第85話「ふたりの旅路」
幾何学模様で形づくられた大樹。
封印の青白い光が暗闇に浮かび、洞窟を照らしている。
「ユキオさん。気をつけてくださいね」
「ああ」
リンドの言葉に短く答える。
シェルダとノルは、心なしかスッキリとした顔でこちらを見ている。
「リンドの言うとおりじゃ。あちらでは、何が起こるかわからん。くれぐれも気を付けるんじゃぞ」
ロアが準備してくれた大量の食料や水を収納空間にしまいつつ礼を言う。
準備はできた。
リンド達と言葉を話していたアノンが、ふわりと俺の肩に乗る。
「じゃあ、行くか」
「おお」
頷きあったところで、ノルが、ちょっとまってください──と、静かに声を上げた。
リンドとシェルダと目配せをかわす。
「私達からの餞別です」
ノルが俺の手をとり、バングルをはめる。
「これはわたしから。魔導銀のバングルです。風の加護が刻んであります……お役に立てればいいですけど」
細かい意匠の施されたバングルをそっと撫でる。彫り込まれた蔦と葉がフェニルドの風に揺れているような錯覚を感じさせる。
シェルダが鞘ごと短剣をこちらに放り投げた。
「業物だ。大事に使えよ」
鞘から抜くと、肉厚だが、品の良い黒い刀身がキラリと光った。鞘にしまい腰のベルトにつけると、見た目以上の重みに心が引きしまる。
「あの、わたしはそんな大したものじゃなくて……わたしの大好きな本です。読んでみてください」
差し出された茶色の表紙の本に、封筒が添えられている。
「これは……?」
「あ、その、手紙です……。暇な時にでも読んでもらえたら……」
「ありがとう。ゆっくり読ませてもらうよ。二人も、ありがとう」
三人の顔を順に見ながら礼を言う。
「──じゃあ。行ってくるよ」
「気を付けてな」
「良い旅になりますよう」
シェルダとノルに頷き返す。
「いってらっしゃい」
リンドに手を振り返した後、俺は封印へと手を伸ばした。
封印に触れると、幾何学模様が回転しながら移動し、入口が現れる。
ふと、振り返ると、ロアが見守るその前で、三人が手を振っていた。
もう一度小さく手を振り返し、門の中へと進む。
一瞬、ぐらりと視界が歪み、俺はメノスへと足を踏み入れた。
メノス──生なき世界。
門を通して見ていた時には、ルヴァニアと大差なく感じていた。しかし、実際に行けば何かが違うのではないか。そう思っていた。
だが、これといって違いは見当たらない。ただ、完全な静けさが、周囲を埋め尽くしている。
「なんか……普通に見えるけど……」
辺りを見回しているアノンに声をかける。
「ユキオだから、かもしれない」
外の世界からの来訪者。
俺にとってはルヴァニアもメノスも等しく異世界であり、違いはないのかもしれない。
音一つない、静謐な空気を吸いこむ。
──生き物の匂いが、しない。
流れる空気にほんのわずかであれ、含まれているはずの、生と死の匂い。
ここでは、自分以外の匂いがしないのだ。
天井からぼんやりと差し込む光を見上げる。
「──行ってみよう」
肩口でアノンがゆっくりと頷いた。
◆
大穴を抜け、たどり着いた地表。
そこも来た時と変わらない風景が広がっていた。
ただ、違和感がある。
まるで、映像を見ているかのような無機質さ。
顔に当たる陽射しの暖かさ、頬を撫でる風、土から立ち昇る匂い、それらが一切存在しない。
ただ、ルヴァニアと同じ風景“だけ”がそこにはあった。
「さて、どこにいるんだろうな?」
アノンがきょろきょろと葉を揺らして辺りを見る。
「あっち、だな」
「南か。とりあえず、行ってみるか」
「おお」
二人だけの旅が始まった。
……
誰もいない、静かな世界をただ進む。
日が暮れるまで歩き、夜になれば持ち込んだ資材を用いて野営をする。
念のために、薪まで持ち込んでおいて良かった。
メノスでは、俺は何にも干渉できなかったからだ。
流れる水にも、道に生えた雑草にすら、触れることはできない。
自分が持ち込んだルヴァニアの資材だけが頼りだ。
俺の収納空間魔法の容量が無制限だと聞いて、あれもこれもと持たせてくれたロアに感謝することになるとは思わなかった。
暑くも寒くもない、およそ温度というものを感じないメノスでは、暖をとるための焚火は必要ない。
だが、そこに揺らめく炎があり、薪の弾ける音がするだけで、人心地がついた。
そのためだけに、俺は毎夜焚火を眺めていた。
水だけが心配だったが、ある日アノンがそれを解決してくれた。
「──みず?」
「ああ。沢山持ってきてるけど、足りなくなったらどうしようかってな。最悪取りに戻らないといけないけどな……。お前は魔法で水を出せたりしないだろ?」
いつだったか、ノルに魔法で水を出してもらったことを思い出す。
「ノルがやってたな。やってみる」
アノンが、手を前に掲げ目を瞬かせる。
すると、俺の眼前に水球が現れ、徐々に大きくなっていく。
「できたな」
慌てて、空になった樽を取り出す。
「ここに入れてくれ!」
「わかった」
樽になみなみと水が満たされ、俺は安堵の息をついた。
「流石、アノン。相棒様々だな」
アノンが胸を張った。
……
街中を通ることもあった。
人っこ一人いない街は、深い森の中よりもかえって寂しい。
大通りを歩いていると、不意に人の声が聞こえてきた。
『……あ、おまたせ……』
『い……私も今……ところ……』
『急に……ごめんね……なん……』
『そんな……気にしな……ですから……』
途切れ途切れに、まるでそこに人がいるかのように会話は続き、街の喧騒も誰もいない街に響く。
一瞬、幻聴かと思ったが、アノンにも聞こえているのがわかり、ほっとすると同時に首を捻る。
しばらくすると、また聞こえなくなり、元の静寂が戻ってきた。
「今の──なんだったんだ?」
アノンも首を捻る。
「ルヴァニアの声がこっちにも聞こえた?」
「かもしれない」
その後も、街道を歩いている時に、人影が一瞬だけ見えることもあった。
理屈はわからない。ただ、それだけでルヴァニアの存在が感じられた。
……
時折、アノンに確認しながら、“目的地”へと進む。
テントの中、ランプを灯し、リンドからの手紙を読む。
アノンももう、何度目だ──とは問わない。
“ユキオさま”
“はじめて手紙を書きます。母様の元を旅立ってから、バズロアに来るまでに、色々なことがありました……”
少しぎこちない書き出し。
何度となく開き、畳んだその手紙を、傷めないように丁寧に扱う。
“……わたしにとって、ユキオさんとの出会いは、新しい世界の始まりでした。わたしの知らない世界からやって来たユキオさん。ユキオさんがこの世界にきたことには、きっと意味があるんじゃないかと思います。わたしにとって、とても大事な出会いだったように……”
白金色の髪と、エメラルドグリーンの瞳が脳裏に浮かび、龍の元ではじめて会ったときのことが思い出される。
“……願わくば、今度の旅でもユキオさんにとって、素晴らしい出会いがあることを、わたしも祈っています。良い旅を”
文末にリンドの几帳面なサインが書かれたそれを再び封筒へとしまい、本とともに収納空間へとしまう。
「出会い……か」
今日、アノンがはじめて“目的地”を「ちかい」と言った。
もうすぐ、この静かな二人旅は終わるだろう。
その先で何を見つけ、何に出会うのか。
そこにいるのは、この世界を恨み、嫉妬に歪んだ意思なのかもしれない。
だが、このメノスで一人、名を呼ばれることもない孤独。アノンがいてくれなかったら──そう考えるのすら、怖い。
だから、俺は──そいつの名前を呼ぼうと決めた。
近く訪れるその時を迎えるため、俺はそっとランプの灯を消した。




