第78話「おねがいがある」
「それで、どうなってる?」
薄曇りの空がガラス窓の向こうに広がり、図書館の尖塔が霞んだ空に浮き上がって見えている。
バズロアの館長室。
大きな事務机の向こう、高さの合わない椅子にかけたロアが書類を見ながら答える。
「順調じゃよ。あの子らは筋が良い。リンドは真っ先に“枝”を知覚しとるからか、術式を“枝”に乗せるのがスムーズじゃ。シェルダは術式構築の精度が高い。あと少し“枝”の知覚がうまくいけばバッチリじゃな。ノルも、既に封印の守り人じゃから術式の構築は感覚に身についとる。“枝”の知覚も上々じゃ」
「なるほど」
「まとめると、あの子らを選んだわしの目に狂いはないと言うことじゃな」
そう言うと、ロアはふふん、と鼻を鳴らした。
「まぁ、うまく行ってるならいいんだけど──」
「なんじゃ、気になることでもあるのか?」
ロアが書類から顔を上げた。
「サガンの動きがなさすぎる。こちらの動きを抑えるために、もっと色々やってくると思ってたんだけどな」
自然と視線は、新たな門がある大穴の方へ向く。
「奴としては、門の完成を待つのみじゃからのう」
ロアが書類を置いて、体を伸ばす。
「何もせずとも、門は完成に近づいておる。やつはそれを待つだけでよい」
「でも、俺達が対策を打つこともわかってるはずだろ? もっと妨害してくると思ってた」
現に、ミディガルやフェニルドには黒いドラゴンを送り込んでいたという。こちらでも同じことをしない理由が俺にはわからない。
「生半可な妨害は無駄ということがわかっとるんじゃ。わしの張った結界があり、お主がおる。効果の薄い妨害に力を使うより、迎撃のために余力を残す方を選んだということじゃよ」
確かに俺達は準備ができ次第、奴の待ち構える門に向かうしかない。
それがわかっているからこそ、奴は大穴の底、深い闇からこちらを、じっと見据えている。
そんな気がして、今の静けさに忌まわしさを覚えた。
「──具体的に、どうやって門を封印するんだ?」
脳裏に浮かぶ不穏な空気を振り払うように発した俺の問いに、ロアが指を立てた。
「まずは三人で封印の土台をつくる」
──土台? 繰り返した俺の言葉にロアが頷く。
「これは、結界の外から構築可能じゃ。“枝”を伝って三人が術式を織り、基礎を作る」
結界の外から可能となれば、三人に危険が及ぶことは少ないだろう。
「次に、封印本体の構築じゃが……。これは、三人が門に触れる必要がある」
「じゃあ──」
「うむ。それまでにサガンを無力化せねばならん」
三人を門の前に迎え入れる。
そのための露払い。三人の身の安全が確実な封印の大前提──。
「お主の意思は尊重する。わしもできる限りのことはするがの……」
言いたいことは、わかる。
「俺も、あいつらを危険な目に合わせるつもりはないさ──」
俺の言葉にロアは少し困ったような目をして頷いた。
◆
丸テーブルの上に置かれたランプの灯がちいさく揺らめき、壁に俺の影を映している。
腰掛けていた椅子から立ち上がる。
寝てしまうと、腹も決められぬまま、無為に封印決行の日へと近づくような気がして、なかなかベッドへと向かう気になれない。
窓へと向かう。
念のため、バズロアの住民には避難をさせているらしく、日に日に人気は少なくなっていった。
ここへ着いた日の賑わいからの数日間の街の変化に、俺だけが取り残されているような錯覚を覚える。
まばらな街の灯りを眺めていると、扉を叩く音がした。
──どうぞ、と声をかけると、手燭を持ったシェルダが「邪魔するぞ」と言いながら扉を開け、続けてノルとリンドも遠慮がちに部屋へと入ってきた。
「三人揃って──どうしたんだ?」
寝間着姿の三人の顔を見回す。疲れからか三人とも少し眠たげな顔をしている。
「アノンに呼ばれたんだ」
俺の問いかけにシェルダが答えると、部屋の中央のテーブルの上に仄かに光る球体が現れ、アノンが姿を現した。
「まぁすわれ」
どこかで俺が言ったことを聞いたのか、大人の真似をする子どものような台詞に苦笑しながら、皆で席につく。
「お前がみんなを呼んだのか?」
俺の問いかけにアノンが頷く。
「おねがいがある」
「お願い?」
髪をまとめ上げたノルが問い返した。
神樹の枝──。アノンは世界の魔力循環を司る神樹の一部だという。
ルヴァニアとメノスの合一による世界の崩壊を食い止めようとしている以上、アノンはその守るべき世界そのものとも言ってよいだろう。
そう思うと、自ずと俺もその“お願い”に対する緊張が増す。
「おまえたちがつくる“ふういん”を、とおらせてほしい」
アノンがノル達三人の顔を見ながら言った。
「“封印”を通る? メノスへ行くということか?」
思いがけない“お願い”にシェルダが目を見開く。ノルとリンドも驚きを隠せない。
「ユキオもいっしょに、だ」
「えっ、俺も?」
「ああ。これはユキオへのおねがいだ。いっしょにきてくれ」
封印を通ることなど可能なのか? そもそも立ち入ることができるのか?
複数の問いが頭を駆け巡り、言葉が出ない。
「方法はともかく──理由を聞かせてくれますか?」
ノルが幼子にそうするように、穏やかに問いかける。
「あいにいく」
──誰に? とは問わない。門の向こう、メノスにいる存在。世界を知り尽くしたロアをして、その答えはひとつしかない。“蜥蜴”だ。
「会いに行ってどうする?」
シェルダの問いにアノンは少し目を伏せて首を振った。
「わからない」
ランプに灯るオレンジの光が小さく揺らぐ。
「行って……大丈夫なんですか? 戻って……これるんですよね?」
リンドが泣きそうな目をして、アノンと俺を交互に見る。
「もどる。もどるために“もん”からいく。“ふういん”は“とびら”だ。とおしてほしい」
アノンがリンドをまっすぐに見つめ、リンドは涙をこらえるように口を結んだ。
「ユキオ」
アノンがこちらへ向き直る。
「つれていってくれるか?」
自分だけが、メノスを見ることができる意味。
この世界の異物として、俺がこの世界に存在している意味。
アノンの仄かな光を目に映しながら、“棒”を見つけた日のことを思い出していた。
◆
その日、俺はある森の異変に関する調査依頼を受けていた。
モンスターの異常行動。
森の深部にいるはずの個体群が縁辺部へと生息域を移した結果、はじき出されるように周辺域へモンスターが溢れた。
他のパーティが割の良い、街周辺のモンスター討伐にあたる中、森の内部調査という“貧乏くじ”を引かされた格好だった。
縄張りの崩れた外縁部と違い、内部に進むにつれ、モンスターの気配は遠くなっていった。
そして、森の中心、小高い丘になったひらけた場所にそれはあった。
雲間から差した光を受けていたのは、丘の上にちょんと立てられた棒。
異変の中心部ということで気を張っていたはずが、何の変哲もないその風景に肩の力が抜けた。
何気なく近づき、その棒を手に取る。
小さく節ばった木肌そのままの棒は、今しがた樹木から切り出したかのようにしっとりとしており、断面は切り出した跡も見えないほどに、まっすぐになっている。
「なんか……ちょうどいいな」
握り心地を確かめて、軽く振る。
その瞬間、脳裏にファンファーレが何度も鳴り響く。
──なんで? 何をした?
周りを見回しながら、脳内に浮かぶ数字に意識を向ける。レベルが一気に上がっていた。
レベル63から、レベル68。一気に5レベルは、これまで経験のないことだった。
足下や身の回りも確認したがそれらしきものはない。
首を傾げながら丘を降りていると、風鳴りがして上を見る。
焦点を合わせる間もなく、黒い影が俺をめがけて突っ込んできていた。
黒いドラゴン。
考える間もなく、そのまま手に持っていた棒に魔力を込めて振り払う。
そして、俺は驚愕していた。
初めて見る黒いドラゴンにでも、それを一振りで仕留めた自分の力にでもなく、俺の全力を受けてドラゴンを断ち切ったにもかかわらず、何事もなかったかのようにこの手に残る、棒の感触にだ。
「これは──」
今思えば、森の異変はこの棒のせいだったんだと思う。神樹の枝、埒外の存在がモンスターを刺激し、森を乱した結果、モンスターが外縁部に移動したのだろう、と。
だが、その時の俺は、持て余し始めていた自分の力を受けても形を残す、“最高の武器”を手に入れた高揚感で、それどころではなかったのだ──。
◆
あれから二年あまり。
過酷なレベリングの日々を過ごし、フェニルドで姿を現して、アノンという名をつけてからは、ただの武器としてではなく、旅の仲間として同じ時を過ごしてきた。
そのアノンがじっと、こちらを見ている。仄かな光の輪郭がランプの温かな光に滲む。
髪のような頭部の葉がふわりと揺れて、再度問いかけるように首を傾げた。
「──当たり前だろ? つれていってやるさ。どうやらメノスも俺には、こちらとそう変わらないみたいだしな」
俺の言葉にアノンが頷く。
シェルダがふぅ、と小さく息をついた。
「どうすれば、封印にお前たちを通す扉を作るのか、ロア殿にも聞いてみなくてはならんな」
「ええ、そうですね。やるからには、ちゃんと送り出してあげないといけませんからね」
ノルが微笑みを浮かべて頷いた。
「何があるのか……後でちゃんと教えてくださいね」
「わかった」
リンドの言葉にアノンが手を上げてこたえた。
シェルダが苦笑しながら俺を見る。
「──世界を見て常識を学んでこいとはいったが、この世界の常識の前に、別の世界を見てくるんだから、どうしようもないな。お前は」
「仕方ないだろ? 他ならぬ“相棒”の頼みだからな」
部屋に小さな笑い声が満ちる。
決行の日は近づき、覚悟は決まらぬまま、戦いの後にやるべきことが決まった。
それが、どのような結果を生むのか、俺にどのような変化をもたらすのかも、わからないままだ。
だけど、不思議と焦りはない。
丸テーブルを囲む柔らかな光に照らされる皆の顔を見ながら、俺は穏やかな眠気が訪れるのを感じていた。




