第十章 祭り
祭礼節を数日後に控え、フリーデは規則正しい生活を続けていた。毎日決まった時間に、雲雀事務所とレシナの家とを行き来している。
この日の朝、事務所の扉を開けると、暇を持て余したオーロラが事務机の前に腰掛け、のんびりと茶を淹れていた。
「おはよう」
「おはよう〜」
二人は挨拶を交わすと、それぞれ椅子に腰を下ろして一息ついた。
「今日、受ける依頼は何かある?」フリーデは何気なく尋ねた。
「こんなに何日も寝込んでたら、しばらくは依頼を受ける気になれないなあ。そうね……いっそ祭礼節が終わるまで休んじゃおうかな」
半面の仮面を着けたオーロラは気怠げにあくびをして、カップの熱い茶をひと口すすった。その仕草のひとつひとつが優雅で、人を惹きつける。
「分かった」
オーロラに仕事をする気がないと分かると、フリーデは空間の指輪から昨日集会所で借りてきた古書を取り出し、椅子に座って静かにページをめくり始めた。
「何の本読んでるの?ここ数日、暇さえあれば本を読んでるみたいだけど」オーロラが興味津々といった様子で寄ってきた。
「『無序空間』に関する文献。この空間のそもそもの来歴を調べたいの」
「来歴……?」オーロラは首を傾げ、記憶を手繰るような仕草をした。
「確か、何百年も前からある場所だったはずよ。無序空間のおかげで、この辺りの空間法則はやけに不安定なんだけど、それがかえって好都合で、魔法使いたちはいろんな高階の空間転移実験を簡単にできるの」
そこまで言うと、ふと何かを思い出したように人差し指を立てた。「そうだ……!前に、どこかの歴史の授業で教授が言ってた気がする。無序空間に覆われてるあの区域には、昔、古い国があったんだって!」
「国……?その国について、何か覚えていることはある?」フリーデの眼差しが鋭くなった。
「うーん……うろ覚えだけど……古代の共和国で、都市国家を中核にして領地を治めてたんだったかな。それに『実力による加重投票』っていう制度を採ってて——魔法の階級が高い市民ほど持ってる票が多くて、それで毎年、最高執政官を選んでたの……ごめんね、それ以外は何も知らないんだ」
彼女は少しきまり悪そうに舌を出した。
「ありがとう。それだけでも、私が今まで聞いたこともない貴重な情報よ」
オーロラの話を聞くうちに、フリーデの脳裏には、魔法文明の栄えた古の国の姿がおぼろげに浮かび上がってきた。
それから再び視線を落とし、黄ばんだ文献の続きを読み始めた。
古代の魔導師プロコピオスが著した『未知区域探査』。その中に、こんな記述がある。
「……探査によれば、無序空間の内部では時折、古代の祭礼の衣装をまとった干からびた屍骸が見つかる。また、無序空間の深部およそ三百キロの地点には、損壊した巨大な古城が隠れているらしい。『標識探知器』のデータでは、無序空間の総深度はおよそ三百キロである。私が推測するに、次元晶壁の何らかの力があの都市の周囲の空間を安定させており、そのおかげで無秩序な空間乱流の中にあっても、完全に引き裂かれずに済んでいるのだろう。防護水晶を携行すれば、無序の法則による浸食を一時的に防ぐことはできる。しかし、あの空間の中では補給の途絶と未知の危険に対処する術がない。ゆえに私は生涯、ついにあの古城に足を踏み入れることが叶わなかった……」
「この文章が書かれたのは、三百年以上前……」フリーデは独りごちた。
魔力が今よりはるかに豊かだった三百年前の黄金時代でさえ、強大なプロコピオスがあの都市に辿り着けなかったのだ。今となっては、難度が何倍にも増しているのは当然だった。
だが、もし本当にあの古城に辿り着ければ、古代共和国についてさらに多くの手がかりが得られるはずだ。そうすれば、確かめられるかもしれない……あの国が本当に、ウェルズの言うとおり「自分」の手で滅ぼされたのかどうかを。
「あー……またお腹空いてきちゃった。もう何人分か買い足してこようかな」
フリーデが本に没頭しているうちに、オーロラは机の上の菓子をあっという間に平らげ、さらなる食べ物を求めて出かけようとしていた。その驚異的な食欲に、フリーデはまたしても心配そうな顔になった。
「オーロラ……あなたの体、本当に大丈夫なの?」
「平気平気!」金髪の少女は平らなお腹をぽんと叩き、安心させるように明るく笑った。「ほら、今こうしてぴんぴんしてるでしょ!」
「でも、今のあなたの食べる量、どう考えても普通じゃない……本当に大丈夫なの?」
「もう、食欲があるのは健康な証拠でしょ!」彼女はわざと怒ったふうに口を尖らせた。「これ以上くどくど言うなら、この天才美少女様は怒っちゃうんだから!フリーデは、あたしの言うことが信じられないの?」
相変わらず元気いっぱいで、軽口を叩き返す余裕まである様子に、フリーデはようやく少し安堵した。
「ただ心配なだけ……こんなに食べていたら、そのうち『美少女』を名乗れなくなるんじゃないかって」フリーデは真顔で突っ込んだ。
「うっ……なんて鋭いの……」まるで胸に矢を深々と突き立てられたかのように、オーロラは苦悶の表情で胸元の服を握りしめた。そして、夫に捨て置かれた妻のような恨めしげな目で、フリーデをじっと見つめる。「もし……もしあたしが本当に太っちゃっても……フリーデはあたしのこと、愛してくれる?」
「いえ……いくらなんでも、その質問はあまりにも……」突然そう問われて、恋愛経験に乏しい兵器少女はその場で固まり、どう答えればいいのか分からなくなった。
「ひどい!フリーデの浮気者!見た目ばっかりで、すぐ新しいものに目移りする悪者!」フリーデがすぐに「もちろん」と言わないのを見るや、オーロラはたちまち芝居がかった調子になり、全身でぴったりとすがりつくと、どこから出したのかハンカチを振ってフリーデの頬をぱたぱたと叩きながら、大げさに抗議した。
ちょうどその時、事務所の扉が何の前触れもなく押し開けられた。
「オーロラ、それにフリーデ、入りますよ……!」
現れたのは、なんと市庁顧問のルーンだった。事務所に入るなり、彼は二人の少女が抱き合って「いちゃついている」場面に鉢合わせしてしまった。
「えっと……私は……お邪魔でしたか?」
彼はその場に立ち尽くしてしばし呆然としていたが、やがて気まずそうに眉を上げ、恐る恐る尋ねた。
「ええ、お邪魔よ」オーロラはむすっとした顔でじろりと睨み、それからようやく名残惜しそうにフリーデを放して、おとなしく自分の席に戻った。
「では、いったん出て入り直しましょう」察しのいいルーンは乾いた笑いを漏らすと、さっさと戸口の外へ退き、ついでに扉を閉めた。
二秒後、扉の外から礼儀正しいノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
許しを得て、ルーンは改めて扉を開けて入ってきた。今度彼を迎えたのは、椅子にきちんと腰掛け、澄ました顔をした二人の少女だった。
「あら、ルーン大顧問じゃない。今日はどういう風の吹き回し?あたしたちに何か用?」オーロラが先に口を開いた。
「もちろん依頼です」ルーンは冗談めいた態度を引っ込め、表情を引き締めた。「市庁から直接下された緊急任務です——無序空間の中に築かれた『観測哨所』が、昨夜、突然すべての連絡を絶ちました。市庁はただちに捜索隊を派遣し、無序空間の奥まで入って、哨所で何が起きたのかを調査する方針です」
ここ数日文献を読み込んできたおかげで、フリーデも無序空間の現状についてはかなり把握していた。
絶域城は無序空間に最も近い補給の要衝だ。空間内の莫大な価値を開発するため、人類はその内部にいくつもの哨所を築き、実地での魔法実験や古代遺物の探索、高価値の特殊魔鉱の採掘を行ってきた。かつての全盛期には無序空間の二百キロ余り奥まで哨所が置かれていたが、環境の悪化と魔獣の跋扈により、今では外縁から百キロ余りの範囲にある数か所が稼働しているにすぎない。
哨所の内部には高価な魔導エネルギー配管が張り巡らされ、生命維持システムを動かすとともに、研究員が必要とする膨大な魔力を供給している。いわば、これらの哨所は国全体でも屈指の戦略的価値を持つ資産なのだ。
「哨所と連絡が途絶えた?それ、冗談じゃ済まないわよ!」オーロラは目を丸くした。
「そのとおりです。捜索隊は五日後に出発する予定です。首都から連続失踪事件の処理のために派遣される『王令代行者』の到着を待って、一緒に行動できますから」ルーンはそう説明した。「怪物はもうお二人が片付けてしまいましたが、まさかあの代行者様が、ちょうどこの時に役立つことになるとは思いませんでした」
「よし、その任務、受けたわ!哨所にいる罪のない研究員たちのためなら、この天才美少女様が黙ってるわけにはいかないんだから!」オーロラは胸を叩いて請け合った。
「フリーデさんは?この任務を受けるつもりはありますか?」ルーンは傍らの銀髪の少女に顔を向けた。
フリーデは迷わず頷いた。もともと機会を見て無序空間に入るつもりだったのだから、この任務は渡りに船だ。百聞は一見に如かずと言うとおり、捜索隊について空間の奥へ入れば、プロコピオスの書に記されたあの「古代都市」に近づけるかもしれない。そこでなら、きっと自分の出自について、さらに多くの手がかりが見つかるはずだ。
「よかった。それでは、集合場所は市の北城門広場、集合時刻は五日後の午前七時です。この任務にはどんな危険が待っているか分かりません。なにしろ、何が原因で哨所の通信が途絶えたのかさえ分かっていないのですから。お二人とも、くれぐれも準備は怠りなく。幸運を祈ります」
任務の詳細を伝え終えると、ルーンは慌ただしく立ち去った。
オーロラはフリーデのほうを振り向いた。
「無序空間は美容院や服屋みたいに、あたしみたいなか弱い美少女が気軽に出入りできる場所じゃないのよ!万全の準備をしなくちゃ。ここ数日で探索用の魔導具や補給品を買い揃えてくるつもりだけど、あなたの分も一緒に用意しておく?」
「自分でやるからいい。手間はかけさせない」フリーデは軽く首を振った。
平凡な一日はあっという間に過ぎた。夜の帳が下りる頃、フリーデは事務所を後にし、レシナの家へと向かった。
ところが、あと少しで家に着くというところで、突然、聞き覚えのない声に呼び止められた。
「そこの銀色の髪の女の子、ちょっと待ってください!」
フリーデは足を止めて振り返った。呼び止めたのは、この辺りの街区の管理を任されている若い娘だった。好奇心をのぞかせたその顔に、悪意はなさそうだ。
「あの、最近レシナの家に身を寄せてる女の子って、あなたですか?」
「はい、何かご用でしょうか?」
「やっぱり……!街角のおばさんから聞いたんです。最近毎日、すごく綺麗な銀髪の外国の女の子がレシナの家に出入りしてるって。きっとあなただと思ったんですよ」管理人の少女は人懐っこく言った。
「レシナは、この辺りでは有名なんですか?」フリーデは、他人の目に映るレシナに少し興味が湧いた。
フリーデの知るレシナは、明るく快活で、前向きで芯の強い少女だ。不幸にも両親を亡くしながら、妹により良い未来を与えるため、自分のすべてを犠牲にすることも厭わず、懸命に生きている。
「この辺りの通りじゃ、彼女のことを知らない人はいませんよ。なにしろ彼女の家は昔、すごく裕福な貴族だったんです。この通りのお店は、以前は全部彼女のご両親のものだったんですから!」
その言葉に、フリーデはひどく驚いた。
「それなら……どうして今は、紡績工場で重労働をして自分で生計を立てなければならないほど落ちぶれてしまったんですか?夜も徹夜で刺繍をしたり服を縫ったりして、それを売らなければならないなんて」
「はあ……彼女が十三歳の年に、ご両親が事故で亡くなったのは知ってますよね?」管理人の少女はため息をつき、同情のこもった声で言った。「そのあと、一族の欲深くて性悪な親戚たちが、すぐさま禿鷹みたいに群がってきて、ご両親の財産も資産も根こそぎ分捕っていったんです。挙げ句に、この通りでいちばんおんぼろな小さい家を一軒、適当にあてがっただけで」
「それだけじゃありません。あの人たちはレシナの妹まで無理やり連れて行ったんです。後見人として、南の首都リエンリスで貴族の教育を受けさせるんだって。それで毎月『学費』と『生活費』の名目で、レシナから大金をゆすり取っています。レシナが毎日切り詰めて送っているあのお金が……本当にどれだけ妹さんのために使われているのか、知れたものじゃありませんよ」
その話に、フリーデの胸はずしりと重く沈んだ。
自分のわずかな生活費を稼ぐだけでなく、親戚にはゆすられ、首都にいる妹の高い出費まで背負わされている。あれほど働き者のレシナが今も困窮から抜け出せず、自分のために新しいドレス一着買うお金さえ惜しむのも、無理はなかった。
「あまりにもひどい……」フリーデは眉を寄せ、穏やかだった瞳が氷点まで冷え込んだ。「レシナが法的な手段で、本来自分のものである財産を取り戻せるよう、手助けする方法はないんですか?」
「しっ!声を落として!」管理人の少女は慌てて手を振り、声を潜めて諭した。「私たちみたいに権力も後ろ盾もない平民は、こういう厄介事には首を突っ込まないのがいちばんです!レシナのあの親戚たちは、お父さんの爵位を継いで、今じゃ正真正銘の貴族なんですよ!しかも地元のやくざの顔役を何人もお金で抱き込んでいて、その中には魔法を使える『持魔者』までいるって話です!」
「それに、財産譲渡の法的な手続きも、あの人たちはとっくに手を回して、付け入る隙もないように処理してしまったそうです。裁判所に訴えたところで、負けるのは目に見えています。そもそも、あの親戚たちはとっくに財産を持って首都リエンリスに移り住んで、いい暮らしをしているんですから。探したって見つかりませんよ」
「私は……こうして手をこまねいて見ているしかないんでしょうか……?」残酷な現実を突きつけられ、フリーデは思わず気落ちした。強大な力を秘めた兵器である彼女にとって、実体のある怪物一匹を斬り捨てることなどたやすいのかもしれない。だが、人間社会に深く根を張った悪意や体制を前にしては、なす術がなかった。
「たとえあなたに、彼女のために正義を取り戻す力が本当にあったとしても、忘れないで。レシナの妹は、まだあの人たちの手の中で人質にされてるんですよ。レシナは、自分のことで妹の穏やかな暮らしが壊されるなんて、絶対に望まないはずです」管理人の少女はやるせなさそうに首を振り、思いとどまるよう諭した。
「本当に彼女を助けたいなら、私たち近所の者みたいに、たまに作りすぎたふりをして料理をおすそ分けするとか、実用的な日用品を贈るとかにしてあげてください。彼女は意地っ張りで自尊心も強いから、理由もなく他人のお金を受け取ったりは絶対にしません。無理に理由をつけて受け取らせても、きっとそのまま全部妹さんに送っちゃいます……だから、彼女が自分で使える物を贈るのがいちばんなんです……」
管理人の少女は、レシナと付き合う「コツ」を親身になって教えてくれた。
「……」
フリーデははっと固まった。
「分かりました……話してくださって、ありがとうございます」
ふと、数日前にレシナへ無理やり押しつけた、あの百万新貨のことが頭をよぎった。
もしかしたら、あのお人好しな子は、あの大金をすでにそっくり首都の強欲な親戚たちに送ってしまったかもしれない!
慌ただしく去っていくフリーデの背中を見送りながら、管理人の少女はやるせなさそうにため息をついた。「はあ、毎日レシナが紡績工場で重労働に通う姿を見てると、こっちまで胸が痛くなりますよ……」




