第8話 彩晶の正体
ぽつん。
洞窟の奥で、水滴が岩肌を打つ音だけが静寂に響いた。
冷たい空気が頬を撫でる。
リリーは掌を閉じた。
しかし、その指と指の隙間からは彩晶の淡い光が静かに漏れ出し、ぼんやりと手元を照らしている。帝国軍が執拗に追い求める理由。その答えが、分かった。なのに、俺の視線を奪っていたのは、柔らかな光に照らされたリリーの手だった。
その肌には、この色を失った世界では久しく見ることのなかった色彩が宿っていた。
俺が黙ったまま見つめていると、リリーは言った。
「びっくりした?」
いつもと変わらない、どこか飄々とした口調だった。
「あ、ああ……驚いた」
それしか言葉が出てこなかった。
リリーは小さく笑い、近くの岩へ腰を下ろした。
そして少し間を置いてから、ぽつりと口を開く。
「ねえ。私も昔話、していい?」
「……あぁ」
静かな洞窟の中で、リリーは遠い記憶をたどるようにゆっくりと語り始めた。
——————
「むかーし、むかし。とある王国がありました」
その声だけが洞窟に響く。
「そこは魔力に満ちた国で、およそ十人に一人は魔法使い。
魔法は人々の暮らしの一部となっていました。
そんな時代に一人の女の子がいました。ごく普通の、魔法に憧れる少女でした。
彼女は誰よりも早く魔法を覚え、誰よりも難しい魔法を使えるようになりました」
「そう、いわゆる天才だったのです。まるで魔法そのものに愛されていた少女でした」
静かな声。
なのに、その先の結末だけは嫌な予感しかしなかった。
「しかし、時が経つにつれ彼女はおかしくなっていきました。
自らの容姿を美しく変えたり、自分をいじめた相手をカエルの姿に変えたり」
冗談のような話なのに、笑えない。
「当時、魔法の世界には絶対の掟がありました。
魔法は困っている人のために使うもの。私利私欲のために使わないこと。
それが、魔法が使える者と使えない者とが平和に暮らすための決め事でした」
リリーは淡々と続ける。
「だけど彼女はやめませんでした。
他の魔法使いへ悪影響になることを恐れた王様は、ついに彼女を国から追放しました」
リリーは少しだけ視線を伏せた。
「それから数年後。
彼女はドラゴンの姿になって帰ってきました」
洞窟の空気がさらに冷えた気がした。
「……復讐のために」
ぽつん。
一滴の水滴が垂れた。
(多くの人が命を落とし、国は滅びかけた)
「ついに討伐隊が結成され、その中の一人が魔剣でドラゴンを討ち取りました。
――めでたし、めでたし」
そう締めくくる声は、昔話とは思えないほど空虚だった。
——————
その話を聞き終わると、俺は市場で耳にした伝説を思い出す。
「……この前のドラゴンの話か」
「そう」
リリーは頷く。
「伝説だと勇者が倒したことになってるけど、でも本当は魔導士」
「魔導士?」
「魔力が込められた武器で戦う人のこと」
聞き慣れない単語ばかりだ。
再び水滴の音だけが響く。
やがてリリーは静かに言った。
「私はね。その時代に生きていたの」
「……え?」
俺の思考が止まる。
リリーは驚いた様子もなく、静かに続けた。
「気づいたら、この時代にいたの」
冗談を言っている顔ではない。
むしろ、あまりにも自然に告げるものだから、余計に現実味がない。
彼女は掌を見つめ、小さく笑った。
「それとね」
少しだけ光が弱くなった結晶を見つめる。
「彩晶は、魔力の塊なんだ」
俺は目を見開いた。
「彩晶はね、体内の魔力を固めて結晶化したものなの。
当時の魔法使いなら、誰でも作ることができたんだよ」
頭が追いつかなかった。
魔法? ドラゴン? リリーはその時代の人間?
「……まるで、ファンタジーだな」
ようやく出てきた言葉が、それだった。
リリーはくすりと笑う。
「そうかもね」
「じゃあ、その魔力ってやつが、この色のない世界を作っているのか?」
「……分からない」
彼女は首を横に振った。
「でも、なんらかの影響は与えてる……はず」
断言できないのは、きっと確証がないからだろう。今のリリーにも分からないことはあるんだ。
それに、もし彼女の話が本当なら、知らない時代で、頼る相手もなく、魔法もなく、色がなくなった場所にいきなり放り込まれたことになる。
その孤独は、想像するだけで胸が痛んだ。
「……リリー」
「なに?」
「大変だったな」
一瞬だけ、彼女は目を丸くしそれから肩をすくめる。
「ふふっ、まぁーね。
そんなわけで魔法がない世界だなんて知らなかったから、軽い気持ちで力を見せちゃってさ。しかもそれが帝国軍! 追われる羽目になっちゃった、えへへ」
いつもの軽い調子。
だけど、その言葉の裏にはきっと俺には想像もできない苦労があったのだろう。
「なあ」
「うん?」
「どうして、そんな大事なことを俺に話してくれたんだ?」
リリーは少しだけ考える素振りを見せたあと、当然のことを言うように笑った。
「そんなの決まってるじゃん」
「信頼してるからだよ」
その一言だけで、洞窟の冷たい空気が少しだけ温かく感じられた。




