第73話「サガン・レヴォルフ」
『門』の前に立ちはだかる、黒い異形の狼。
黒い毛並は薄く瘴気を発し、三つに増えた頭部はそれぞれに低く唸り声を上げながら周囲の状況を探っている。
その三つの首の根元で上半身のみとなったサガンが、髪を掻き上げ顔を露わにした。
白目を無くし、赤一色となった目は赤く光り、口の端が堪えきれないように、歪に持ち上げられている。
「もう間もなく、我々を拒み続けたこの忌まわしい世界も終る……」
湧き上がる愉悦を押さえ込むように、顔に手を当てたサガンが指の隙間からこちらを見た。
「後は……」
強烈な憎悪を含んだ圧が体を打つ。
「逃げろ!」
飛び下がった後の地面から、牙が突き出した。
着地とともに、棒を構える。
「ノル、シェルダ、リンドを連れて下がってくれ」
「わかった」
シェルダとノルが剣を抜き放って向き直る寸前、サガンが突き出した手の先から、瘴気の弾が放たれる。
一直線に二人の間を抜いたそれは、正確にリンドを狙った。
「リンド!」
ロアの防壁はまだ効いているはず──!
自分に言い聞かせつつも、背筋に冷たい感触が走る。
振り返った俺達の目に飛び込んできたのは、両手を前に掲げ、燐光を展開したリンドの姿だった。
「無事ですね!」
ノルが声をかけつつ、肩を抱くようにして、避難させる。咄嗟に出した燐光でなんとか弾を防いだリンドは油断なくサガンを見ているが、微かに燐光を纏わせた手が震えている。
三人をかばえる位置を取り、棒を構える。
「真っ先にあの娘を狙うとは性根も腐っとるな」
ロアがその小さな体に不釣り合いな魔力を溢れさせて、サガンを威圧する。
「……」
サガンは返事の代わりに、薄笑いを浮かべながら、片手で印を組む。
俺とロアの周りの空間に、無数の穴が生じる。
「かわすんじゃ!」
ロアの言葉と同時に、瘴気でできた鎖が穴から現れ、一直線に向かってくる。
手足を狙って襲い来るそれらをかわすが、足元に生じた穴から放たれた瘴気の鎖が俺の左足を捕らえた。
「くそっ!」
動きが制限された俺を狙って、レヴォルフが飛びかかってくる。
中央の頭が食らいつくのを、体を捻ってかわしつつ、足に絡みついた鎖を棒で破壊するが、次の瞬間には、右の頭の牙が俺に迫る。
かわす余裕はない。棒に魔力を込めて、迫る頭部の横っ面を殴りつける。
衝撃で頭部の軌道が逸れ、俺は再度距離をとる。
レヴォルフは小さく身震いをして、距離を測るように三つの頭を低く構えた。
「神樹の枝……今更のこのこ何をしにきたというのか……」
サガンが嘲りと憎しみのこもった目で俺の棒を見た。
「実に目障りだ」
言葉とともに、地面に魔法陣が現れる。
「龍……神樹の枝……何故この世界は私の邪魔を──あの方の望みを──!」
静かに怒気を含ませていくサガンの言葉に応じて、魔法陣から瘴気が溢れていく。
「いかん!」
ロアが小さく声を上げると、俺の体が光に包まれ浮き上がった。
一気にレヴォルフを見下ろす高さへ。振り向けば、リンドやシェルダらも同様に光に包まれている。
何が起こっているのか、思考を巡らせる前に、眼下が異変に包まれる。
地面が瘴気で黒く染まり、まるで荒れる海面の如く波打っている。
そして、波打つ瘴気は次第に大小にまとまりながら、形を成していく。
「ドラゴン──?」
瘴気の塊はみるみるうちに受肉し、鱗を身に纏った黒いドラゴンの群れへと姿を変えた。
「ユキオ。おぬしを一度下ろす。暫しわしに時間をくれ──」
ロアがそう言うや否や、浮上していた俺の体に再び重力が戻る。
「わかった──」
着地点にいたドラゴンの首に一撃を入れて屠る。
サガンは宙に浮くロアへと手を翳す。
「させるか!」
一気に踏み出して、サガンを狙う。
俺の攻撃を察したレヴォルフが叩き落とそうと、前脚を振り下ろすのを棒で合わせる。
衝撃でサガンの体勢が崩れ、赤一色の目が憎々しげに俺を見た。
「行け」
サガンが呟くと、周囲のドラゴンが俺に殺到する。
大型のドラゴンの腹下を潜りつつ、切り上げて抜ける。
更に、待ち構えていた小型のドラゴンを切り捨てつつ、レヴォルフへと向かう。
横から襲ってくるドラゴンの牙をかわし、踏み台にして、跳び上がる。
俺を待ち構えていたレヴォルフの口中に瘴気が溢れると、瘴気を含む咆哮が放たれ、空中にあった俺の体を打った。
耳鳴りと全身を貫く衝撃。咄嗟に頭部を庇った腕の感覚が無くなる。
ドラゴンの頭上を飛ばされながら、俺の体を自動回復の白い光が包む。
地面を転がり、なんとか立ち上がったところで、再度俺の体はロアの魔法により、ふわりと持ち上がる。
「──待たせたの」
ロアがそう言うと、青白い幾何学模様の複雑な線で描かれた球体状の結界が、広場を包み込むように一気に形成された。
青白い光が、暗い洞内に蠢くドラゴンの群れを照らす。
「一時撤退じゃ」
「でも──」
俺の返事を待たず、俺達の体は速度を増しながら洞窟の抜けた天井へと向かっていく。
「詳しい話は後じゃ……。檻は作った──逃れられはせん」
結界を抜けて、外へと逃れる俺達を、闇に浮かぶ赤い目がじっと見ていた。




