最終話
木々の隙間から力強く光が漏れ、苔むした岩々を照らしている。
森の中だと言うのに、吹いてくる風は生温く、陽射しが遮られているにも関わらず、うだるような暑さが地面から立ち昇ってくる。
わたしが住むエルフの森とは違う、見慣れない植生に心躍ったのも束の間、熱気の籠る森の道なき道に、正直げんなりしはじめていた。
「なんだってこんなところに住んでるんだ……あいつは……」
先頭を行くシェルダがぼやく。気持ちは分かりすぎるほどに分かる。
「本当、訪ねてくる相手のことなんて、考えないんですよね。あの人は……」
わたし達が愚痴を呟くのを聞いて、なんだか懐かしいですね──と、リンドがくすくすと笑った。
背丈も伸びて、すっかり女性らしくなったリンド。
白金色の髪を結い、エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、暑さを苦にする様子もなく歩いている。
「なんでも、“枝”が集積してて、移動しやすいらしいですよ? 三年前にバズロアに遊びに来られた時にそう言ってました」
リンドの言葉を聞きながら、シェルダが額の汗を拭う。
以前より伸びた濃紺の髪に、褐色の肌。
精悍な立ち姿は変わらないけれど、最近はユルディマ様の側近として忙しい日々を送っているようだ。
「移動しやすいといっても、“あいつにとっては”だろ? あいつは、“枝”を伝って、どこへでも行けるようになったからいいだろうが、訪ねる方はたまったもんじゃない」
「一緒に行けるのが、アノンさんとイドルちゃんだけですもんね……。わたしも一度は“枝渡り”を体験してみたいです」
リンドが残念そうに呟き、思い出したように声を上げた。
「あ、そう言えば──ノルさん! 里長候補の正式決定、おめでとうございます」
「ええ、まぁ──」
苦笑するわたしに、シェルダが振り返る。
「なにかあるのか?」
「六年前に、封印の守り人になって、更にバズロアの封印にも関わってますからね……。今更という気もしてて」
半ば成り行きと里長の独断で守り人になり、正式に候補と認められるまでに六年が経っている。
エルフにとっては些細な時間。でも、こうして日々大人になっていくリンドや、目まぐるしく働くシェルダを見ていると、かかった六年という時間に釈然としないものを感じる。
「リンドはどうしてるんですか?」
「わたしは──えへへ、着いてからお話します」
「勿体ぶるじゃないか」
シェルダがからかうように言うのをリンドが笑顔でかわす。
「そういう貴女はどうなんです?」
「私か? 相変わらずさ。ユル──魔王様や新任の魔導研究所所長の世話で手一杯さ。毎日あくせく働いてる」
自嘲気味に言ったシェルダがふと息をつき、眩しげに空を見る。
「だからかな。今日はまるで、あの旅の日々に戻ったようで──楽しいな」
「ええ──とっても」
リンドと二人、微笑みながら頷いた。
目的地──ユキオさんの住まいまであと少し。
木洩れ陽に彩られた深い森の道を、三人で話しながら、踏みしめるように歩いた。
◆
手製のログハウス。
石とモルタルで作った基礎の上に、皮を剥いだ丸太を切り込みを入れて重ねていき、屋根をかけた。
場所探しと並行しながら工法を学び、教えを乞いながら六年がかりで手に入れた、我が城だ。
少々不格好になった窓枠の向こう、整地された庭で遊んでいたイドルが走ってきて扉を勢いよく開けた。
「ユキオ! きたよ!」
黒い髪を後ろで高く結び、大きな黒い瞳がキラキラと光る。
この六年で背も高くなり、言葉も上手くなった。
「ほら、はやくはやく」
イドルに手を引かれて、外へと向かうと、そこには自慢の家を見上げるリンド達三人の姿があった。
「いらっしゃい」
三人に向かって声をかける。
「ユキオさん、お久しぶりです」
──リンド。三年前バズロアに行った時に会って以来だ。
「見違えたよ」
えへへ、とはにかむ笑顔に、出会った頃の面影が見えて懐かしく思う。
「ホントにお前達だけで建てたのか?」
家から目を離さず、シェルダが呆れたように問う。
変わらない物言いと表情にどこかほっとする。
「ああ。イドルにもしっかり手伝ってもらったよ」
「そうか。偉いな」
シェルダが、イドルの頭に手を置くと、イドルが照れたように頬を掻いた。
「アノンもてつだったぞ」
アノンがイドルの肩にぽんと現れて、胸を張った。
「お前は、イドルが瘴気で持ち上げた丸太に乗って遊んでただけだろ?」
「しじ、をだしてたんだ」
俺の言葉に、アノンが手を振り上げて抗議する。
イドルは瘴気を介した強大な力を持っていた。
ルヴァニアに来た当初は、その扱いに振り回されることもあったが、それも精神の成長とともに制御できるようになった。
「皆さん、お変わりないようで安心しました」
ノルがイドルの肩にそっと手を置き、微笑みかける。穏やかな、落ち着いた声音を受けてイドルも微笑み返す。
「どうぞ、お入りください」
練習していた台詞をここぞと使って、イドルが三人を招き入れた。
「お邪魔します」
リンドがいち早く中へと入り、感嘆の声を上げた。
高い天井、一枚板のテーブル、部屋の中を興味深く見回している。
「外は無駄に暑かったが、中は涼しく感じるな」
シェルダが腰の剣を外しながら、細く息をつく。
「木が呼吸しているからでしょうね」
ノルが壁の丸太に触れながら言って、目を細めた。
「まぁ、かけてくれ」
三人にお茶を出す。
「緑色? 珍しいお茶ですね」
リンドが出されたお茶を興味深げに見る。
「煎茶って言うんだ。俺が住んでた所のお茶を再現してみた」
自分の分も淹れて、席に着く。
「いい香りだな」
「ええ、ほんとうに」
気に入ってくれたようで嬉しい。
誰となく話がはじまる。
しばらく話している内に、イドルとアノンは外に出て遊び始めていた。
「イドルちゃん、大丈夫そうですね」
ノルが外を見やりながら感慨深げに言った。
「メノスでのこと、話せるようになったか?」
シェルダが冷たくなったお茶を啜る。
「ぼんやりと覚えているみたいで、少しずつだけど聞くことができたよ。あっちは時折ルヴァニアを感じるだけで、刺激がないからな。無意識に瘴気を操っていたみたいだ」
「では、ドラゴンも?」
リンドが口を開く。
「ああ。メノスで偶然、龍と関わる人の姿が見えたことがあったみたいだ」
「それで──」
「ああ、“ざわざわした”って言ってた」
その感情が嫉妬だったのか、怒りだったのか、悲しみだったのか、今のイドルにはまだ説明はできない。
だが、結果として、その感情が世界の境界を越えてドラゴンを生み、人を苦しめた。
それは、イドルがイドルになる前、太古に犯した罪なのかもしれない。
ただ、だからといって俺がそれを断罪することも、赦すこともできはしない。
三人も同じ気持ちなのだろう。少しの間、沈黙が室内に流れた。
「ただいま」
イドルとアノンが外から戻ってくる。
「おかえり」
戻って椅子に腰掛けたイドルの視線がテーブルの上に置かれた菓子に注がれる。
お茶請けにと、ノルが出してくれたものだ。
「食べていい?」
「ええ、どうぞ」
ノルから微笑みながら促され、イドルは嬉しそうに菓子を頬張った。
その様子を見ていると、自然に口もとが緩む。
感情を知って、たったの六年。それでも一日一日の成長に驚かされている。
「──これから、どうなるかはわからないけどさ。俺がいる間は、この世界のことを沢山、伝えられるだけ伝えるよ」
俺の言葉に、三人が頷いた。
「これからも色んな所に行くつもりなんでしょう?」
リンドが俺の顔を見ながら言う。
「ああ。流石に“枝渡り”でひとっ飛びっていうのは、ちょっと味気ないから、途中からは歩きでこれからも二人を連れて色々見て回ろうと思ってる」
「母との旅を思い出します」
リンドが懐かしむように遠い目をした。
「そういえば──」
シェルダが空気を変えるように口を開いた。
「リンド。今どうしてるか、着いたら話すと言ってたろう?」
「ええっと。はい──」
話を振られたリンドが、手荷物から一冊の本を取り出した。
素朴な青い装丁、白い題字の下には、表紙絵が描かれている。アノンがテーブルに置かれた本をまじまじと眺めている。
「これは?」
俺の問いに、リンドが頬を赤くする。
「児童書なんですけど……今度、本を出すことになりました……」
驚きと喜びの声が上がる。
「おめでとう!」
皆から祝福の言葉を受けたリンドが手を振りながら謙遜する。
「いや、でも沢山刷ってもらえるわけではありませんし──」
「それで、どんな話を書いたんだ?」
本をそっと手元に寄せて、表紙を見る。
「六年前の旅を元に、わたしが知ったこの世界のことをお話にしました──」
表紙絵には背中を向けた旅装の男。荷物を結わえた棒を肩に担ぎ、棒の上には妖精らしき小さい人影が乗っている。
男の向かう先には、枝と根を広げる大きな樹──。
「理想の引退先を見つける旅だったはずが……こうなったか──」
小さく呟き、表紙をめくると、流麗な飾り文字で献辞が書かれていた。
“──小さなわたしを慈しみ育ててくれた優しい母と、愛する旅の仲間達に捧ぐ──”




