第二十章 昇級
自らを修復すると、フリーデには周囲のすべてがいっそう鮮明に感じられるようになった。オーロラの本当の姿さえ、おぼろげに察せられるほどだ。
美少女の外見は殻に過ぎない。表皮の下にある、濃密な魔力を帯びた軟泥こそが彼女の本体なのだ。それでも、その善良な心が変わったことはないと、フリーデは信じていた。
オーロラの体内に秘められたすべてをより鮮明に感じ取れるようになっただけではない。さらに深まった空間感知によって、広間の王座の裏に隠された秘密にも気づいていた——そこに、何かが隠されているらしい。
魔法で王座の裏の仕掛けを作動させると、暗号を入力するかのように、隠し棚の錠を開けることに成功した。
長い歳月を経てなお、仕掛けは壊れていなかった。床に転送陣の光が灯り、その中から銀製の台座がゆっくりと浮かび上がってくる。
「この台座だけでも、高く売れそう!」オーロラが感嘆の声を上げた。
台座の上にはガラス玉が一つ置かれ、中には薄暗い紫黒色の物質がひと塊、収まっていた。
フリーデはガラス玉を手に取り、金色に輝く瞳の前にかざして、興味深げに眺めた。
紫黒色の物質は、何気なく揺らすと気体のようにゆらゆらと漂い、動きを止めるとまた、どろりとした液体に固まった。
「魔力の塊みたいだけど、こんな形態の魔力は見たことがない」フリーデはぽつりと呟いた。
「働きとしては、古代の魔法の巻物に近い気がする。握り潰すだけで効果を発揮するのかもしれない」
「ひとまずしまっておこう。いつかこれが何なのか分かるかもしれない」
それをしまうと、フリーデは広間の彫像へと目を向けた。
彫像の下に添えられた文言を読みながら数体を見て回り、やがて一体の剣士の彫像の前で足を止めた。
「レオ・メリセノ」フリーデはわずかに顔を上げ、彫像を見つめた。その右目には細い縦線が一本刻まれ、閉じた目のように見える。レシナの右目の包帯が、「片目でも十分間に合いますもの」と言ったときの笑顔が思い出されて、しばし言葉が出なかった。
「行こう。ここにはもう見るものはない」フリーデは身を翻して立ち去った。
二人の少女は来た道を辿って荒涼とした都市の廃墟を後にし、グスタフの設けた臨時の陣営へ戻った。
虫の森の一件を無事に片づけたこともあって、陣営の人々は戦いの前よりずっと寛いだ様子だった。
陣営に戻るなり、グスタフが二人を出迎えにやって来た。
「こんばんは。我々は明日、絶域城へ向けて出発します」彼は二人の少女にこの先の予定を告げた。
臨時の陣営で、二人は同じテントで眠った。
「こんなことがあったんじゃ、まだ無序空間に研究に来たがる人なんているのかなあ」オーロラが嘆息した。
「絶域城に戻ったら、あなたはどこへ行くの?」フリーデが尋ねた。
「どこへって……まだ決めてないんだ」
フリーデはすでに、自分が国を滅ぼした理由を突き止めていた。だが、かつてなぜ主のもとを離れ、最後には終末救贖者の手に落ちることになったのかは、いまだ分からないままだった。
唯一の手がかりは、終末救贖者だった。
「あたし、ここを離れて世界を旅して回るつもり」そのとき、オーロラが唐突に言った。
「そんな急に……?家族はどうするの?」
「平気よ。あたしももう大きいんだから、どこへ行こうとあたしの自由でしょ」オーロラは少し間を置いて続けた。「それにね、あたしがここを離れるのは、あの人たちにとってはかえっていいことかもしれないの」
「どういう意味?」
「あたしが軟泥になった姿は、もう大勢に見られちゃった。だから虹湾王国を出るつもりなの」彼女はため息をついた。
オーロラが案じているのは、自分が「怪物」になったことが広まることだろう。そうなれば、特殊な体質は必ず多くの注目を集める。それは決して良いことではない。
「それに、グスタフはあたしの正体を知ってるし」
「彼が言いふらすとは限らない」
「上の人に真相を訊かれたら、あの人は絶対ありのまま報告するよ。それくらい堅物なんだから。あたし、あの人の話を聞いて育ったんだもん」オーロラはやるせない苦笑いを浮かべた。
フリーデは何も言えなかった。ここを離れるのが、彼女にとって本当に最良の選択なのかもしれない。
「だから、ここを離れるのが唯一の方法だと思うの」彼女は真剣に言った。
「いつ発つつもり?」
「今」
彼女は不意に立ち上がると、懐から鍵を一本取り出した。
「事務所の家賃はもう払ってあるから、大家の奥さんに解約するって伝えといて。事務所の中の物で欲しいものがあったら、持っていって。遠慮しないでね!」
あまりに唐突な話に、フリーデは一瞬呆気にとられたが、それでも頷いた。「あなたの後事は私が引き受ける」
「あたしが死んだみたいに言わないでよ!」オーロラは思わず突っ込んだ。
「あたしたち、きっとどこかでまた会えるんだから」彼女はテントの中の銀髪の少女に手を振って別れを告げた。
そう言うと身を翻し、天幕の外の深い夜の闇へと歩み去っていった。
「また会える」その後ろ姿を見送るフリーデの胸に、ほのかな寂しさが込み上げた。
しばらく、ぼんやりと時が過ぎた。
不意に天幕の垂れ幕がめくられ、顔を覗かせたのはほかでもないオーロラだった。
「あちゃー、うっかりリュックを忘れちゃった。忘れ物ばかりする人に、美少女を名乗る資格はないもんね」
彼女は床に置いてあったリュックを拾い上げ、ばつが悪そうに笑った。
「今度こそ本当にさよならね」リュックを提げると、彼女はもう一度手を振って去っていった。その笑顔が、この別れをきれいに締めくくった。
沈黙が再びフリーデを包んだ。いつかどこかで「大食い美少女」の噂を耳にしたなら、それがオーロラの旅の足跡なのだろう。
かつてない新たな旅路が、オーロラを待っている。
翌日、グスタフはオーロラが途中で隊を離れたことについて何も訊かなかった。
フリーデは静かに隊列とともに絶域城へ戻った。だが、穏やかならぬ嵐が、暗がりでひそかに動き出していた。
事務所に戻ると、オーロラと暮らした日々の一コマ一コマが、今もありありと目に浮かんだ。自分の荷物をまとめてトランクに詰めると、一階に住む大家の奥さんに鍵を返そうと階下へ降りた。
「発つ前に、レシナの顔を見に行こう」そう考えていたとき、大家の奥さんが声をかけてきた。
「あんたたち、出ていくのかい?行く前に、郵便受けに取り忘れた手紙がないか確かめるのを忘れないでおくれよ」
その言葉で、フリーデは郵便物を確かめていなかったことに気づいた。
事務所の戸口まで来て鍵で郵便受けを開けると、中には数通の手紙が入っていた。どれもオーロラ宛てだった。
「レストランの優待券……衣料品の割引案内。価値のないものばかりね」確かめてみると、大半は役に立たない広告だった。
そのとき、一通の手紙が彼女の目に留まった。差出人の住所は、なんとリエンリス学院——つまり虹湾王国の首都にある学院だった。
「送ってきたのはオーロラの同級生のはず。確かオーロラは、レシナのマフラーを妹に送ってほしいと彼女に頼んでいた」
オーロラは事務所の物を好きに持っていっていいと言っていたのだから、この手紙を開けても罪にはならないだろう。それに取り次いだ身として、品物が無事に届いたか確かめる義務もある。
だがなぜか、胸の奥に強い嫌な予感がこみ上げてきた。
封を開け、記された文字に丁寧に目を通した。
「天下一の美少女ララへ:おかしいおかしい、そんな人見つからないんだけど?教務課のイケメン主任でさえ、『セリーナ・メリセノ』なんて人は調べても出てこないって言うんだよ!ララ、おばかさんみたいに字を書き間違えたんじゃないの?送ってくれたマフラーには手をつけてないから、そのまま送り返しておいたよ。天下二番目の美少女、ヴァレンティナより」
「そんな人物は、そもそもいない……!?」
天を裂く雷鳴のような衝撃に、フリーデはたちまち平静を失った。
驚愕のさなか、フリーデの頭の中に無数の考えが次々と押し寄せた。
学院にそんな人物がいないのなら、妹は学院にいるとレシナに告げた者は、いったい何を企んでいたのか?これまでレシナと手紙をやり取りしていたのは誰なのか?彼女が苦労して貯めて送ったあの金銭や品物は、どこへ行ったのか?
そして何より——彼女の妹は、いったいどこにいるのか?
次々と浮かぶ疑問、そしてこの残酷な真実がレシナに与えかねない壊滅的な打撃を思うと、それ以上は深く考えるのが怖かった。
「とにかく、すぐにレシナにこのことを知らせないと」
階段を駆け下り、急いでレシナの家へ向かおうとした。
「あらまあ、あたしの物覚えときたら金魚並みだよ。銀髪のお嬢さん、あんたたちの小包がまだここにあるんだけど……!」
大家の奥さんは小包を一つ抱えて階段を上ろうとしていた。正面から駆けてきたフリーデは身をかわしてすれ違いざま、その手から小包を受け取った。紙袋の形には見覚えがある。そのまま送り返されてきた、あのマフラーだ。それを胸に抱え、振り返りもせず大通りへ駆けていった。
「なんだってあんなに慌ただしいんだか……」
しかし、息を切らしてレシナの家の前に辿り着いたフリーデが目にしたのは、力ずくで断ち切られた鉄の錠と、半開きの扉だった。
「これは、どういうこと?」
張り詰めた思いで扉を押し開け、中に入る。かつては清潔に整えられていた居間は見る影もなく荒れ果て、激しく抵抗した跡がはっきりと残っていた。
レシナの先祖が残したあの長剣も消え失せ、壁の剣掛けは空っぽだった。
「レシナ……!いるなら返事をして!」何度も呼びかけたが、返事はなかった。
素早く侵入の痕跡を調べると、荒らされた跡は二階には及んでいなかった。つまり、レシナは一階で侵入者に力ずくで連れ去られたのだろう。
「どうしてこんなことが……!?」
家を飛び出すと、近所の人々に何があったのかと焦って訊いて回った。
だが尋ねられた住民は、怯えて首を横に振るか、目を逸らして口をつぐむかのどちらかだった。
がらんとした通りに立ち尽くし、フリーデはしばし途方に暮れた。




