は瞬く間に過ぎた。翌朝、けたたましい呼び鈴の音でウェルズは目を覚ました。
「こんな朝早くから……誰だ」起き上がったウェルズは、ベッドの脇に掛けてあったマントを取り、シャツの上に羽織った。
部屋を出ると、ラロリアも同じく寝ぼけ眼で出てきた。
「お前が呼んだのか?」
「知らないわよ」
二人はぶっきらぼうに挨拶を交わした。
ウェルズが扉を開けると、外に立っていたのは、厳しい顔つきをした数名の警官だった。
「突然失礼します。お二人は夜間、何か異常な物音をお聞きになりませんでしたか?」
警官の厳しい問いかけに、二人はただ事ではないと悟った。
二人は揃って首を振った。
「昨夜は妙な音など聞いていない」ウェルズは言った。
「私もよ。ここのベッドはなかなか上等で、横になったらすぐ眠っちゃったの。今朝はこの呼び鈴で起こされたところ」ラロリアは答えた。
「何かあったのか?」ウェルズは尋ねた。
「お二人の隣の部屋の宿泊客が、今朝、部屋の中で遺体となって発見されました」
二人は顔を見合わせた。どちらも驚きを隠せない。
「実を言うと、俺は三階魔法『窺秘の眼』が使える。現場を見せてもらえないか?何か分かるかもしれない」ウェルズは提案した。
窺秘の眼は古典的な魔力探知魔法である。警察が三階の魔法使いを派遣して現場を鑑定するまでにはまだ時間がかかる。警官たちはひそひそと言葉を交わしてから言った。
「構いません。ただし、現場を損なう恐れのある行為は一切しないでください。法術の発動も含みます」
「被害者の死に様は極めて凄惨です。心の準備をなさることをお勧めします」警官は付け加えた。
ウェルズは小さく笑った。「死人が生きた人間より怖いものか。動き出さない限りはな」
警官に案内されて隣の部屋へ向かうウェルズを見て、ラロリアも後についていった。
部屋の外にはすでに警察の規制線が張られていた。それを越えて中に入ると、台所付きの広い部屋で、家具の類は何でも揃っている。そして視線の奥、ダブルベッドの陰になった場所から、両足と広がった血痕がのぞいていた。
二人は警察の監視の下、第二の規制線に沿ってダブルベッドの前まで進み、遺体と対面した。
死者の顔は蒼白で、目鼻口からかつて流れ出た鮮血は、今はもう乾いていた。表情は苦痛のために異様に歪み、飛び出した眼球が天井をじっと睨みつけている。
ウェルズはこの人物を見たことがあった。昨夜、小さな舞台で政治演説をしていた男だ。
彼はしっかりと固定され、手のひらだけが動かせたらしい。十本の指の下の床には、もがいた際に残った引っ掻き傷があり、指の爪もほとんどが砕けて血を流していた。だが最も恐ろしいのは、その空洞になった腹部だった。中の臓器と血肉は残らず抉り取られ、肋骨が剥き出しになっている。空洞の腹はシャベルで削られた凍土のように、でこぼこと穴だらけだった。
遅れて来たラロリアは、遺体を見るなり、その端麗な顔から血の気が引いた。
「ちょっと外に出てる」生臭い臭いと死体の凄まじい形相に打ちのめされ、彼女は腹の底から込み上げる悪寒と吐き気をこらえながら、口を押さえてその場を離れた。
ウェルズはただ静かに眺め、三階魔法の窺秘の眼を発動した。
「魔法で固定された痕跡がある」彼は死者の傍らの空いた場所を指した。「この魔力の残量からして定身術だ。術者は悪趣味で、わざわざ手のひらの部分だけ拘束を解いている。被害者がもがいて自分の爪を折るのを見るためだ」
彼はさらにベッドを指した。「シーツがめくられている。シーツの位置からすると、死者はもともとベッドに座っていて、立ち上がって物を取ろうとした時に定身された。相手は不可視化を使ったのだろう。死者は何も気づかないまま定身され、床に倒れた」
「その後、加害者は動けない死者の体を広げ、鎮痛もせずに刃物で臓器の大部分を抉り取った。そして窓から飛び出して逃走し、羽毛落下を使った」彼はさらに窓を指して言った。
「これが魔力の残滓を感知した上での答えだ」
「恐ろしい。なぜこんなことを」警官は話を聞き終えると、丹念に書き留めた。
「最も可能性が高いのは復讐、次は魔法材料を集めるための無差別殺人だ。魔法材料の中には、強い苦痛の感情に満ちた人体の部位を必要とするものがある。そうした部位を使うのは、狂った魔法使いか邪教徒と相場が決まっている」
「ご協力に感謝します」警官は言った。
「最近、下層区でも似た事件が起きていると聞いたが?」
「その通りです。ただ、中層区で見つかったのはこれが初めてです」
「服装からすると、死者の身分は小さな工場主といったところか。上も少しは重く見るだろうな。以前の死者の周りでも魔法の痕跡は見つかっていたのか?」ウェルズは探りを入れるように尋ねた。
「申し訳ありませんが、我々は他の事件の詳細を把握しておりません」
当然のことながら、帝国の警察はそう気前よく情報を公開しはしない。だがウェルズも十分な情報は得ていた。
ウェルズは部屋を後にした。
廊下に出るとすぐ、戸口に立つ顔色の悪いラロリアが目に入った。
「……気持ち悪くないの?」
「ただの死人だ。見慣れれば平気になる」ウェルズは淡々と言った。「下で朝食にしよう、鳥の巣頭」
「よく食欲があるわね……」
ラロリアは彼について宿の広間へ来た。静かな隅の席を選んで座り、料理を注文した後も、ラロリアは相変わらず食欲がなく、いつまでもスプーンを手に取ろうとしなかった。
「ずいぶんとひ弱だな。死体を一つ見ただけで飯も喉を通らないとは」
「ふん……!あんなもの見たって何も分からないし、見る価値なんてないでしょ」
「読み取れる情報は山ほどある。お前がそれを見つけられるかどうかだ。もっとも、死体すら見られないお前じゃ、入口にも立てないがな」
「へえ?じゃあ、あんたは何が見えたのよ?下層区の事件と関係あるの?」ラロリアは強情に言った。「そんなのバカでも分かるわ。手口でしょ、誰だって知ってる」
「それだけじゃない。俺はもう犯人の背景まで見当がついている」
「ありえない。嘘でしょ」彼女はあからさまに信じていない顔をした。
「だから、お前には物事を見抜く目が足りないんだ」ウェルズは首を振った。「実のところ論理は単純だ。話せばお前にも分かるだろう」
「まず、身につけていた装飾品からすると、死者は工場主らしい。そうだろう?」
「それがどうしたのよ?」
「まともな工場主が、どうして緑の党を支持する?環境保護を支持するというのは、生産コストの上昇を意味する」
ラロリアははっとした。確かに一理あるようだ。
「それで、工場主でありながら緑の党を支持している。答えは明らかだ。奴は無煙炭か廃水濾過器の工場主だろう。俺は無煙炭が最も有力だと思う。環境保護法案が通りさえすれば、無煙炭は市場を広げて、今使われている石炭に取って代わる機会を得るからな。だから奴は緑の党を支持していた」
「そうなると、奴の死を望みそうな相手は何通りか考えられる。環境保護法案に反対する党派、石炭の主要生産会社、さらには労使関係だ。もちろんこれは推測に過ぎない。単に通りすがりの殺人狂の気まぐれだったという可能性も十分ある」
ラロリアは呆気にとられた。推測に過ぎないとはいえ、これほど細部まで詰められるとは思わなかったのだ。
「もちろん、確認のために背景調査もいくらか必要だ」
「だから、しっかり食って精をつけろ。ハンクが情報を届けてくるまで、俺たちの仕事はこの件を調べることだ」
死者の身元を確認するのはいたって簡単で、二人は外に出る必要すらなかった。食事をとっている間に、今朝の新聞がすでに報じていたのだ。
「死者のシュミットは無煙炭の工場主……やはり俺の推測通りだ」ウェルズは言った。
「今日は手分けして奴の情報を調べるのはどうだ?午後四時にここで集合だ」
「いいわよ」ラロリアは頷いた。
ラロリアと別れてからのウェルズの調査は手早かった。
通行人から工場の場所を聞き出すと、彼はそこへ向かった。
広々とした工場で、建材は粗いものの汚れてはいなかった。中では数名の労働者が忙しく荷物の積み下ろしをしている。
昼休みになるのを待ち、ウェルズは工場から出てきた数名の労働者に歩み寄った。近くへ食事に行こうとしていたところを呼び止める。
「少々お邪魔します。シュミットさんについて、皆さんにいくつか伺いたいことがあります。これは皆さんの酒代です」
言い終えるや否や、額面一角の帝国硬貨が一枚、彼の指に弾かれて、先頭の労働者の前へ正確に落ちた。
「シュミットさんの何を訊きたいんだ?」労働者は硬貨を受け取った。金と喧嘩する者はいない。
「何でもいい」
「ええと……シュミットさんはとても善良な人だ」「笑うと豪快でな」「鼻の横にほくろがある」「それに、かわいい娘さんがいる」労働者たちは思いついたことを口々に言った。
「とても善良な人?なぜだ?」ウェルズは機敏に要点を捉えた。
「あの人の出す賃金は、他より五分の一も高いんだ」「そうそう、それにこの工場は広くて、他の工場みたいに詰め込まれてない」「シュミットさんは安全対策をしっかりやれと、俺たちに注意してくれる」「それにな、シュミットさんは働いている俺たち一人一人に保険をかけてくれた。万一のことがあっても補償金がもらえる。あの人は他の工場主と違って、本当に俺たちのことを気にかけてくれてるんだ!」
「労働者にはずいぶんいい人だったようだな」
「当たり前だ。シュミットさんはこの辺りで一番評判のいい工場主なんだから!ああそうだ、この前、何人か労働者が病気になった時も、シュミットさんは首にするどころか、果物を持って見舞いに行ったんだ」労働者たちは心からそう語った。
「評判は相当いいらしい。労使関係の怨恨による殺しではなさそうだ」とウェルズは考えを巡らせた。
「では、最近この工場を買収しようとした者はいるか?」ウェルズは尋ねた。
「聞いたことないな……」「いない」「知らない」
ウェルズは失望を禁じ得なかったが、否定の声の中から、不意に一つの肯定が上がった。
「いる……俺が事務室の時計を修理していた時、シュミットさんと外の人間の話を偶然聞いたんだ!」
「その外の人間は『騁馳』から派遣された者らしかった。自分たちの会社は無煙炭の将来性を高く買っていて、この工場を買収したいと言っていた。みんな知ってるだろう、騁馳なんてろくでもない会社は待遇が最悪だ。あいつらに買収されたら、俺たちの福利は消えちまう!あの時は本当にひやひやしたが、幸いシュミットさんはその申し出を断ってくれた」
ウェルズは騁馳についての情報を思い返した。
騁馳連合ホールディングスは大型の企業連合で、所有者は帝国貴族だと噂されている。その力もあって、瞬く間に衛西行省の筆頭に上り詰めた。傘下には騁馳製鋼、騁馳銀行、騁馳紡績など、行省内で指折りの産業を抱えている。
「悪くない情報だ。殺しを依頼する動機はある。だがまだ少し弱い。もう少し掘り下げてみる価値はある」
約束の時刻の少し前まで情報を集めてから、ウェルズは宿へ戻った。
ほどなくして、ラロリアも約束の場所にやって来た。
「何かいい情報は集めてきたか?なければ、あまりに役立たずだぞ」
「ふん!情報集めで言えば、本当の役立たずはあんたのほうに決まってるわ!」ラロリアは負けん気を見せて言った。「私はちゃんと調べたんだから。あのシュミットって人は、この地元の緑の党の大口の後援者よ。もっとも、緑の党の規模が小さすぎて、地元の議会の五パーセントしか占めていないから、工場を一つしか持たないシュミットでも大口の後援者になれたってわけ」
「今、緑の党はシュミットが死んだと知って、減ってしまう後援金のことで頭を抱えてるところよ!」
「役に立たない緑の党だな……帝国人が環境保護を重んじないのも無理はない。何しろ大半はまだ、奴隷制の廃止と飯を食うことを気にかける段階に留まっているんだからな」ウェルズは言った。
「怒ったわよ!二言三言で人の国を侮辱するのはやめてくれない?」彼女は毛を逆立てた猫のように、ひどく不機嫌だった。
「はいはい」ウェルズはおざなりに答えた。「それはそれとして、この情報はどれも掘り下げる価値がある。あとでハンクの情報と突き合わせられる」
「騁馳の会社を調べるの?」
「従業員が千を超え、十数の企業を抱える財閥を調べる時間は俺たちにはない。この件はイチゴジャムに任せる」
「ああ、あの桃色の髪の女ね。確かにイチゴミルクのパッケージみたい」
「でも騁馳といえば、実は私、少し情報を持ってるの」ラロリアは言った。
「ほう、聞かせてみろ」ウェルズはやや意外そうだった。
「ライカベサの終末救贖者が、帝国から血ダイヤを一山買い入れていたのは覚えてるでしょ?あんたに計画を潰されはしたけど、あの血ダイヤは実は騁馳鉱業が採掘したもので、産地は嘉徳川の上流なの。これは私がライカベサを離れる数日前に調べた結果よ」
「騁馳という財閥が終末救贖者と関わりを持っている可能性は高そうだな」
「とにかく、明日はシュミットの家族を訪ねて、最近の様子を訊いてみよう。もしこれが計画的な殺人なら、手がかりが残っているはずだ」
方針が決まると、二人はそれぞれ休み、明日の出発に備えた。




