第77話「それぞれの、できることを」
太陽は中天に差し掛かり、執務舎を内包する大樹の葉の隙間から、日差しが差し込んでいる。
窓から外を見やると、穏やかな風に乗って通りを走る子どもたちの声が聞こえてくる。
「失礼いたします。ミエラ様」
執務室の扉が開き、エルドが盆に茶器を乗せて入ってくる。
「こちらでは感知はしていませんが、“門”の周辺にその後異変はありませんね?」
「はい。先程の定期連絡でも異常はありませんでした」
黒いドラゴンの出現から二日。
フェニルドの“門”は大樹の地下にある。
門に異変があれば、守り人である自分は感知できるが、再度のドラゴンの出現に備える意味もあり、兵を配置してある。
「このままで終わるとは思えません。油断せずまいりましょう」
私の言葉に、エルドは茶を注ぎながら頷いた。
差し出されたカップを口に運ぶと、ふわりと芳醇な香りが立ち上がる。
「良い茶葉ですね」
「魔王──ユルディマ様からの贈り物です」
エルドは、熟成が効いていて年寄りには少し香りが強すぎますがな──と付け加えた。
深い皺が刻まれた目尻が少し下がるのを見て、私の口角が少し上がる。
「それで──バズロアの方はいかがですか?」
「ええ、昨日から封印の術式の指導に入ったそうです」
ノルからは、時をおかず報告が入る。先日“神樹の枝”を知覚したことを語った、彼女の弾んだ声に、子どもの頃のことを思い出して、懐かしく感じた。
「あの子なら──やってくれますよ」
少し心配気なエルドを見ながらそう言うと、エルドはため息をつく。
「バズロア殿や、封印にあたるノル達を信用しておらぬわけではないのですが……」
「何か?」
「いやはや、長生きなどするものではありませんな。新たな門の封印に、世界の危機。年寄りには些か刺激が強すぎて現実味がない。いよいよ呆けたかと思いましたぞ」
エルドの言葉に、つい笑いが漏れる。
「現実味がないのは、私も一緒です。まるで、ノルに聞かせた御伽話の中にいるようです」
目を輝かせてお話をせがむ、子どものノルを遠く思い出す。
「ははぁ。……となると、我々の役どころは何でしょうなぁ」
「そうですね……強いて言えば、勇者に魔法の杖を授ける老人といったところでしょう」
少し笑いながらそう言うと、エルドも微笑みながら頷いた。
「では、その役目をまっとうせねばなりませんな」
「ええ。彼らだけに戦わせるわけにはいきませんもの」
机の上の紙に書き込んだ結界の術式を見やる。
空になったカップを置いて、机に向き直る私に一礼すると、エルドは執務室を後にした。
足下に鎮座する封印に意識を向ける。
今のところは異常は感じられないが、その門の向こうから、漆黒の狼がこちらを見ているように思えてならない。
──あなた達だけに戦わせるわけではない。
早くそれを伝えたくて、ペン先にインクを含ませた。
◆
ミディガル城の地下。
門の封印は今日も青白い幾何学模様の花弁を広げている。
封印の間に至る前室には、兵が詰めて警戒に当たっている。
交代制を敷いているため、門と封印のことを知る者もかなりの数となっている。近々公表せざるを得なくなるだろう。
頭の痛い問題だが、魔族という種族そしてミディガルの成り立ちに関わることである以上、時間がかかっても領民の理解を得ることはできると信じたい。
「宰相。黒いドラゴンを一人で相手されるおつもりですか?」
振り返ると、デニスがにこにこと笑みを浮かべて立っていた。
研究員のローブを纏い、こちらを見る眼鏡の奥の落ち着いた目は緊急時にあっても変わらない。
場にそぐわないその飄々とした穏やかさに、どこか頼もしさも感じるのは、これまで培った人柄なのだろう。
「必要とあらばそうするがな」
デニスの軽口に腰に佩いた剣の柄を撫でながら答える。
「血気盛んなのは結構ですが、徐々に黒いドラゴンの出現の頻度が落ちています。おそらくは──」
「備えているのだろうな」
「はい」
デニスは封印の奥、漆黒の闇を見据えて頷いた。
「それで、支援についてはどうなってる」
「ええ。封印間の術式伝達については、バズロア様のお力添えもあり、ほぼ完了です」
眼鏡を上げながらデニスが答える。
「ですが──」
「例のアレか」
「ええ、そちらについては、正直微妙です。何しろ時間がない」
頭を搔くデニスの肩を叩く。
「ギリギリまで粘ってくれ。実現すればきっと彼らの助けになるはずだ」
──わかりました。とデニスは頷いた。
「それはそうと……宰相。そろそろお戻りください。宰相に何かあったらと、前室の兵たちがそわそわしてますよ」
「ふっ。ついてくるなと言ったのは失敗だったな」
「ええ。いかに“不動の氷壁”と言えど、寄る年波に抗うのも限界があるでしょ? 若い兵はやきもきしてますよ」
デニスの持つ雰囲気のせいで、怒る気にもなれず笑うほかない。
「わかったわかった。すぐに戻る」
答えつつもう一度大輪の花のごとく開いた封印を見上げると、デニスが感慨深げに呟いた。
「シェルが新たな封印を作ることになるとはなぁ」
「心配か?」
同じく封印を見上げるデニスに問う。
「まさか。あの子は自分よりよっぽどしっかりしてますよ」
遠く懐かしむような目をしてデニスが言葉を継ぐ。
「自慢の妹分ですよ」
「ああ。儂にとっても自慢の教え子よ」
にんまりとこちらに笑みを向けたデニスと二人、踵を返す。
前室へと戻る扉へと向かいながら、この先を思う。
封印の構築、レヴォルフの撃破。
これが為されなければ世界は滅びに向かう。その事実は、後方にいる我々にも緊張や恐怖を強いる。
まして前線で封印を担うシェルダにあっては、我々の比ではないだろう。
だからこそ、我々がそれを表に出してシェルダらに背負わせてはならぬ。
『──無心に、精一杯に、我々のできることを為す』
ユルディマが協議の後、臣を集めて語った言葉。
それを再度胸中で唱えながら、バズロアでの勝利を祈った。




