第82話「残った、問い」
魔力によって形づくられた大樹が茂り、地面を苔と低い草が覆っている。
本当の森ではない。
魔力の満ちた空間に歪に浮かぶ瘴気の塊に向かって進む。
サガンと俺との距離はそこまで離れてはいないはずだ。迂闊に進めばやつの視界に入るかもしれない。
大樹を背にして、アノンを呼ぶ。
「なんだ」
アノンが肩口で返事をする。
「さっき、気付いたんだ。サガンの攻撃でやられた時……体の感覚がなくなった時に感じた」
アノンは黙って聞いている。
「今は周りが魔力で満たされてるから、逆にわかる。魔力でもない、空間に走る道みたいなのが──あるよな?」
サガンに吹き飛ばされ、ぼやけた視界。その前に食らった咆哮で、全身は痺れ、痛み、自動回復は追いつかない。
その中で、歯を食いしばり、顔を上げた時に感じた。まるで目に見えない大樹の枝が眼の前の空間に広がっているような感覚。
棒を確かめるように握り、息をつく。
「あれが──本来の、ルヴァニアにあるべき姿の──“神樹の枝”なんだな?」
アノンが俺の顔の前に、すっと移動してゆっくりと頷いた。
「そうだ──」
アノンが答えると同時に、脳裏に今までと違う、厳かなファンファーレが、ゆっくりと、静かに鳴り響く。
──レベル100。
続けて、スキルが身に宿る。
「スキルをもらうのも、久々だな……。だけど、これなら──」
大きく息を吐いて、髪を掻き上げる。
「よし、行こうか」
「ああ」
アノンと顔を見合わせて、頷く。
「頼むぜ。相棒」
「まかせろ」
俺の出した拳に、アノンが小さい手をこつん、とぶつけた。
……
木陰から飛び出し、真横からサガンへ迫る。
レヴォルフの頭の一つが、俺を察知し、続けて体ごとこちらを向く。
中央の頭の口中に瘴気が満ちる。
──ここだ!
レヴォルフが咆哮を発した瞬間。
サガンの背後。空中に俺はいる。
咆哮が俺の背後にあった木に当たり、対消滅するように塵になる。
「……っ!」
突然背後に現れた俺の気配に、サガンが体を捻る。
魔力を込めて、サガンの肩口に棒をたたき込む。
「ぐぅっ!」
防御壁の展開も間に合わず、俺が込めた魔力をまともに受けたサガンの肩から先は、抉れたように失われた。
サガンの困惑した視線が俺を捉え、俺はサガンの正面、離れたところに着地した。
「なにを……なにしたぁっ!」
激昂したサガンが、失った腕を生やしながら、不自然に位置を変えた俺を見る。
「神樹の枝の導きってところかな」
枝に意識を伸ばす。
俺が得たスキル。
“神樹の渡り手”
知覚した“枝”を伝い、移動する。
今しがた知ったばかりの感覚では、枝に乗り、伝っていく瞬時の判断は難しい。
アノンが助けてくれなければ、明後日の方に向かっていただろう。
サガンが俺の周囲へ黒いガラス状の物体を飛ばす。
浮遊したそれから、鎖が射出され俺を狙う。
棒で撃ち落としながら、飛び退る。
枝の場所を探り、サガンの胴体に近い枝に目標を定めて、近くに伸びた“枝”に触れる。
時間と空間が歪むようにブレる。
極限まで間延びした時間。俺の意識は枝へと移り、管の中を流れるように移動する。分岐するその流れをアノンの導きに従って進む。
そして、意識が戻り視界は切り替わる。
眼の前には禍々しく黒い煙を揺らめかせるレヴォルフの黒い毛並。
咄嗟に跳び下がろうとしたその体へ、棒を叩き込む。
衝撃を受けたレヴォルフがぐらつき、攻撃を受けた胴体から瘴気が漏れた。
レヴォルフの三つの頭部が歯噛みしながら唸り声を上げる。
「封印……神樹の枝……なおも、世界は我々を拒むのか! なおも! なおも!」
身を捩らせたサガンがワナワナと身を震わせ、それに呼応するように大気が震えはじめる。
「にげろ」
アノンの言葉を受けて咄嗟に“枝”に触れる。
俺の着地とともに、サガンを中心に爆発するように瘴気が周囲に発せられた。
黒い衝撃が、周囲の木々を薙ぎ払い、大半を消失させた。空洞のほとんどが元の岩場へと姿を変える。
『無事ですか!?』
ノルの声が響く。
「大丈夫だ。そっちは!」
『離れていて助かったが、次に同じことをやられるとまずいな……』
シェルダの声に焦りの色が混じる。
再度距離を詰める。
サガンは虚ろな目をして、何事かをつぶやきながらも、魔法を次々と繰り出してくる。
それをかわしつつ、仕掛けるが、正面からではレヴォルフの三つの頭に気配を読まれ、攻撃は咆哮に阻まれる。
波濤のように繰り出される魔法と咆哮、距離を詰めれば、牙と爪が襲いくる。
枝を使った奇襲は二度見せている。
離れたところからではサガンに動きを読まれかねず、距離を離さなければ、枝に触れる暇もない。
だが、間をおけば、さっきの爆発を再び招きかねない。
──どうする?
考えあぐねる俺を、サガンの虚ろな目が捉えた。
空虚な目に再び怒りの色が満ちる。
「お前らさえ……お前らさえぇぇっ!」
黒炎。槍。鎖。地面に広がる沼のような瘴気。サガンから切れ目なく魔法が放たれ続ける。
いよいよ、瘴気の鎖が俺の脚を捉えたその時、封印の土台から、声が響いた。
『ユキオ! まだ無事よね!?』
ユルディマの声とともに、封印の土台から幾何学模様の青白い線が細く伸び、その先にさらに陣が構築される。
ゆっくりと回転しはじめた陣が立体的に立ち上がり、根元の封印ごと回りはじめる。
『──いっけぇ!』
ユルディマの掛け声を受けた陣は、強い光を放ち、サガンが放っていた魔法が宙に散った。
『よし! デニス! 成功したわよ!』
『はぁ、なんとか間に合ったね……』
ユルの後にデニスのほっとした声が響く。
「ユル? デニス? これはいったい──」
援護に向かってきていたのか、シェルダが回転する陣を見ていた。
『瘴気による質量の獲得、変化、および事象へ関与に至る過程の一部を阻害して──』
『とにかく! この陣が動く限り、アイツは瘴気の魔法が使えないってこと!』
ユルディマがデニスの言葉を遮った。
「つまり──」
棒を握る手に力が籠る。
「好機だ!」
シェルダの声に弾かれるように、サガンへと向かう。
戸惑っているのか、自分の手を呆然と見るサガン。
レヴォルフの頭部が俺に反応している。
咆哮を横にかわし、“枝”に触れる。
瞬時に、レヴォルフの胴部へと移動し、打つ。
俺を蹴り払おうとする、その脚を踏み込んでかわして、更に腹部へと一撃。
飛び退りつつ、“枝”に触れ、逆側の頭部へ。左の頭へ攻撃を加える。
レヴォルフの体ごと回転するかのような一撃。首筋から蒸気のように瘴気が抜け出て、宙に散る。
「ばかな……そんなことが……! “コレ”は私のもの、私そのもののはずだろうがぁ!」
サガンが抜け出る瘴気に青白い手を伸ばすが、その手は空を切る。
「決めさせてもらう──」
サガンの慟哭が響くなか、俺の発した言葉がサガンに聞こえたかは、わからない。
もう、出し惜しみはしない。
全力を込めて、打ち続ける。
正面、背後、側面、目まぐるしく“枝”を移動し、あらゆる方位から、攻撃を続ける。
瘴気は漏れ、体の復元は徐々に追いつかなくなっていく。
「ユキオ──もう──おわる」
アノンが静かな声で言う。
「──ああ」
レヴォルフの三つの頭は力を失い、サガンの体が沈み込む。
正面に移動し、力を込める。
「ここまでだ」
跳び上がり、レヴォルフの首筋、サガンの体の付け根へと、棒を打ち込んだ。
衝撃音が洞内に響き渡る。
レヴォルフの体がゆっくりと地に伏せ、徐々に黒い霧状となって散っていく。
残されたのは、天を仰ぎ、その身を横たえたサガンの上半身だった。
左手は燃え尽きた薪が灰となるかのように、ボロボロと崩れ落ちている。
顔に入ったヒビは胸部へと至り、空を見つめる瞳だけが、まだ赤く光っている。
「サガン……聞きたいことがある……」
俺はサガンの目を見ながら、顔のそばへ身をかがめた──。




