第三十二章 電報局の制圧
魔法使いは素早く範囲の外へ飛び退いたが、それでも数条の雷光をその身に浴びた。脆弱な護盾が瞬時に砕け散り、その顔に怯えの色が走る。「三階魔法使い……!?」
一方の持魔者は、数十の暴徒と兵士を率いてフリーデリカへ襲いかかった。暴徒たちの手には斧が握られている。下城区で数々の抗争をくぐり抜けてきた連中で、その凶悪な形相には死への恐れなど微塵もない。
「こいつらを片付けりゃ、この先は使い切れねえ金と女が思いのままだ!」
「全員ぶっ殺せ……!」
持魔者を先頭とするクーデター軍が、フリーデの孤影とぶつかった。彼女は持魔者へ斬りかかり、喉元を一直線に狙う三段連撃で相手をじりじりと後退させる。だが最後の一撃の瞬間、相手はさっと身を翻して暴徒の一人の背後へ隠れた。フリーデの長剣がその暴徒を引き裂き、自身はかすり傷ひとつ負わない。そうして暴徒を盾にしてやり過ごすと、再び剣を振るって彼女へ斬りかかってきた。
戦場において、兵士とは強者の肉の盾となる存在だ。長剣を操るこの持魔者は明らかにその道に長けていた。暴徒を盾にも主力にも使い、自らは人混みに紛れて隙を見て仕掛ける。
包囲されたフリーデは、たちまち苦戦を強いられた。敵は潮のように押し寄せ、少しでも気を緩めれば、狂ったように飛びかかってくる暴徒にその身を傷つけられてしまう。
振り下ろされた斧をかわして剣の腹で相手を打ち倒し、別の一人の襟首を掴んで反対側から迫る暴徒へ投げつけ、さらに襲いかかってきた二人を回し蹴りで吹き飛ばす。だが、その俊敏な身のこなしが兵士たちに向けられている隙に、剣士の襲撃がまたしても音もなく迫っていた。
剣士は人混みから飛び出し、フリーデの胸めがけて剣を突き出そうとした。だがその時、遠方から放たれた狙撃に危険を察し、慌てて身を引く。外れた弾丸は暴徒の一人に命中した。
ラロリアが作った隙に乗じ、フリーデは剣を振るって周囲の暴徒を押しのけると、踏み込みから後方宙返りを決めて人垣を抜け出した。
ウェルズには、彼女がこの連中に手加減しているせいで戦闘が長引いているのが見て取れた。
「死こそ、この暴徒どもを追い払う最良の手段だ」
そう声を張り上げて忠告する。
ウェルズの側はすでに盤石の優勢を築いていた。自分より一階下のこの魔法使いを、楽々と魔法を操って押さえ込んでいる。雷光は蜘蛛の巣のように敵を絡め取り、あとは蜘蛛たる彼が口を開け、網にかかった獲物を呑み込むのを待つばかりだった。
ウェルズの言葉が、今この場での最良の選択であることは確かだった。それでも、彼女は従おうとしなかった。
空き地に降り立つや否や、彼女は力を溜めて剣を振り抜いた。細い腰のひねりが腕を走らせ、強烈な一閃を放つ。深い青の星芒の剣風が、前列の暴徒数名をなぎ倒した。
案の定、剣客はこの溜めの隙を見逃さなかった。好機とばかりに人混みから飛び出し、剣を引っ提げてフリーデへ突きかかる。
「ドミトリーのために……!」剣客は決死の覚悟で叫んだ。自分とフリーデの実力差は見抜いている。暴徒という肉の盾を失えば、敗北は避けられない。だからこそ、己の命と引き換えにフリーデへ挑みかかったのだ。
剣士はこの一瞬に賭けて踏み込み、突進する。狙うは銀髪の少女ただ一人。対するフリーデは、臆することなく正面から迎え撃った。
長剣が彼女の腹を貫いた。こんにゃくでも刺したかのような、滑らかな手応え。だが、それで彼女の動きが止まることはなかった。凛冽と剣を振るい、次の瞬間には剣士の首を刎ねていた。
「お前……人間じゃ……ない……」宙を舞う首が低く呟き、地に落ちて幾度か転がった。力を失った胴体もまた、後ろへと倒れていく。
彼女は腹に刺さった長剣を左手で引き抜き、地面へ投げ捨てた。傷口から銀白の魔力が溢れ出す。しばし身動きが取れないまま、剣気に掻き乱されて魔力の巡りが滞った体を修復していく。
首領が目の前で斬り伏せられたのを見て、暴徒たちは蜘蛛の子を散らすように、電報局の周りから我先にと逃げ出した。
「降参……!降参する!」
三階の剣客までもが討たれたのを見て、電網に囲まれた魔法使いは勝ち目などないと悟り、すぐさま跪いて命乞いをした。
「なら、眠っていろ」
ウェルズは手を返して睡眠術を二つ収束させ、杖を投げ捨てて跪いた魔法使いに叩き込んだ。直撃を受けた相手はたちまち白目を剥き、その場に倒れてぐうぐうと寝息を立て始めた。
十数分の交戦の末、電報局を占拠していたクーデター軍は二人の手で撃破された。
合流した二人は足早に電報局の中へ向かう。ウェルズが溜め息まじりに漏らした。
「俺のやり方のほうが明らかにましだったろ。金目当ての悪党どもなんざ、胴から真っ二つにしてやれば散り散りに逃げ出す。そうなりゃ残った持魔者を片付けるのも造作もない。少なくとも、お前がそんな傷を負うことはなかった」
「私は人間じゃない。心配は要らない」傍らに付き従うフリーデが、視線だけを横に向けて言った。
「これが私の考え得る最善の方法。煽動された人々に死ぬほどの罪はない。私の傷で彼らの命を買えるなら、それに勝るものはない」
「好きにしろ」
電報局に入ると、占拠していたクーデター軍はすでに逃げ去っていた。奥の部屋からうめき声が聞こえる。二人が入ってみると、縛り上げられて小部屋に放り込まれた電報局の職員たちが大勢いた。
「んん……!」「ふぐぐ……!」「ううう……!」
ウェルズたちの姿を見るなり、彼らは助けを求めて声を上げ、縄で縛られた体を必死によじらせた。フリーデはすぐさま駆け寄って縄を引きちぎり、職員たちを解放していく。
「ありがとうございます……!」「恐ろしかった……!」
自由を取り戻した職員たちは、ほっと胸を撫で下ろした。
「電報局の紳士淑女の皆さん、直ちに持ち場へ戻ってください。ライカベサの政府軍には、各地の情報をつなぐ皆さんの力が必要です。それから駐屯軍に連絡し、電報局が復旧したこと、そして警備の支援を要することを伝えてください」フリーデが職員たちを解放している間に、ウェルズは部屋の中の彼らへそう呼びかけた。
だがその時、解放された職員の一人がいきなり跳ね起き、狂ったように叫びながら、戸口に立つウェルズへ短剣を突き出した。
「祖国のために!!」
あまりに唐突な行動に、その場の誰もが虚を突かれた。だが標的のウェルズは軽く手を上げ、魔導書の表紙を刃の前にかざしただけだった。
「おいおいおい……お前ら、本当に大人しくしてられないんだな」ウェルズは小さく溜め息をついた。
刃は鋼鉄にでも突き当たったかのように一寸も進まない。跳ね返った衝撃で、職員の手から短剣が床へ落ちた。ウェルズは魔導書を振り上げ、力任せに振り下ろす。見事な軌跡を描いた一撃が後頭部を捉え、職員はどさりと床に倒れ込んだ。
「ちょっとした余興だ」彼は呆気に取られた職員たちへ淡々と言った。「さっき言った通りに動いてくれ。ついでにこいつを縛っておけ」
職員たちは動き出し、滞っていた電報を次々と送信していく。つい先ほどまで閑散としていた電報局の中は、あっという間に慌ただしい熱気に包まれた。
ウェルズとフリーデたちは戸口に立ち、政府軍の部隊の到着を待っていた。夜の色は、あらゆる絵の具を混ぜ合わせたような深い黒で、星明かりひとつない。そんな中、フリーデが腑に落ちない様子で尋ねた。
「望みなんてないのに……どうしてあんなことを」
「それが永遠に朽ちないものだと信じているからだ」ウェルズは嘲るように笑った。「要は馬鹿の集まりだ。国家だの民族だののために命を捧げる大義なんてものを信じ込んでる。そういう手合いは結局、野心家に利用されて捨て駒にされるのが落ちだ。クーデターが成功したところで、あいつの地位は何一つ変わらない。失敗すれば、刑場に引きずり出されて処刑されるだけだ」
「目標は人のためにあるんであって、その逆じゃない。そんな道理もわからない馬鹿は、周りのすべてを何度でも犠牲にし続ける」鼻で笑いながら、彼はかつての日々を思い出していた。豊かで幸福だったあの頃の、父母、祖父母、そして妹。そのすべては、もはや過ぎ去った雲煙だった。
「どうしたの?」白いふんわりとしたスカート姿のラロリアが、ゆっくりと歩み寄ってきた。
ウェルズはついでに、さっきの一部始終を彼女にも話して聞かせた。
「確かにね……」彼女は金髪を指で梳いた。
「狂信者と付き合うくらいなら、教廷を相手にするほうがまだましよ。少なくとも教廷の聖典は真善美を教えてくれる。戦争狂が教えてくれるのは侵略と征伐と死だけ」
「それにね、人に犠牲を勧めるのって、自殺を勧めるのと同じじゃない?自分が生きていることより大事なことなんて、あるわけないでしょ」
その言葉に、フリーデは主「アレクシオス」の言葉を思い出した。記憶はもう朧げだが、彼がこの話をした時の哀しげな面持ちと溜め息は、今も鮮明に心に残っている。
「お前をフリーデリカと名付けたのは、平和を守ってほしいからだ。古来より、最も多くの命を損なうものは戦争に他ならない。戦争を滅ぼしてこそ、世の人々は平和を安らかに享受できる。それが、最も多くの人の幸福を守る方法でもある」
「ある」彼女は真剣な面持ちで言った。その胸には、クーデターを終わらせる決意が宿っている。「私は、私の使命のために犠牲になれる」
「死ねない奴が犠牲なんて言葉を口にするな」ウェルズは耐えかねたようにこめかみを揉んだ。




