第74話「世界のかたち」
朝だというのに、窓枠に切り取られた空は灰色の厚い雲に覆われ、バズロアの街へ降り注ぐはずの日差しを遮っている。
ほの暗い街並、フェニルド風の白壁の建物が目に入り、エルフの里の風景が頭によぎった。
胸のあたりにまだ地下の瘴気が残っているような感覚になる。
腰掛けている椅子になんとなく居心地悪さを感じるけれど、立ち上がってカーテンを閉める気にはならない。
「ノル──」
不意に部屋のドアが開いて、シェルダから声をかけられた。
無言で指を口に添えて、リンドが眠るベッドを見やった。
シェルダは小さく頷き、わたしはそっと椅子を離れる。
薄暗い廊下を二人でしばらく無言で歩いた。
「リンドは?」
「さっき、やっと眠ったところです」
「無理もないな──」
シェルダが立ち止まる。
「フェニルドとは連絡がとれたのか?」
シェルダの問いに首を振る。
「そちらは?」
「デニスと連絡がついた。ロアの言ったとおりだった」
「では──」
「ああ、『門』の周辺に黒いドラゴンが現れたらしい。ハグス大将をはじめとした部隊が対処にあたっている。ユル──いや、魔王様も指揮にあたっていたようだ」
「そうですか……」
昨夜、サガンから逃れた時にロア様から懸念がわたし達に伝えられた。
──別の『門』への干渉があるやもしれぬ。
里長であれば、何があったとしても間違いのない対応をしているはず。
いくら自分にそう言い聞かせても、胸のざわつきは止まなかった。
「フェニルドも同様らしく、そちらもミエラ殿を中心に対応しているそうだ」
「え……?」
「わたし達が出立してから、ミエラ殿と魔王様との間で、互いの封印を通じた連絡体勢を構築していたらしい」
思いがけない話だった。
「デニスは興奮していて、要領を得ないんだが──封印を介することで通常の通信魔法の制約を超えることが可能となった──そうだ」
「そうなんですね……わたしには何も……」
「技術屋の悪い癖だ。形になるまで伏せたがる」
シェルダがため息をついた。
「里長にも──そういうところがあるのかもしれませんね」
「ふふ。そうかもな」
少しだけ気持ちがゆるみ、シェルダと顔を見合わせた。
廊下の窓から見える空はまだ厚い雲に覆われている。
◆
『あーあー、シェル? 聞こえる?』
バズロア図書館の会議室。私の前に置かれた通信用の箱からユルの声が響いた。
普段通りの調子。
──場を弁えろとあれほど……。
「魔王様。バズロア館長もおられますし、緊急事態ですから──」
部屋には、ロアとノベリー、そして、ユキオ、ノル、リンドもいる。
地下でのサガンとの接触から一夜経ち、私たち今後の対応を検討するため、ロアに呼び出された。
気を引き締めて、為政者らしくちゃんとしろ──。そう言ってやりたい。
『いいからいいから。ロアちゃんとはキトニアに向かう途中でお話してるし、緊急事態だからこそ柔軟かつ、速度重視! 形にこだわってる場合じゃないよ』
ロアを見るとこちらを見て小さく頷いた。
私はため息で返すほかない。
「宰相閣下は?」
『無論、同席させてもらっておる』
ドルティ宰相の低い声が響き、『僕もね』とデニスの声が続いた。
『ミエラ様とはもう繋がってるの?』
「ああ」
私が頷くと、ノルの前に置かれた箱からミエラの声が響く。
『ユルディマさま。昨晩はありがとうございました』
『こちらこそ。弱体化の術式、とても助かったわ』
二人は言葉を交わす。
我々がサガンから逃れた直後、ミディガルとフェニルドの双方の『門』の周辺に黒いドラゴンが現れた。
即座にユルとミエラが情報を共有して対処し、今のところドラゴンの出現は止まっているという。
ロアが大仰に咳払いをした。
「では、まず状況を整理させてもらおうかの──」
その言葉で室内に緊張が走る。
「まず、街の被害じゃ。『門』を設置していた地下の空洞が街から離れた所まで至っておったのが幸いして街の端は崩落寸前でとどまった。巻き上げられた瓦礫と粉塵で街に被害は出とるが、大事ない」
昨晩、ロアの魔法で地下から撤退した時に見た風景が頭によぎる。
光に包まれた私達はサガンの雄叫びにより生じた大穴から空へと一気に飛び出した。
上空から見たのは月に照らされながらも底の見えない大穴と、すり鉢状に削られた大地。
縁は街の端へと至り、一部の民家は飲み込まれる寸前となっていた──。
「現在、司書兵団を再編して穴を監視しつつ、縁辺部の街の者の避難と保護を進めとる」
「司書達は──大丈夫なのか?」
ユキオが言葉を濁しつつ尋ねる。
「うむ。館全体はサガンが掌握しとったが、内心反発しておった者もおる。それにサガン派から追放されたり、反発して職を辞した司書たちは、内々にバズロアへ潜ませとったからの」
──既に手は打ってあったわけだ。おそらくノベリーが先に監視を片付けて街に入ったのも、そのためだったのだろう。
ユキオが感心したように息をついた。
「次に、サガンの目的じゃ」
「確か『メノスへ帰る』と……」
ノルが眉を顰めて言う。
「うむ。そもそも、メノスはこのルヴァニアと対を成す世界。『門』の向こう側じゃ」
『そこへ“帰る”ということは、元々メノスの存在ってことになるわよね?』
「そうなるだろうな」
ユルの問いに頷いたものの、門の向こう側に生命がいるとは到底思えない。
だがレヴォルフはそこから出てきて、サガンを『喰らい』同化した。
サガンとレヴォルフに何らかの関係があるのは間違いない。だが、『サガン』として魔術師の体を得て五百年。フェニルドの門に現れたのは、その遥か昔のはずだ……。
一瞬の静寂のあと、通信箱からデニスの声が響いた。
『ちょっといいかな? 封印の奪取から、これまでに我々が調査した内容と、そちらから聞いた状況から、推測したことがある』
「聞かせてくれるかの?」
ロアが促すのに応じるように、リンドやユキオも身を乗り出した。
『まず、レヴォルフ。ユキオくんの本体の目撃情報から、封印に探査術式を組み込んでもらって探ったところ、門の向こうに巨大な瘴気の塊が観測された。我々はこれをレヴォルフ本体と仮定して、その観測を継続していたんだけど、昨日──サガンとの同化と時を同じくして、消失した』
「消失?」
私の問いにデニスが反応する。
『正確に言うと、“瘴気の塊”の反応が消失した』
「どういうことだ?」
『“変質した”と考えられるんだ。その後は、その“変質した”レヴォルフを追っていたんだけど、その際、我々はバズロアと門の内部の双方で反応を検知した』
──ということは。
「サガンの目的が、あちらへ帰ることだというのであれば──ヤツはもう目的を達している?」
私の言葉にデニスは、そう考えられるね──と頷いた。
ノルの前の通信箱が、小さく点滅し、ミエラの声が響く。
『“帰る”という目的は達成された。──しかし、レヴォルフはなお、フェニルドやミディガルの門にも、黒いドラゴンを送り込んでいます。それに、このままではバズロアに開いた門により、世界は崩壊する──』
ミエラの言葉に場の空気が張り詰める。
『守り人となった者であればわかるでしょう? それがただの伝承でないことが』
ミエラの言葉に、ノルが目を伏せながら頷き、ユルも通信箱の向こうから『ええ』とだけ短く答えた。
「どうしたいんだろうな?」
黙って話を聞いていたユキオが無精髭を擦りながら呟いた。
「そもそも、魔術師の身体を奪ったのが、サガンなんだろ? 瘴気を取り込んだ時にいたそいつは何者なんだ? それに、門を開けてしまうと世界が壊れるんだろ? 帰るって言ってみたり、世界を破壊しようとしたり、意味がわからない──」
そこまで言葉にしてユキオは大きく息をついた。
「ここで話しててわかることじゃないのかもしれないけどさ……」
諦めまじりの呟きが部屋の空気に溶けた。
次の瞬間、ユキオの眼の前に光の玉が生じて、小さな丸っこい人の形をなす。
「アノン」
ユキオが少し驚いてその名を呼ぶと、アノンは頭部の葉を揺らしながら、振り返った。
「すこし、はなしたい」
アノンの声が静かに室内に響く。
「珍しいな」
ユキオの言葉にアノンが手を振る。
「らちがいのはなしだ」
世界の埒外──我々の知る世界の理から外れた事柄。思わず唾を飲んだ。
「サガン。あれは“いし”だ」
「いし?」
ユキオが首を傾げる。
「いし……“意思”でしょうか? 思いとかそういう」
リンドの言葉にアノンが頷く。
「瘴気、あつまりよどむ。よどみに生まれた“いし”。それがあいつ」
「……では、五百年前に魔術師がその瘴気に生まれた“意思”ごと取り込んだということか」
アノンが振り返ってその大きな目で私を見る。
「魔力をつかったあと、人のおもい。瘴気になる」
『魔力行使による変性とその残滓及び人の活動における魔力の自然消費の量的不均衡に関するガストルートの“魔力の循環推論”!』
デニスが早口でまくし立てるのを咎めるように、アノンが手を振った。
「うるさい」
『おっと……これは失礼』
「瘴気は“根”からメノスへかえって、魔力となって“枝”からルヴァニアへもどる。でも、こちらで生まれた“意志”はかえれない。かべをこえられない」
──つまり。
「サガンは瘴気から生まれた“意思”で、その性質からメノスへ戻ることを望んで、門を狙った──ということか」
「そう」
私の問いかけにアノンはゆっくりと頷いた。
『では、レヴォルフというのは──』
ミエラが水を向ける。
「“意志”がかえるためにつくった“うつわ”」
『メノスに器を作っても、“意思”は壁を越えられない……。器に、こちらの世界との繋がりを持たせるための供物、それがサガンの肉体そのもの……』
供物──ミエラのその言葉にサガンを迎え入れるかのように、口内に収めたレヴォルフの赤い目を思い出す。
「あいつは、かべをこわしたい」
思考が会議室に引き戻される。
瘴気の中に生まれた意思、悠久にも近い時を経て何を求めるのか。瘴気の多い地に生きる者、そして門を守る民として生きていても、その思いは計り知れない。
「そこだ。もう帰れるのに、なぜ壁を──世界を壊そうとするんだ?」
ユキオが訝しげな表情で尋ねた。
「“門”で世界つなげる。世界まざる。“枝”と“根”のやくめ、なくなる。“神樹”が死ぬ」
黙って聞いていたロアが大きくため息をついた。
「喋りすぎじゃ……まったく……」
ロアが頭を振る。
「ふぅ……。しかし、これは文字通り“神樹の枝の導き”じゃからのぉ……」
諦めたようにロアは天井を見つめ、息をついてから話し始めた。
「今アノンが言ったことと、これから話すことはこの世界の“つくり”……根幹をなすことじゃ。どのみちこの後のことを思えば、知らぬより知っておったほうがよいじゃろう……心して聞くがよい」
自然とその場の皆の背が伸びる。
「この世界は、神樹とともにある。世界そのものと言ってもよい。枝は目に見えず、触れられずとも、このルヴァニアに張り巡らされ、ルヴァニアに重なりあって存在するメノスには同じように根が張っておる」
「ルヴァニアとメノスが、重なりあって存在している──」
ノルが反芻するように呟いた。
「重ねた薄紙のようなものじゃ。それぞれは重なり合い場所と時を同じくしておる。しかし、それぞれがその紙の上からは出られぬし、触れることもできぬ──壁がある」
ユキオをそっと見る。
黙って話を聞くユキオの心情は知れない。
「サガンがやろうとしとるのは、その境界をなくすことじゃ。枝と根が重なり合えば、循環しなくなり幹は枯れる。すなわち神樹の──世界の死じゃよ。そして、あ奴が世界を壊したい理由。思い当たることが一つある」
「何だ?」
ユキオが神妙な顔でロアに問いかける。
「“蜥蜴”じゃ」
──蜥蜴? 予想しない答えに戸惑うと、リンドと目が合った。そのエメラルドグリーンの瞳と白金色の髪に龍の神話が重なる。
「龍の敵対者、ドラゴンを生んだ“蜥蜴”……?」
私の口から漏れた言葉に、ロアが静かに頷いた。
「左様。サガンが蜥蜴をどうしたいのかはわからぬが、あやつは昨日“あの方の望み”と口に出しておった。メノスにいる者──わしの知るところで、“蜥蜴”と呼ばれる存在しかおらぬ」
ロアが断言する。
「だが……」
メノスにいるという“蜥蜴”。ルヴァニアの瘴気に生まれた“意思”。断絶された世界で、それらが関わり合う方法が、果たしてあるのだろうか──。
「今はそれ以上のことは分からぬ」
私の逡巡を遮って、ロアが言葉を続ける。
「今必要なのは、開きかけた門をどうするか──答えは決まっとる。封印を施さねばならん」
ロアが私達の顔を見回した。
通信箱から、ドルティ宰相の声が響く。
『バスロア殿。ミディガルの封印の成り立ちについては、魔族に伝わるいかなる神話にも伝わってはおらぬ。王家は命を賭して封印を受け継ぎ、守らなければならないと伝わるのみ……。おそらく、フェニルドにおいても同様であろう』
『はい。おっしゃるとおりです』
ミエラが同意する。
『既にある封印を受け継ぐのとは違い、新たに封印を施す──果たして間に合うのであろうか?』
ドルティ宰相の冷静な問いに、促されるように私達の視線はロアに注がれる。
「わしが門の周囲にかけた結界じゃが、もって一週間。門の完全解放に要する時間もその程度じゃろう」
「短いな──」
ユキオが呟く。
「いや。材料は揃っとる。間に合わせられるはずじゃ」
材料? 私の訝しんだ視線に気付いたロアが安心させるように頷いた。
「封印に必要なのは、古代の術式、そして三人の心の通い合った術者じゃ。言うまでもなく、古代の術式はわしが知っとる。なに、三度目じゃ。間違うことはない」
ロアが立ち上がり、胸を張る。
『では、三人の術者は──』
ドルティ宰相の言葉を受けて、ロアがこちらを向いた。
「うむ。ここにおる三人じゃ。ノル、シェルダ、リンド。お主らなら、できる」
唐突な指名に言葉を失い、リンドとノルの二人と顔を見合わせる。
「そんな──」
ノルが言葉を詰まらせる。
状況をわかっている以上、できないとは言えない。だが余りに荷が勝ちすぎる。
ノルのその気持ちが、痛いほどにわかる。
やるとすれば、考えている暇すら惜しい。それもわかっている。だが失敗すれば──それが恐怖となって喉の奥を締め付ける。
空気が凍りつくような数瞬の間を、細い、しかし熱の籠もった芯のある声が打ち砕いた。
「やります」
リンドが、まっすぐにロアの目を見つめていた。
「わたしだけじゃできないかもしれないけど……ノルさんやシェルダさんと一緒なら……きっと……いえ、絶対、やれると思います」
凛とした声に、強張った身体が大きく震え、胸の奥から全身に熱が行き渡る。
──まったく、情けない。
先程まで脳裏にあった、恐怖心の残りを息に乗せて吐き出した。
「リンドがそういうなら──やるしかないな」
胸に手を当てたノルが笑みを浮かべて頷いた。
「ええ、やるしかないですね」
リンドがほっとした顔でこちらを見る。
ロアがわたし達の様子を見て頷いた。
「門への封印は六日後。その日が決戦じゃ」
静かな宣言が室内に響き渡り、厚い雲の隙間から覗いた太陽が、窓から一筋の光を走らせた。




