第80話「触れられない、望み」
視界の端、壁面を線状に走る光が高速で流れていく。
自由落下に任せて数瞬。
青白く浮かび上がる球状の結界に近づくにつれて、俺の体を魔力の膜が覆う。
ロアの魔法によって落下速度がやわらぎ、俺は難なく地面へと着地した。
「意外だな。何かしてくると思って警戒してた」
開かれた“門”の前、三つの頭を地面に伏せたレヴォルフの首元で拳に頬を預けたサガンがこちらを見ている。
サガンの肩越しに見える、“向こう側”の風景。同じ景色をサガンも見ていたのだろうか。
「……待ちかねた」
サガンが顔を上げるのに合わせて、レヴォルフの頭がゆっくりと持ち上がる。
「お前さえ殺せば……私の望みは叶う」
「望み……か。世界を終わらせることがか?」
棒を構える。
「それは、結果に過ぎん」
「じゃあ──」
俺が発しようとした言葉は、サガンのかざした手により遮られた。
「問答は不要だ。前にも言ったが、私に必要なものは理解ではない。今私に必要なもの──」
サガンの目が赤黒く光った。
「お前の──死だ」
高まり、溢れた瘴気が周囲に広がる。
それに気を回した直後、地面を蹴ったレヴォルフの体が宙に翻った。
見上げた俺の隙を突くように、黒い澱みが槍状に姿を変えて俺の体を貫こうと迫る。
「ちっ!」
四方から放たれたそれをかわし、正面から飛び込んでくるはずのレヴォルフに意識を向ける──しかし、そこにレヴォルフの姿はない。
「うしろだ!」
アノンの声に従い、振り向きざま棒を合わせる。
レヴォルフの爪撃にかち合い、硬質な衝突音が空洞に響き渡った。
「どうやって、後ろに?」
「瘴気を“あしば”にして、いどうしてた」
俺の問いにアノンが答える。
「厄介なこと覚えやがって……」
レヴォルフが飛び石を跳ねるように、ジグザグの軌道を描きながら、俺の周囲を跳ね回る。
「俺の視界の外から来るはずだ。さっきの調子で教えてくれ」
「わかった」
肩の上のアノンが頷いた。
空中から繰り出される槍状の瘴気。それをかわした俺を狙って、サガンが黒炎の弾丸を撃ち込んでくる。
アノンの指示を頼りにそれらをかわす。
「みぎだ」
黒炎を棒で弾いた俺に向かって、レヴォルフの牙が迫る。
飛び下がってかわしつつ、棒を打ち下ろす。
その振り終わりを狙って左の頭がさらに噛みついてくる。
地面に転がって避けた俺から、レヴォルフは距離を取り直した。
レヴォルフの上で、サガンが印を組む。
俺を取り囲むように複数の光を通さない黒いガラス玉のような塊が浮かび、蠢いた。
拘束魔法──その場から飛び退くと同時に、塊から発せられた鎖が俺がいた地面を打つ。
着地した俺の首筋を、ぞわりとした感触が撫でる。
──追い込まれた?
全身を違和感が包み、空気が重くのしかかって俺の体を地面へと押し付ける。
それに抗って、サガンへと向き直るが、気を抜けば倒れこみかねない重圧が全身にかかり、それを踏み留める足は地面へとめり込みつつある。
俺の方へ掌を向けたサガンが目を細めた。
「しぶといな」
辛うじて立っている状態。
サガンにもそれはわかっているはずだが、サガンは動こうとはしない。
拘束を囮に追い込んできたところを見ると、サガンにとっても、自由に使える代物ではないのかもしれない。
「アノン。どういう魔法か……わかるか?」
俺の問いにアノンが、周囲を探るように頭を揺らす。
「瘴気で、くうきをかためてる。かんじるか?」
集中してサガンの方へと意識を向ける。
瘴気の気配が俺へと向けられた手から細い糸のように流れ出し、空中へと伸びている。
糸は更に枝分かれを繰り返し、俺の上部の空間へと広がっている。
「目に見えないデカい手から……抑え込まれているみたいだ……」
絞り出した俺の言葉にアノンが頷いた。
「中和──できるか?」
スタンピードの瘴気溜まりを破壊したときのことを思い出しつつ、アノンに問いかける。
「できる。けど、すぐもどるとおもう」
「一瞬あれば……充分さ」
全身から魔力を噴出させて棒で斬り上げる。同時にアノンが光を放った。
「いまだ」
全身にかかっていた圧が抜け、サガンの向けた手から逃れるように地面を蹴った。
サガンがわずかに表情を歪め、俺に向けて腕を振る。
その腕の先、見えない巨大な手に捕まらないように更に移動し、懐へ踏み出す。
背後で地面がみしみしと圧し潰される音が響いた。
懐に潜り込もうとするのを嫌って、中央の頭が牙を剥く。
鼻先を棒でいなしつつ、その頭に足をかけてサガンへと飛びかかった。
振りかぶった棒の横薙ぎがサガンの腕を展開された防壁ごと叩き破った。
確かな手応え──。
着地した俺を、サガンが横目でとらえる。
俺の一撃を防いだ腕は歪に曲がり、枯れ枝のようにだらりと下がっていた。
「……」
痛みをまるで感じていないのか、折れた腕を無表情で見ながら、サガンがおもむろにその腕を掴んだ。
そして、無言のまま、その腕をむしり取り、無造作に放り投げた。
血の一滴すら流れない。
俺が思わず息を飲んだ次の瞬間、千切れた腕から瘴気が湧き出し、徐々に形を為していく。
腕の形になった黒い瘴気が根元から、元の青白い肌へと変わった。
「わかっちゃいたけど……やっぱ人間じゃないんだな……」
まるで部品を取り替えるかのように、淡々とこなすその姿に、胸がざわりとする。
サガンは確かめるように生えた腕を動かすと、再び俺に掌を向ける。
伸びた瘴気の糸を手がかりに、見えない手をかわす。
再度踏み込んだタイミングで、アノンが俺の頬を叩いた。
「どだいだ」
門の周囲の地面に白い幾何学模様が生まれ、重なり合っていく。
サガンが睨みつけるように、結界を見上げた。
その隙を狙った俺の攻撃。サガンはそれを前肢で防ぎ、距離をとる。
「忌々しい……」
サガンの目に怒りが満ち、暴風のように瘴気が体全体から溢れ出る。
「アノン! 外の皆に! 来るぞ!」
レヴォルフの三つの頭が咆哮を上げた。
雄叫びが洞内を反響して耳朶を打ち、瘴気が溢れて津波のように結界を満たしていく。
「くそっ!」
押し寄せる圧力に体が流されそうになる。
「まかせろ」
アノンが俺の肩から離れる。
前に浮かび、その手をかざすと黒い奔流はアノンを避けるように二つに分かれ、その背後にいる俺に至らない。安堵して息をついた俺にアノンが言う。
「けっかい……こわれるぞ」
「ロア!」
結界の外にいるはずのロアに声をかける。
『わかっとる!』
ロアの言葉が頭に響くのと同時に、周囲を囲む結界の幾何学模様が崩壊した。
溢れた瘴気が吹き上がり、視界が晴れる。
サガンが足場を作り出し、上空へと駆け上がろうとする。
三人が危ない──!
サガンを追うべく踏み出した俺の目の前に、黒いドラゴンが降り立った。吹き上がった瘴気が形を成したことを、蠢く黒い体が物語る。
「こんな時に!」
──間に合わない。そう思った、その時。
門の周囲、封印の土台が光り、ユルディマの声が木霊した。
『繋がった! すぐにやるわよ!』
土台から、魔力が放出され、鎖状となってドラゴンと、上空へと向かっていたサガンの後肢へと絡みついた。
──これなら!
動きを止めたドラゴンを踏み台にして、跳び上がる。
上昇を止められたサガンが舌打ちして門を見下ろした。
「行かせるか!」
追いすがり放った俺の攻撃は防がれたが、鎖に肢を捕らえられたサガンは高度を下げていく。
再び地底へと落ちるサガンの赤い目が、怒りを滲ませながら俺をじっと捉えていた。
「やはり……お前からか……」
着地した俺へと、サガンが飛びかかる。
横に跳んでかわした先に向けて、レヴォルフの咆哮が放たれた。
瘴気の混じった衝撃が全身を打ち、強烈な痛みと痺れとともに、自動回復の白い光が体を包む。
「まだだ」
肩口に戻ったアノンの声を受けて、サガンから放たれた黒炎を跳び退いてかわす。
「だめだ。そっちは──」
アノンの忠告は間に合わず、俺の体は移動先を狙って突っ込んできていたレヴォルフの頭部に撥ね飛ばされた。
「ぐはっ!」
壁に激しく打ち付けられ、息が止まる。
歪む視界に、その身を捕らえていた鎖を羽根ごと引きちぎったドラゴンと、こちらに向き直るサガンの姿が映る。
頭を下げ、ガチガチと口を鳴らすドラゴン、口中から瘴気混じりの炎が漏れる。そして、印を組み呪詛を呟くサガンが照準を定めるように、蝋人形のような生気のない顔をこちらに向けた。
歯を食いしばりながら顔を上げる──。
これは──?
サガンの背後、封印の土台から森の匂いを思わせる一陣の風が吹き、その風に乗ってミエラの声が辺りに響いた。
『ユキオさん──お待たせしました』




