第八章 軟泥
家屋の床に潜む蛍光紫の軟泥は、片時も飢えから逃れられずにいた。
この都市の養分はあまりに乏しく、生き延びることさえままならないほどだった。幸い、生まれつき優れた擬似法術能力を備えていたため、この世界の原住民をたやすく操れた。それに夜陰に紛れた捕食を重ねて、どうにか命をつないできたのである。
だが、エネルギーの乏しいこの世界に長居すべきでないことも、よく分かっていた。いずれはこの世界の強者に見つかり、追い払われるだろう。
そうして先々のことを思案していると、不意に家屋の外で、想像を絶するほど豊かで莫大なエネルギーが湧き上がった!
そのエネルギーの純度と規模を感じ取るや、本能的に飛び出して呑み尽くしたい衝動に駆られた。だが生来疑り深いそれは、これが自分を狙って仕掛けられた罠である可能性が極めて高いと警戒した。もしそうなら、居場所はすでに割れている。直ちにこの地を離れねばならない。
貪欲と理性のせめぎ合いの末、結局それは、危険を冒してでもそのエネルギーの正体を一目確かめに行くと決めた。
粘液でできた体を引きずり、ゆっくりと戸口へ這っていく。動きは鈍く、人間の歩く速さの半分ほどでしかない。
「どうした?出かけるのか?」
その動きを見て、操られている老人の頭に疑問が浮かんだ。原住民の思考はそれの前では筒抜けで、魔力で書き換え、自分に都合のいい形へねじ曲げることさえたやすい。だが今は、老人の頭に「肯定」の意念をひとつ植え付けるだけで事足りた。
こうして、それは難なく家屋の外へ這い出した。エネルギー感知で成り立つ視界の中で、あの豊かなエネルギー源に狙いを定める。
その物体をはっきりと捉えた瞬間、この怪物は生まれて初めて、比類なき衝撃に襲われた。
それは一冊の書物だった。表紙の片隅に宿る養分だけで、原住民の集落ひとつ分にも匹敵する!
致命的な渇望に駆られ、それは狂気に呑まれた。書に秘められた純粋なエネルギーだけではない。表面を流れる呪文は、高階の空間法則にまで関わっているらしい!これを呑み込めば、そのまま空間を破って、このエネルギーの貧しい世界から抜け出せるかもしれない!
「一目見たら立ち去る」という理性はどこかへ消し飛び、それは目の前の巨大な誘惑にすっかり溺れていた。
砂に頭を突っ込むダチョウのように、周囲に潜む危険から目を背け、初歩的な理屈さえ見失って、狂ったように魔導書めがけて全速力で這い進んでいく。
屋根の上で、フリーデは虚空へ右手を差し伸べた。
魔力が集まり、形を成す。今度は、それを遮る声はなかった。昼夜を問わず耳元で響いていた助けを求める声は、今は初めから存在しなかったかのように静まり返っている。残っているのは、レシナが階段で口にしたあの言葉だけだった。私の助けを求める声を聞いて、あなたはすぐに、ためらいもなく駆けつけてくれた。
掌に落ちた剣の柄の感触は冷たく、懐かしい。ライカベサを離れて以来、この剣が彼女の手に戻ってきたのは初めてだった。
「掛かった……!」
蛍光紫の軟泥が書物に触れようとしたまさにその瞬間、フリーデは幽鬼のごとく飛び降りた!
彼女はすでに、オーロラが選んだあの活動着から、魔力で織られた戦闘ドレスに着替えていた。魔力の運行を最大限に増幅する装いだ。幾重にも付与を施した長剣を両手で握りしめ、落下の勢いと翻るマントに身を任せて、空中から鋭い剣風もろとも真っ向から斬り下ろす。大気に垂直の眩い銀の軌跡が刻まれた。
剣技「流星墜撃」だ!数センチ厚の鋼板すら一刀両断にする重い一撃は、いともたやすく軟泥怪を真っ二つにした。
だがこれほどの深手を負っても、軟泥怪は息絶えていなかった。断ち割られた二つの体は地面で苦しげに蠢き、再び寄り集まろうとしている。同時に鋭い泥の柱を幾本も生み出し、宙のフリーデに反撃しつつ、地面の魔導書を奪おうとした。
反撃にも、フリーデは退くどころか踏み込んだ。素早く間合いを詰め、剣技「連続切割」を繰り出す!銀白の剣閃が嵐のように降り注ぎ、触手を本体もろとも、再び無数の断片へと斬り刻んだ。
今度は、砕けた軟泥は寄り集まろうとしなかった。恐慌をきたして逃げ惑う羊の群れのように、狂ったように四方八方へ潜り込んでいく。たとえ小さな一片でも取り逃がせば、必ずや後々まで禍根を残す!
しかし、フリーデはこの事態をとうに見越していた。素早く数歩退くと、地面の「咫尺の書」が呼び寄せられたかのように、ひとりでに彼女の手へ戻ってくる。書頁が素早くめくれ、そこに記された防御魔法が発動する!
透明で分厚い力場壁が幾枚も地面から一斉にそそり立ち、幅五メートルの密閉された立方体を寸分違わず形作って、逃げ出そうとする軟泥の断片をひとつ残らず閉じ込めた。
「元素魔法で、跡形もなく焼き払ってみる?……それとも……」
フリーデがとどめの手を考えあぐねているうちに、閉じ込められた蛍光紫の軟泥は狂ったように力場壁へ体当たりを始めた。その恐るべき汚染能力は、純粋な魔力の障壁すら少しずつ蝕んでいく。
そして激しい戦いの物音に、ついに家の中の者も驚いて気づいた。
「何をしてる……!俺の息子を傷つけるな……!」
家屋から飛び出してきた老人は、障壁に閉じ込められた軟泥怪を見るなり、目を真っ赤にして駆け寄ってきた。壁際の箒を引っ掴み、なりふり構わずフリーデに振り下ろそうとする。
「……!!!」
「人質」の出現を察するや、蛍光紫の軟泥はいっそう激しく、老人のいる側の力場壁へ体当たりした。
老人の突然の妨害に、フリーデの集中が途切れた。ほんの一瞬気を取られた隙に、侵食された障壁を繕う暇を失う。澄んだ破砕音とともに、軟泥の猛烈な体当たりが力場壁に穴をこじ開けた。椅子ほどもある蛍光紫の軟泥がそこから飛び出し、自由を取り戻す。
「は……早くこっちへ来い、父さんが守ってやる……!」まともに立つこともおぼつかない老人が、力を振り絞ってあの致命的な粘液へと歩み寄る。怪物のほうも必死に触手を伸ばしていた。この老人を丸ごと呑み込み、受けた傷を埋め合わせるつもりなのは明らかだった。
両者が触れ合えるほどの距離まで近づいた時、ずいぶん縮んだ軟泥怪が不意に宙へ跳ね、老人の顔面めがけて飛びかかった!
だが、致命の粘液が老人に触れようとしたその刹那、慌ただしい足音が迫り、この歪んだ「感動の再会」を強引に断ち切った。
決然とした眼差しのフリーデだった!
「私は絶対に……もう二度と、見殺しになんてしない……!」
彼女は「咫尺の書」を胸にしっかりと抱き、高速で呪文を詠唱しながら全力で駆け、軟泥が飛びかかるより早く、肩から体当たりして老人を突き飛ばした!
だが、この限界ぎりぎりの救出に代償がなかったわけではない。飛び散った蛍光紫の粘液が数滴、白い肩にべったりとこびりつく。同時に、唱えていた長く複雑な呪文も、ついに完成した。
「律令解放!具現せよ。これぞ咫尺の権能——『空間畸変』!」
フリーデの凛とした声とともに、複雑な魔法陣が鎖のように展開し、中核の空間錠を引き出す。老人を突き倒し、自らも地面へ倒れ込もうとするその瞬間、彼女の指先は正確にその錠を捉えた。
燦然たる金色の空間の渦が力場壁の内側で炸裂し、小さなブラックホールさながら、障壁内に閉じ込められた蛍光紫の軟泥を残らず呑み尽くした!
「空間畸変」は咫尺の書の権能の一つだ。これで歪めた空間は五階魔法「異元流放」をそのまま載せることができ、敵を遥か彼方の亜空間へ強制的に追放する。この厄介な怪物を片付けるため、彼女は迷わず「超導書頁」一枚を焼くのと引き換えに、この高階魔法を瞬発したのだった。
これで「咫尺の書」に残る貴重な超導書頁は、最後の一枚だけになった。
老人を突き飛ばしたあと、フリーデは荒れた地面を何度か転がって、ようやく体勢を立て直した。身を起こし、汚染された肩へ目をやる。
粘液が自分を蝕もうとしているのが分かる。無数の小虫が血肉を齧り、それを糧に増殖していくかのようだ。彼女は剣の刃で、肩の汚染された部分を残らず削ぎ落とした。蛍光紫の粘液のついた欠片が土の上に落ちる。断面に血はなく、淡い魔力の光の粒が幾つか、かすかに散っていくだけだった。粘液は削がれた欠片を呑み込むと、エネルギーが尽きたのか、それ以上広がることはなかった。
「もう……死んだの?」
フリーデは息を切らしながら、彼女を捉えそこねて地面に散らばった細かな欠片を見回した。残った粘液は本体の意志と魔力の繋がりを断たれて活性を失ったらしく、死んだようにぐったりと地面に伸びて動かない。どう見ても、これだけの残りでは、もはや知性も行動能力も組み上げられそうになかった。
突き倒された老人が苦しげに呻いている。見かねたフリーデは「睡眠術」を掛け、しばらく安らかに眠らせた。
怪物が老人の頭に残した精神支配は、あとで心霊魔法に通じた魔法使いに治療してもらえば、完全に取り除けるはずだ。
「でも、この粘液の残りには、まだ養分を貪る本能がある」
活性を失ったはずの死物が、今なお本能のままに周囲の土を蝕んでいることに、彼女は気づいた。
「危険すぎる。集めてルーンさんのところへ持ち帰ろう。残骸を研究すれば、オーロラを治す特効薬を調合できるかもしれない」
彼女は母屋から空のガラス瓶を見つけてくると、魔法使いの手で地面に散らばった粘液の欠片を残らず掻き集め、慎重に瓶へ収めた。
後始末を終えると、フリーデは一刻も無駄にせず、全速力で事務所へ引き返した。
道のりは短くなかったが、フリーデの驚異的な体力をもってすれば、ものの数分で事務所の玄関前に戻り着いた。
慌ただしく階段を駆け上がり、扉を押し開ける。室内に入るなり足を止め、真っ先に手にしたガラス瓶を高々と掲げた。
「ルーンさん……私……あの怪物を、片付けてきました……!これが怪物から採取した残骸のサンプルです……!」
机に向かって診療記録を書いていた青年が、その声に顔を上げた。その目に、安堵と喜びの色がぱっと広がる。
「よかった……!すぐにこれを実験室へ持って行って、詳しく分析します!」
ルーンは勢いよく立ち上がり、足早に歩み寄って、フリーデの手からガラス瓶を受け取った。
「それから……ルーンさん、あちらの現場の後始末について、ご協力をお願いしたいのですが」
「もちろんです、何でも言ってください!私の職権の及ぶ範囲なら、全力で力になりますよ」
フリーデは怪物を片付けた経緯を簡潔に語り、操られていたあの老夫婦のことにも触れた。
「精神まで操れたんですか……?分かりました。すぐに心霊魔法の心得があるベテランの医師を何人か手配して、あの老夫婦を診てもらいます」
ルーンは重々しく頷いて請け合うと、感心した眼差しで目の前の銀髪の少女を見つめた。
「まさか、その若さで四階の空間魔法を一人で放てるとは。あなたは前途洋々ですね!」
話す際、フリーデは自分が放った魔法の本当の階級をあえて伏せていた。三階の魔法使いが階級を越えて四階魔法を放ったのなら、まだ魔力の天才ということで説明がつく。だが五階魔法だと知られれば、無用な面倒を数多く招きかねない。
ルーンの賞賛に、彼女は二言三言謙遜して、話題をそらした。
もっとも、ひそかに数えてみれば、創り出されたその日から、彼女は実のところ千年あまりを生きていることになるのだが。
ルーンは周囲の看護師たちにオーロラの看護の注意点を細かく言い渡すと、サンプルの入ったガラス瓶を携えて慌ただしく出て行った。
これで、フリーデにできることはすべてやり尽くした。
彼女は重い足取りでオーロラのベッドへ歩み寄った。横たわる金髪の少女の、生まれつき美しかった顔は、今や左半分をあの不気味な蛍光紫の斑にすっかり覆われていた。
手首には栄養液の管が刺さり、首元の生命の護符が絶えず治癒の光を放って、それでどうにか細い息をつないでいる。だが外からいくらエネルギーを注ぎ込んでも、彼女の命の火は風前の灯火のように揺らぎ、意識さえ戻らずにいた。
「オーロラ……」
フリーデはベッド脇の木の椅子に腰を下ろし、両手を伸ばして、オーロラの冷たい手をそっと握った。
知り合ってからまだ日は浅いが、フリーデには分かっていた。オーロラはユーモアがあって、優しく、元気いっぱいの女の子だ。いつも少しツンデレな流儀で人を気遣い、見ず知らずの自分にもためらわず手を差し伸べ、衣装の代金まで立て替えてくれた。
今の彼女にできるのは、ただ黙って祈ることだけだった。この強がりな「美少女」が、生死の境を越えられますように、と。
伝説の魔法使いに創られた化身であるフリーデは、神を信じていない。だが今だけは、「運命」というものの存在に敬虔に祈りを捧げ、どうか運命が目の前の少女に情けをかけてくれるようにと願っていた。
一心な祈りの中で、時は流れる水のように、合わせた指の間から静かに滑り落ちていった。
朝の最初の光が窓格子を抜けてベッドに差し込んだ時、フリーデはふと、両手で包んだ冷たい手がかすかに震えたのを感じた。
フリーデははっと金色の瞳を見開いた。
見れば、ベッドの上のオーロラがゆっくりと目を開けていた。額の端を冷や汗が数滴伝い落ちる。視線は窓の外へ向けられていた。そこには背の高い白樺が一本立ち、青々とした枝にはきらめく朝露がまだ宿っている。
「なんて……この天才美少女様に……これ以上ないほどお似合いの……綺麗な朝なの……」
彼女は清々しい空気を深く吸い込み、弱々しくも笑みを含んで言った。
「あなた……少しはよくなった?」
「感じからすると……まあ、いちおう生き返ったってところかな?」
オーロラは驚きと喜びに顔を輝かせる傍らのフリーデへ目を向けた。蒼白だった頬に、わずかに血の気が戻ったようだった。
「あたし、ずっとベッドで眠ったままだったけど、分かるよ。あたしを助けるために、きっといろいろしてくれたんでしょ?……本当に、ありがとう」
オーロラは安心させるように微笑むと、逆にかすかに力を込めてフリーデの手を握り返した。生きようとする揺るぎない意志を伝えるかのように。
「さ、あなたもちゃんと休みなさいよ。ずっとここで付き添ってて、疲れたでしょ?」
「約束する。あたしは……絶対に、生き延びてみせるから」
その約束を聞いて、フリーデの張り詰めていた心はようやくほどけた。そろそろ席を外す時だ。
「うん……あなたを信じる」彼女はそっとオーロラの手を離した。
「当然でしょ!美少女は嘘なんかつかないんだから!」
オーロラは表情をほころばせ、弱々しくも眩しい笑顔を見せた。
雲雀事務所を出たフリーデは、ゆっくりとレシナの家へ歩いて戻った。扉を開けると、レシナがじょうろを手に、バルコニーで鉢植えに丁寧に水をやっていた。
週末はまだ終わっていない。今日も紡績工場は定休日で、レシナは仕事に行かなくていいのだ。
「おかえりなさい!」
フリーデに気づくと、彼女はじょうろを置き、明るく声を掛けた。
なぜだろう。その優しい笑顔を見るだけで、フリーデの胸の奥には、帰るべき場所に戻ったような安らぎが湧いてくるのだった。
水やりを終えると、レシナはフリーデの手を引いて、居間の椅子に座らせた。
「全部うまく片付いたんですね?今のあなたを見ると、もう昨日みたいに思い詰めた感じじゃありませんもの!」
「昨日の私……そんなに分かりやすかった?」
「うーん……そこまで分かりやすくはなかったですよ」レシナは自分の直感をどう言葉にしたものかと頭をひねっていたが、ふいにぱんと両手を打った。「そうだ!あなたから出ていたオーラで分かったんです……!」
「オーラ……?」
「そうです!あの物悲しくて、自分を責めてばかりいる、暗いオーラです」彼女はこくこくと何度も頷き、それからまた笑い出した。「でも今はずっといいですよ!少なくとも、あなたからあの悲しい気配はもう感じません……!」
「全部あなたのおかげ」フリーデは心からの礼を言った。
「もう、そんなに何度もお礼を言わなくていいんですよ!あなたを見ていると、王都で学校に通っている妹を思い出すんです!」
「妹さん、なんていう名前?会ってみたいな」フリーデはさりげなく尋ねた。オーロラを通じて、レシナの妹の近況を何か聞き出せるかもしれないと考えたのだ。
「あの子の名前はですね……」レシナはわざと語尾を引き伸ばし、いたずらっぽくもったいぶった。「セリーナです!」
「じゃあ、姓は……」
「メリセノ、でしょう?」傍らに座るフリーデが先に答えた。
「百点満点!」レシナは朗らかに笑った。「あのいたずら好きで可愛くて、いつも私をからかってばかりの妹は、この世でたった一人の肉親なんです。あの子のためなら、私のすべてを犠牲にしたって構いません」
その言葉と表情から、彼女が自分の愛と希望のすべてを妹に注ぎ込んでいることが、はっきりと感じ取れた。
「その妹さんが、この献身をありがたく思って報いてくれる子ならいいけれど」フリーデは胸の内でそう思い、これらの情報をしっかりと記憶に刻んだ。
妹にまつわる愉快な話をいくつか披露すると、レシナは身を翻して、衣装棚から仕立ての見事な純白のドレスを取り出した。フリーデは、彼女がこの真新しい礼服を着ているのを一度も見たことがなかった。
続いて、一式揃った裁縫道具を取り出す。フリーデはそこでようやく合点がいった。これが前に話していた、布地屋に委託販売する刺繍の仕事なのだ。暮らしを支える商品を、自分で着るのが惜しいのも無理はない。
フリーデの傍らに座り直すと、レシナは針と糸を手に取り、慣れた手つきで白い布に一針一針、精緻な模様を刺し始めた。
「レシナは本当にすごいね。料理でも裁縫でも、どんな家事もお手のものなんだから」
「この程度、ごく普通ですよ。主婦なら誰でもできます」
「そうだ、フリーデも刺繍を習ってみませんか?」レシナがふと顔を上げて尋ねた。
「私……にも、刺繍が習えるの?」
「もちろんです!フリーデは戦っている時、すごく強いじゃないですか。戦いの中で敵を正確に捉える目と制御力があるなら、服を縫う時の力加減だって、きっとお手のものですよ!」
彼女は熱心にフリーデの背中を押し、引き出しから清潔な白い布と予備の裁縫道具一式、それに新聞から切り抜いた図案を探し出してきた。
「私も最初はこういう白い布で刺繍の練習をしたんです。基本の針の運びに慣れたら、首都で発行されている『婦人週報』を見てみましょう。毎号、綺麗で流行りの刺繍の図案がたくさん載っているんですよ!」
フリーデは身を寄せて覗き込んだ。そこには数種類の刺繍の模様が刷られていたが、当然のことながら新聞は白黒印刷で、図案は粗い白黒の濃淡で示されているだけだった。その脇に、各部分に使うべき木綿糸の色が文字で書き添えられている。
こんな味気ない白黒の図面を、手元で鮮やかで美しい模様に仕立て上げられるのは、ひとえにレシナの卓越した技と豊かな想像力あってこそだった。
「習いたい」フリーデはいつもの生真面目な表情で言った。
「しっかり教えますよ!必ず身につけさせてみせます!」レシナは自信たっぷりに胸を叩いた。
「まずはこの図案から始めましょう!これは曼陀羅華の花で、線が比較的シンプルだから、初心者の練習にぴったりなんです!」彼女は棚から大切にしている刺繍の教本を取り出し、その一頁を開いた。
こうして、陽光の麗らかな週末の午後、かつて戦場を駆けた兵器少女は、小さな刺繍針を手に取り、この繊細な手仕事を学び始めた。
レシナはこの上なく辛抱強く、傍らで指導した。針の正しい持ち方、糸の通し方と玉結びから、基礎的な刺し方と留め方の数々まで、何一つ出し惜しみせず、手取り足取り教えていった。
時は瞬く間に過ぎ、気がつけば夜の帳が下りていた。礼服一着分の刺繍を仕上げたレシナは、満足げに道具を片付け、衣服をきちんと畳んでしまい込んだ。
それと同時に、フリーデにとって生まれて初めての刺繍作品も、ついに完成した。
四角い白布に、黒い曼陀羅華の花が一輪刺されている。フリーデは今日習ったばかりの基礎的な刺し方を、懸命にあれこれ使ってみたのだ。仕上がりはまだぎこちなく、どうにか花の輪郭が分かる程度だったが、この小さな布切れには、彼女の一日分の集中と心血が込められていた。
白布の上のいささか不器用な黒い花を見て、レシナは惜しみなく賞賛を送った。
「フリーデは本当にすごいですね!初めて針を持ったのに、こんなにきちんとした模様を刺せるなんて。しかも一度も指を刺していないんですもの!私が初めて刺繍を習った時なんて、十本の指全部に針を刺して、血の穴だらけにしちゃったんですよ」
実のところ、練習の間にフリーデも何度か失敗して針先で指を刺していた。だが咫尺の書の化身である彼女の傷からは血が流れず、たちまち跡形もなく癒えてしまう。もっとも、自分が傷つかない本当の理由をレシナに打ち明けるわけにもいかなかった。
「刺繍を教えてくれて、ありがとう」フリーデは手の中の作品を見つめ、小さな声で言った。
「もう、そんなに真剣にお礼を言わなくていいんですよ!隣のおばさんたちは普段、畑仕事で忙しくて、付き合ってくれてもせいぜい数時間。だから休みの日の夜は、たいてい一人きりで家で刺繍をしていたんです。今はあなたがそばでおしゃべりしてくれるから、私もそんなに寂しくないんですよ!」
レシナは嬉しそうに笑い、フリーデの初めての刺繍作品を大切に受け取った。
「私がここにいることも……あなたの役に立っていたの?」
「もちろんですよ!」




