第75話「迷いながら」
サガンにより削られた荒野。
上空から見た時には気付かなかったが、吹き飛ばされた岩々が転がり、足元は良くない。
時に滑り降りるようにそのクレーターを中心に向かっていくと、徐々に大穴の縁が近づいてくる。
ここに来るまでに、街の様子を見た。
吹き飛ばされた岩石で破損した屋根を修理する男性、巻き起こった粉塵を掃き出す子ども、その怯えと不安をにじませた表情が頭から離れない。
大穴の奥、徐々に闇に落ち込んでいったその先にいるであろうサガンの赤い目が縁に立つ俺を見ているような気がする。
風鳴りとともに、地下の空洞から低い遠吠えのような声が聞こえる気がした。
「ユキオ」
背後からロアの声がして、振り返る。
司書達が着る制服に似た詰襟に、金刺繍入りの白いローブを羽織ったロアが、腰に手を当てて立っていた。
「こんなところにおったのか」
「ああ。黒いドラゴンが出ないか心配でさ」
穴に向き直りながら答える。
「ふむ。穴は遠方から監視を続けておるし、今のところは大丈夫じゃろうが──まぁいい、ちょっと座れ」
そう言ってロアが指先を地面に向けると、地面が盛り上がり、腰掛けのような形になった。
元が土とは思えないほど、硬く、滑らかな手触りはまるで磨き上げられた大理石のようだ。
「便利なもんだな」
俺の言葉にロアが自慢げに鼻を鳴らした。
「魔法も技術も、暮らしを良くするためにこそ、あるものじゃよ」
ロアと向き合うような形で、即席の椅子に腰を下ろす。
「それで──何か用事か?」
俺がそう言うと、ロアは小さく咳払いをした。
可愛らしい容姿に似つかわしくない、年寄りじみた仕草に、つい苦笑が漏れる。
「お主、今回の件──サガンの目的をどう思う?」
改めての問いに首を捻る。
「そうだな……サガンの目的が蜥蜴の解放だとして、いくら蜥蜴が龍を妬んでいるといっても、それが世界を壊すことに繋がるのか──正直わからない」
ロアの鳶色の瞳がじっと俺を見ている。
「蜥蜴も、龍も、ロアもそうだろうけど、この世界には悠久の時を生きる存在が多すぎて、俺にはその気持ちは正直見当がつかない。ただ──」
「ただ?」
「サガンは、なんというか、“命じられた”というよりも、“自分がやりたくてやってる”って印象はあったかもな」
「ふむ……」
ロアが顎に手を当てる。
「確信があるわけじゃない。ただそう思っただけだよ」
おそらく俺がそう思ったのは、サガンの目だ。
自分の考えを信じ切った迷いのない目。他人の言葉を聞きはしても、言葉が通じる余地を全く感じなかった。
「わしが龍と古い友だと言うたことは覚えとるな?」
──あれはキトニアの宿だったか。思い出しつつ頷いた。
「古い付き合いになる。あれが人に交わっておったころからのな」
「何年前──と聞くのも野暮かな?」
「もう、数えてもおらんわ」
ロアはからからと笑う。
「それはともかく、わしも龍も悠久の時を生きるとは言え、ルヴァニアに生きる者。メノスは感知しながらも触れられぬ世界じゃった──」
──触れられぬ世界。その言葉に自然と目は大穴へと向く。
「じゃが、ある時メノスに何者かの気配が生まれた。そして、その視線を感じるようになった」
「それが──」
「うむ。ルヴァニアの民が“蜥蜴”と呼ぶものじゃ。わしらが触れえぬ存在じゃが、確かにそこにいるのを感じ、その後瘴気からドラゴンが生まれ、増えていった」
「それが、龍の御伽話か……じゃあ……嫉妬というのは?」
確か、その話では龍に嫉妬した蜥蜴が龍に似せたドラゴンを生み出して、人を害したはずだ。
「本来のところの因果はわからん。しかし、その昔現れたドラゴンが執拗に龍と人間を狙い続けたのは事実。そして、その力を抑えるために、わしと龍はルヴァニア全体に結界を設けた」
「龍が話してた転生をくり返す契約って言うのがそれか──」
リンドを預かった時の龍の話を思い出す。
「なんじゃ、そんな事まで話しとったのか。あやつめ、“枝”を持ったお主を見て余程感じるものがあったらしいの」
ロアが呆れたような声を出す。
「偶然見つけただけだけどな」
「なに、偶然の積み重ねも振り返ってみれば必然になる。それこそ、神樹の枝の導きよ」
そんなものかな──と、呟いて俺は頭を掻いた。
「その蜥蜴がどうサガンと関わっておるのかは、わしにも分からぬ。しかし、奴を止めねば封印はならぬ」
ロアの表情が少し引き締まる。
「無論、皆で協力はするが──奴を倒せるか?」
膝の上で組んだ指先に目をやる。
「俺だって、この世界と心中するつもりはないからな。できることはやるさ。ただ──」
ロアが訝しげに俺を見る。
「あいつが引き返せるのであれば──殺すのは避けたいかな……」
「甘いのぉ」
ロアが呆れるように頬杖をついた。
「これまで散々モンスターの命を奪ってきたのに、今更何を言ってるんだって、話なんだけど……この世界に来ても、越えられない一線なんだよな」
足元に転がる小石をつま先で軽く弾く。
「難儀じゃのう。じゃが、お主もわかっておろうが、あやつも世界が壊れることを知っての行動じゃ」
横目で大穴を見ると、その最奥で門の前に佇む異形の姿が脳裏をよぎった。
「ああ──自分の命のことなんて、最初っから考えてないだろうし、俺もこの世界を守ることの方が大事さ」
ロアが息をつく。
「じゃったら──」
「それでも、多分迷いながらしか動けないんだよ、俺は」
苦笑しながらそう言うと、目の前にアノンが現れて、俺の方を向いて、大きな目を二、三度瞬かせる。
「ユキオはそれでいいとおもうぞ」
「聞いてたのか」
アノンがふわりと移動して、俺の肩に乗る。
「ユキオはきめたらはやいけど、それまでは内心ずっとまよって、ふらふらしてるからな」
「おいおい、バラすなよ……!」
ロアが噴き出した。
「ふはっ! もうよい。おぬしらはその調子でよいわ。どうなるかはわからぬが、どうするかギリギリまで迷ったらええ。わしも付き合ってやるわい」
──それに、とロアが言葉を続ける。
「メノスが見えておるのはお主だけじゃ。それには、必ず何か意味があるはずじゃ。迷いを切り捨てぬこと──それが、その意味に繋がるやもしれん」
ロアがゆっくりと立ち上がる。
「封印の方はどうなんだ?」
俺も続いて腰を上げた。
「なぁに、“大賢者”と“神樹の枝”が講師じゃ。心配いらん」
「ならいいけどさ……」
ロアが、無い顎髭を弄る真似をする。
「今三人で、風呂に入っておるからの。しっかり浸かって、出てきたら、いよいよ講義の本番じゃよ」
──風呂?
少し楽になった頭の中を、疑問符が駆け抜けた。




