第二十九章 転送
「何をそんな大声で叫んでいる?」不意を突かれ、魔導書を持つウェルズの手がびくりと震えた。
だが幸い、凝集していた魔力は霧散せずに済んだ。魔導書に蓄えた書頁を用いて瞬時に力場壁を展開し、身の回りを守って敵の魔法攻撃をひとまずしのいだ。
「何でもない……!あいたたっ!!」彼女は慌てて手を振って弁解しようとしたが、そのはずみで腰の傷に響き、何度も鋭く息を呑んだ。
何をやっているのかさっぱり分からないまま、ウェルズは空いている左手を差し出した。「なら俺の手を掴め。転送で離脱する……!」
「でもここから城壁までは、まだ百メートル余りあるのに……」差し出された手を見つめ、ラロリアはそれを握った。少し気恥ずかしかったが、それでも胸の疑問は口にした。
「信じろ、俺は無意味なことはしない。だから、信じろ」ラロリアの白く柔らかな手をしっかりと握ると、次の瞬間、魔導書で次元門の魔法を増幅し、発動させた。
わずか数秒の間に空間魔法を重ねて運用すれば、当然、空間に異常な乱れが生じる。だが『咫尺の書』の空間操作はすでに至高の域にあり、震動は速やかに鎮められ、金色に輝く次元門が再び開いた。しかも、ウェルズが転送してきた時のものより、はるかに巨大だった。
「行くぞ……!」地を蹴って後ろへ跳び、ラロリアを引いたまま次元門へ身を沈める。力場壁がついに限界を迎える前に、彼女を連れてその場から転送で離脱した。
標的を追尾できなくなった魔法飛弾は、地面に落ちて穴を穿った。
「逃げられたか」すでに消え去った金色の波紋を見て、魔法使いは空間魔法の厄介さに改めて歯噛みした。
「軍団長閣下、この後はいかがいたしましょうか?」背後で、すでに軍の配置を終えた数名の将校が尋ねた。
「まあいい。集結は予定より十数分早い。奴らが通報しようとしても、もう間に合わん」
彼は魔法放送を集束し、高らかに命じた。
「軍団、傾聴!これより二二七号命令を実行する……!」
「敵はライカベサにあり。首都を不当に占拠する人民党員および抵抗者を、すべて殲滅せよ!!」
頑固分子が粛清されたいま、城塞の兵士たちは上官の命令に従うほかなく、機械のように出撃の準備を整えていく。各種の攻城砲は待ちきれぬとばかりに、本来守るべき城塞と民へ向けて今にも火を噴こうとしていた。銃を担いだ兵士たちが、一隊また一隊と要塞から出ていく。
雷光のごとき転送を二度重ね、ウェルズはラロリアを連れて瞬く間に林のそばへ降り立った。
ようやく安全だと分かると、彼女は重槍をしまい、部品に戻してスカートの裾へと組み直した。
「どうやったの……?転送門の距離をあんなに伸ばすなんて」金髪の少女は、わずかに驚いた顔で尋ねた。
「普通の次元門では、当然あれほど遠くへは転送できない」
「だが俺の手にあるのは、『咫尺の書』だ」
手を離すと、本はひとりでにウェルズの腰へ戻っていった。
「あんたの手にあるそれ、魔導書だったの……?しかも伝説者アレクシオスが作った魔導書?あんたが、あの教廷が指名手配している盗人?」ラロリアは初めて、驚きを隠そうともしなかった。好奇の眼差しでウェルズの手にある魔導書を見つめる。出会った時からただならぬ本だと感じてはいたが、二人の関係を思えば、これまで尋ねるわけにもいかなかったのだ。
「人聞きが悪いな。俺はただ、本物の盗人からこの本を救い出しただけだ」
「この本だって、俺の言い分に賛成してくれるさ」
彼は顔色一つ変えずに言い、林の中に隠しておいた馬を引いてきた。
自分に痛覚遮蔽と簡単な治療術をかけると、ラロリアの腰の傷口はすでにゆっくりと塞がり始めていた。
「もう、痛くて死にそう……」彼女は恨めしげにこぼした。
「今自分で馬に乗れば、揺れで傷が開くだろうな。お前は治療に専念して、俺の馬に相乗りしたほうがいい」彼女の腰の傷に目をやり、ウェルズは短く評した。
「そ、そう……な……の?」
「でもそれは……よくないんじゃない?」
恥ずかしさのあまり、彼女はどこか不服そうに青い瞳を逸らした。それが最善だと分かってはいても、男性と一頭の馬に相乗りするのは、やはり気恥ずかしい。
「お前ひとり乗ったくらいで、馬が息を切らすとでも思ってるのか?それとも、その鳥の巣頭が実はとんでもなく重いのか?」
彼女の反応を見て、ウェルズは遠慮なく問いかけた。
「乗ればいいんでしょ……!バカ!それと私の髪はちょっと癖があるだけ……!」
彼女は歯ぎしりしながら言い返した。
馬に乗ると、二人は全速力でライカベサへ駆けた。片手を鞍の後ろにつき、ラロリアはできるだけウェルズに体が触れないようにしながら、もう一方の手で治療の魔力を当てて腰の傷を押さえていた。
「ライカベサに戻ったら、どうするの?」
ラロリアが尋ねた。
「今やるべきことは決まっている。電報局へ向かう。奴らが企てているのはクーデターだ。何より重要なのは情報の流れを押さえること。ライカベサの各部門の連絡を断ち切りさえすれば、あとはいとも容易く各個撃破できる」
今後の方針が分かると、ラロリアはそれきり黙った。だが、ふとひとつの疑問が頭をよぎった。
「私がどこにいるか、どうして分かったの……?転送してきて助け……ごほごほ、ついでに私を連れ出すなんて」
「標記魔法だ。最初から解除していない」
ウェルズはさらりと言った。
ラロリアは唖然とした。
「私を騙したのね、この嘘つき!」
「俺が嘘をつかないと言ったことがあるか?俺は善人じゃないんだ。嘘をついて何が悪い?」
「知らない……!絶対に罰を与えてやるんだから!」
憤慨したラロリアはさくらんぼのような小さな口を開け、ウェルズの肩に噛みつこうとした。だがその時、馬が大きく跳躍して巨大な穴を飛び越えた。不意に体勢を崩した彼女は、なすすべもなく彼の背中にぶつかった。
「あああ……!」
ウェルズの腰にきつくしがみついて、ようやく彼女は気づいた。豊かな胸が、ほとんど丸ごと彼の体に押し付けられている。顔から血の気が引くほど驚きながらも、彼女はそっと、薄氷を踏む思いでゆっくりと体を離していった。目の前の彼に、そんなことがあったと気づかれないように。ただそれだけのために。
「あ……あ……あんた、な……何ともなかった?」体があらかた離れたところで、結局こらえきれずに尋ねてしまった。
「胸のことか?平らすぎて、何も感じなかった」
「殺してやる……!!!」彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。
だが当のウェルズは、ただ一心に考えを巡らせていた。不意に、思考の中で点が線となり、線が面となって、ついに真相が浮かび上がる。
ライカベサはもう目前に迫り、街の外縁を囲む城壁が見えるところまで来ていた。
「は……」だが、笑い声がラロリアの叫びを遮った。
「はっはっはっは……!」
ウェルズの笑い声だった。
彼は声を上げて痛快に笑った。心の底から、これほどの晴れやかさに包まれたことは一度もなかった。まるで存在の意味を与えられたかのように、胸の内に満足感と幸福感が溢れ、激しい潮のように幾度も押し寄せてくる。
「やはりそうか……ネオ、このクソ野郎、クーデターの政治的投機でのし上がるつもりか?」
「俺がいる限り、この俺ウェルズがいる限り、このクーデターは絶対に成功させない。これが俺の復讐だ……!」
「お前の計画も、お前の期待も、お前の幸福も、すべて俺が壊してやる……!」
「お前のすべてを、徹底的に打ち砕いてやる!」
恋い焦がれた相手との逢瀬を待ちきれない恋人のように、ウェルズは初めて、焦燥と異常なまでの高揚を覚えていた。頭の中で思い描いてきた夢が、現実になったかのようだった。
「はっはっはっは!!」
その狂ったような笑い声を聞きながら。
彼の後ろに座るラロリアは、呆然としていた。
ふと、奇妙な悪寒が込み上げてきた。




