第七章 蒼藍の夢
フリーデは踵を返し、足早に去っていった。レシナはその背中を見送りながら、手にした新しい花を花瓶に挿した。
捜索の方向ははっきりしたものの、フリーデはやみくもに一人で探し回るつもりはなかった。絶域城はライカベサには及ばないとはいえ、それなりの規模の都市だ。一人で一軒ずつしらみ潰しに当たるのでは、あまりに効率が悪い。
まずは事務所へ戻り、顧問のルーンを訪ねることにした。市庁を代表する彼の権限があれば、街じゅうの衛兵を動かして捜索に協力させるのも難しくない。そうすれば、最短で怪物の潜伏場所を突き止められるはずだ。
フリーデは足早に雲雀事務所へ駆け戻った。扉を押し開けた途端、室内の重苦しい空気が押し寄せてきた。
カルテを記入している医師も、指示に従って点滴を替えている看護師も、ベッドの傍らに座るルーンも、誰の顔にも拭い去れない暗い影が落ちていた。
「戻りましたか」ルーンは顔を上げてフリーデを見た。「昨夜、また失踪の通報が一件ありました」
フリーデは小さく溜息をついた。痛ましさに、胸がかすかに上下する。もっと早くあの怪物を突き止めていれば、罪のない人々がこれ以上犠牲になることもなかったのに。
「しかも、今回の事件はこれまでとはまったく違います。あの怪物は夜中に戸や窓を破り、民家に押し入って襲いかかったんです。夜が明けた頃には現場はすっかり市民の目に晒されていて、もう情報を伏せておくことはできません」
フリーデは押し黙った。
「オーロラの容態も思わしくありません。今は半昏睡状態で、たとえ一時的に目を覚ましても、まともに意思の疎通ができないんです……」
ルーンは憂いを帯びた眼差しを、ベッドの上のオーロラへ向けた。
「あ……ああ……」
「へ……変なの、誰があたしを呼んでるの……」
「誰の呼び声……遠いなあ……あたし、蒼藍の海の中で眠ってるの?ここ、すごく寒い……」
意識が朦朧としたオーロラは高熱で顔を真っ赤にし、うわ言を繰り返していた。染み一つなかった白い顔には、あの不気味な蛍光紫の斑がすでに広がり、頬の半分近くを覆っていた。
「オーロラ……私の声が聞こえる?」フリーデはそっと呼びかけてみた。
「まぶしい……真珠がいっぱい……満天の星空みたい、これ全部あたしにくれるの……嬉しいな……」
「ぬるぬるしてる……目がいっぱい、この手、すごく冷たい……」
夢うつつのオーロラはフリーデの言葉にまるで反応せず、身の毛のよだつようなうわ言をひたすら吐き続けるばかりだった。
それを見て、フリーデはオーロラから視線を外し、決然とした面持ちでルーンに向き直った。
「あの怪物が潜んでいそうな場所に、見当がつきました」
レシナと二人で導き出した推論を、手早くルーンに伝える。
話を聞き終えると、ルーンは顎に手をやり、大きく頷いた。
「確かに筋が通っている……人間を捕食するのは養分を得るためだったのか!まったくの盲点でした。私はずっと、あれはただの暴走した魔法生物か、知性のない不死の魔物だと思い込んでいた。まさかあの狩りに明確な目的があったとは……!」
「ちょうどよかった。先ほど市庁で緊急会議が開かれた際に、市街地図が配られたんです。失踪者全員の生前の行動経路が書き込まれています……」
ルーンは空間の指輪から地図を取り出して広げた。数名分の失踪者の通勤経路が、赤い線で何本も書き込まれている。そして赤い線が密に交わる一帯には、飼育場がちょうど一軒だけあった。
「あの怪物は、まず間違いなくそこに潜んでいる!」ルーンは声を上げた。
「すぐに調べてきます!」言い終えるや否や、フリーデは身を翻して勢いよく扉の外へ飛び出した。
「すぐに市庁へ連絡して、大部隊を応援に向かわせます!」
引き止める間もなく飛び出していった背中に向かって、ルーンは扉の外へ叫ぶしかなかった。
フリーデは街路を全速力で駆けた。飼育場までの道筋は、一度見たものを決して忘れない彼女の頭に、すでにしっかりと刻み込まれていた。
数分走ったところで、街の外れに建つ飼育場に辿り着いた。周囲は人の背丈ほどの塀に囲まれ、出入口の鉄門は太い鎖で固く封じられている。門には鶏卵業者の看板が掛かっていた。
門の内側からは、時折、鶏舎の騒がしい鳴き声が聞こえてくる。フリーデは周囲を見回したが、警備員や見回りの者の姿は見当たらなかった。軽やかに地を蹴ると、空中に優美な弧を描いて塀を越え、飼育場の中へ危なげなく着地する。
目に飛び込んできたのは、三階建ての母屋と、そこから少し離れた四棟の細長い鶏舎だった。庭には空の鉄籠が雑然と積み上げられ、鶏の羽がこびりついている。籠の脇には荷運び用の馬車が数台停めてあった。普段はここで卵や生きた鶏を馬車に積み込み、馬に引かせて市場へ売りに行っているに違いない。
しかし、本来なら生気に満ちているはずのこの庭には、不気味な枯れ地があちこちに広がっていた。
母屋と鶏舎へ通じる地面は、まるであらゆる養分を吸い尽くす雑巾で乱暴に拭われたかのようだった。触れられた場所はすべて、生気のかけらもない黄褐色の乾いた土に変わり果てている。一方、被害を免れた縁には、今も青々とした雑草が生えていた。そのくっきりとした対比は、生命の天国と地獄がひとところに並び立っているようだった。
「絶対にここだ……!」
フリーデは数夜前の記憶を呼び起こした。あの蛍光紫の粘液に触れた地面が枯れていった光景と、目の前の荒廃の痕跡は完全に一致する!
そして最も新しい引きずり跡は、まっすぐ目の前の母屋へと伸びていた。壁に背をつけ、警戒を緩めることなく、慎重に屋内へと近づいていく。一歩踏み出すごとに、いつでも迎え撃てるよう身構えながら。金色に輝く瞳には、張り詰めた慎重さが宿っていた。
ところが意外なことに、屋内から聞こえてきたのは穏やかな話し声だった。
「息子や……最近、外じゃ失踪事件がたくさん起きてるんだから、夜は絶対にふらふら出歩いちゃいけないよ……」
聞こえてきたのは、老婦人の気遣わしげな言い聞かせる声だった。慈しみと心配のこもった口ぶりだ。
「そのとおりだ……このところ市庁の話じゃ、大勢が行方知れずになってるそうだからな。危なすぎる」
相槌を打ったのは、同じようにしわがれた声の老人だった。
「人がいる?怪物はここに隠れていないの?」
フリーデはいくらか訝しみながら、そっと窓際に身を寄せた。
だが、屋内を覗き込んだ瞬間、目に入った光景にフリーデは背筋が凍りついた。
そこはこの家の食堂で、中央には家族そろって食事をするための大きな木のテーブルが置かれていた。
テーブルの片側に座っているのは、あの年老いた夫婦。そしてテーブルの向こう側にいたのは……全身に黒い渦巻き状の星斑を浮かべ、不気味な蛍光紫の光を放つ、巨大な軟泥怪だった!
「そんな縁起でもない話はやめて、さあさあ、ご飯を出すよ!」
「そうだな、早く食べよう……!」
テーブルの上、老夫婦の前には、ごく普通のあっさりした家庭料理が数皿並んでいる。だが蛍光紫の軟泥怪の前には、まだ何も置かれていなかった。
だがほどなく、老婦人がにこにこしながら「メインディッシュ」を運んできた。
「はい、お前の大好きな松ソースのローストチキンだよ!」
料理などではない。生きた鶏が一羽入った鉄籠だった!
老婦人は生きた鶏の生臭さをまるで感じていないかのように、鉄籠をテーブルの上にどっしりと据えた。続いて、あの蛍光紫の軟泥がゆっくりと体を伸ばし、鉄籠へじりじりと迫っていく。
不気味な光が近づくのを見て、籠の中の鶏も死の恐怖を感じ取ったのか、凄まじい悲鳴を上げた。だがそれで運命が変わることはない——軟泥はたやすく鉄籠の隙間をすり抜けて鶏を捕らえ、そのまま丸ごと、生きたまま蛍光紫の体内へ呑み込んだ。
粘液が再び引っ込んだ時、鉄籠の中はもう空だった。それを見つめる老婦人の顔には、あろうことか安堵の笑みが浮かんでいる。老婦人は足元に置いてあった丸い鉄籠を一つ、また一つとテーブルへ持ち上げていき、粘液が生き物を呑み込む光景が延々と繰り返された。
生きた鶏を続けざまに数十羽も呑み込んだ頃、老人の頭の中にある偽りの認識が揺らいだのか、訝しげに口を開いた。
「だがなあ……ばあさん、うちの息子の最近の食べっぷりは、ちょっと度が過ぎてやしないか……こんなに鶏を食っちまうなんて……それに、どうも生きた鶏みたいじゃないか?」
その言葉に、軟泥怪の全身を覆う蛍光がふっと瞬いた。たちまち老人の顔から疑念が、雪が解けるように消えていった。
「何が生きた鶏だい!これは私の得意料理だよ!」老婦人は少しむっとしてたしなめた。「若い子はたくさん食べなきゃ……!そうすりゃ大きくなれるんだから!」
「そのとおりだ、へへっ、俺もすっかり耄碌したな……!」老人は頭を掻きながら、またしても人の好さそうな、締まりのない笑みを浮かべた。
「おや……まだ足りないのかい、もっと食べたいって?」何かの指令を聞き取ったかのように、老婦人は再び穏やかな微笑みを浮かべ、扉の外へ向かった。「食いしん坊だねえ、母さんが鶏舎からもう何羽か捕まえてきてあげるよ!」
老婦人が玄関から出てこようとしているのを見て、フリーデはさっと死角に身を隠した。
「心を操って、認識を書き換える……魔法なの?」
この怪物が糸繰り人形でも扱うように人の心を弄ぶさまを目にしながら、フリーデは頭の中で素早く状況を分析した。
「何にせよ……まずあの老夫婦と怪物を引き離すのが上策だ」
腹を決めると、そっと老婦人のあとをつけて鶏舎へ入ることにした。
鶏舎に入った老婦人は、小さな鉄籠を手に取り、積み重なった長い籠から生きた鶏を捕まえようとしていた。見れば、長籠の中の採卵鶏はすでに半分近くまで減っている。この数日で軟泥怪がどれほどとてつもない量を平らげたか、推して知るべしだ。
フリーデは音もなく迫った。老婦人の年老いた体では、物理的な「手刀で気絶させる」方法には耐えられないかもしれない。そう考えたフリーデは迷わず腰に提げた「咫尺の書」を抜き取り、魔力を注ぎ込んで、ウェルズが書に記した「睡眠術」を放った。
魔法抵抗などほとんど持たない老婦人は、法術が効いた瞬間にふらりとよろめき、そのまま鶏舎の壁にもたれて深く眠り込んだ。
老婦人をその場に寝かせると、フリーデは母屋の脇へ引き返した。
「次は……なんとかしてあのお爺さんを怪物のそばから離さないと」
フリーデは必死に知恵を絞った。
「名前を呼んでおびき出す?だめ……そもそも名前を知らない」
「直接飛び込んで助け出す?それもだめ……あの怪物は私を見たことがある。姿を現せば、きっとお爺さんを人質か盾にする」
思いつく案は、どれも頭の中で次々と却下されていく。
「待って……発想を変えればいいんだ。人を引き出すより、『怪物のほうから彼のそばを離れさせる』ほうがいい!」
あの怪物を突き動かしているのは、「養分」への極度の飢えだけだ。ならば、とびきり魅力的な莫大なエネルギーを用意すれば、必ず屋外へおびき出せるはず!
そして、手持ちの品で最も莫大なエネルギーを秘めたものといえば——言うまでもなく、咫尺の書をおいて他にない。
伝説の魔導師が手ずから作り上げた魔導書だけあって、この書そのものが世にも稀な高階の素材で編まれている。書頁と表紙を構成する材料は、超凡の力が衰えつつある今の時代にはとうに絶え、中には次元界を越えてようやく見つかった宝さえあった。そのうえ、見た目がごくありふれた本であることも、怪物の警戒心を和らげるのに十分だった。
「まさか……『私自身』を餌にする日が来るなんて」
フリーデは腰に提げた魔導書を外し、庭の中央の空き地にそっと置いた。そして、普段は書の魔力の波動を覆い隠すために使っている隠蔽魔法を解除した。
ここは見晴らしがよく、屋内の怪物が顔を出しさえすれば、この莫大なエネルギーに気づくはずだ。あの軟泥に視覚があるのかどうかは定かでないが、この純粋な魔力の誘惑は、あれにとって決して抗えないご馳走に違いない!




