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空間魔導書と少年魔法使い  作者: atu78963254
絶域城の旅編
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第三章 平穏な暮らし

翌朝、窓から差し込む陽光が机を照らしていた。階下から鍋や食器のぶつかり合う音が聞こえてきて、フリーデは起き上がって階段を下りた。目に飛び込んできたのは、台所で朝食の支度をしているレシナの姿だった。


台所で料理を盛る陶器は、そのほとんどがみっともなく欠けていた。調理に忙しいレシナが今着ているのは、もうあの古びたドレスではなく、地味で質素な作業着と長ズボンだ。雑巾でかまどを拭いて汚れを落とすと、壁のくぼみから石炭を取り出し、かまどにくべて火を強めようとしている。


「おはようございます!」足音に気づいた彼女が、振り返って挨拶した。


「おはよう」


石炭をくべ終えたレシナは、簡単なオートミールの粥を煮ているようだった。フリーデはそれ以上邪魔をせず、椅子を引いて腰を下ろし、待つことにした。


「あなたの分も朝食を用意しましょうか?」


「いえ、いらない」


「そうですよね。外で買ったほうが、私の作る朝食よりずっとおいしいでしょうし。フリーデさんって貴族みたいに気品がありますから、もし貴族のお生まれなら、私のこんな質素な朝食なんて口に合いませんよね」レシナは寂しげに言った。


「違う。ただ、私のせいでこれ以上お金を使わせたくないだけ」相手を傷つけてしまわないかと思い、フリーデは慌てて弁解した。


「ふふふ、慌てるフリーデって本当にかわいいですね。ただの冗談ですよ」その様子に、朝食を陶の椀によそっていた茶色の髪の少女は「ぷっ」と吹き出した。


料理を食卓に運んで食べようとしたところで、フリーデが口を開いた。


「絶域城の図書館へは、どう行けばいいの?」


「すっかり忘れてました!でも私、朝は仕事があるので、ご案内できないんです……代わりに地図をお渡ししますね」


レシナは椀を置くと、振り返って戸棚から地図を探し出し、フリーデに手渡した。


地図を受け取ったフリーデは礼を言って別れを告げ、一人で街へ出た。


絶域城ではライカベサと違って無煙炭が普及しておらず、朝に外へ出ると、決まって家々から石炭を燃やす匂いが漂ってくる。通りもひどく閑散としていた。


図書館へ向かう道すがら、フリーデがまず目にしたのは何軒かの工場だった。街の中心に近づくにつれ、両側の建物は次第に凝った造りになっていく。道には使い魔を連れた魔法使いの姿もちらほら見え始めた。使い魔は、よく見かける昼行性の蝙蝠や鷹、小狐といったものだ。


他の土地の魔法使いに比べ、絶域城の魔法使いは契約儀式に長けており、さまざまな生物を召喚して戦いの助けとするのだ。


ほどなくして、彼女は街の図書館の前にたどり着いた。


まだ朝だというのに、図書館はもう開いていた。中へ入ると、カウンターと検査口が目に入る。カウンターには文学的な雰囲気をまとった少女が座り、熱心に本を読みふけっていた。


フリーデが日傘を傘立てに置いて中へ進もうとすると、カウンターの少女に呼び止められた。


「図書館カードはお持ちですか?」


「持っていません」彼女は正直に答えた。


「それでしたら、図書館カードをご購入いただくことになりますね。こちらの料金表からご希望のプランをお選びください。カード一枚でご家族全員がご利用いただけますが、他の方への譲渡はできません……」司書はカウンターの料金表を指さしながら、フリーデに利用規則を説明した。


示された料金表に目をやる。最も安いカードは館内での閲覧しかできないのに、それでも金券(きんけん)十枚近く、つまり十万新貨もした。


「高い……」フリーデは財布の中身を確かめた。一番安いカードを買っただけで、蓄えはほとんど残らない。


「なにしろここ絶域城は、多くの魔法使いにとって研究の要所ですから。研究の粋が結集しているんです。知識はお金には代えられませんよ!」


「図書館カードを一枚、お願いします」


代金を渡すと、司書は手続きの済んだカードを取り出し、フリーデに差し出した。


検査口を無事に通り抜けると、広々とした館内に出た。中はひっそりと静まり返り、本は分類ごとに、木の香りが漂う書棚に並べられている。案内に従って歴史の区画へ向かうと、そこの蔵書は他の分類よりはるかに少なく、通路も二本しかなかった。


その中に足を踏み入れ、古代史に関する本を探す。背表紙の題名をひととおり眺めてみると、歴史書の大半はここ百年以内の地方誌や人物誌、年代誌だった。


しかも、そのほとんどは彼女の求めるものではなかった。


「こちらには、二百年以上前の歴史の本はあまり置いていないようですね」彼女はカウンターへ行って尋ねた。


「ここの蔵書は、これでも王国で一、二を争うほどなんですよ。歴史書はもともと少ないですし、二百年以上前のものとなるとなおさらです」司書も困ったように答えた。


「では、『無序空間』の起源についての本はありますか?」彼女は質問の仕方を変えた。この街はそもそも無序空間を研究するために興ったのだから、その由来をたどる文献があってしかるべきだ。


「二冊ほどあったと思います。一冊は『異常状態総論』、もう一冊は『衰変痕跡年代鑑定』です。それから、いろいろな歴史書にも過去のことがちらほら触れられていますから、全部の本をじっくり読んで、情報をまとめて書き留めてみてはどうでしょう」司書は少し考えてから答えた。


助言を受けたフリーデは書架に戻り、司書の挙げた二冊を見つけ出すと、過去の歴史に触れていそうな本も何冊か一緒に閲覧室へ持ち込み、頁をめくり始めた。


読書に没頭するうち、時間は飛ぶように過ぎ、気づけば日は西に傾いていた。


「閉館の時間ですよ。お嬢さん、本は机の上に置いたままで構いませんから、明日また続きを読みにいらしてください」


司書の少女が手にした木の鈴を振り、読書の世界に浸っていたフリーデを我に返らせた。


「戻さなくていいんですか?」


「本当はだめなんですけどね」司書は人懐っこく笑った。「でも歴史書を読みに来る人なんてほとんどいませんから、構いませんよ。明日も来ますよね?」


フリーデは分かったと頷いた。


帰ろうとしたところで、司書が鍵を手に忙しく窓や扉を閉めて回っているのが目に入り、彼女は親切心から声をかけた。


「手伝いましょうか?」


「お気持ちはありがたいんですけど、自分の仕事は自分でやらないといけないので」司書は笑ってやんわりと断った。フリーデはそれ以上長居せず、図書館を後にした。


記憶を頼りに通りをたどり、レシナの家の前に着いた。扉の鎖はすでに外されていて、押し開けるとパンの香りがふわりと漂ってきた。風呂上がりで部屋着に着替えたらしいレシナが、テーブルで夕食をとっている——黒パンに牛乳が一杯、それに惣菜が一皿だけという献立だった。


「おかえりなさい!夕食、用意しましょうか?」彼女は明るくフリーデを迎えた。


だがフリーデは、ふと相手の右目に視線を留めてしまった。不躾だったと気づいて慌てて目をそらしたが、レシナはそれを見逃さなかった。


椅子に腰かけたまま、レシナは笑って、少し荒れた指先を包帯を外した右目の脇に添えた。生気にあふれ、希望を宿した左目とは違い、右目には光がなく、厚く絵の具を塗り込めたように死んでいた。


「あら……右目、見られちゃいましたね。びっくりしませんでした?」


「あなた……片目が見えないの?」


「ええ、生まれつき右目は何も見えないんです。でも、目なんて一つあれば案外十分なものですよ」


「でも、妹はとっても元気なんですよ!それに不器用な私と違って、賢くて利発な子なんです!今はリエンリス学院に通っていて、魔法もたくさん使えるんですから!」


レシナが妹を深く愛し、誇りに思っていることが、フリーデにもよく分かった。


「あなたみたいに綺麗で気立てのいいお姉さんがいるなら、妹さんもきっと立派な子なのね。会ってみたい」


「あの子は絶対、あなたの想像以上にすごいんです!なにしろ私の妹ですから」レシナは胸を張った。「小さい頃、二人で山のふもとで遊んでいたときなんて、もう煙と風向きを利用して蜂を追い払って、蜂蜜を採っていたんですよ!召使いが木を剪定していてうっかり形を崩してしまったときには、挿し木で別の木をつないで、最後には変な味の実まで生らせちゃったんです……!」


レシナが語る妹の幼い頃の思い出話に耳を傾けているうちに、いつしか夜は更けていた。


「あら……もうこんな時間」窓の外の月の位置を見て、フリーデはようやく夜も遅いことに気づいた。


街路は静まり返り、風が地面を吹き抜ける虚ろな音だけが響いていた。灯火が煌々と輝くライカベサとはまるで違う。


「ごめんなさい、つい夢中になって話し込んじゃいました」レシナはぺろりと舌を出し、申し訳なさそうに言った。時間を忘れるほど妹の話に熱中していたのだろう。


「ううん、こんなにたくさん面白い話が聞けて嬉しかった」


「私の話ばかりでしたね。フリーデのことも少し聞かせてください。図書館で、知りたかったことの答えは見つかりました?」


「多くはないけど、手がかりはいくつか見つかった」彼女は少し考えてから答えた。


「そうですよね。フリーデみたいにすごい人がはるばる答えを探しに来るくらいですから、きっと簡単なことじゃないんですよね?でも、頑張ればきっとできるって、私は信じてます!」彼女は目を輝かせてフリーデを励ました。その言葉には不思議な魔力が宿っているかのようで、フリーデの胸に、久しく忘れていた温もりが込み上げてきた。


けれどその温もりは、傷口に塩を塗るように心を疼かせ、過去を呼び起こした。


「そうね……あれから、何かを失ったような虚しさをよく感じるの」フリーデは無意識に胸に手を当て、あの日のことを思い返していた。


いつも考えてしまう。あの日、自分が何か間違えたから、あんな結末を迎えてしまったのではないかと。いや、きっと何かを間違えたのだと、彼女は確信していた。そうでなければ、これほど胸が苦しいはずがない。


「どうして私は……こんなに苦しいの……」


「ウェルズ……あなたは今、何をしているの?」


しばらく沈黙が続いた。傍らのレシナはフリーデの眉間に潜む憂いを感じ取ったが、何も尋ねず、ただ温かな笑顔で手を振っておやすみを言った。


「明日も仕事なので、先に寝ますね」


「おやすみ」


それからの一週間、フリーデは毎日レシナの家と図書館を往復した。レシナの飾らない素直な性格のおかげで、二人はみるみる打ち解けていった。


二人はたいてい居間で過ごし、レシナは刺繍をしながら、身の回りのささいな出来事を話して聞かせた。子供の教育に頭を悩ませる隣の奥さんのことから、パン生地の発酵の秘訣を懸命に研究している通りのパン職人のことまで、誰にでも、その人だけの物語があった。


「さて、残りはあと二冊。今日読み終えれば、図書館通いも一段落ね」


最終日も、彼女はいつものように図書館へ向かった。


カウンターの司書はフリーデの姿を見つけると、気さくに声をかけた。


「おはようございます。本当に熱心ですね。この一週間、朝から晩まで図書館に籠もりきりでしたけど、今日もですか?」


「ええ」頷いて挨拶を返すと、彼女は図書館の中へ入り、最後の読書に取りかかった。


正午近くになって、最後の一冊を置いた。これで図書館にある古代史関連の本はすべて読み終えたことになる。もちろん、司書が薦めてくれたあの二冊も含めてだ。


『衰変痕跡年代鑑定』は、無序空間で最も恐ろしい異常現象——ランダム転移について解説した本だった。無序空間では、どこであっても突然空間転移が起こりうるうえ、転移の規模や時間には何の規則性もない。探索の最中に、地下四百メートルに埋まっていた土が目の前に忽然と現れることもあれば、探索者の体の一部が突然上空へ転移してしまうこともある。木切れがわけもなく探索者の膝と融合してしまうことさえあるという。


本によれば、ランダム転移が起こる際には、ある種のエネルギー痕跡が放出されるという。この痕跡は長い歳月を経て少しずつ衰えていくが、完全に消えることはない。本には一連の鑑定魔法が載っており、それを使えば、ある物体がどれほど前にランダム転移に遭ったのかを判別できるらしい。


本に記録されている最古の転移は五百年前のもので、そこから著者は、無序空間は五百年前に出現したと大胆に推測していた。また、五百年前に大規模なエネルギー放出の痕跡があり、そのエネルギーが無序空間を生んだのではないかとも述べている。


「私は五百年前に……古共和国を滅ぼしたの?」


一方『異常状態総論』では、ほかの異変現象が紹介されていた。たとえば「折り畳み空間」だ。ランダム転移とは違い、遠く離れた二つの空間点が重なり合う現象である。探索中、一歩踏み出しただけで、心臓の半分が空間を越えて数キロ先に届いてしまうことがある。たいていは一歩下がれば、心臓はおとなしく体内に戻ってくる。だが、もしそのとき運悪く折り畳み現象が消えてしまえば、心臓の半分は転送門の向こう側に永遠に取り残されることになる。


本ではさらに、無序空間に現れうる異常生物も何種か紹介されていた。それらは無序空間の脅威のほとんどをものともせず、陰険で不気味な能力をさまざまに備えている。加えて、無序空間で役立つ測定魔法もいくつか収録されていた。折り畳み空間の向こう側の光景を探る探知魔法や、どの区域が比較的危険で異常が起こりやすいかを見極める予警魔法などである。


他の書物から得られた歴史の手がかりも、ごくわずかだった。文献にあるのは、「超凡衰弱(ちょうぼんすいじゃく)」以降、魔法の使い手が到達できる上限が下がり続けたということくらいだ。その傾向はここ四百年で悪化の一途をたどり、二百年あまり前には、外部の力に頼らず自力で七階に至れる者はもういなくなっていた。歴史を記した魔法書の多くも、この時期に修繕されないまま損なわれていった。


王国の王朝の変遷や北方諸国の歴史も、ついでに頭に入れておいた。また、空間魔法の研究書も何冊か気ままにめくってみたが、書かれている知識はほとんど既知のもので、その先のさらに進んだ方案まで彼女は熟知していた。つまり、今の世界の魔法は古代にはるかに及ばない一方で、鉄道や列車、蒸気機関といった科学技術は、かつて存在しなかったものなのだ。


記録を終えると、彼女は借り出した書物を一冊ずつ書棚に戻し、それから図書館を後にした。


「今日はずいぶん早いんですね?」カウンターに座った司書の少女は目を丸くした。


「ええ、ここで必要な資料は、もう全部集め終わりました」


「それはよかったですね。おめでとうございます」


図書館を出たフリーデは、館前の広場へ向かった。お金の問題に頭を悩ませながらベンチに腰を下ろし、解決策を考える。


「やっぱり巻物(スクロール)の書写で稼ぐしかないのかしら?でも手持ちのお金じゃ、写魔インクと空白の巻物を買うにも足りなさそう……」


財布の中身を数えてみたが、やはり元手が足りない。今さらレシナに金を借りるなど、できるはずもなかった。それに金がなければ、魔法使い集会所へ行って書物を借りることもできない。あそこの資料はすべて有料なのだ。


そのとき、ふと振り向いた彼女の目に、掲示板に貼られた募集の告示が飛び込んできた。


「持魔者(じましゃ)または魔導師を募集。市政府より委託された失踪事件の解決にあたること。調査、偵察に長け、一定の戦闘能力を有すること。週給三万新貨。詳細は雲雀事務所まで」


「この募集広告……私にもできるかもしれない」


決して少なくない額だ。事件が片づいて余った分を家賃としてレシナに渡せば、彼女の暮らしの足しにもなるかもしれない。

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