第83話「やくそく」
メノスへ至る“門”。
空間に裂け目が生じ、向こう側の風景が俺には見えている。
封印の土台である幾何学模様の術式が仄かに光り、それに組み込まれたデニスの結界が、時計の歯車のように回転している。
ロアとともに、シェルダ、ノル、リンドの三人が、サガンの横に膝をついた俺の元へと近づいてきた。
「ユキオ……」
ロアが静かに俺の名前を呼ぶ。
「少しだけ、話させてほしい」
「……わかった。わしらは封印の準備にかかる」
ロアが目を伏せて、踵を返した。
二つ結びにした、栗色の髪が揺れる。
「…………私に、話すことなどは……ない」
サガンが天を仰いだまま、無表情で呟いた。
赤い瞳は、虚空を見つめ、感情はうかがいしれない。
「じゃあ、聞いてくれ」
「……」
肩口で、アノンがじっとサガンを見つめている。
「俺達は、メノスへ入る」
サガンの目がピクリと動く。
「……! そんな……バカな……!」
ミシミシと音を立てながら、サガンが首を捻り、俺の顔を見る。
「本気だ」
「……メノスで……何を……」
アノンが肩口から離れ、ゆっくりとサガンの前に移動する。
「あいにいく」
「世迷言を! “枝”がメノスへ……あの方の元へなど……行けるはずがない!」
サガンが表情を歪め、ミシミシと音を立てる。
「ユキオがいる」
アノンが俺を見た。
サガンの視線が俺に向く。
「来訪者……世界の埒外……」
俺を見ながら、サガンが言葉を継ぐ。
「お前には……あれが……メノスが見えているのか……?」
俺はゆっくりと息を吐き、頷いた。
「ああ。見えている。ここと変わらない風景が」
「……」
サガンが再び天を仰いだ。
「“枝”の顕現……来訪者は……言わば……触媒か……」
呆然とサガンは呟く。
「あんたは、“蜥蜴”をどうしたかったんだ?」
俺の問いに、サガンは眉間に皺を寄せた。
「その名で“あの方”を呼ぶな……それはルヴァニアの者が、そう呼んだだけであって、あの方の名前ではない。生なき世界で、永遠に一人……誰があの方に名をつけられよう」
ルヴァニアと重なり合いながらも、触れられない、神樹の根の張る世界。
メノスに一人あり続けること、想像もつかない。
「……私は、その檻を壊すつもりだった。瘴気の内に生まれた自我。瘴気であるにも関わらずメノスに還ることもなく、ルヴァニアにただ“ある”だけ……」
話すにつれ、サガンの体は端から色を失い、ほどけるように崩れていく。
「いつしか、メノスにあの方がいることに気付いた……。私と同じ……世界の悪戯で生まれた、哀れな自我……。だから、私は……私は……」
更にサガンの体の崩壊が続く。
「ユキオさん」
背後にリンド達が立っていた。
「封印の準備が整いました」
その言葉に無言で頷く。
アノンが何かを言いたげに、首を傾げる。
「……お前たちの“裏口”はちゃんと用意する。安心しろ」
シェルダがアノンを見て言った。
「ありがとう」
アノンが葉を揺らしながら頭を下げる。
「……本気なのだな……」
サガンがぼそりと呟いた。既に崩壊は胸元まで迫っている。
「会ってどうなるかは、わからないけどな」
俺の言葉にサガンがわずかに目を細めた。
「……何か伝えとくことがあれば、伝言くらいは請け負う」
俺の言葉にサガンの口元が歪む。
「いや……無用だ……」
「本当に……いいのか?」
サガンの顔の亀裂がピシリときしんだ。
「絶望し……世界を壊すことで、ほんのひととき、己の満足を得ようとした……。あの方がそれを望むかどうかも知らずに……そんな“もの”が……なにをいえる……」
「……わかった。じゃあ、これは俺のわがままだ。俺は話す──“この世界からあんたを連れ出そうと考え続けた、あんたを思い続けた存在がいた”ってな」
サガンの頭部まで亀裂が走り、ゆっくりと灰のように散っていく。
赤い目が、虚空より更に遠くを見ながら、ゆっくりと目を細めた気がした──。
崩れ、空中に散ったその行き先はわからない。
ただ、最後の一欠片が、門の向こう側へとゆっくり漂っていくのが見えた。
……
「では、始めるぞ」
“門”を囲むように、リンド、シェルダ、ノルの三人が立つ。
封印の土台は、幾何学模様で形成された正三角形へと姿を変えている。
その頂点へと三人が立ち、胸の前で手を握り合わせている。
目に見えない“枝”に、三人が思いを乗せる。
“枝”を感知できるようになったせいだろう。目を閉じると、三人の気配が混じり合ったあいまいな状態で、封印の土台の中にいるように思える。
どこからともなく、静かな鐘が鳴るような音が聞こえ、封印の土台の青白い光が立ち昇っていく。
光の上昇に従い、幾何学模様の方陣が幾重にも重なり合いながら、積み上がっていく。
“門”の先端まで積み上がったところで、方陣がそれぞれに回転を始め、形を更に変えていく。
「ユキオ」
それまで、目を閉じていたロアが俺を呼ぶ。
「封印のそばへ」
ロアが示した先、門の正面、封印の前に立つと幾何学模様の方陣が回転し、四角の枠が目の前にできた。
「両手をそこへ」
言われるがまま、両手を枠へと収める。
触れた瞬間、俺の掌を通して光の粒が体へと入ってくる。
目を閉じる。
枝の広がる空間。
リンドが少し心配そうにしながらも、無事を祈っている。
シェルダが俺の胸に拳を軽く当てる。
ノルが俺に微笑みかけて、優しく頬に手をそえた。
促されるように、目を開ける。
そこには青白い幾何学模様の大樹ができていた。
「封印──完了じゃ」
ロアが息をつく。
三人が三角形の頂点で、膝をつき、大きく息をついていた。
「お疲れ様」
リンドの元へ行き、手を差し出す。
その手を見上げるリンドが、少し泣きそうな顔をしてから、胸に手を当て息をついた。
俺の手をとり、立ち上がる。
「ほっとしたら……なんだか……」
言葉に詰まったリンドの頭に手を置いた。
「リンドのおかげだ。龍も誇りに思うとおもうよ」
「……はい」
リンドが目尻をそっと拭った。
ノルとシェルダが近付いてくる。
「大仕事だったな」
俺の言葉にシェルダが頭を掻く。
「リンドとノルにかなり助けられた。やっぱり私は剣を振ってる方が性にあってる」
シェルダが自嘲気味に言うのを見ながら、ノルが苦笑する。
「まさか、こんな経験をすることになるとは思ってもみませんでしたし、無理もないですね」
「まったくだ。こいつに捕まったのが運の尽きだった」
肩を竦めたシェルダを見てリンドがくすくすと笑った。
ロアが注目を集めるように手を打った。
「さて、地上に漏れ出たドラゴンの対処も終わっておるようじゃ。後のことはまた考えるとして、今日のところは戻るとしよう。──お主らも準備があろう。“あちら”に行くのは、しばらく体を休めてからにせい」
俺とアノンは顔を見合わせて頷いた。
ロアが満足気に頷くと、俺達は光に包まれ、宙へと浮かび上がった。
徐々に速度を増し、封印の大樹が遠くなっていく。
上を見ると、丸く切り取られた空。
雲は晴れ、陽光が覗く。
眩しい光に目を細める俺の頬にアノンがそっと手を置いた──。




