第三十六章 直に敵将の首を取る
「貴様は何者だ……!」陣営をここまで手ひどく破壊され、魔法使いは胸を痛めていた。
ウェルズは無造作に地面へ降り立った。首元だけを留めた漆黒のコートが颯爽と翻り、左手の魔導書は風にあおられてばらばらとめくれる。その顔には、邪な笑みが浮かんでいた。
「……復讐者だ!」
瞳に鋭い銀光が走った。書頁がひとりでに望みの箇所まで繰られ、ウェルズは魔力を集めて右の掌を掲げる。戦いの幕が上がった。
ウェルズの傍らに、幾本もの氷の錐が浮かび上がる。骨身に染みる冷気を放つそれは、幽獄に眠る永久に凍てついた氷さながらだった。
三階魔法「氷刺錐」だ。それらが突如として一斉に放たれ、雨のように降り注いでいく。
「三階魔法を……瞬発しただと……!?」
相手の魔法使いがまだ詠唱を終えぬうちに、ウェルズの放った氷錐はすでに襲いかかっていた。陰影超魔を経た数本が魔法使いの体を捉えたものの、透明な護盾が発動して阻まれ、それ以上は届かない。その代償に、魔法使いがはめていた指輪が一つ、粉々に砕け散った。
「私の……指輪が!」反乱軍の指揮官は身を切られる思いだった。なにしろ数少ない命綱で、命の危機に際して三階の「強化護盾」を発動させ、攻撃を防いでくれる代物なのだ。
反乱軍の指揮官はすぐさま魔法で反撃した。強化された五条の灼熱光線がウェルズめがけて放たれる。だがすでに「増速致勝」を付与していた彼は、並外れた速さでそれを難なくかわした。
「お前たち、何をしている……!早く行って奴を食い止めろ!」指揮官が拡音魔法で配下の兵士たちを怒鳴りつけると、数名の持魔者が刀剣を振りかざし、猛然と前へ駆け出した。
雑兵たちが襲いかかると、魔導書がひとりでに精緻な書頁をめくった。次の瞬間、その書頁は燃え尽きたかのように金色の光の粒となって散り、代わって新たな四階魔法が一同の前に姿を現す。
虚空から、おぼろげな門扉が浮かび上がった。輪郭は灰色の絵具で薄く塗ったように淡いのに、その計り知れない存在感は、居合わせた全員の視線を奪うには十分だった。
金色に輝く鎖が虚空から漂い出て門扉に絡みつき、それを引き開ける。真っ先に飛び出してきたのは、なんと一陣の剣風だった。戦場を薙ぎ払うそれは、秋風が落ち葉を散らすように、大勢の兵士を斬り捨てていく。
死者の血が一斉に噴き上がる。剣風が止んだその場所に、淡い霧をまとった人影が唐突に現れた。
四階の陰影騎士である。
両手剣を斜めに掲げ、灰色に霞むその体は、斬撃を振り抜いたばかりの姿勢をとっている。精緻で重厚な鎧に身を固めていながら、その機動力は並外れていた。
「破壊しろ!壊滅させろ!陣営に残る後方要員を皆殺しにし、前線を支えうる補給物資を残らず潰せ……!クーデター軍のあらゆる可能性を終わらせろ……!」
ウェルズが手を振りかざして高らかに命じると、それに応えるように騎士の兜の目元に赤い光が灯った。騎士は一歩踏み込むや、一閃とともに周囲の兵士の只中へ躍り込み、容赦のない殺戮を始める。一振りで五、六メートルの範囲が薙ぎ払われ、おびただしい命が刈り取られていく。敵が怯えて逃げ惑おうと、武器を下ろさない限り、斬殺の対象であることに変わりはなかった。
「よ……四階の魔法使いだと?なぜこんな真似を……!何の得にもならんだろうに!」
「もう言ったはずだが?」
ウェルズが敵へ指を突きつけると、数本の蔓が土を割って伸び、魔法使いを絡め取ろうとする。そこへ数条の灼熱光線が続き、蔓を燃え盛る触手に変えて、執拗に魔法使いを追い立てた。
二階の「灼熱光線」と三階の「狩猟者の蔓」を組み合わせる芸当は、ウェルズのように咫尺の書で三階魔法を瞬発できる者にしかできない。
「俺は復讐に来たんだ」
一方、もう一人の指揮官は、迫りくるフリーデに火球を撃ち込んでいた。だが飛来した火球は、力を溜めた彼女の一太刀に両断される。強烈な剣風が炎を反対側へ吹き散らし、少なからぬ兵士を焼いた。
「こいつらは……揃いも揃って、なんて化け物なんだ……!」
魔法使いは慌てて数歩飛び退いた。その判断は間違いなく正しかった。炎混じりの風の中から銀髪の少女が躍り出る。重い一撃が石畳に蜘蛛の巣状のひびを走らせ、マントがふわりと翻った。
「ま……守れ、あの女を近づけさせるな!」
だが気づけば、周囲の兵士たちは散り散りに逃げ出していた。陰影騎士の威圧があまりにも凄まじかったのだ。見回しても、助けてくれる者は一人もいない。その間にもフリーデは軽やかに踏み込み、長剣を彼へと突き出していた。
魔法使いは慌てて身をかわした。刺突に続いて、華麗な斬撃が畳みかける。袈裟斬り、旋回連斬、そして下段への斬撃。ものの数瞬で、接近戦ではまるで歯が立たないと思い知らされた。ほどなくして、防護の指輪の一つが攻撃に砕かれた。
「よし……今のうちに……!」
指輪の護盾が破られたことで、魔法使いにもわずかな好機が生まれた。その隙に彼は三階魔法「氷渦」を放つ。自身を中心に氷の気旋が渦を巻いて広がり、フリーデの視界と速度を鈍らせた。
「護盾の指輪頼みなのね……なら、まずはその護盾から破る……!」
彼女は半歩、足を緩めた。身の周りに魔力が集い、強烈な威圧感を放ちはじめる。
「律令解放、具現せよ!」
剣の刃に、幽かな青い光の層が浮かび上がった。エネルギーを強力に腐食させる光紋だ。それと同時に、数条の炎の光線が彼女めがけて撃ち込まれた。
彼女が魔力を集めている隙に、魔法使いもまた魔法を放ち、その場に釘付けにしようとしていたのだ。
「これぞ咫尺の権能『泯滅光紋』」
迫る光線に、フリーデは臆することなく正面から踏み込んだ。刃で光の束を斬り払うと、エネルギーは刃に触れた瞬間、跡形もなく掻き消える。瞬く間に、彼女は再び魔法使いへと迫っていた。
泡を食った魔法使いは、足元の土を盛り上げて自らを後方へ押しやり、杖を突き出して攻撃を防ごうとした。
だがフリーデの前では、そのあがきも無意味だった。詠唱は彼女の攻撃に断ち切られ、杖は一太刀を受け止めただけで衝撃に耐えきれず、手から弾き飛ばされた。隙を見て力量増幅を付与していたにもかかわらず、だ。
間合いを詰めた彼女がまず繰り出したのは突きだった。続いて魔法使いの側面へ回り込み、華麗な二段の斬撃を同時に浴びせる。
幽かな青い光をまとった剣撃が、みるみるうちに護盾を蝕んでいく。
「そ……そんな、大金をはたいて買った防護の護盾が、こんなにあっさりと……!」
彼女は軽やかに跳び上がり、宙で身を翻してもう一太刀、斜めに斬り下ろした。最後の指輪が砕け散る。驚愕に目を見開く魔法使いの前で、続くはずの斬撃は回し蹴りに変わり、白いブーツに包まれたすらりと長い脚が彼の脇腹を捉えた。激痛が走り、目の前が真っ暗になって、魔法使いは地に膝をつく。彼女は構えを解くと長剣を両手で高々と振りかぶり、真っ直ぐに振り下ろして、剣の腹を魔法使いの肩へ叩きつけた。骨の砕ける音が響き、右肩が異様な形にひしゃげる。彼は痛みのあまり気を失い、その場に崩れ落ちた。
そこへようやく杖が落ちてきて、地面に突き立った。
フリーデは周囲を見渡した。この指揮官を片付けたことで、指揮部はもはや二人の手で制圧されていた。四階の陰影騎士は無人の野を行くがごとく、稲穂を刈るように片端から命を刈り取っていく。武器を下ろせば命だけは助かると悟った兵士たちは、次々と頭を抱えて跪き、降伏した。もはや身じろぎ一つしようとしない。
一方、別の戦場では、炎の蔓がウェルズの敵を捕らえようと迫り、ウェルズは傍らから様々な魔法でその動きを封じていた。驚駭尖叫、呪法定身、さらには各種の呪詛――彼はそれらを一つ、また一つと敵に付与していく。
敵は地面を隆起させて高所を取り、水を身の周りに集めて水の盾を張った。だが、それも何の足しにもならない。炎の蔓が抵抗を一枚ずつ剥ぎ取っていき、彼は瀉血される病人のように死の淵でもがきながら、自らが死へと歩んでいくのをただ見ていることしかできなかった。
敗北と死がすぐそこに迫っていると悟っても、降伏する気はなかった。叛国は紛れもなく唯一の死罪であり、降伏しようと戦死しようと、行き着く先はまったく同じだったからだ。
そして彼は自ら予期したとおり、回避の最中に炎の蔓に絡め取られた。すべての蔓が獲物を捕らえた毒蛇のように一斉に襲いかかって締め上げ、彼は灼熱の炎の光の中で灰と化した。
「片付いた」ウェルズはしばし残量を見積もった。相次ぐ戦闘で、魔力はもう残りわずか。三階魔法ならあと二回、四階魔法なら一回が限度だ。
第三軍団の指揮官は、二人とも彼らに打ち破られた。総指揮を失った以上、このクーデターが政府の勝利で幕を閉じたのは明らかだ。なお抵抗を続ける頑迷な者がいたとしても、もはや大勢に影響はなかった。




