第二十八章 クーデター
「二二七号命令は……クーデターだ!」
「私に構わないで……このことを必ず外に伝えて……!クーデターよ!早く都市守備軍に連絡して!」
同時に、ウェルズとラロリアは揃って驚きの声を上げた。
「うっ……!」
ウェルズはすぐさま手にしていた本を放り出し、身を翻して倉庫の周辺から逃げ出した。
「フリーデ、聞こえているな?クーデターだ……!電報局へ行って待っていろ、そこで合流する!」
「分かった」
だがウェルズが路地を駆けているさなか、ラロリアのくぐもった呻きが伝わってきた。
「お前のほうはどうだ?」
「私は大丈夫……これから意識通路を切って、戦闘に集中するわ。私が注意を引きつけてるうちに、あんたは早く離……」
ラロリアの声はぷつりと途切れ、総指揮部の方角からいくつもの爆発音が轟いた。
「ちっ、まさかこんな時にしくじったんじゃないだろうな?」
壁の角に身を潜めたウェルズの目には、小銃を携えた部隊がいくつも総指揮部へ駆けつけていくのが映っていた。中には音波式探知器を装備した隊長が率いる一隊もあり、同じく不可視化しているかもしれない仲間をあぶり出そうとしている。
「これで逃げ出すのはずいぶん厄介になったな」ウェルズは距離を目算しつつ胸の内でつぶやき、ラロリアの失態を恨めしく思わずにはいられなかった。
慎重に足を運びながら、ウェルズは路地から路地へと縫うように進み、衛兵たちの捜索をかわしていく。だが一隊が去ったのを見届けて再び踏み出そうとした矢先、角の向こうにまた新たな巡回部隊が現れた。
「城壁沿いの巡回がここまで密だとはな……これ以上隠れ続けるのは無理か」
壁に張り付いて外を窺うと、城壁の上一面に拡散性閃光塵が撒かれているのが見えた。あそこに長く留まれば留まるほど光塵が不可視化した者の身体に付着し、不可視化を見破られてしまう。爆発音も彼が進むにつれて次第に近づいてくる。と、遠くで光弾が一発、天へ向かって打ち上がり、空中で炸裂してまばゆい閃光を放った。
「ラロリアと軍の戦いは、ずいぶん激しいらしいな」
ウェルズは、彼女の言葉に強がりがにじんでいたことを思い返した。並外れた天賦の才を持ち、この若さで三階魔法使いにまでなったとはいえ、砦全体からの包囲攻撃に一人で立ち向かうのは、さすがに無理があるだろう。
しかも、悪いことは重なるものだ。
一隊から数人が分かれ、ウェルズの潜む路地へ捜索に入ってくる。ここを離れれば不可視看破を使っている魔法使いの前に身を晒すことになるが、留まっていても、いずれ兵士たちに異変を気づかれる。
「くそっ」
ウェルズに選択の余地はない。残された道は突破のみだった。
彼は一気に飛び出し、最後の区間は足音を殺すことすらやめて全力で駆け抜けた。
「あそこで誰かが走ってるぞ……!」「誰だ?止まれ!」隊を率いる兵士は音を聞きつけるなり足を止めたが、目の前には何の姿も見えない。
「小隊散開、前方に向かって射撃開始」
彼はただちに作戦指示書どおりに行動を開始した。背後の兵士たちが横一列に並び、構えた銃で前方へ射撃する。
十発の弾丸が空き地を薙ぎ払い、うち一発がウェルズの身体を捉えた。波紋が光り、あらかじめ詠唱しておいた護盾が効果を発揮して、弾丸は力を失って地に落ちた。
「お前ら雑魚に興味はない!」
法術の行使で生じた魔力の波紋により、ウェルズの不可視化が解ける。彼は魔導書を掴み取ると、もう一方の手を標的の兵士たちへ向けて狙いを定め、召喚した震盪電流を、行く手を塞ぐ小隊全体めがけて放った。
「うっ……!!」「ああ……!」
閃く電光が跳ね回り、地面に細かな穴がいくつも穿たれる。兵士たちは痺れて動けなくなるか、弾き飛ばされるかした。その隙に、ウェルズは素早い足取りで彼らの間を駆け抜けていった。
「やはりまだ敵がいるぞ、早く止めろ!撃て!」
爆発が人目を引かないはずもなく、最寄りの巡回分隊が異状に気づいてすぐさま発砲してきた。だが彼はそれを意に介さず、目標へ向かって駆け続けた。
目的地の範囲に手が届こうかというところで、彼は魔導書を掴み、手をかざして前方に次元門を開いた。そのまま身を躍らせて中へ飛び込み、空間跳躍する。背後から追いすがった数発の弾丸は、一歩遅れて、消えゆく次元門の光を撃ち抜いただけだった。
「うっ……」組み立てた魔導長槍を手にしたラロリアの脚は機械仕掛けの強化脛当てに覆われ、背には魔導ブースターが備わっている。なんとそれらは、彼女のあのたっぷりと広がったスカートが姿を変えたものだった。
魔力を注げば、ブースターが移動速度を増幅する。こんな画期的な代物が西大陸で作られたものでないのは明らかで、ウェルズはそれが帝国の推進機械だと当然見抜いていた。
彼女の相手は二人の伝統的な魔法使いで、いずれも三階の実力者だった。ラロリアが軽やかに跳んで三階建ての家屋の上に降り立つと、背後から追う敵が二条の光線を放ち、家屋に命中して激しい爆発が起きた。
「誰の差し金だ、ここへ何をしに来た?」
背後の魔法使いが問い詰める一方、もう一人の魔法使いは詠唱を終え、数発の魔法飛弾を放ってラロリアの姿を追尾させた。
「あんたに関係ないでしょ!」
汗が頬を伝う。彼女は長槍を振るって飛弾をいくつか砕くと、すかさず槍を構え直して一射した。槍口から放たれた光線は命中こそしなかったものの、深い穴を穿った。だがその時、別の援護者が放ったエネルギー光線が側面からラロリアを捉えた。
爆発が彼女の肩先で弾けた。護盾で防いだおかげで怪我はなかったものの、その護盾はもはや充填がまるで追いつかず、魔力も底を突きかけていた。
「まずい……」
「武装を解除しろ、さもなくば容赦なく殺す……!」魔法使いはさらに火球術の詠唱を続ける。ラロリアはむっとして声を張り上げた。「誰があんたたちの言うことなんか聞くもんですか!」
彼女は再び魔力を巡らせて跳び、別の家屋の上に着地した。だが下にいた兵士たちが、一斉に銃口を彼女へ向けた。
「しまった……!」
前の動きの勢いは抜けきらず、次の動きへの力もまだ溜まらない。そこへ数発の弾丸が、身動きの取れない彼女を捉えた。特製の弾頭が護盾に残ったエネルギーを大きく削り取り、さらに魔法飛弾と火球が立て続けに襲いかかる。
彼女は慌てて長槍を振るい、閃く鋭い軌跡で飛弾を弾き飛ばした。最後の火球も、同じく槍先で誘爆させる。
三階魔法の激しい衝撃が、ラロリアの身を守る最後の障壁を引き裂いた。彼女は悲鳴を上げ、灼熱の炎に腰を焼かれた。
「城壁まで……あと百メートルちょっとだったのに……」ラロリアは槍先を地面に突き立てて傷ついた体を無理やり支え、悔しさと憂いのにじむ眼差しで、すぐそこにある城壁の縁を見やった。
「終わりだ」魔法で形作られた「空間架橋」を踏みしめ、追撃してきた魔法使いが腕を上げた。そこに凝結しつつあるのは、なんと三階の「麻痺光線」。避けられない標的に目眩を起こさせる魔法光線で、今の彼女の状態では、間違いなく気絶させられるだろう。
「ふん、これで逃げられないようじゃ、魔法使いなんてやめて、農民になって家で畑でも耕すべきね」彼女はやるせなく自嘲し、凝集していく白光を見つめながら、それでも胸の内で嘆いた。「これは私の失敗……せめて……あいつが、私の巻き添えになっていませんように……」
白い光線が放たれ、ラロリアは青い瞳を固く閉じて衝撃を待った。
だが、その衝撃は思っていたようには訪れなかった。
愕然として目を開くと、傍らには金色の輝きが揺蕩っていた。次元門の発動時に漏れ出す魔法の余波で、秋の夕暮れに頬を撫でるそよ風のように穏やかだった。
「何の話だ……?」ウェルズが手を上げると、掌から瞬時に放たれた灼熱光線が白光とぶつかり合った。
彼女の顔がぱっと赤く染まり、たちまち真っ赤に茹で上がった。
「何でもないいいいい!!」
ラロリアは両目をぎゅっとつぶり、信じたくないとばかりに、天を揺るがすような悲鳴を上げた。




