第二十章 塩味のマカロン
宿で瞑想を終え、ウェルズはベッドから降りた。
一晩の努力で、魔力はまた少し三階の頂点へ近づいた。
瞑想がこれほど重要なのは、容積をゆっくり広げながら、水の戻りも早められるからだ。貯水池を築きつつ、そこへ素早く水を満たすようなものである。だからこそ大半の魔法使いは、人生の四分の一を瞑想に勤しんで過ごす。
ウェルズも例外ではなかった。その努力があったからこそ、若くして三階に至れたのだ。
「さて、今日も情報調査といくか」
黒いマントを羽織ったウェルズは、扉を押し開けて外へ出た。
かつてライカベサの底辺で二年暮らしたとはいえ、ウェルズにはやはり情報を得るつてがなかった。
陽光の下の陰は移ろいが速く、人目を憚るものだ。地下勢力の入れ替わりは表舞台の政治家よりはるかに速く、それもひっそりと行われる。
今ライカベサの地下を仕切っている一味も、もはや昔の組織ではない。かつての情報売りは引退したか、さもなくば下水道から川へ流されたかで、たとえ思いがけず生き残っている者がわずかにいたとしても、ウェルズにそのつてを頼る気はなかった。
「やはり昔ながらのやり方だな。一軒一軒、下見して回るか」
地下を握る者はめまぐるしく変わっても、古い取引のやり方はずっと受け継がれていく。ウェルズはこれから地下の店を訪ね、例の物資の流れ先を探るつもりだった。
こうした店はたいてい、賑やかでも寂れてもいない場所に構え、その平凡さを隠れ蓑にしている。
街路を歩けば、行き交う人々の話し声も自然と耳に入ってくる。前方では、がっしりした体格の青年が二人、話し込んでいた。
「こんな大事な日に、歩哨に立たなくていいのか?」
「へへっ、投票を迎えるってんで、総帥府がわざわざ俺たちに有給の長期休暇をくれたのさ。城門は田舎から送られてきた芋どもに任せた!」
「このいまいましい軍人どもめ、休みでも給料が出るなんて、人民の税金の無駄遣いもいいとこだ」
「こんないい日々ももう長くないさ。ヴェスパルが政権を取ったら、軍事費削減をやるだろうよ。軍隊なんぞ公金を食う底なし沼だ、ってのが持論だからな」
「あいつの言うこと、けっこう当たってるぜ。軍人なんて国家の寄生虫だ、税金を食い潰すだけで何も生み出さねえ。ドミトリーの奴は名声だけで政権を取って四年やったが、その結果がどれだけひどいか、お前も見てきただろ」
「へへっ、正直言って、ここ数年の待遇は確かに悪くなかったぜ。あいつが金を全部軍隊に注ぎ込んでたからな。皇帝にでもなるつもりかね?」
角を曲がると、今度は平凡な服装の男二人が耳打ちし合っているのが聞こえた。
「知ってるか?川に身投げした奴がいるって話」
「そうなのか?」
「しかも美少女だったらしいぜ。なんでそんなことをするかね。人生、まだ楽しいことはいくらでもあるだろうに」
「暮らしがうまくいかなかったとか、一時の衝動とか、そんなところだろう」
「警察が捜したけど、死体は見つからなかったらしい。まるで消えちまったみたいにな」
「まさか幽霊が出るんじゃないだろうな?ここは月の潮汐じゃないんだぞ」
たまたま話を耳にしたウェルズは、ふんと鼻を鳴らしただけだった。
「暇人が多いな。自殺したいなら、いっそその時間を俺に寄越せ。こっちは十人に分身してでも用事を片付けたいくらいなんだ」
ちょうどその時、フリーデの声が魔導書を通じてウェルズの意識に流れ込んできた。
「ウェルズ……あなたの力を、貸してもらえる?」
「何をする気だ?」彼はフリーデに問い返した。
「『陰影探知』で人を助けたいの」
「……」ウェルズはしばし思案した。造作もないことではあるが、陰影を使えることが万一露見すれば、面倒を招きかねない。
「いいだろう。だが、このことは誰にも言うな」そう言い含めると、ウェルズは陰影の力を魔導書へ注ぎ込んだ。力はすぐに引き出されていった。
「陰影魔法……終末救贖者か?それとも別の陰影の魔法使いか?」
手にしていた書物がひとりでに腰へ戻る中、ウェルズは思いを巡らせた。
ほどなく、ウェルズは一軒の魔法道具店の前にたどり着いた。普段は無害な巻物や空間の指輪を扱う店だ。店に入るなり、造水術や造糧術といった旅の必需品である携帯用の巻物が、棚を埋め尽くしているのが目に入る。手前のテーブルには売り出し中の魔縄術が並んでいた。野外で獣の襲撃をかわすには打ってつけの法術だ。
こうした低級法術には目もくれず、ウェルズはカウンターの前に立った。その向こうでは、中年の男が手持ち無沙汰に座っている。
「いらっしゃい。欲しいものは勝手に選んでくれ」
「塩味のマカロンが欲しい」男を見据えて、ウェルズは言った。
中年男は顔を上げ、気のない調子で返した。「塩味のマカロンは安くないぞ。本当に塩味でいいのか?」
「当然だ」
答えを聞くと、男はすぐに戸棚から、人差し指と親指で作った輪ほどの小さな菓子を一つ取り出した。
「一つ一銀券だ」
途方もない値段にも、ウェルズはまるで意に介さず、ポケットから紙幣を一枚取り出してテーブルに押し当てた。そのまま菓子をつまんで口に放り込み、半分だけ齧ると、残りをテーブルに置く。
「やはり塩味だ」口に広がる味に、ウェルズは内心でつぶやいた。
それを見ると、中年男は立ち上がり、カウンターの奥の廊下へ向かった。ウェルズも後に続く。廊下で足を止めた男が壁のボタンを押すと、セメントで塗り固められていたはずの壁が不意に開き、通路が現れた。その奥には、なんと暗室が隠されていた。
「どうぞ」中年男が手振りで促し、ウェルズは暗室の中へ足を踏み入れた。
目の前にあるのは、十平方メートルほどの小部屋だった。三面の壁と壁際の棚には魔法道具が所狭しと並び、そのどれもが禁制品だ。付与武器から巻物、薬水、危険な原材料まで揃っている。
「火球術の巻物……一本四金券」闇市の相場を見積もる。正規の売値より少なくとも五割は高く、しかも出所は定かでないうえ、品質も保証しがたい。
「最近の品はこれで全部だ」
「血ダイヤ、毒雲の巻物、惚れ薬……どれも普通から稀有等級の小物ばかりだ」顎に手を当てたウェルズは一通り目を走らせたが、取り立てて言うほどの品は見当たらなかった。
「この闇市も同じか……無駄足だった」
ウェルズが手ぶらで出ていくのを見て、店主は扉を閉めた。「気に入ったものはなかったか?残念だな。だが入場料は返さないぞ」
この店でもやはり、求めるものは見つからなかった。
ここ数日、ウェルズは闇市で例の物資に関わりそうな消息を探っていたが、めぼしい情報はまるで得られずにいた。
「やはり容易ではないな」
そう思いながらも、ウェルズは屈することなく、次の店へと足を向けた。




