第十二章 陰影騎士
交戦中のフリーデは突如として大きく跳び退き、魔力を巡らせて金色に燦めく空間の鎖を呼び出した。鎖は泳ぐ蛇のように召喚の門扉へ絡みつき、縛り上げる。
「律令解放、具現せよ。これぞ咫尺の権能『築定道標』」
鎖に支えられて門扉の階級が引き上げられ、縛られた門扉が形を変え始める。実体のない門全体が不意に震え出した。まるで何かが蛹を破って出てこようとしているかのようだった。
だが、助けを得てもなお召喚魔力の維持が追いつかないのか、門扉は固く閉ざされ始めた。
結局最後まで何も現れず、震えていた門扉は渋々といった様子で閉じてしまった。
「失敗か?」ウェルズは低く呟いた。
だがその瞬間、轟音が響き渡った。召喚の門扉が力ずくでこじ開けられ、開いた門口から冷え冷えとした暴風が吹き出して大広間を席巻する。
門が完全に消え去る寸前、中から影がひとつ跳び出してきた。灰色に霞んだ体躯に、同じく暗く沈んだ両手剣。鎧をまとい、顔まで覆う兜の頂には羽根飾りがあしらわれていた。
それは紛れもなく、四階の陰影騎士だった。
千差万別の陰影生物の中には、当然ながら人間も含まれている。
着地するや否や、それは重剣を振るい、剣風をまとってウェルズへ斬りかかってきた。驚きつつも、ウェルズは数歩後退して躱すしかなかった。
「おいおい、召喚者相手にそう乱暴するのはやめてくれないか?」
ウェルズの言葉が通じたのか、騎士は矛先を他の生物へ転じ、邪教徒や悪魔たちに攻撃を仕掛けていった。
「これは……意外な収穫、か?」ウェルズは視線を戻した。陰影騎士がいるなら、手が空いた分、フリーデと二人でこの悪魔に当たれる。
「そろそろこいつを味わってもらおうか」ウェルズは弱体化系の低級法術をいくつか瞬発し、悪魔に浴びせた。半分は悪魔の抵抗力に無効化されたものの、それでも奴の速度を一段落とすには十分だった。
「忌々しい!忌々しい人間め……!」
自らの力が失われていくのを感じ、鷲魔は怒りの咆哮を上げた。
フリーデは身を躍らせ、長剣を悪魔の肩へ突き立てた。鷲魔は爪を振るい、彼女を粉々に叩き潰そうとする。だが理性を失った力任せの一撃は彼女を捉えるどころか、かえって傷口を広げただけだった。フリーデはそれを躱して悪魔の肩を飛び越え、ついでとばかりに背中へもう一筋の傷を刻んだ。
「まず貴様を引き裂き、それからあの面白みのない魔導構体を粉砕してやる!」
「まだ状況が分かっていないのか?今日は、俺たちが狩人だ」
鷲魔はもはやフリーデの攻撃など意に介さず、魔法を繰り出し、なんとしてもウェルズを仕留めようとした。数日前までいいように蹂躙していた凡人が、これほど危険な存在に化けるとは思いもしなかった。その落差が、ただただ奴を狂わせていた。
足元の土に異変を感じ取るや、ウェルズは迷わず魔法を起動した。背後に燦然と金色の次元門が浮かび上がる。彼は悠々とその中へ踏み込み、大広間の反対側に姿を現した。元いた場所では、地面の土が敷石を突き破って巨大な手と化し、掴み、握り、揉みしだいたものの手応えはなく、虚しく空を掴むばかりだった。
「泥濘の握」。紛れもなく五階の魔法だ。ウェルズが躱せていなければ、今頃は巨大な手の中で肉塊になっていたかもしれない。
法術を放ったその一瞬の隙を突き、フリーデは身を翻して着地すると、再び跳び上がった。戦闘機械たる彼女は、戦機を捉える抜群の能力を遺憾なく発揮する。急所を見定めて長剣を突き出し、一撃で悪魔の背中から心臓を貫いた。鷲魔は内臓を掻き回されるような感覚に襲われた。心臓が一つ、斬り破られたのだ。
「俺があと何回次元門を使えるか、当ててみるか?お前の心臓の数より多いんじゃないか?」ウェルズは微笑んでみせた。
鷲魔の心臓はせいぜい四つ。彼の三階魔法はまだ六回使える。
青い血を一口吐き出した鷲魔は、どう見ても力尽きかけていた。
「面白い……貴様は実に面白いぞ、人間。陰影生物も、魔導構体も、あまつさえ教廷までもが貴様のために戦うとはな」
狂ったように、鷲魔の口の端から血と涎の混じったものが垂れ落ちる。
「だが一つ教えてやろう!この俺一人でも、貴様ら全員を嬲り殺すには十分だ!」
突如、奴の身からまったく新たな力が湧き上がった。鷲魔の傷が次第に塞がっていき、強大な気配が戻るだけで周囲の砂礫が震える。
「これは……」ウェルズはわずかに目を見張った。
「怒血狂化」
答えたのは、別の少年の声だった。大広間の入口から、血に染まった長剣を提げ、質素な修道服をまとった少年がゆっくりと歩み入ってきた。
一、二階の陰影生物と悪魔が互いに殺し合うさまは、さながら小さな怪物戦争だった。少年はその戦陣を一直線に切り裂くようにして、鷲魔のもとへ歩みを進めていく。
「君たち法術使いでいう六階魔法、原始退行のようなものですね。悪魔領主の血脈を引く一部の悪魔にしか使えないはずなんですが、まさか今日ここでお目にかかるとは」
「百科事典みたいに状況を解説してくれるお前は、いったい誰だ?」ウェルズは振り向き、その茶髪の少年を見た。
「初めまして。私はジョージ、教廷の四階執行官です」
穏やかな笑みを浮かべ、彼はウェルズに挨拶した。
「ごきげんよう、咫尺の書を盗んだ魔法使い」
三十秒前。
「このまま消耗し続けるわけにはいかない……!」
外で戦う数名の修道士も、途切れることのない悪魔の増援を前に、疲労の色を隠せずにいた。
「悪魔の出現が止まったようだ。ジョージ、先に斬り込んで召喚者を片付けてくれ。我々は外でこいつらを食い止める」
仲間の決意を見て取った少年も、ぐずぐずするような質ではない。即座に戦線を離れ、内部へと駆け込んでいった。
「任せてください!」
ところが大広間に入って真っ先に出くわしたのは、思いもよらず咫尺の書の所有者だった。
「やっぱりか……お前、四階の魔法使いだろう?」ウェルズは警戒を露わにし、いつでも次元門でこの場から離脱できるよう身構えた。今この男に仕掛けられたら、悪魔を仕留めようというこの戦いは完全に勝ち目を失う。
「隊を率いるのが一番強い者でなきゃいけないなんて、誰が決めたんです?人生経験の豊富な先輩じゃいけませんか?」
彼は悪魔とやり合うフリーデに目を向けた。狂化した鷲魔は知性を失った代わりに、それを遥かに凌ぐ蛮力と速度を得ていた。猛然と双爪を振るうその危険度は一気に跳ね上がり、口を開けて噛みつこうとさえしてくる。
この異変に、彼女はたちまち劣勢へ追い込まれた。なにしろ今の彼女には、三階の実力しかないのだ。
爪を受け止める音が幾度も響く。悪魔の爪とフリーデの長剣が交錯を繰り返し、擦れ合うたびにあちこちで火花が散った。
「この美人さんだけじゃ足りないでしょう?」
彼はぱちんと指を鳴らし、ウェルズに太陽のような笑顔を向けた。これほど真っ直ぐで自然な笑顔を、ウェルズはめったに見たことがなかった。
「『増速致勝』を一つ頼みますよ。魔法で強化される感覚って、まだ味わったことがないんです!我が主に誓って、この悪魔を片付けるまでは君たちに手出しはしません」
「……」




