第79話「闇の底へ」
空に満ちた黒い雲が、陽光を遮っている。
荒野に丸く穿たれた巨大な傷跡、その周囲を白い制服に身を包んだ司書兵団員たちが、忙しそうに走り回っている。
大穴の前に集まった俺達は資材や、魔術の道具などが穴から距離をとって配置される様子を眺めていた。
「準備はできとるか?」
ロアがノベリーとともにこちらへ向かってきた。
「大丈夫だが……やっぱりこの格好は落ち着かないな」
シェルダが身に纏った装束を軽く持ち上げた。
ノルやリンドも、同じ揃いの衣装を着ている。
曇天にも関わらず、ほんのりと光を放つかのような細かい刺繍の入った白いローブ。胴周りを飾り紐で留められ、巫女のようにも見える。
「そのローブは余計な刺激が少ない特別製よ。枝の感知を円滑に保つためじゃ。我慢せい」
なおもぶつぶつと不満を漏らすシェルダを見て、ノルとリンドが苦笑を漏らす。
「ローブだけでは頼りないかもしれぬが、守りの術式をしっかり組み込んどるから、下手なプレートアーマーより丈夫じゃよ。安心せい」
ロアがこちらへ向き直る。
「お主はそれでよいのか?」
「ああ──」
俺は、以前宰相から貰った軽鎧を身につけている。
「軽いし、動きやすいからな」
「まぁ、確かに業物のようじゃな。ふむ……ちょっと後ろを向いてくれんか」
言われるがまま、背中をロアに向ける。
「まぁ、気休めかもしれんが、お主にも術式を施してやろう──っと、よしこれでよかろう」
ロアが鎧の背中の部分を指でなぞると、鎧が仄かな光を帯びた。
礼を言うと、ロアは満足気に頷いた。
「ロア様。確認してよいですか?」
ノルが髪を後ろでまとめながら問う。
「ユキオさんが先行して、その後わたし達がロア様と一緒に結界の周辺まで行って、封印の土台を作る──」
ノルが俺の方をちらりと見る。
「うむ。お主らはわしが連れて行く。妨害もあるやもしれぬが、それはわしにまかせてお主らは封印に集中するように。心も乱せば、せっかく感知した枝を見失うでな」
「はい」
リンドが緊張した面持ちで返事をする。
──神樹の枝の感知。
話を聞いてから、どういうものなのか聞いてみたがまるで要領を得なかった。
『ええと……なんて言うか、“ぶわぁあ”って感じですかね……』と、ノルが言うのに対して、シェルダが『いや、“ぐわぁぁ”じゃないか?』と大真面目な顔で答える。リンドは『確かにシェルダさんは“ぐわぁぁぁ”って感じかもしれませんね』といった具合で、何一つ分からなかった。
ロアに問うと、『常に“枝”を握っとるお主が分からぬと言うのは、面白いもんじゃ。案外お主も感じとるのに気づいとらんだけかもしれんぞ』と笑うばかりだった。
「三人が集中できるように、サガンは俺がきっちり抑えるよ」
「頼むぞ」
ロアの言葉に大穴の奥に目をやりながら頷いた。
大穴から吹き上がる風が、低い唸り声のような音を響かせている。
気付けば、肩口にアノンが乗っていた。
「そろそろか」
「ああ」
闇が沈みこんだ穿孔の奥、待ち構える赤い瞳が脳裏に浮かんでいた。
厚い雲の隙間から、一筋の光が差し大穴の向こうに見えるバズロアの街の尖塔を照らす。
動き回っていた司書達も配置についたらしい。
「準備が整ったようです」
司書の一人から報告を受けていたノベリーが、ロアの元へ近づきながら、静かに告げた。
「うむ」
ロアが頷く。
リンドの顔に緊張が走り、それを察したノルとシェルダがリンドの肩にそっと手をやった。
「では、はじめるかの」
ロアの言葉を受けてノベリーが傍らの司書に目で合図を送った。
穴の周囲に待機していた司書達が照明魔法を穴の縁から走らせる。
「アノン。ユルディマとミエラさんに繋いでくれ」
肩の上で、アノンが頷いた。
「これから大穴に突入する。そちらの状況は?」
アノンを通じて、フェニルドとミディガルに呼びかける。
『こちらも準備は整っています。……遠く離れてはいますが、私達もあなた方とともにいます。ともに戦い、ともに喜びを分かち合いましょう』
ミエラの涼やかな声が脳裏に響く。
「心強いよ」
『良い風が吹くことを祈ります──それと、ユキオさん。ノルのこと、お願いしますね』
付け加えた、少し感情のこもった言葉に俺の視線は自然とノルに向く。
里長の心配する言葉に、ノルは少し口を尖らせているようにも見えた。
『えーと、こっちは──うん、準備は大丈夫。いけるわよ』
ユルディマの歯切れが悪い。
「何か問題でもあったのか?」
『うーん、デニスがまだ来てないんだけど、何してんのかしら……。あ、でも他は大丈夫だから、心配しないで!』
「問題ないなら、いいんだ」
苦笑しながら答える。
『だけど、まさか世界の危機だなんて……あたし、とんでもない時期に魔王になったものね』
肩をすくめるユルディマの姿が浮かぶようだ。
『とは言え、シェルだけにいい格好させられないもの。しっかりやるから、そっちも頑張ってよ!』
「ああ、任せとけ」
いつも以上に言葉数の多いユルディマに、短く返事をする。
「全く、ユルめ……緊張感のない……。お前は油断するんじゃないぞ」
眉根を寄せたシェルダに続いて、ノルも声をかけてくる。
「ユキオさん、無理は禁物ですよ」
「わかってる」
返事をしながら、棒を取り出して握りこむ。手にうっすらと汗を感じて、一、二度握り直す。
穴の縁へと歩を進めていくと、リンドが背後から声を上げた。
「あの……ユキオさん!」
振り返ると、リンドがローブをはためかせながら、駆け寄ってくる。
「わたし達も……わたし達もすぐにいきますから!」
俺の目をエメラルドグリーンの瞳がまっすぐに見つめている。
そのつぶらな瞳に映る、自分の硬い表情に気付く。
頭の中では、同じ表情をしたスーツ姿の自分が、鏡の前で立ちすくんでいる。
──余裕を持ってなきゃ、やれることもやれやしない。
小さく息を吐いて、肩を回す。
リンドに視線を戻すと、自然に笑みが浮かんだ。
「ああ。三人の露払いだ。しっかりやってくるよ」
リンドの頭に軽く手を乗せてから、大穴へと向き直った。
「途中で飛行魔法をかけるから、着地の心配はせんでいいぞ」
ロアの小さな手が、俺の背中を軽く叩いた。
「結界に激突ってことはないよな?」
「何を言いよる。そんな融通の利かん結界にはしとらんわい」
ロアがからからと笑う。
「よし」
穴の縁へと歩を進める。
「じゃあ──行ってくる」
縁を蹴り、大穴へと飛び込む。
外の光が、照明魔法の青白い光へと色味を変える。
底は見えない。
ただ闇の奥深く、赤い光がこちらを向いたような気がした。




