番外編③ リリーの記憶
――遠い昔の夢を見ていた。
柔らかな光が差し込む庭園。
私の手を小さな手が握り返してくれる温もり。
隣で穏やかに笑う誰かの横顔。
楽しげな笑い声だけが耳に残り、景色は朝靄のようにぼやけていく。
何かを伝えようとしても、その姿は淡く溶けてしまう。
ただ胸の奥には、懐かしさだけが静かに残っていた。
——————
「……ん」
リリーはゆっくりと目を開けた。見慣れない天井が視界いっぱいに広がる。ぼんやりと瞬きを繰り返し、数秒遅れて思い出した。
(あぁ……そうだった。昨日はオスカーさんのお家に泊めてもらったんだ)
起き上がり小さくあくびをした。まだ眠気があり、うとうとしながら髪を整える。
「うーん」
両腕を伸ばして背筋を伸ばす。
そのとき、窓の外から元気な声が聞こえてきた。
「パパ! これもいい?」
「ああ、結構大きく育ってるな。よし、やってみろ」
窓辺に歩み寄り、扉を開けると、庭ではオスカーとソフィーが家庭菜園の収穫を楽しんでいた。
「よいしょっ!」
ソフィーは体いっぱい使って土から出た野菜の葉を引き抜く。
土がぽんっと跳ね、大きな実の野菜が出てきた。ソフィーの顔には満面の笑みが咲いた。その様子を見て、リリーの頬も自然と緩む。
(楽しそう……)
そして、ふと胸の奥にしまっていた記憶が揺れた。
(あの子も……あれくらいの頃は、あんなふうに笑っていたのかな)
自分の手で育てることはできなかった。
成長していく姿も、泣き顔も、笑顔も知らない。
それでも、年に一度だけ誕生日に匿名で贈り物を届けることが許されていた。
毎年品物を選ぶ時間が好きで好きで仕方がなく、隣では夫が呆れたように笑っていた。
どんな服を着ているのか。
どんなものが好きなのか。
どんな毎日を過ごしているのか。
想像するだけで幸せだった。
「おーい!」
オスカーに呼ばれ、はっと我に返る。見ると庭からオスカーが手を振っていた。
「やっと起きたか! もう昼になるぞ!」
「リリーお姉ちゃん、おはよう!」
「悪いけど、妻の手伝いを頼めるか?」
リリーは笑顔で答えた。
「もちろん!」
元気に返事をし、身支度を整えたリリーは、足早で階段を下りていった。
——————
数十分後。
「……なんだこれ」
オスカーが恐る恐る呟く。
ソフィーもテーブルの上に置かれた皿を見つめたまま固まっていた。
するとこちらからも一言。
「焦げ焦げだね」
皿の上に鎮座しているのは、料理と呼んでいいのかすら怪しい、焦げて原形を留めていない物体。その横でリリーは、フライパンとフライ返しを手にしたまま苦笑いを浮かべる。
「えへへ……♡」
誤魔化すように笑う一方で、心の中では盛大に叫んだ。
(忘れてた……私、料理できないじゃん!!)
和やかな笑い声が家の中に広がる。戦いとは無縁の、穏やかで優しい昼下がり。
それは、誰にとってもかけがえのない平和なひとときだった。




